人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年3月19日~21日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(7)

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 コスミック出版の9枚組DVDボックス『ミュージカル・パーフェクトコレクション』の『フレッド・アステア』全3集に収められているのはパブリック・ドメインになっている『バンド・ワゴン』'53までの作品で、『バンド・ワゴン』はアステアの出演映画第27作ですからコスミック出版の全3集には'50年の日本未公開作品『Let's Dance』を除く26作品が網羅されています。9枚組全3集ですから『Let's Dance』も収録されていれば27作目までのアステア作品完全収録なのが惜しまれますが(代わりの27本目にはアステア生前のテレビ用ドキュメンタリー『フレッド・アステアのすべて』'80が収録)、1,800円の廉価版ボックス3集でアステア映画がほぼ完全網羅されている、原盤もパブリック・ドメインの制約の上でなるべく良質のものが使われている配慮がされており、単品またはシリーズ単位で26作品を揃えるにはたいへんな手間がかかると思えば重宝なボックスです(『Let's Dance』は原盤が揃わなかったのでしょう)。『バンド・ワゴン』以降のアステアのミュージカル映画は『足ながおじさん』'55、『パリの恋人』'57、『絹の靴下』'57と続き、この後から初めてミュージカル映画以外の作品に性格俳優として出演するようになり(『渚にて』'59、『結婚泥棒』'60、『悪名高き女』'62)、'68年の『フィニアンの虹』が最後のミュージカル作品になります。『バンド・ワゴン』自体が時代遅れの落ちぶれた老ダンサー(まだ50代前半ですが、プロダンサーの世界ではもう定年です)が再起をかける話でしたが、同昨以後のアステアは無理なく徐々に引退していったので、上記の4作でミュージカル映画の主演作は終わります。『ザッツ・エンタテインメント』'74と『ザッツ・エンタテインメント パート2』'76は往年のミュージカル映画をアステアら往年のスターが紹介するアンソロジー映画でした。『タワーリング・インフェルノ』'74の哀感漂うダンディーな老結婚詐欺師役のアステアは性格俳優としての晩年の名演でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされる抜群の存在感でした。それを思い出すのも今回ご紹介するアステア初の単独主演のカラー作品であり戦後初の主演作『ヨランダと泥棒』が結婚詐欺師役で登場する「善良な悪党」役のアステア映画であり、次の『ブルー・スカイ』はアステア&ロジャース黄金時代の監督でありビング・クロスビーとの共演作『スイング・ホテル』を大ヒットさせたマーク・サンドリッチの監督作品として再びクロスビーとの共演で着手されながらサンドリッチの急逝で急遽監督が交代します。オムニバス映画『ジークフェルド・フォリーズ』あたりから引退を考えていたアステアは同作公開をもって引退を表明しますが、2年経ってジーン・ケリージュディ・ガーランド共演で製作されていたMGM作品『イースター・パレード』が撮影開始間もなくケリーがスポーツ中の負傷でリタイアし、ケリー直々にアステアに代役出演の指名があり、それではと主演を譲り受けた同作の大ヒットでアステアは再び第一線に返り咲きます。それからの5年間でアステアはさらに『バンド・ワゴン』まで6本の主演を果たしますから、今回ご紹介する『ヨランダと泥棒』『ブルー・スカイ』と、第21作『イースター・パレード』のアステアでは環境や心境に大きな変化があり、作品にもそれが反映しているのが見えるだけに年代順に観る面白さがあり、一見どれも同じようなアステア映画もアステアのキャリアとして大きな年代記をなしているのが伝わってきます。なお今回も作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。

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●3月19日(火)
『ヨランダと泥棒』Yolanda and the Thief (MGM'45)*108min, B/W : アメリカ公開1945年11月20日、日本未公開
監督 : ヴィンセント・ミネリ/共演 : ルシル・ブレマー
◎架空の国パトリアが舞台。国の創始者アクアビバ家の令嬢ヨランダは、莫大な遺産を相続することになる。お金に興味のないヨランダは守護天使に祈り助けを求めるが、それを聞いた泥棒ジョニーは……。

