人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年3月22日~24日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(8)

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 前作『イースター・パレード』の大成功で華々しく映画復帰したフレッド・アステアは『バンド・ワゴン』'53まで7作の主演作に出演します。つまり今回と次回で『バンド・ワゴン』までのフレッド・アステア作品紹介は一応終わるのですが、以降のアステアのミュージカル映画は『足ながおじさん』'55、『パリの恋人』'57、『絹の靴下』'57、『フィニアンの虹』'68の4作と減少しており、'59年の『渚にて』以来アステアは一般映画に散発的に性格俳優として出演するようになります。『バンド・ワゴン』は再起をかけた落ちぶれ老芸人の復帰劇と、いわばアステアへの花道のような作品でしたので、以降のアステアは現役俳優のままミュージカル俳優としては引退していくという道を選んだと見ると、『足ながおじさん』以降の作品のアステアが年齢相応な庇護者的な役柄を演じるようになった経緯も納得がいきます。『イースター・パレード』に続く新作もジュディ・ガーランドとの共演作が予定されていましたが、ガーランドの体調不良から新作『ブロードウェイのバークレー夫妻』は往年のパートナー、ジンジャー・ロジャースが急遽代役となり、10年ぶりの再会作にしてアステア&ロジャース映画唯一のカラー作品かつ10作目の最終共演作となりました。ここから『バンド・ワゴン』までの6作の主演作は1作ごとにアステアの現役ダンサーとしてのカウントダウンを見るようなスリルがあり、映画俳優アステアの演技も映画も'30年代の全盛期アステア映画より各段に映画らしく練れている分、これを最後に引退してしまうのではなかろうかとひやひやさせるほど芸に鬼気迫る燃焼感が感じられるものになっている。『イースター・パレード』以降は戦後のカラー作品でMGMの大作なだけに(パラマウントがMGMからアステアを借りてベティ・ハットンをMGMに貸し出す条件で作った『レッツ・ダンス』以外は)かつての地上波テレビ放映頻度も人気・知名度も高い作品が並びますが、これらの復帰以降の華やかなMGM作品でアステア映画を代表させると、本来軽やかさが持ち味だった戦前のアステア作品が良さよりも古さ・稚拙さに見えてしまう難があるような気もします。なお今回も(日本盤未DVD化の『レッツ・ダンス』を除き)作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。

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●3月22日(金)
『ブロードウェイのバークレー夫妻』The Barkleys of Broadway (MGM'49)*109min, Technicolor : アメリカ公開1949年5月4日、日本未公開
監督 : チャールズ・ウォルターズ/共演 : ジンジャー・ロジャーズ、オスカー・レヴァント
ミュージカル映画の黄金コンビ、アステアとジンジャー・ロジャーズが10年ぶりに再共演した作品。ブロードウェイの大人気ミュージカル・スター、バークレー夫妻は公演中にもかかわらず大ケンカして別居することになり……。

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 アステアとRKO時代に『空中レヴュー時代』'33から『カッスル夫妻』'39まで9作でコンビを組んだジンジャー・ロジャース(1911-1996)はコンビ解消あと真っ先に非ミュージカル作『恋愛手帖』'40でアカデミー主演女優賞を受賞しましたが、これはアステア&ロジャース時代の主演作での人気や評価を後追いで表彰したニュアンスも強く、以降の単独主演作は必ずしも好評・商業的成功は収めませんでした。時期的にも第二次世界大戦や戦後映画の転換期と重なったのもロジャース本来の軽い持ち味には相性が悪く、アステアのように徐々に軽やかなダンサー俳優から演技派の資質も伸ばしていくのはアステアでさえ苦労したので、映画の主演女優に求められる条件にロジャースがついていくには分が悪かったとも言えます。