人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年3月25日~27日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(9)

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 フレッド・アステアは映画デビューから'53年の『バンド・ワゴン』まで27作のミュージカル映画出演作があり、コスミック出版の廉価版9枚組DVDボックス『ミュージカル・パーフェクトコレクション~フレッド・アステア』全3集には'50年の『レッツ・ダンス』を除く26作がまとめられていますので、3月は未DVD化の『レッツ・ダンス』も含めて『バンド・ワゴン』までのアステア映画全27作を年代順に観てきました。ほとんどは今回何度目かの観直しになりますが、これまで観そびれてきた作品も含めて年代順にアステア映画を追ってくると、アステアにしか見ることのできない特殊なキャリアを歩んだ映画俳優の感を深くします。アステアとほぼ同世代とも言えるジョン・ウェインは初期は歌うカウボーイでしたし、フランスのジャン・ギャバンも歌う色男だったのですが、ウェインやギャバンが映画俳優の中の映画俳優のような存在になっていったのに対してもともと舞台ダンサーのタレント俳優だったアステアは『バンド・ワゴン』にいたっても「僕はニジンスキーでもマーロン・ブランドでもない、ソング&ダンス・マンだ」と台詞で言っているように、どの映画でもドラマのキャラクターである以前に歌うタップダンサーのアステア、というタレント芸の領域で俳優を勤めた人でした。映画デビュー時期も少し若いウェインやギャバンの方が舞台人だったアステアより数年早いのですが、ウェインが'52年の『静かなる男』や'56年の『捜索者』、ギャバンが'54年の『現金に手を出すな』『フレンチ・カンカン』で老境の風格を確立したと思うと、アステアにとって『バンド・ワゴン』がそうした作品に当たると考えられますが、同年代のキャリアでアステアの出演作はウェインの1/3、ギャバンの半数にも達しません。それも舞台スターから映画デビューしたアステアには下積み時代の映画出演がないからで、しかもアステア主演作というとアステアの歌とタップダンスをフィーチャーしたものですから企画は限られてくるし濫作もできない。『バンド・ワゴン』までの27作中アステアは善良な詐欺師の役はありますが殺人はおろか本当の犯罪者役など1作もありませんし、結末で殺される役もなく実在人物の伝記映画『カッスル夫妻』で軍事演習中に事故死するのが間接的に伝えらるのが唯一の例外です。もちろん犯罪サスペンス作品などもないし西部劇や歴史劇もない。'30年代~'50年代の映画スターで乗馬シーンのない俳優などアステア以外にはめったにいないので(アステアのひとまわり後輩のミュージカル・スター、ジーン・ケリーは二階の窓から軽々と馬の背に飛び乗ります)、アステアはアステアの柄に合った役しか演じなかったのもタレント俳優の限界になっていますが、それで20年あまりを第一線の映画スターで通せたのもアステアの他にはほとんど見られないのです。'45年の『ブルー・スカイ』のあと一度は引退宣言していたアステアは復帰作『イースター・パレード』'48以降は引退というよりもミュージカル映画で演れるだけ演れたら性格俳優にシフトしていく目算があったようで、『バンド・ワゴン』はアステア自身によるキャリアの総括というべき作品になり、以降ミュージカル作品は'68年の『フィニアンの虹』まで15年間に4作となりアステアは性格俳優として劇映画の渋い助演に徐々に映画出演を移します。『イースター・パレード』から『バンド・ワゴン』まではアステアの現役ミュージカル俳優としてのカウントダウン的作品と見なせるゆえんです。直前の2作でも『恋愛準決勝戦』は力作、『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』は惰性の産物とかなりの出来不出来があり、それだけに『バンド・ワゴン』はことさら引退声明をむしかえすまでもなく、アステアの白鳥の歌とも言える内容の白眉の一作になっています。なお今回も作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介(日本劇場未公開の『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』を除き)を引くことにしました。