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 ヴィンセント・ミネリ(1903-1986)は『巴里のアメリカ人』'51、『バンド・ワゴン』'53などのミュージカル映画のみならず『花嫁の父』'50や『悪人と美女』'52、『炎の人ゴッホ』'56や『いそしぎ』'65、『晴れた日には永遠が見える』'70など多彩な作風で数々の名作を手がけ、『ジークフェルド・フォリーズ』とともに本作の前年には『若草の頃』'44でMGM空前のヒット(製作費185万ドル・初年度興行収入656万ドル・累計興行収入1,280万ドル)を記録した新鋭監督でしたが、MGMのプロデューサーのアーサー・フリードの秘蔵っ娘ルシル・ブレマー(1917-1996)を売り出すための数年来の企画だったという本作『ヨランダと泥棒』はハリー・ウォーレンの作曲にフリード自身が作詞し、245万ドルの製作費をかけたにもかかわらず興行収入は179万ドルと不振で、宣伝・興行費を合わせると165万ドルの損失作品になってしまいます。全編が異国風のセットでファンタジー調に展開する本作はミネリの数々の名作と較べて平均作ではあるものの決して見劣りするような作品ではなく、ブレマーは歌やダンスはともかく演技力には乏しいながら、役柄が純真清楚で世間知らずのつつましいお嬢さまぶりですから存在感に魅力があり、脇を固める達者な性格俳優たちの品の良いコメディ演技にも支えられて、お人好しの中年紳士詐欺師役のアステアとのロマンスもおとぎ話風によくまとまっています。本作はビデオ、DVDリリースのみの日本未公開作品なので英語版ウィキペディアから簡単なあらすじを引いておきましょう。
[ あらすじ ] 南米の架空の国パトリア修道院にいたヨランダ(ルシル・ブレマー)は、膨大な財産を持つ伯母アメリア(ミルドレッド・ナトウイック)の跡継ぎとなりました。しかし財産に興味はないヨランダは、どうしたらいいかわからず庭園の守護天使像に助けてくださいと祈りを捧げます。たまたま、その財産を狙っていた詐欺師のジョニー(フレッド・アステア)が、それを見て自分は守護天使のこの世の姿だと言ってヨランダに近づき、それを信用したヨランダから多額の債券を受け取り、信用状のサインをさせます。そこに警官が来たので、ジョニーは裏庭に待たせていた仲間のヴィクター(フランク・モーガン)に株券の入ったカバンを投げました。しかしヴィクターは茂みの蜂に刺されて受け取れず、カバンは通りかかった謎の男キャンドル(レオン・エイムス)に持ち去られてしまいます。その後ホテルで、そのカバンを取り返すものの、キャンドルから信任状の件を聞いたアメリア伯母はヨランダがジョニーを婿に迎えると勘違いし……。(英語版ウィキペディアより)
 ――大作というより細やかなムード作りのためにセットに勢を凝らしたのが本作のこぢんまりとした印象につながりますが、年代順に観てくるとアステアの老け方が良い具合にダンディーな中年紳士詐欺師役に上手くはまって好演を楽しめる分、決定打なプロダクション・ナンバーがなく、また当時の観客にはこの中年紳士のアステアにはそろそろ魅力が薄くなってきたのも想像されます。アステアはもともと性的魅力は稀薄で、コメディ・ロマンスの主役を演じても魅力は主にその楽天性や軽快さによるものでした。ダンスと歌がその表現手段でしたし、それには若々しさが大きな条件だったとも言えます。成熟した女性の魅力にあふれるリタ・ヘイワースとの共演作や、レヴュー場面だけのオムニバス映画『ジークフェルド・フォリーズ』ではアステアの中年化が目立ちませんでしたし、17歳のジョーン・レスリーとの『青空に踊る』でもかろうじてうまいつりあいがとれていた。しかし本作のようなおとぎ話風の作品だと、俳優としては実年齢を反映した渋い演技派が身についただけ、こうした華やかなミュージカル映画だと様になっているアステアの中年紳士ぶりが本来の意図よりも映画を地味にしてしまい、早い話がアステアに観客が飽きてしまったのが露骨に興行成績の失敗に現れてしまったと考えられます。そうした意味で本作は公開当時の観客よりも後世の観客の方が中年のアステアを承知で観る分だけ楽しめる作品になっている。しかし本作の興行的失敗もアステアに引退を考えさせたのは間違いなく、実際次作『ブルー・スカイ』はアステアの引退宣言を予告した内容になるのです。

●3月20日(水)
『ブルー・スカイ』Blue Skies (Paramount'46)*103min, Technicolor : アメリカ公開1946年10月16日、日本公開昭和30年4月1日
監督 : スチュアート・ヘイスラー/共演 : ビング・クロスビー、ジョーン・コールフィールド
◎トップダンサーのジェドはマリーを想い続けるが、彼女はジェドの親友ジョニーと両想いに。そして二人は結婚するが……。『スイング・ホテル』に続くアステアとビング・クロスビー、ゴールデンコンビの第二弾!