本作は『イースター・パレード』で大成功したアステアとジュディ・ガーランドとの共演2作目として企画された作品ですがガーランドの体調不良からロジャースにお鉢が回ってきた。女優キャリアが低迷していたロジャースにとってもロジャースとのコンビ作はやり尽くしたアステアにとっても何を今さらと思うところがあったでしょうが、アステア&ロジャース10年ぶりの共演、しかもMGMの大作でコンビ初のカラー作品となれば話題性もあるので、『イースター・パレード』の製作費255万ドル・興行収入580万ドルにはおよびませんが本作も製作費225万ドル・興行収入442万ドルのヒット作になり、翌年のロジャースの主演作『結婚協奏曲』『モンキー・ビジネス』につながりました。本作はアメリカの人気ピアニスト、オスカー・レヴァント(1906-1972)がアステア&ロジャース演じるダンサー・コンビのバークレー夫妻の親友兼専属音楽家役で準主演出演しており、音楽もアイラ・ガーシュイン作詞=ハリー・ウォーレン作曲と贅を凝らしており、また戦前のアステア&ロジャース映画『踊らん哉』'37のハイライト曲でガーシュイン兄弟作の「誰にも奪えぬこの想い」が再使用される豪華な作りになっており、結果的に10本目にしてアステア&ロジャース最後の共演作になったことで後世の評価はあまり高くないのですが、RKO時代最後の『カッスル夫妻』'39よりずっと良い出来のミュージカル・コメディです。成功の秘訣はアステア&ロジャースの年齢相応にこれからロマンスが起こる設定ではなく最初から中年の人気芸人夫婦の話にしたので、夫婦の意地の張り合いから離婚の危機が起こるがたがいの機知で和解し愛情を確かめあうまでを無理なく巧みに描いている。とどのつまりは犬も食わない夫婦喧嘩の話なので評価が低いのはその点もあるのですが、振付師でもあるアステアがロジャースを自分の振り付けなしには自立できまいと侮り、怒ったロジャースが舞台劇女優を目指すというのは実際RKO時代苦楽をともにしたアステア&ロジャースの関係(夫婦ではありませんでしたが)を反映したもので、ガーランドからロジャースに主演交替した時点でおそらく大元は同じとしてもシナリオのニュアンスは大きく変わり、アステア&ロジャース自身が演じるアステア&ロジャースのモデル映画と言えるようなものになったのでしょう。その意味でも本作はアステア&ロジャース最後の共演作として過去の共演作を総括するような映画であり、作られる意義もヒット作になったのも素直に納得できる作品になっている。単独で観るよりRKO時代のアステア&ロジャース映画を全部観て、さらにアステア、ロジャースの単独主演作を数本観てからこれを観るとそういう感慨がしみじみ起こる映画なので、そうしたつけ足し感も独立した作品としての評価を下げているのかもしれませんが、RKO時代のアステア&ロジャース映画もドラマ・パート(演技)とプロダクション・ナンバー(生身の芸)がセミ・ドキュメンタリー的に分離している点が一般的なミュージカル映画と異なる異彩を放っていたので、本作の思わぬメタ映画化はアステア&ロジャース映画の帰結を飾るにふさわしいものと思えます。なぜか本作は日本劇場未公開に終わってビデオ・スルー作品として映像ソフト発売されたきりですので、キネマ旬報のデータベースでも簡単な紹介しか記録されていません。一応引用しておきましょう。
[ 解説 ] 1930年代に数々のヒット作を送り出したフレッド・アステアジンジャー・ロジャースのコンビが、『カッスル夫妻』以来10年ぶりに共演したミュージカル。喧嘩をしながらも仲のいいブロードウェイの人気者、ジョシュとダイナのバークレー夫妻の愛を描く。
