惜しむらくはパイオニアLDC盤は限定生産・廃盤のため中古市場では倍額以上のプレミアがついていることで、入手しやすく長編も揃えられる『The Great Stone Face DVD-BOX』も手を伸ばさざるを得ません。しかしパブリック・ドメインの上映用プリントに日本語字幕こそあれ何のレストア作業もしていない劣化画質の『The Great Stone Box』は単に既発LD・ホームヴィデオを起こしただけで、サイレント時代の全集のはずなのにトーキー第1作『キートンのエキストラ』'30が入っている、なのに傑作2作『キートンの西部成金』'25と『キートンの大列車追跡(キートン将軍)』'27が抜けている、という具合で、アイ・ヴィー・シーはMGMでのトーキー時代の長編全集の8枚組DVDボックス『バスター・キートン Talking KEATON DVD-BOX』を2012年に続編で発売しましたが(14,000円)、MGMでの全トーキー長編7作(『キートンのエキストラ』が前ボックスと重複)にボーナス収録で『キートンの大列車追跡』を加えたはいいものの、書店売りメーカーのコスミック出版の10枚組1,880円ボックス『爆笑コメディ傑作集』収録の105分の全長版にマスターの質量ともに劣る80分版です。これは同作公開当時の不評から平行して出回っていた短縮版という由緒はありますが、'50年代の再評価以降はキートン長編の最高傑作と定評ある作品を今さら短縮版を採用する見識には疑問が持たれ、さらに傑作『キートンの西部成金』は台湾のメーカーによる日本輸入用台湾盤のリリースはありますが、いまだに日本盤未DVD化のままです。サイレント時代のキートン短編は、今日では輸入盤DVDと日本盤DVDを集めれば(また、観るだけならサイト上でも)容易に触れられるとはいえ、自作の保存・管理をしっかりしていたチャップリンやロイドとは違い玉石混淆のプリントをマスターにしていてマスターごとの当たり外れが大きい難があり、魅力を感じられた方はぜひ米KINO盤や日パイオニアLDC盤などの良いマスターでご覧いただきたいものです。
「キートンの隣同士」Neighbors (監督・脚本=キートン&エディ・クライン、Metro'20.Dec.22)*18min, B/W, Silent : https://youtu.be/aeWQzIWMxQA
判決はキートンがヴァージニアと結婚する要求が可決されることで決まり、フォックス家の父はもちろん判決に不服でカンカン、キートンの父も結婚は不承不承ですがフォックス家の鼻をあかしてやったのでご機嫌です。結婚式、花嫁花婿姿で挙式に望んだキートンはベルトをし忘れたのに気づき、落ちそうになるズボンをごまかしながら牧師のベルトをすり取って装着し、牧師のズボンはずり落ちてしまいます。その隙にキートンの父が用意していた結婚指輪がスーパーの特売品だと発見して騒ぎ出したフォックス家の父が乱闘を始め、逃げ出したキートンとヴァージニアは通りかかった小路裏に隠れようとして、そこの家の地下の石炭室に落ちてしまい、どうもそこは鍛冶屋だったようで鍛冶師のおじいちゃんが落ちてきたカップルにびっくりして、ぽかんとしたキートンとヴァージニアの姿で、エンドマーク。実は今回の3編に限らず、「文化生活一週間」や「キートンの警官騒動」のように高い完成度のものは例外的で、第2作「キートンの囚人13号」は傑作でしたがあれも夢オチでギャグのためにプロットもストーリーがあるのかギャグがプロットとストーリーを形成しているのかギリギリだったように、「キートンの囚人13号」や本作のような解説やあらすじで語っても仕方ないようなとりとめのない短編がほとんどです。古臭い呼び方をすればナンセンス作品と呼ぶのが適当で、それを言えば傑作「文化生活一週間」や「キートンの警官騒動」も同じなのですがその2編には奇跡的な集中力と首尾一貫性があってたまたま抜きん出て完成度を達成したもので、キートンの曲芸部分を借りたようなフォロワーとも、ましてやチャップリンやロイドのようにまず映画にキャラクターとプロット、ストーリーを設定する正統的な喜劇映画でもない。しかし正統的というのはそれが劇映画の主流というだけで、キートンの映画は同時代の異端的なマイナー作家、フランツ・カフカ(1883-1924)やアントナン・アルトー(1896-1948)が描いていた、歪んでとりとめのない悪夢のような世界と同質の感覚があり、そうして描かれた映画もまたまぎれもないリアリティを備えている点でチャップリンやロイドに拮抗し得るものです。しかもこれが実験的なインディー映画ではなく、大手メトロ配給の大衆娯楽喜劇として作られていたというのはこの時期のキートンの幸運を感じます。