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 本作はもともとマーク・サンドリッチ(1900-1945)がビング・クロスビーフレッド・アステアの共演で大ヒットさせた『スイング・ホテル』'42の姉妹作として企画したものて、サンドリッチはRKO映画社時代に8作作られたアステア&ロジャース主演映画中、初主演作『コンチネンタル』'34、『トップ・ハット』、『艦隊を追って』'36、『踊らん哉(Shall We Dance)』'37、『気儘時代』'38の5本を監督し、一般的なミュージカル映画ともかなり性格の異なるアステア映画の基本フォーマットを築くとともにアステア&ロジャースを20世紀アメリカ映画のイコンとした最大の貢献者の監督でした。また『ブルー・スカイ』はアステアとクロスビーの再共演とともに『スイング・ホテル』同様アーヴィング・バーリンの楽曲に彩られた作品ですが、アステアがクロスビーの引き立て役だった『スイング・ホテル』の両者の役柄を逆転させており、またバーリンの音楽も『スイング・ホテル』では全12曲書き下ろしでしたが本作ではバーリンのこれまでの代表曲を一気に32曲も再使用する、という作りになっています。本作はダンサーを引退してラジオ局のアナウンサーになったアステアの回想形式でヒロイン(ジョーン・コールフィールド)をめぐる友人のクロスビーとの過去が語られる、と本作公開後にアステアが引退宣言する布石とも言えるような内容であり、しかもプリプロダクションが完了してテスト撮影会中に宿痾を抱えていたサンドリッチが急逝し、急遽スチュワート・ヘイスラーが代役監督になったもので、ヘイスラーもプログラム・ピクチャーのヴェテラン監督ですしフィルム・ノワールの名作『ガラスの鍵』'42で名を残す人で、仮に事情を知らされずサンドリッチ名義のまま製作・公開されていてもしみじみと観入っていたかもしれません。バーリンの原案、おそらく『スイング・ホテル』同様プロデュースと監督を兼ねていたと思われるサンドリッチ、サンドリッチの後を継いだプロデューサーのソル・C・シーゲルと監督のヘイスラーに一貫してその意図があったのか、それともアステアの意向をくんで企画が立てられたかはわかりませんが、類似を避けるため『スイング・ホテル』とはアステアとクロスビーの役割を逆転させる、というのは当初の企画からあったでしょう。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ] アーヴィング・バーリンの歌曲32曲を篇中に盛りこんだ色彩ミュージカル。「愛の泉」のソル・C・シーゲルが1946年に製作したもので、バーリンの原案から「ひばり」のアラン・スコットが脚色、「天国と地獄」のアーサー・シークマンが脚本化し、「無宿者」のスチュアート・ハイスラーが監督した。テクニカラー撮影は「麗しのサブリナ」のチャールズ・ラングと「雪原の追跡」のウィリアム・スナイダーの共同、音楽監督は「ポーリンの冒険」のロバート・エメット・ドーランである。出演者は「ホワイト・クリスマス」のビング・クロスビー、「バンド・ワゴン」のフレッド・アステア、「ハリウッド・アルバム」のジョーン・コールフィールド、「ポーリンの冒険」のビリー・デ・ウルフ、「ハリウッド・アルバム」のオルガ・サン・ファン、フランク・フェイレンら。
[ あらすじ ] ラジオの人気アナウンサー、ジェッド・ポッター(フレッド・アステア)が、ある実話の放送を始めた。――第一次大戦後、ジェッドはブロードウェイ一流のダンサーだった。彼のショーが終った日、かねて彼が好意を抱いていた踊子メアリー(ジョーン・コールフィールド)を友人ジョニー(ビング・クロスビー)の経営するナイトクラブへ誘い、彼が次に主演するショーの相手役にならないかと話をもちかけた。メアリーはいったん断って予定通り旅興行に出ると言ったが、初めて会ったジョニーが好きになり、彼のいるニューヨークを離れるのがいやさにショー出演を承諾した。ショーは大成功でメアリーは一躍人気スターになった。ある日彼女から恋を打ち明けられたジョニーは今までの道楽じみたナイトクラブ経営を真剣にやって行く決心をし、2人は結婚した。だが、ジョニーの性格は簡単には直らず、その後も古い店を売っては新しい店を開く御趣味がつづき、夫婦は都会から都会へとアメリカ中を転転として暮らした。