 ――本作はクレジット・タイトルにかぶってアステアとロジャースのダンス舞台から始まり、続いてアステアとロジャース、専属音楽家役のレヴァントの舞台挨拶で三者の関係が紹介されます。舞台がはねて夫妻を祝うパーティーで、ロジャースはフランス人新進劇作家のピエール・バルドゥー(ジャック・フランソワ)から悲劇女優としての資質があるのにダンス・コメディで才能を浪費している、と焚きつけられます。パーティー直前に、レヴュー場面の悲劇シーンの演技は不出来だったと夫に言われて喧嘩していたロジャースは、劇作家の言葉に溜飲を下げますが、機嫌を損ねたアステアは君なんかおれの演出なしには何もできないじゃないかと暴言を吐き、夫婦喧嘩は別居に発展します。アステアは一人芝居で舞台を続け(白眉の個人芸プロダクション・ナンバー「羽の生えた靴」が見もの)、ロジャースは劇作家の新作「若き日のサラ・ベルナール」に主演することになりますが、アステアが心配して稽古を覗きに行くとロジャースは緊張して失敗ばかりしている。アステアは劇作家の声色を使ってロジャースに演技アドヴァイスし、以降アステアはこっそり稽古を覗いては偽電話でアドヴァイスしてロジャースを助けるとともに、妻のシリアスな舞台劇の成功に複雑な感情を抱きます。レヴァントは二人を仲直りさせようと顔を会わせる機会を作ろうとしますが(レヴァントの弾く「剣の舞」とチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第一番』が聴けます)、公けの場では「誰にも奪えぬこの想い」を踊ったりしても夫婦の感情は複雑です。ついに舞台劇の成功とともにロジャースは劇作家から離婚して結婚してくれとプロポーズされそうになりますが、その時劇作家の声色の偽電話でアステアと話していたロジャースはようやくこれまでのアドヴァイスがすべく夫からの電話だったと気づき……と、結末直前までのあらすじはざっとこんなものです。あくまでダンサーのタレント演技だったRKO時代と較べてアステアもロジャースもダンスや歌抜きでも通用する立派な俳優になりました。また音楽が、楽曲自体は古風なものなのにRKO時代のスウィング&ストリングス・ビッグバンドのアレンジから本作ではビ・バップを通過したモダン・ビッグバンドのアレンジになっているのがはっきりわかる。前作の相手役がジュディ・ガーランドだったので音楽の一新に気づかないほどはまっていましたが、ミュージカルを離れなかったアステアと較べてロジャースのダンスは十分にリズム感覚の刷新に適応しきれてあなくて、リーチが広くないのと'30年代風に緩やかなドレスの動きをまとったダンス(「誰にも奪えぬこの想い」ではドレスで助けられていますが)がロジャースの芸なので、戦後ミュージカル映画のよりボディラインを強調したソリッドなダンスには向いていないのです。本作の成功からコンビ復活が続けられなかったのもそこに限界があったと思われ、また当時の人気ピアニスト、オスカー・レヴァントは演技も達者でタップまで披露しますが、今聴くとピアノ演奏はクラシック音楽の俗化をありありと感じさせるもので、チャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第一番』の演奏などこんな俗悪な曲だったのかとおぞましいほど酷い、こういうクラシック音楽解釈が戦後のクラシック音楽を駄目にしてきた歴史的証言になっている意味でも興味深いものです。それが映画を駄目にしているということはないので、いろいろ難を抱えながらも本作があることでアステア映画はより面白く観られる盛りだくさんな作品になっている。本作単品だって十分面白い中年夫婦喧嘩ミュージカル・コメディ映画です。それにはやはりアステアとロジャースの10年ぶり、1作きりの再会共演という機会が上手く働いたのではないでしょうか。

●3月23日(土)
土曜は貴方に』Three Little Words (MGM'50)*102min, Technicolor : アメリカ公開1950年7月12日、日本公開昭和29年6月5日
監督 : リチャード・ソープ/共演 : レッド・スケルトン、ヴェラ=エレン
◎数々のヒット曲を生み出した作詞&作曲家コンビ、バート・カルマーとハリー・ルビーの伝記を元にした作品。ダンサーとしても活躍していたカルマーを演じるアステアと、パートナー役のヴェラ=エレンのダンスも見どころである。