●1月17日(木)
「キートンの化物屋敷 (監・脚=キートン&エディ・クライン、The Haunted House (Metro'21.Feb.10)*21min, B/W, Silent : https://youtu.be/NLh6nwgP1Qs
本作も夢オチですが、キートンが贋札団転じて強盗団を制圧するも銀行内を滅茶苦茶にしたので頭取に後始末を押しつけて偶然贋札団のアジトに逃げてきたまでは現実なのか、一応頭取の娘フォックスの介抱でアジトの床で目覚めるのですからキートンが銀行員でフォックスが頭取の娘という設定が結末に続いている以上銀行での騒動は起こったことなのでしょうが、贋札団のアジトが化物屋敷に偽造されていたかどうかや『ファウスト』の上演失敗した一座の俳優たちが紛れこんでの化物屋敷シークエンスは全部キートンの夢だったのか、設定上は途中までが化物屋敷のどたばたがあって途中でキートンが転倒してストーヴを倒して気絶し、化物屋敷騒動の収拾がついた頃やってきたフォックスがキートンを見つけ介抱して起こしたのか、夢の境目が明確ではないのです。キートンがフォックスに起こされたあとの様子を観ると屋敷ではキートンの転倒・気絶以外何も起こらなかった、つまり化物屋敷騒動はまるごとキートンの夢だったような印象を受けます。すると映画文法の常識上、客観描写で描かれた冒頭の贋札団のボスの「アジトに化物屋敷騒動の細工がしてある」というのや、『ファウスト』上演の失敗と俳優たちが屋敷に隠れようと逃げこんでくるのは客観描写ではなくキートン気絶以前から夢の描写が始まっていたことになり、映画文法の常識を逆手にとった映画の話法のトリックは'40年代の『市民ケーン』'41始めフィルム・ノワールの『深夜の告白』'44や『ローラ殺人事件』'43、『深夜の銃声~偽りの結婚(ミルドレッド・ピアース)』'45や戦後監督たちの『三人の妻への手紙』'49や『サンセット大通り』'50、『イヴの総て』'50(そして大御所フリッツ・ラングやヒッチコック作品)で現代映画の技法になりますが、キートンの本作は偶然の産物と見なしてよく、たぶんキートンに訊いても「どっちでもいい」という回答しか返ってこなかったでしょう。本作は金庫をめぐるギャグが効いており、営業時間9時~午後3時のこの銀行の金庫は始業時間前にどうしても早くと美人客(ドロシー・キャッシル)にせがまれたキートンが椅子を足台にして金庫上の時計の針を8時半から9時に進めるとすーっと開きますし、女性客の対応にてんてこまいの女性窓口係(ナタリー・タルマッジ、のちキートンの第2長編『荒武者キートン』'21のヒロインをへてキートンと結婚)に代わってちょうど3時に金庫に出納し出ようとしたキートンの上着とズボンを挟んで金庫の扉はぴったり閉まってしまいます。また化物屋敷のシークエンスでは一階広間から二階への広い中央階段が上ろうとすると閉まって滑り台になり、下りようとしても閉まって滑り台になり、逃げ回る最中これは好都合と二階から下りようとすると今度は滑り台にならない、と気まぐれに滑り台に変形する階段で、結末部で天国への階段が滑り台になって地下の地獄の螺旋滑り台まで真っ逆さまというのは化物屋敷の階段の反復ギャグで、反復ギャグを好むチャップリンやロイドに較べてキートン映画、ことに短編には反復ギャグは少なく、ギャグは豊富で多彩ながら一つ一つのギャグはあっさり流すのがキートンの流儀なので、接着剤ギャグが紙幣と贋札団だけでなくキートンがべたべたの手で触れてしまった頭取のズボンが後ろの客(エディ・クライン)と尻をぶつけた拍子にズボンとズボンがくっつき離れず、キートンがハサミでばっさりズボンを切るのはキートンらしいギャグですが、接着剤だけでギャグのヴァリエーションを連続させるのはやはりキートンには珍しいくどさがあります。そのあたり、夢オチのキートンらしさはともかく(また本作の反復ギャグや接着剤ギャグも面白いのですが)、本作のくどさから一変してあれよあれよと設定らしい設定もなくとりとめもなく1編が出来あがっている次作「キートンのハード・ラック」の方がよりキートンらしい、とも言えるような悪夢感があります。化物屋敷ものはロイドも「ロイドの化物屋敷」'20で出来はいまいちでしたが、お化けを怖がる南部人のムードはよく出ていました。キートンの本作は銀行騒動の前半、化物屋敷の後半でまったく別の映画になっていて、キートンの場合それでもいいような、しかしやっぱり破綻が過ぎるような印象も残ります。