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●3月25日(月)
『恋愛準決勝戦』Royal Wedding (MGM'51)*93min, Technicolor : アメリカ公開1951年3月23日(ニューヨーク3月8日、ロサンゼルス3月20日プレミア公開)、日本公開昭和31年2月1日
監督 : スタンリー・ドーネン/共演 : ジェーン・パウエル、サラ・チャーチル
エリザベス女王の成婚にちなんで製作された作品。トムとエレンの兄妹ダンスチームは女王の成婚の時期にロンドンに招かれ、二人ともそれぞれ恋に落ちてしまう……。理屈抜きに楽しめる笑いに満ちたエンターテインメント。

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 本作も『オペラハット』や『イースター・パレード』と並んでかつてハイヴィジョン化前の地上波ではテレビ放映頻度の高かった作品で、特に本作はプロダクション・ナンバーが9つもあり、本作のアステアのダンス・パートナーはジェーン・パウエル(1929-)ですがアステアとパウエルは兄妹のコンビの設定なので、独身主義だけど色恋好きというこの兄妹がそろって公演先のロンドンでともに真剣なロマンスに落ちてしまうお話で、結末は兄妹の二組合同結婚式で終わる楽しい作品です。製作費166万ドルに対して興行成績390万ドルと大ヒットしたのも1時間半の長さにプロダクション・ナンバーが豊富とサーヴィス精神にあふれた作りだったからで、アステアが客船中のトレーニング室で運動具を駆使して踊る「サンディ・ジャンプス」、トリック撮影によってアステアがホテルの部屋の中で360度回転して壁や天井を伝って踊り有頂天な恋心を表現する「あなたは僕の全世界」が有名で、兄妹がショウの場面で極彩色な南洋景色のセットで軽快に唄い踊る「ハイチに帽子を忘れてきた」もハイライトとなっています。パウエルのロマンス相手はプレイボーイの貴族役のピーター・ローフォード、アステアの相手はロンドンの現地調達バック・ダンサーに見初めたサラ・チャーチルで、サラ・チャーチルは戦前~戦中の首相で自伝1冊でノーベル文学賞を授与されたウィンストン・チャーチル令嬢ですが、他にアメリカとイギリスでアステア兄妹のエージェント役のキーナン・ウィンが一人二役の双子の兄弟役で左右分割画面で電話でかけあいをする一人芝居のコメディ・パートが随所に挟まれ(俗語だらけのアメリカ英語とかしこばったイギリス英語の対照ギャグなのはわかり、ウィンの達者な芸は伝わりますが、面白いかどうかは微妙です)、プロダクション・ナンバーにしてもRKO時代のアステア&ロジャース映画が1時間半の映画に5~6曲、しかしとびきりのスタンダード化する名曲が含まれていたのを思うと、戦後のMGM作品のアステア映画は決定的な名曲に欠ける分プロダクション・ナンバーの数だけは増えた観があり、戦中にもプロダクション・ナンバーが12曲もあるパラマウント作品『スイング・ホテル』'42がありましたがあれはビング・クロスビーとのダブル主演で1年の祝祭日にちなんで楽曲が出てくる特殊な趣向の作品でしたし、主要曲に絞れば5~6曲(映画公開時のサントラ盤にも収録は8曲)でした。凝ったプロダクション・ナンバーの多さに較べて製作費がMGMミュージカルとしては中規模なのはヒロインのパウエル始めアステア以外はMGMの中堅・新人専属俳優で固め大スターが出演していない分人件費がかさまなかったからとも言えそうで、サラ・チャーチルも名誉出演のニュアンスが強くダンスも演技も容貌も地味です。しかし監督のスタンリー・ドーネン(1924-2019、この2月亡くなったばかり。『雨に唄えば』『パリの恋人』『シャレード』)の才気はMGMの監督ではヴィンセント・ミネリと並び、さらに年齢相応に若々しいもので、世代的にも相性ばっちりのジーン・ケリーならばともかくアステアがドーネンの演出に対応できたのはやっぱり大したもので、妹役のジェーン・パウエルなどはアステアより実年齢は30歳も若いのですが、虚構性の高いミュージカルというフィルターではちゃんと兄妹らしい年齢差の雰囲気が出ている。