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 本作はMGMが作曲家の伝記映画シリーズとしてジェローム・カーンの伝記映画『雲流るるままに』'46、ロジャース&ハートの伝記映画『ワーズ・アンド・ミュージック』'48に続いて第3弾として企画・製作したもので、カルマー&ルビーはカーンやロジャース&ハートよりもやや古い時代の作詞・作曲家コンビですし、カーンやロジャース&ハートの曲が浸透しているほど日本では人気曲がないので、本作の原題になった曲「スリー・リトル・ワーズ」はソニー・ロリンズのヴァージョンが知られていますがモダン・ジャズ以降のジャズ・スタンダードに定着した曲が少ないのでマリリン・モンローが『お熱いのがお好き』'59で歌った悩殺ナンバー「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」が日本ではいちばん有名なカルマー&ルビーの曲かもしれません。しかし本作はフランスから渡米したばかりの才人アンドレ・プレヴィン(1929-2019、この2月に亡くなったばかり)が音楽を担当し、古い時代のカルマー&ルビーの楽曲を新鮮なアレンジで蘇らせている。またレッド・スケルトン(1913-1997)はあまり日本人好みの個性ではないコメディ俳優ですが、そういやエスター・ウィリアムズ主演のミュージカル・ロマンス『世紀の女王』'44でも作曲家役を好演していたな、と思い出させる歌もうまい性格俳優で、作詞家のバート・カルマーと作曲家のハリー・ルビーはカルマーが年長先輩の多芸多才な才人で口うるさい性格の作詞家、ルビーが天然ボケの野球狂なのに純朴な作曲家ですから、ボケ役のスケルトンにツッコミのアステアというのがうまくはまっている。カルマー&ルビー(アメリカでは通常作詞家・作曲家チームは作曲家が先に来ますが、カルマー&ルビーは年長のカルマーがブレインだったので作詞家カルマーが先に来ます)の曲は長調の楽しい曲が多く、バラードも長調ではっきり言って似たような曲が多いのがプレヴィンのモダンなアレンジだと余計目立ってしまうのですが、その分歌曲作家としての業績の方が多いチームながら曲単位の独立性が薄く、アステアとスケルトンのかけあいで曲の成立の裏話をメインにしながらカルマー&ルビーのヒット曲が次々と出てくる、とまるで最初から1本のミュージカル用にカルマー&ルビーの楽曲が存在していたかのような統一感があるのも脚本とプレヴィンの編曲の功績で、筆者は本作を観るまでマルクス兄弟の舞台劇原作のパラマウント映画『けだもの組合』'31の挿入歌がカルマー&ルビー歌曲とは知りませんでした。舞台劇自体がカルマー&ルビーのオリジナル挿入歌を使っていたのですが、マルクス兄弟の舞台版の看板は出てきても映画の場面の挿入はないのは別会社作品だったからで(マルクス兄弟パラマウントからその後MGMに移籍しましたが)、ひょっとしたらこの時パラマウントにMGMが打診したのが次作『レッツ・ダンス』ではベティ・ハットンとバーターでパラマウントにアステアを貸し出すきっかけになったのかもしれません。うがちすぎか、案外そういうこともあり得たか、ともあれ本作はあまり日本では話題性に欠けると判断されたか日本公開は'53年の『バンド・ワゴン』のヒット後になりました。日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ]「水着の女王」のジャック・カミングスが製作に当り、「ゼンダ城の虜(1952)」のリチャード・ソープが監督したテクニカラーのミュージカル1950年作品で、原題の"Three Little Words"をはじめ数々のヒット・ソングを生み出した歌曲チーム、バート・カルマー、ハリイ・ルビイの伝記を描くもの。脚本はMGMのミュージカル(「テクサス・カーニヴァル」「みめ美わし」・未輸入)を数多く手がけているジョージ・ウェルズが書き、撮影は「バンド・ワゴン」のハリイ・ジャクスン、音楽監督は「暴力行為」のアンドレ・プレヴィン、舞踊の振付と監督は「ロッキーの春風」のハーメス・パンが担当した。主演は「バンド・ワゴン」のフレッド・アステア、「世紀の女王」のレッド・スケルトン、「踊る大紐育」のヴェラ=エレン、「砂漠部隊」のアーリン・ダールで、キーナン・ウィン(「兄弟はみな勇敢だった」)、グロリア・デ・ヘヴン(「姉妹と水兵」)、デビー・レイノルズ(「雨に唄えば」)、ハリイ・シャノン(「真昼の決闘」)、ポール・ハーヴェイ(「恋は青空の下」)、カールトン・カーペンター(「花嫁の父」)らの他に、歌手のゲイル・ロビンズ、フィル・リーガンらが助演している。