やがてメアリー・エリザベスという子供が出来、さすがのジョニーもこれを機会にニューヨークに落ち着こうと心を決めたが、その決心もしばらくするともとのもくあみで、またぞろ店を売ってしまった。これにはメアリーが憤慨して2人は別居した。5年の月日が流れ、メアリーは舞台に帰っていた。彼女の親友ニタ(オルガ・サン・ファン)は何とかしてメアリーとジョニーの仲を昔に返そうと、ジョニーを訪れて説得した。ジョニーは今までの非を認め、メアリーに詫びる気になったが、久しぶりに会った娘メアリー・エリザベス(キャロライン・グリムズ)からジェッドとメアリーが結婚することを聞き、すべてを諦めて姿を消した。これを知って悲しむメアリーを見てジェッドは彼女の心がやはりジョニーにあるのを悟り、酒に憂いを紛らわせていたが、酔いがたたって、出演中舞台の高いところから落ちて足を折った。アナウンサーになったのはそのためだった。――ジェッドの放送が終わったとき、かけつけたメアリーとジョニーは再び相抱いた。
 ――本作ではジョーン・コールフィールドをめぐるアステアとクロスビーの友情と恋愛の葛藤に、クロスビーの右腕である巨漢の従業員トニー役のビリー・デ・ウルフ、ヒロインの親友役のオルガ・サン・ファンがコメディ・リリーフとなり、特にデ・ウルフにはクロスビーの経営する店での従業員兼コメディアンとして独り舞台のシークエンス(日本人にはあまり面白くないタイプの一人コントです)まであるほどです。ダンサーのアステアと引退歌手のクロスビーという配役は『スイング・ホテル』のままに強引で勝手な恋の勝利者ながら移り気な男の役が今回はクロスビーの方で、アステアの方が一途な男の役を演っていると一応逆転しているのですが、クロスビーが改心するとアステアは結果的に自分からダンサーとしてのキャリアを捨ててクロスビーの後押しをすることになるので、印象としては今回もアステアがクロスビーの引き立て役になっている。しかも舞台で転落して再起不能な負傷を負うという役ですからシナリオ段階でアステアには当然打診があったでしょうし、これを受けたアステアもついに映画の役柄の上で引退するダンサーの役が来たか、と覚悟がないはずはありません。本作のエンディングではラジオの生放送中にクロスビーが歌い出すとヒロインが戻ってきてスタジオに入ってくる、それをアステアが暖かく見届けますがこれまでの映画ならここで華やかに踊るところが、もうアステアは踊れないのです。クロスビーと別れた幼い娘との再会、アステアとクロスビーの友情、細切れながら全編に流れるバーリンのオールタイム・ヒット曲の数々など見所は多く、代役のヘイスラーではなくサンドリッチが監督していたらどうだったかと思ってもシナリオ自体は変わらなかったと思いますが、観終えたあと楽しさよりも寂寥感が残る。製作費未公表ながら興行収入570万ドルと大ヒットした作品ですが、クロスビーの人気とバーリンの音楽にアステア映画の見納め的な感傷からのヒットであり、これが引退作ならアステアもあまりに寂しい映画で幕を引いてしまったように思えるのです。

●3月21日(木)
イースター・パレード』Easter Parade (MGM'48)*103min, Technicolor : アメリカ公開1948年6月30日(ニューヨーク、プレミア上映)、日本公開昭和25年2月5日
監督 : チャールズ・ウォルターズ/共演 : ジュディ・ガーランド
◎ダンスの相方に逃げられたドン。彼は素人同然の新しいパートナー、ハンナと組むことになるが、二人のダンスは次第に人気を集めるようになる。フレッド・アステアジュディ・ガーランドの魅力がたっぷり詰まった作品。

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 ジュディ・ガーランド(1922-1969)は後年重度のアルコール依存症で不幸な晩年を送りましたが、ヴィンセント・ミネリ夫人('45年~'51年)だった時に授かった令嬢ライザ・ミネリ(1946-)は母の没後に大スターになったことでも知られ、ミネリ夫人でもあった本作の頃はMGMの一枚看板の一人でもある大スターでした。16歳の時の『オズの魔法使』'39は言うまでもなく、かなり癖のある容貌なので(舞台映えはするでしょうが)この頃には化け物じみた貫禄すら感じさせて好き嫌いを分けるかもしれませんが、ガーランドが1パートの主演を勤めた『ジークフェルド・フォリーズ』では脚本家だったチャールズ・ウォルターズの本作は『ブルー・スカイ』を最後に引退宣言していたアステアのカムバック作品となった傑作で、以降アステアはMGMの専属スターとして再び引退作的内容の『バンド・ワゴン』'53まで7作の主演作を残します。