それだけアステアが若々しいということですからこれも大したものだという気がします。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「いつも上天気」のアーサー・フリードが製作したミュージカル篇。監督は「いつも上天気」のスタンリー・ドーネン。「ラプソディーー」のジョニー・グリーンが音楽担当に当たり、撮影は「リリー」のロバート・プランクが担当した。主な出演者は、「足ながおじさんの」フレッド・アステア、「我が心に君深く」のジェーン・パウエルをはじめ、「イースター・パレード」のピーター・ローフォード、「ガラスの靴」のキーナン・ウィン、「ブリガドーン」のアルバート・シャープ等のほかに、前英首相ウィンストン・チャーチルの娘で、舞台や映画で知られるサラ・チャーチルが、アステアの恋人に扮する。原作・脚色・歌曲作詞は「ブリガドーン」のアラン・ジェイ・ラーナー、作曲はバートン・レーンが担当した。
[ あらすじ ] トム(フレッド・アステア)とエレン(ジェーン・パウエル)のボウエン兄妹はブロードウェイで評判の歌と踊りのチームだった。ある夜、2人はマネジャーのアーヴィング・クリンジャー(キーナン・ウィン)から、ロンドンの事務所にいる双児のエドガァ(キーナン・ウィン)がエリザベス上王の御成婚シーズンに兄妹の公演を決めたときかされた。数日後、兄妹は大西洋航路の豪華船でロンドンに向かった。船中でエレンはジョン・ブリンデール卿(ピーター・ローフォード)というドン・ファンと知り合いになった。兄妹は船中でも踊りの稽古に精出したが、ジョンに接近したエレンは何かと怠け勝ちだった。ロンドンは御成婚で沸き立ち、エレンはジョンの招きで田舎の屋敷見物に出かけた。一方トムはエドガアと踊り子のテストに赴いたが、そこで踊り子の1人アン・アシュモンド(サラ・チャーチル)と知り合い、彼女にはシカゴに許嫁がいるにも拘らず、2人の親しさは増して行った。ショウの初日は大成功だった。しかし、その夜の祝賀パーティに出席したトムとエレンはお互いにパートナーの不在で淋しそうだった。だが程なくして現われたジョンにエレンは狂喜し、その夜のテームス河岸で2人の心は結ばれた。アンを想う心から彼女の許嫁ハルの動静を案じたトムはアーヴィングに調査を依頼したが、ハルはシカゴであるショウ・ガールと婚約したことが判った。別居していた両親の仲も元に戻って幸せなアンは、トムの報告をきいて、彼に対する愛情を明らかにし、2人は初めて幸福を味わった。御成婚後間もなく、教会では2組の結婚式が挙げられ、街に溢れる群集の祝福を受けた。
 ――結末はややあっけないくらいですが、ここで盛り上げると二組のカップルが踊るプロダクション・ナンバーを組みこまねばならず、ローフォードとサラ・チャーチルまで踊らせなければならなくなってしまう。かといって兄妹の合同結婚式で兄妹が踊るのも変なので下げはあっさりとさせたのでしょう。本作のアステアはがんばったなあとため息が出る快演で、客船のトレーニング室で運動具を駆使して踊る「サンディ・ジャンプス」は前半は帽子かけのスタンドと踊るのですがアステアが杖やピアノやスタンドと踊る個人芸のタップダンスは魔法のようで、女性のダンス・パートナーと踊る時よりも魔力が漂います。先走ってしまうのは何ですが、本作であまりに力を出し切ってしまったので次作『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』は凡作になってしまったのではないかと思われるほどで、それを言えば『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』、ほとんど引退声明的な設定とストーリーの畢生の名作『バンド・ワゴン』もアステアらしいダンスはあるがエレガント寄りのもので、全然ないのではありませんがタップダンスが激減しているのに気づきます。その意味、重要性については次の作品の感想で触れるとして、アステアの全力のタップダンスが観ることのできる最後のミュージカル作品になった、アステア必殺のタップダンスはついに本作で出し切ってしまったのが本作の力作感につながっているようにも思えます。