[ あらすじ ] バート・カルマー(フレッド・アステア)とジェッシー・ブラウン(ヴェラ=エレン)は、売り出し中のダンス・チームで、また相愛の仲でもあった。バートはショウの人気者であり、そのうえ作詞もやれば魔術もやるといった忙しさで、とくに魔術には身を入れ自ら『ケンダル大王』と称して舞台に立った。だがその舞台で彼の助手をつとめたピアノ弾きのハリイ・ルビイ(レッド・スケルトン)が、大失敗をしたためバートはクビになってしまった。バートは再びダンスの舞台に戻り、バート=ジェッシーのチームは大統領から花束を贈られるほどの成功をかち得た。だが突如バートは膝の骨を砕き踊れなくなった。ジェッシーは結婚を申出たが、バートは作詞だけで生活する自信がないと断わり、ジェッシーに新しいパートナアを見つけるようすすめた。ジェッシーは怒って去って行った。バートはある日楽譜出版業者アル・マスターズ(ポール・ハーヴェイ)の店を訪れ、そこでピアノを弾いていたハリイと再会した。このとき2人が共作した歌曲《わがうららかなテネシー》が大ヒットとなり、バート=ハリイの歌曲チームが誕生、かれらの人気は忽ち高まって行った。一方ジェッシーはその頃新しいパートナアと舞台に立っていた。バートはハリイと一緒に彼女の劇場へ見物に出かけ、ジェッシーに招かれるままに舞台に立って一緒に歌った。それを機会に2人の仲は再び昔に戻りバートとジェッシーは結婚した。ハリイはバートとの協力もこれで終わりになったと思ったが、ジェッシーが舞台を捨てる決心をしたので、バート=ハリイのチームは破れなかった。やがてハリイも歌手のテリイ(ゲイル・ロビンズ)と婚約した。彼は新作のショウの主役にテリイを推せんしたので、はじめ主役に予定されていたアイリン(アーリン・ダール)は、落胆してハリウッドへ去って行った。その上、テリイはハリイを裏切って他の男と結婚してしまった。バートはかねがね執筆していたショウの台本が脱稿し、上演に張切ったが、ハリイは自分勝手に金主に解約を申し出たので、バートは怒って2人の協力は破れてしまった。ハリイは、ハリウッドのスタアとなったアイリンと結婚した。アイリンとジェッシーは、再び夫たちを結びつけようと努力し、2人の協力は蘇った。そしてバート=ハリイ・チームの一代のヒット《スリー・リツル・ワーズ》が華々しく脚光を浴びた。
 ――本作はあまりに出来すぎていて楽しいので、実在の作詞・作曲家コンビの伝記映画とは思えないほどです。しかし映画はそういうものであってもいいので、街角のピアノでスケルトンが作曲を始めるとアステアがうーんとうなって最初の一節の歌詞を思いついて歌う、そこに通りかかった女学生のデビー・レイノルズが合いの手を入れる。「それだ!」と次の場面ではもうレヴュー場面になってレイノルズが踊る「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」(歌はヘレン・ケーンの吹き替えだそうです)になる、と万事テンポ良く進み、ヴェラ=エレンとアーリン・ダール両者の聡明な夫人ぶりも気持ち良く爽やかです。実際のカルマー&ルビーの作品歴とは相当に違いがあるんじゃないか、もし発表順に曲が並んでいるとしたら逆にドラマの方を都合良く脚色してあるんじゃないかと憶測したくなるほどコンビのキャリアと私生活のドラマが楽曲と結びついて展開していくのですが、そういうのをとやかく言うより本作もミュージカル映画のバディ・ムーヴィーの佳作であり、実在の作詞・作曲家コンビに格好の題材があったと鷹揚に楽しむのが柔軟な見方というものでしょう。本作製作時年長のカルマーは故人であり、草野球狂のスケルトンが故郷の草野球チームに何度も休暇がてら参加する場面で草野球チームの一員にルビー本人が出演しているという洒落もあり、どちらの夫婦も亭主を立てて実は夫婦仲はかかあ天下なのも楽しい趣向で、子供は出てきませんがホーム・ドラマ的趣向がある。凝ったプロダクション・ナンバーがない分MGMミュージカルとしては中規模の製作費147万ドルに対し453万ドルの大ヒット作になったのもカルマー&ルビー歌曲の根強い人気を反映したものでしょう。そのあたり、レッド・スケルトンとのダブル主演とともにあまり日本人好みではない題材・作風の日米の嗜好の差を感じさせる作品でもあります。