前書きの通り本作は本来ジーン・ケリー(1912-1996)とガーランドの2大スター共演作として企画されましたが、撮影開始間もなくケリーがスポーツ中の負傷でリタイアし、ケリー直々にアステアに代役出演の指名があり、それではと主演を譲り受けた同作の大ヒットでアステアは再び第一線に返り咲いた、という因縁の作品です。ジーン・ケリーはアステアがミュージカルのケーリー・グラントなら自分はミュージカルのマーロン・ブランドだと自負していた後輩スターで、アステアの洗練や紳士ぶりに対して肉体性や野性味のあるダンサーでした。アステアが尊敬を集めるタイプならケリーは男も見惚れる色気があり、実は筆者もケリーの方が好きで爽快感と健康美があり、ジーン・ケリーの映画を観ている間はその気がない男性観客すらゲイの気持にしてしまうという恐るべきダンサー俳優です。本作がケリーとガーランドのコンビで完成していたらまた別の傑作になったと思いますが、その場合ガーランドも相当演技のニュアンスが変わったと思われる。監督のウォルターズの演出手腕ももちろんですが、ガーランドの演技はアステアの持ち味とぴったり合っていて、これはケリーとは合わないのでケリーが相手ならまったく違ったものになっていたでしょう。女優ガーランドの勘の良さ、鋭さに戦慄するのはケリー相手の企画をアステア相手で余裕でこなす懐深さで、本作はアステア映画でも戦前のアステア&ロジャース全盛期のサンドリッチ監督作と互角に渡りあう戦後のアステア映画の傑作になっている。ジンジャー・ロジャースはアステアより12歳若いダンサー兼歌手の女優でしたが、当時はアステアもまだ30代で演技はまだ軽いものでした。本作の円熟した演技力のアステアとダンスや歌でも渡りあうガーランドはロジャースを軽々と超えていて、30代のアステアだったらガーランドに食われていたかもしれないほどです。空恐ろしいのはガーランドは引くべき所は引いてアステアを立てる余裕すらあるほどで、令嬢ライザも怪物じみたエンタテインナーですが母君ガーランドも怪物だったのがよくわかる。本作は『ピグマリオン』『マイ・フェア・レディ』と同じような内容ですが、絶妙なバランスの支配権はガーランドの側にあるので、ガーランドがアステアをダシに実力を見せつけた作品でもあるでしょう。その意味ではケリーが主役だったらガーランドの比重はもっと小さくなり、アステアへの交代はガーランドにとって絶好のチャンスだったとも言えそうです。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「ブルー・スカイ(1946)」をお名残に引退を声明していたフレッド・アステアを花々しくカムバックさせ、ミュージカル物の大スターにのし上っていたジュディ・ガーランドと組んで主演させた音楽映画で、「スイング・ホテル」と同じくアーヴィング・バーリンが作詞作曲している。ストーリーはフランセス・グッドリッチとアルバートハケットの夫婦脚本チームが書きおろし、チームが更にシドニー・シェルダンと協力して脚色し、「グッド・ニュース」に次いでチャールズ・ウォルターズが監督に当たり、「愛の調べ」のハリー・ストラドリングが撮影してテクニカラー色彩映画で、ミュージカル場面はロバート・アルトンが演出している。主役2人を助けて、「下町天国」のピーター・ローフォード、「恋のブラジル」のアン・ミラー、映画初出演の舞台喜劇俳優ジュールス・マンシュイン、クリントンサンドバーグ、ジェニー・ルゴン等が出演する。アーサー・フリード製作の1948年作品。