●3月26日(火)
『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』The Belle of NewYork (MGM'52)*82min, Technicolor : アメリカ公開1952年2月22日、日本未公開
監督 : チャールズ・ウォルターズ/共演 : ヴェラ=エレン
◎お金持ちで世間知らずのプレイボーイが、ニューヨークで一番の美女に一目惚れし、あの手この手で猛アタック!アステアとヴェラ=エレンとの息の合った歌とダンスが盛り沢山のミュージカル・コメディ。

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 アステアとヴェラ=エレン(1921-1981)の共演はレッド・スケルトンもアステアと同格の主演だった作詞・作曲家コンビ、カルマー&ルビーの伝記映画『土曜は貴方に』'50以来ですが、同作は製作費147万ドル・453万ドルの大ヒット作になったのに対し、本作は製作費256万ドル・興行収入198万ドルの大赤字作品に終わりました。本作の音楽はハリー・ウォレンとジョニー・マーサーの名作曲・作詞家コンビ、監督も『イースター・パレード』や『ブロードウェイのバークレー夫妻』のチャールズ・ウォルターズなのに、何で日本未公開なんだろうと思うと実物を観て納得、興行不振も納得の気の抜けた作品で、原作は1897年にロンドン公演されて成功したアメリカのミュージカルらしいのですが、この原作選択が企画の誤ちだったとしか思えません。慈善福祉施設で働く美人女性(タイトルの「ニューヨークのベル(美女)」と町中で評判の美人)に金持ちのぐうたらプレイボーイが惚れてしまい、彼女のために一途に真面目な勤労者になろうとするも、女性の方はぐうたらで遊び人だった頃のアステアが好きだったと気づく、という何ともサイレント時代かせいぜい'30年代のアステア&ロジャース映画まででしか通用しないような内容で、本作もプロダクション・ナンバーが9つもありますがどれもパッとしない。別に楽曲が平凡でも編曲や演出、歌やダンスで観ごたえのあるものにはできるはずですが、本作は惚れたヴェラ=エレンに「本当の恋とは宙に浮かぶような気持がするものよ」と歌でプレイボーイぶりを戒められたアステアがビルの窓から踊りながら外に出てそのまま隣のビルの屋上まで宙を踊りながら歩いてしまう。次にアステアがヴェラ=エレンに会うとヴェラ=エレンの前でまっすぐ宙に浮いてしまう。クライマックス近くで遊び人だった頃のあなたが好き、と言うヴェラ=エレンまで宙を浮く……と、'30年代のアステア&ロジャースならこれも楽しいお遊びの趣向になったかもしれませんが、まず空中ではタップダンスの靴音が響かせようもないですし、おや、とよくよく観るとアステアのダンスはいつもより緩やかなマイム主体のダンスになっていてタップがほとんど聴けないのに気づきます。タップダンスは鋭いリズム感と豊かなリズム・ヴァリエーションの閃き、それを行う鋭い反射神経とスナップの利いた全身の体技が必要なので、前作までのアステアは常にその妙技を研ぎ澄ましていました。本作のアステアは演技は初期の出演作よりも俳優らしくなっていますが、ダンサーのアステアはぬけがらになっている。ウォルターズの監督した大ヒット作『イースター・パレード』は1912年のニューヨークが舞台でしたし、ヴェラ=エレンとの共演作『土曜は貴方に』も1919年のニューヨークから始まると、オムニバス映画『ジークフェルド・フォリーズ』もそうだったように現代を舞台にしたミュージカル映画が難しいならまさに舞台ミュージカル全盛期を時代背景にした作品を作るか、戦前からの手法でバックステージものにするか、本作のようにファンタジー的なコメディ・ロマンスにするかといろいろたいへんだったと思います。しかし本作は古めかしい題材が新鮮どころか気の抜けた内容にまっさかさまになってしまったので、アステア映画中3指(他の2作は『セカンド・コーラス』と『レッツ・ダンス』)に入る凡作です。日本未公開は本国での興行不振を受けての判断だったかもしれませんが、輸入試写してもこれは未公開に終わって仕方ないような出来で、ご覧の方も少ないでしょうから一応導入部までのあらすじを起こしておきましょう。