●3月24日(日)
『レッツ・ダンス』Let's Dance (Paramount, 50)*111min, Technicolor : アメリカ公開1950年11月29日、日本未公開・未DVD化 : https://youtu.be/CwF6svN-2Zo (Full Movie) : https://youtu.be/2Qsnf5pTl1Y (Piano Dance)
監督 : ノーマン・Z・マクロード/共演 : ベティ・ハットン
◎2大スター共演のMGM作品『イースター・パレード』の大成功からパラマウントがアステアをMGMから借りてベティ・ハットンと共演させた作品。代わりにハットンは同年MGM作品『アニーよ銃をとれ』に出演し、先に公開された同作が大ヒットしたため『レッツ・ダンス』は割を食った公開となった。

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 本作は製作費非公開ながら興行収入240万ドルとまずまずの成績でしたが、ベティ・ハットン(1921-2007)とアステアの共演でジュディ・ガーランドとアステアのMGM作品『イースター・パレード』のような特大ヒットを狙ったパラマウントの目論見は外れてしまいました。評判もほどほどなら興行収入もほどほど、何より本作製作のためMGMからアステアを借りた代わりにハットンをMGMに貸し出し、MGMが先に製作・公開('50年5月17日)したハットン主演のジョージ・シドニー監督作『アニーよ銃をとれ』が製作費374万ドルの大作ながら女主人公の西部劇ミュージカルの新機軸で興行収入776万ドルの特大ヒット作となり、すっかり本作がかすんでしまったので、アステア出演作でも本作はやはりパラマウントの、アステア自身が「自分の出演作中最低」と認める『セカンド・コーラス』'40に次いでパッとしない作品と目されています。日本劇場未公開でテレビ放映はされたことがあるそうですが、映像ソフトはアメリカ本国でVHSヴィデオ時代に出たきり未だにDVD化されておらず、未公開作品まで丹念に拾ったコスミック出版のボックスにも未収録です。かく云う筆者も本作の存在は今回アステア作品連続年代順視聴を思い立つまで知らなかったので、YouTubeにアップされた全長版で初めて観ました。筆者は英語の語学力やヒアリング力など全然ですし、英語字幕の出るサイレント映画ヨーロッパ映画ならまだ読めますが、ミュージカル映画のテンポの速い会話や歌の歌詞などたまったものではありません。梗概を調べようと英語版ウィキペディアIMDBを調べても本作の扱いは全然で、一応話の筋はわかった、映画の出来も字幕つきならたぶんそう悪くないのはわかりましたが、期待しないで観た分悪くないじゃないかと思った節が多大にあり、期待の新作として観たら今回のアステアは見せるプロダクション・ナンバーもなくはないけど映画全体はいまいちだな、と思うのも仕方ないような作品ではある。『セカンド・コーラス』よりはずっとましなのですし、ベティ・ハットンも魅力的なのですが、アステアもハットンも十分に魅力が生かされているかというと疑問がある。本作の原作選択にも企画の読み違いがあったというか、子連れの戦争未亡人のハットンとダンス・パートナーのアステアの再婚ロマンスという設定からして華に欠けるんじゃないかという気がします。簡単にお話を起こしてみましょう。映画は「1945年・ロンドン」というタイトルからアステアとハットンが軍隊慰問のための終戦お祝いショーで踊っている舞台場面から始まります。