[ あらすじ ] 1912年。イースター・サンディを明日に控えた日に、ダンサーのドン・ヒューズ(フレッド・アステア)はパートナーのナダイン・ヘイル(アン・ミラー)が彼とのパートナーを破って、好条件の契約をしたことを知ると、折柄来合わせた親友ジョナサン・ハーロウ(ピーター・ローフォード)の止めるのも聞かず町にとび出してしまった。ドンの後を追ったジョナサンは酒場で苦い酒をのんでいる彼を発見した。ドンは口惜しまぎれに、かつてナダインをコーラス・ガールの中から見つけて自分のパートナーにしてやったように、酒場のどんな踊り子でもナダインくらいのパートナーに、直ぐ仕立ててみせると云って、折柄酒場の舞台に立った踊り手ハンナ(ジュディ・ガーランド)に彼の名刺を渡した。翌朝、ドンは昨夜のでたらめに後悔したが、ハンナが来たので仕方なく練習を開始した。然しハンナは踊りの基本も知らず、憂欝になってしまったドンが外に出て見ると、町はイースター・パレードで賑っている。カメラマンたちに取りかこまれている女性はナダインだった。それを見たドンは失いかけた闘志を再び揮い起こし、来年のイースターはハンナを必ずプリマドナにして見せると心に誓った。チームを破ってジーグフェルドと契約したナダインは大成功だった。苦労しつつハンナを訓練して、ドンとハンナのチームは遂にうまく行くようになり、2人が踊り歌った「ラグタイム・バンド」は大成功で、ジーグフェルドから契約交渉が来たが、ナダインと一緒に舞台に立つことをいさぎよしとしない彼は断然けった。興行者デリンガムと契約した2人は、ボストン、フィラデルフィヤ等でロード・ショーを行ない、イースター・サンディの前日に、ブロードウェイに進出することになった。ロード・ショーは大成功だった。気づかわれたブロードウェイでもドン・ハンナのチームはうけた。その夜2人がジーグフェルドの宴に臨むと来客は2人に祝福をおくったが、これを見て心動かされたナダインは巧みにドンをハンナから引き離すと彼を独占してしまった。ドンを心から愛するようになったハンナは、かねてからドンがやはりナダインを愛しているのではないかと心を苦しめていたが、此の様を見ると1人アパートへ帰ってしまった。一方やっとナダインから解放されたドンは、愛するハンナを探し廻りアパートに訪ねたが、彼女は鍵をかけて入れなかった。彼は外から誤解を訴えた。初めはナダインを取り返すために君とのチームを始めたんだが、君が一番すばらしい女性であることが判ったんだ。一夜明ればイースターの日曜日、誤解のとけた2人は「イースター・パレード」の歌を合唱して、満都の拍手と喝采をうけた。
 ――製作費255万ドルに対して興行収入580万ドルと、MGMでのアステア主演の前作『ヨランダと泥棒』の興行的惨敗を挽回した本作はダンス・パートナーのアン・ミラーに独立され逃げられてしまったダンサーのアステアが、平凡な酒場のショーのコーラス・ガールのガーランドに目をつけて育て上げる、というよくある筋ですし、ジークフェルド・フォリーズ全盛期の1912年のニューヨークが舞台と懐古趣味も入ったものですが、なにしろすぐ翌々年の'50年には現代のブロードウェイの内幕もの『イヴの総て』が出てくるくらいですから現代劇では夢物語になるのをブロードウェイの勃興期にしているので、人情劇を少し古い時代に設定するのは今でもよく使われる手です。本作も感覚的な新鮮や映像的な斬新さがあるのでちゃんと戦後映画のミュージカルとして'30年代のミュージカル映画とは違うものになっている。ジュディ・ガーランドという女優自身に戦前映画にはない肉体的な存在感があり、どんなにはしゃいでもエレガントだったジンジャー・ロジャースとは違います。また『青空に踊る』あたりから目立ってきたことですが、ヒロイン女優がアステアとは父娘ほど年齢差が出てきたため映画の役柄もそれに見当たった設定の方が無理がなくなってくる。男の方が年長とはいえジーン・ケリーとガーランドではおそらく映画はもっとセクシーな要素が強くなってしまったはずで、ケリーじきじきの指名でアステアが代役出演したのもこの主役交替で映画の性格がどう変わるか、ケリーにもアステアにも直観が働いたからこそのことでしょう。本作も結末がいささかあっけない、またアステアと同じ世代のアン・ミラーとアステアが踊るとムードが一辺してやはりアステアはエレガントな時代のダンサーなんだ、と気づかされるのが皮肉にもなっていますが、一種アスリート的な次元で芸が成立しているアステアのようなダンサー俳優が、本作でうまい年のとり方、引退ではなく次第に活動ペースを落としていくキャリアに進んだのは見事で、過去の巨大な業績とあわせてこれほどのカムバック作品に恵まれる俳優などめったにいないのを考えれば今なおアステアが別格視される存在なのもうなずけます。ただしかつてのロジャースのようなレギュラー・パートナーとのコンビは難しくなったのもうかがわれ、次作『ブロードウェイのバークレー夫妻』でも予定されたガーランドとの共演はガーランドの急病で今度はロジャースがガーランドの代役に再度、そして最後の共演を果たすことになります。