[ あらすじ ] ヒル夫人(マージョリー・メイン)はニューヨークのバワリー街で福祉事務所を開いていて、そこにはアンジェラ(ヴェラ=エレン)とエルシー(アリス・ピアース)が勤めているが、アンジェラはニューヨーク1の美人と騒がれていた。一方、ヒル夫人の甥チャーリー(フレッド・アステア)は婚約しては結婚式をすっぽかすようないい加減な男だが、必殺ディキシーという女性と結婚しようとしていた。ある日チャーリーは救世軍で唄っているアンジェラに惚れ込んでしまい、まず真面目な仕事をしなさいと言ってアンジェラから職安のカードを渡されたチャーリーは真面目に掃除夫などの仕事を始めようとするが……。
 ――アステアのダンスがタップダンスではないのを除けばアステアはエレガントに踊っていますし、ヴェラ=エレンは歌は吹き替えだそうですが、『土曜は貴方に』で相性の良かったアステアとのコンビネーションのダンスだけはそれなりに観ごたえがあります。しかし映画があまりに冴えないので、プロダクション・ナンバーのダンスも生きてこない。アステアやヴェラ=エレンの演技も空々しく見える。原作選択のまずさ、脚本の貧弱さもあるでしょうが、この生かしようもない企画がプロデューサーのアーサー・フリードか、アステアか、監督のウォルターズか誰が言い出したかわかりませんが、アステアが見せ場でタップを踏まない作りを許してしまう。50代のアステアの体力・体技の衰えを考慮したのかもしれませんが、前作では全力でタップを踏んでいたのを思うと、前作では360度回転する部屋のセット内で壁や天井を渡り歩いてタップダンスを踊っていたアステアが、本作では特殊撮影の空中ダンスでお茶を濁している。空中ですから浮遊感を強調した歩行を基本にしたダンスになり、本来のアステアの持ち味のシャープで切れのあるダンスとはまるで違います。力作『恋愛準決勝戦』とキャリアの総括的なアステア映画の到達点『バンド・ワゴン』に挟まれて、アステア自身が本作では無難にこなして良しとした作品としか思えない。それがはっきりと興行的大失敗に終わったのはますますアステアに現役のまま第一線から退きつつある感慨を抱かせたはずで、『バンド・ワゴン』はついにアステアの自画像的作品(しかもやはりほとんどタップなし)になるのです。

●3月27日(水)
『バンド・ワゴン』The Band Wagon (MGM'53)*112min, Thunderbolt : アメリカ公開1953年8月7日、日本公開昭和28年12月15日
監督 : ヴィンセント・ミネリ/共演 : シド・チャリシーオスカー・レヴァント
◎落ち目のダンサー、トニーが再び成功を目指すミュージカル映画。若手バレリーナとの恋の行方、そして古典劇からサスペンスまで、あらゆるジャンルのドラマをミュージカルに取り込んだ傑作中の傑作。

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 前々作『恋愛準決勝戦』のヒロイン、ジェーン・パウエルも良い資質ながら大成せず同作が代表作となったミュージカル映画女優ですが、本作のシド・チャリシー(1922-2008)も舞台から映画への進出が遅く本作の日本初紹介では「シッド・シャリッシ」と表記されていたダンサー女優で、やはり本作が代表作になっています。本作は前作でこけたアステアの名誉挽回を賭けた作品であるとともにミュージカル映画俳優としてのアステアの勇退を暗示した内容の大作でもあり、製作費287万ドル・興行収入350万ドルと批評は好評・観客動員数も十分ながら巨額の製作費の回収にはヒット実績自体はそこそこに終わりましたが、MGMの戦後のミュージカル映画でも人気・評価はスタンリー・ドーネン監督、ジーン・ケリー主演・共同監督の『雨に唄えば』'52(製作費250万ドル・興行収入1240万ドル)と並ぶ金字塔的作品です。ただし『雨に唄えば』がサイレントからトーキーへの転換期の映画界を背景にしながらケリーとドーネンの戦後世代の感覚で新風を感じさせる作品だったのに対し、ドーネンより20歳あまり年長の監督ミネリと映画デビューから20年以上になるアステアの主演である本作は落日の哀愁を感じさせる作品なのも確かで、『ブロードウェイのバークレー夫妻』でアステアの親友兼座付け作曲家役で出演していたオスカー・レヴァントが本作でも同様の役で出演しており、『ブロードウェイ~』ではレヴァントのピアノ演奏に2曲を割いていましたが本作のレヴァントはクラシック曲演奏で悪目立ちすることなく性格俳優としてずっとこなれた好演をしています。