[ あらすじ ] 1945年・ロンドン、終戦記念の軍隊慰問のショーを終えたドン(フレッド・アステア)は舞台上で戦争未亡人のダンス・パートナー、キティ(ベティ・ハットン)との結婚を発表しますが、キティは赤ん坊の息子が亡夫の実家に預けてあり、終戦後もダンサーを続けると親権を取り上げるられてしまうと求婚を拒否します。二人はダンス・パートナーを解消し別々に帰国します。1950年・ボストン、亡夫の母エヴァレット夫人(ルシール・ワトソン)の邸宅に住むキティは6歳になった息子ディック(グレゴリー・モフェット)を連れて独立しようとし、義姉のカロラ(ルース・ウォリック)はキティを応援しますが、エヴァレット夫人の猛反対にあいます。たまたまボストンに巡業に来ていたドンと再会したキティは自活のためレストランで働き始めます。裁判でキティがディックの親権を確保する条件は資産家との再婚とエヴァレット夫人から提示されて、キティは資産があるからエヴァレット夫人を説得できるというドンの求婚を受け入れますが、結婚登録所でドンの資産とは週末のロンドンの競馬への全財産の賭けと知って怒って結婚を止め、帰宅して息子ディックを職場のレストランに連れ帰り職場の仲間たちと匿います。一方ドンはエヴァレット夫人邸に乗りこみ競馬中継で60万ドルの賞金獲得でエヴァレット夫人からキティとの結婚、ディックの親権を認められますが、かえってドンに反感を抱いたキティは当てつけに別の資産家とつきあい始めてしまいます。しかしドンになついていたディックによってキティは改めてドンからの求婚を受け入れます。
 ――うーん、あらすじを起こしてみましたがやっぱりパッとしない話ですね。6歳の子役はなかなかうまい可愛らしい男の子なのですが、アステアと子連れ未亡人の再婚話というのが決定的に地味で、しかもアステアが競馬を当てに求婚とそれまでのアステア映画の軽薄キャラクターならともかく、子どもの親権まで絡んでくるとなると軽薄結構とは言えなくなってくる。また戦争未亡人というのも設定としてはコメディ・ミュージカルには重すぎる。パラマウントは人情映画は得意なはずでアステア映画というよりビング・クロスビーが主役とはいえ名作『スイング・ホテル』や佳作『ブルー・スカイ』も送り出してきており、そこらへんのさじ加減はわかっていそうなものなのにどうも本作の登場人物は性格設定が納得できない。1945年から1950年にいきなり話が飛んで、実はハットンもアステアをまだ愛していてアステアも同様で、偶然出会った街のカフェでおたがいに気づいてハッとなりながら別々に店の外に出て、偶然出会って驚いたふりをする演出などそれなりに細かいのに、5年も離ればなれだったアステアに心残りなら死別した夫にはどうだったんだと不自然な感じもするのです。アステアの個人芸はグランドピアノとアップライトピアノの2台のピアノを渡り歩いて踊るピアノ・ダンスのシーンが白眉ですし、ハットンとの映画冒頭でのダンスも良く、ハットンにも映画のクライマックスでアステアを思って歌い踊るハイライト・シーンがありますが、ミュージカル映画としてドラマ・パートとプロダクション・ナンバーのつながりがあまりに雑で、いったいパラマウントはこれで『イースター・パレード』に匹敵する当たりをとるつもりが本気であったのだろうか(アステアの役名まで同作と同じ「ドン」にしていますが)、バーターでMGMに貸し出したハットン主演の『アニーよ銃をとれ』のあまりのヒットに地団駄踏んだ挙げ句勝負を投げてしまったのでないかとさえ思えます。それでも『セカンド・コーラス』の惨状よりましなのはアステアの演技も円熟し、ハットンも踊れないし歌えないポーレット・ゴダードより当然ずっと良いからですが、本作はサスペンス調のシーンで当時流行のミクロス・ロージャ風テルミン音楽が鳴るなど、全体にあまりに不調和が目立つ出来です。しかもタイトルが『レッツ・ダンス』(原題通り)では内容がちっとも浮かんでこない。アステアとハットン始め子役も脇役(ユニヴァーサルのミイラ男シリーズの怪僧役でおなじみジョージ・ズッコも出ています)もそれなりに配役に見あった存在感がありますが、良いと思ったシーンが次のシーンではおぼつかなくなるといった具合に緊張感が持続しない。111分はあまりに長すぎて、80分程度に刈りこんだ方が良かったのではないかと思えてくる。アステアのミュージカル映画を全部観ようという人以外にはお勧めできませんが、もし日本語字幕つきのテレビ放映なり日本盤映像ソフトが出るなりしたら全然期待しないで観ればアステアとハットンだけで一応楽しめる、と凡作駄作のひと言で一蹴できないだけやっかいな映画です。ただし今後本作が再評価されるとはまったく考えられないだけに、幻のアステア作品として気がかりでいるよりは少なくとも1回観て忘れてしまう方がすっきりして良いのではないかと思われます。因果な映画もあったものです。