●1月18日(金)
「キートンのハード・ラック(悪運)」Hard Luck (監・脚=キートン&エディ・クライン、Metro'21.Mar.16)*22min, B/W, Silent : https://youtu.be/IgNUHvoRbJ0 : https://en.wikipedia.org/wiki/File%3AHard_Luck_%281921%29.webm
たぶんこの中国人の妻子を連れて帰還、という場面で帰還しただけのショットで終わらず大爆笑のギャグがあったのでしょうが、それは現在スチール写真1枚だけで推定3分分のフィルムと資料が失われているので想像するしかありません。しかしこの筋書きだけであらすじというのもおこがましい、どこへ転がっていくのかわからないようなとりとめのない構成と内容は察していただけるのではないでしょうか。まずキートンが自殺を志願するまでがまったく描かれていない「失恋して職も失い自殺しようとする男」と字幕一枚で済まされているのも大胆ですが、突進してくる市街電車の線路に寝ればキートンの手前の分岐点で逸れて行ってしまう、大木で首吊りをしようとすると大木がしなって足がついてしまう、ロープを外すと反動で警官を巻きこみ警官に追われると逃げまわる(自殺志願者が警官に捕まるのは逃げる、というギャグ)ととりとめもなく、それから「毒」のラベルつきの瓶を見つけてウイスキーと気づかず飲んで上機嫌はいいとして、アルマジロ捕獲探検隊員に入隊とはどこからそんな発想が出てきたものやら途方に暮れます。ちなみに続く魚釣り、キツネ狩り、乗馬はアルマジロ捕獲探検隊員としての個人トレーニングということなのでしょうがアルマジロはアルマジロ探しどころか話にも出てきません。釣りをすると最初フナ程度の小魚が釣れ、それを餌にすると鮎ほどの魚が釣れ、さらに鯉ほどの大魚が釣れ、とのちの長編『キートンのセブン・チャンス(キートンの栃麺棒)』'25冒頭の、ガールフレンドに告白できずデートするたびにガールフレンドの愛犬が仔犬から成犬に育っている、というギャグの先駆も出てきます。キツネ狩り、乗馬はカントリー・クラブに入会してからですがこのあたりですでにアルマジロ捕獲探検隊員という設定はどこかへ行ってしまっていて、そこで同じクラブの会員(ヴァージニア・フォックス)に一目惚れして彼女の危機を救う、という方に話は行ってしまい、失恋からまたプールへの飛びこみ自殺決行、と一見辻褄があっているだけにアルマジロ捕獲という話は何だったんだ、とますます煙に巻かれます。また筋書きではプールサイドと書きましたが、穴の空いたのは水のないプールとも見え、飛びこみ前には水のあるプールが映りますから、気づかずに水を張っていない隣のプールの飛びこみ台に登って飛びこんだ、とも取れます。キートンの映画には釣りや狩り、乗馬、ボートを始めスポーツを生かしたギャグがのちに増え、その集大成が長編『キートンの大学生』'27の運動オンチの優等生キートンが恋人の危機一髪を万能のスポーツ能力で救出する趣向にあり、短編では本作が小ぶりながらその嚆矢となったもの、とも言えます。本作はタイトル通り作品自体がハード・ラック(不運)な目にあってしまった短編ですが、人を食った発想、展開、結末までチャップリンやロイドでは考えられないような珍品で、珍品ながらキートンの作風では珍しくないという、それならキートンの映画とはいったいどういう性格のものか深く考えさせられる小品です。その場ででっち上げたには入念すぎ、入念ならばこんなとりとめのないものにはならないはすが、キートン映画ではその矛盾が両立しています。そうした面をよく表した作品です。