シド・チャリシーも戦後世代のダンサーらしいバレエ出身のタイトなダンスで古めかしさはないのですが、アステアの役柄が落ち目の古い世代のミュージカル映画スターという自虐的なものなので、いろんな曲折を経てハッピーエンドにいたるとわかっていても痛々しい。アステアはフランクで善良な性格ですが芸についてのプライドは高いので、歳についてとやかく芸についてまで古いと言われるとこれが俺の芸だ、とムキになるのです。本作はのちにMGMミュージカルの名場面アンソロジー映画のタイトルにも使われるショウ・チューンのスタンダード・ナンバー「ザッツ・エンターテインメント」を生みましたが、「もう3年も新作映画出演のない」アステアの舞台復帰のために旧友の作曲・作詞脚本家コンビのレヴァントとナネット・ファブレイ夫妻が書いた新作が戦後世代のエキセントリックな演出家・頑固な振付師のために変な芸術的舞台になって大失敗してしまう。アステアは一座に慕われているので作曲・作詞脚本家夫妻とともに舞台を本来のエンターテインメント的演出に戻し、振付師の恋人だったヒロインのチャリシーも一座にとどまり、仕切り直しの地方巡業で大成功を収めた一座はブロードウェイに再び戻ってきて千秋楽を迎え、ニューヨーク公演も大成功させる、というのが大まかな筋書きです。千秋楽のはねたあと思いもよらぬサプライズパーティーで一座がアステアを祝い、チャリシーがアステアへの愛を誓うのが下げになっており、ハッピーエンドなのですがこれはアステアの第一線ミュージカル俳優からの勇退記念作品なんだな、と一抹の寂しさを覚えます。『雨に唄えば』と並びながら、『雨に唄えば』が戦後ミュージカルのピークを示す作品の華やかさがあるのに対し『バンド・ワゴン』はアステアの時代の終わりを告げる作品という後ろ向きの寂しさがある。並ぶとはいえ評価やヒット実績は『雨に唄えば』にははるかに水を空けられているのもそうした作品の性格上仕方ないでしょうし、アステアの足跡の偉大な花道となったことで『イースター・パレード』に始まる戦後のアステア映画の幕引きでもあるのが本作で、以降'68年までの『足ながおじさん』『絹の靴下』『パリの恋人』『フィニアンの虹』は散発的なアンコール作品のニュアンスの強いものです。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「巴里のアメリカ人」のコンビ、製作アーサー・フリード、監督 ヴィンセント・ミネリの手になるテクニカラーのミュージカル1953年作品である。主演は「イースター・パレード」のフレッド・アステアと「雨に唄えば」のシッド・シャリッシという新チーム。オリジナル・シナリオは「雨に唄えば」のライター・チーム、ベティ・カムデン=アドルフ・グリーンの共作で、音楽監督は、「ショウ・ボート(1951)」のアドルフ・ドイッチェ、撮影は「彼女は2挺拳銃」のハリイ・ジャクスンの担当。歌曲はハワード・ディーツ作詞、アーサー・シュワルツ作曲で、ミュージカル場面の振付にはマイケル・キッドがあたった。アステア、チャリッシをめぐって、オスカー・レヴァント(「巴里のアメリカ人」)、ブロードウェイのミュージカル・スタア、ナネット・ファブレイ、ジャック・ブキャナンらが助演。
[ あらすじ ] ダンス映画でその名を謳われたトニイ・ハンター(フレッド・アステア)も、いまや自分の人気が下り坂になったことを悟らねばならなかった。そこへブロードウェイ時代からの親友レスター(オスカー・レヴァント)とリリー(ナネット・ファブレイ)のマートン夫妻が、とくにトニイのためにミュージカル・コメディを書きあげたからといって、しきりに誘いをかけて来た。トニイは舞台に自信がもてずためらったが、やはりニュー・ヨークへ行く決心をした。マートン夫妻の新作は、「バンド・ワゴン」といったが、かれらの売り込みに乗って来たのは、高尚な芸術を目指すジェフリイ・コードヴァ(ジャック・ブキャナン)という男で、彼は「バンド・ワゴン」を「ファウスト」の近代的音楽劇化に折込もうとした。これを知ってトニイやマートン夫妻はがっかりしたが、ジェフリイが説得上手のうえに金蔓もにぎっているので、彼のアイディアをそのまま受け入れることにした。ジェフリイはトニイの相手役に意表をついてクラシック・バレエの新星ガブリエル"ギャビイ"・ジェラード(シド・チャリシー)を選んだ。トニイとギャビイは新しい仕事への不安で、初めから喧嘩をしたが、ある夜、2人だけで語り合い、お互いの誤解やわだかまりもすっかり解けた。いよいよ芸術的「バンド・ワゴン」はニュー・ヘヴンで幕をあけたが、ジェフリイのあまりにも現代ばなれしたアイディアのため、興行は惨々な失敗に終った。だがトニイやマートン夫妻は自分たちの「バンド・ワゴン」をあきらめなかった。トニイは今度の失敗はジェフリイが楽しさを盛り込むことを忘れたためだと考え、踊りや歌に明るく楽しい創意を加えたショウに作りあげた。そして公演のために、トニイは自分の秘蔵の絵画をみんな売り払った。自分の非をみとめたジェフリイもこの新しいショウに参加することになった。トニイたちはニューヨーク公演に大事をとって、まず地方都市を打って回った。この巡業中、トニイのビャビイを愛する気持ちは次第につのっていったが、彼はこれを自分の胸一つにおさめ、淋しくあきらめていた。しかし、ギャビイも心秘かにトニイを愛していたのだ。ブロードウェイの披露公演は大成功だった。そのお祝いのパーティで、ギャビイはトニイに愛を打ち明け、トニイの喜びは絶頂に達した。
 ――アステアは本作で無理な演技を要求する戦後派の演出家に「僕はニジンスキーでもマーロン・ブランドでもない。ただのソング&ダンス・マンだ」と吐き捨てますが、かつてボブ・ディランが「あなたは詩人、プロテスト・フォーク歌手、ロックン・ローラーなどさまざまに呼ばれていますが……」とインタビューされて「俺はただのソング&ダンス・マンだよ」と答えていたのを思い出します。アステアの独創ではないでしょうがソング&ダンス・マンとは要するに芸人ということで、芸術家と芸人に何の差があるんだというプライドをかけた言葉でしょう。「今は1953年なんだぞ」と言われてアステアが「1775年だって同じだ」と切り返す場面もありますが、実はアステアが前作『ザ・ベル・オブ・ニューヨーク』でほとんどタップを披露せず、本作でも15個所あるプロダクション・ナンバー場面(同一曲のリプリーズ含む)で本格的なタップダンス場面は1個所、部分的にタップを含むのも1個所しかないのは、一昨年の前々作『恋愛準決勝戦』がタップダンス全開だったのに較べて意図的な抑制が感じられる。前作ではタップダンスのほとんどない作りが内容の構成上なくてもいいような作品だったのに対して、本作はプロダクション・ナンバーの多さにも表れているようにプロダクション・ナンバー自体がドラマと切り離して作中作としてはめこまれている場面が多いのに、タップダンスが2個所しか出てこないのはアステアの台詞では古くてもこれが僕の芸だ、という割にはもっともアステアらしさが発揮されるタップダンスや個人芸のマイム芸を抑制していることになり、つまりタップダンスやマイム芸自体が古さを感じさせる芸なので意図的に外したとしか思えません。タップとマイムを全開した『恋愛準決勝戦』はヒット作になったのに本作は作品の意図からあえてタップとマイムを外したとも、アステア自身にすでに本作のハイライトとなるだけのタップやマイムがこなせない体技の衰えの自覚があり、『恋愛準決勝戦』のトレーニング室でのマイム&タップや360度回転するホテルの部屋での壁や天井を伝うマイム&タップの大個人芸に匹敵する場面が作れなかった。また本作は基本的に舞台芸を映画で見せるという内容になっているので、数テイクの編集やトリック撮影など映画ならではの芸とも言えるアステアの個人芸のマイム&タップを入れると浮いてしまうと判断されたのかもしれません。本作がアステア映画中屈指の名作であり、それまでの全キャリアを総括する記念碑的作品でありながら同時にこれが限界だったのかと寂しさも感じるのは杖や帽子と踊る個人芸のアステア、タップとマイムのアステアの勇姿が本作ではお目にかかれないことでもあり、そのために名作でありながらアステアを代表する作品とは言えない、やや特殊な趣向の作品になってしまったような気がします。