『母』Mat (Mezhrabpomfilm, Moscow'26.Oct.11)*89min, B/W, Silent : https://youtu.be/HlP9uGQ56ag (with English Subtitles) : 日本公開昭和45年11月
[ 解説 ] 帝政ロシアの圧政の下で革命の一翼を担ったひとりの母の人間的成長とその革命を描いた作品。製作はメジュラブ・ルーシ・プロダクション。1969年にモス・フィルムによってサウンド版が製作された。原作はマクシム・ゴーリキーの同名小説。監督は「アジアの嵐」のフセヴォロド・プドフキン、脚色をナターン・ザルヒ、撮影はアナトリー・ゴロブニヤ、美術はセルゲイ・コズロフスキー、音楽はチーホン・フレンニコフがそれぞれ担当。出演はヴェラ・バラノフスカヤ、ニコライ・バターロフ、アレクサンドル・チスチャコフ、アンナ・ゼムツォワなど、プドフキンも警官役で出ている。
[ あらすじ ] 二十世紀初めの帝政ロシア。金属工のウラーソフ(アレクサンドル・チスチャコフ)は毎日、居酒屋で労働の疲れとウサ晴らしに飲んだくれていた。妻のペラゲーヤ(ヴェラ・バラノフスカヤ)は夫にどなられ、ぶたれ、貧しさと惨めさに打ちひしがれて生きていた。息子パーベル(ニコライ・バターロフ)は恋人アンナ(アンナ・ゼムツォワ)等と地下運動に挺身していた。或る夜、居酒屋で父は、スト破りの相談をしていた右翼暴力団に目をつけられて、スト破りに誘われる。同じ夜、アンナはパーベルの所に武器の入った包みを預けにきた。母は眠ったふりをし、息子が包みを床下に隠すのを見た。翌朝、パーベル等はストライキを呼びかけるため工場に行ったところをスト破りに包囲され、乱闘となる。そして、その乱闘に加わっていた父はピストルで射たれ死んでしまう。母は悲しんで、息子に危険な事はやめてくれと頼む。そこへ軍隊がやって来た。「武器のありかを白状すれば許す」と言う言葉に母は床下に隠してあった武器を出す。しかしパーベルは逮捕された。裁判が開かれ、懲役刑が言い渡された。「真実はどこ!」――母の悲痛な叫びが法廷に響いた。母は悲しみから驚きへ、驚きから怒りへと目覚め一歩一歩息子と同じ戦列へ進んだ。獄中の息子に会い、メモを手渡す。息子は微笑みかけた。メモは五月一日の脱獄計画が書かれていた。その日は街の隅々から労働者達が、まるで雪どけの小さな流れが大きな流氷の河に流れ込むようにデモの隊列に加わっていった。勿論、母もいた。赤旗が翻った。囚人達も呼応した。多くの囚人が射殺されたが、パーベルは河の流氷づたいに脱出した。パーベルがデモ隊に合流し、母と抱き合って再会を喜んだ瞬間、騎兵隊の一斉射撃が息子を射ち殺した。母は投げ出された赤旗を持ち、襲いかかる騎兵隊の前に立ちはだかる。しかし、騎兵の剣が一閃し、母は殺された。だが、氷を押し流す激流のように再度、赤旗はロシアに翻るであろう。
――良くも悪くも『戦艦ポチョムキン』が集団劇なら本作の良さはごく自然に感情移入できる等身大の、平凡ですらある庶民家庭の主婦の老母がヒロインになっていて、エイゼンシュテインはモンタージュ理論の帰結として映画のリアリズムには職業俳優は排除し風貌だけが役柄にふさわしい素人を配役する(すなわち人物は映像素材にすぎない)という徹底した映画作りでしたが、プドフキンは主要キャストには舞台経験のある職業俳優を配しました。エイゼンシュテインの映画のように人物は集団の1要素(断片)でしかない描き方は実験性では画期的ですが、普通映画はプドフキンのように数人の主要人物に興味を集中させて観客を映画に引きこむ視点人物を置き、壮大な群像劇になるとしても視点は主要人物たちの運命をたどることで共感や感動が生まれるものです。プドフキンを尊敬するキューブリックがグリフィスやエイゼンシュテイン、アベル・ガンスはやりすぎだと批判するのは良識なので、本作はもう90年以上も昔、映画の設定は1905年(戦艦ポチョムキンの叛乱も同じ年のことです)ですから映画製作時から20年前のロシアのスラム街を舞台にしているのですが、もう音声がついてカラー化されれば現代映画とほとんど変わらないみずみずしさがある。酔った初老の労働者が夜の暗い路上から千鳥足で帰宅して、いかにも不機嫌な面もちでいる。老いた妻が夫をおどおどして迎え、若い息子は背を向けている。夫の視線で主婦はハッと壁の掛け時計をかばいますが(観客は主婦の視点で夫が時計を酒代のために質入れしようとしているのを悟ります)、夫は時計を壁から剥がそうとして夫婦はもみ合いになり、息子は立ち上がるが時計は床に落ちて割れて壊れてしまう。息子は父親にくってかかり、母親は二人をなだめようとして……というのが字幕も音声もないのに伝わってきて、この貧しい労働者家庭がどういう家族か冒頭の数分間の場面だけで響いてきます。その夜、若い女が青年の部屋の窓を叩いて包みを差し入れし(この二人が恋人らしいのも仕草だけでわかります)、青年は居間の板張りの床下に包みを隠しますが、物音で気づいたらしい老母はドアの隙間からそれを見るも気づかないふりをして再び眠りにつく。映画冒頭のここまでの2シークエンスの流れは自然かつ意外性や静と動の対比もある見事なもので、映画史上でもこれほど完璧な導入部はないでしょう。しかも父親が資本家に工事ストライキのスト破りに雇われ、一方息子は労働運動にたずさわっていたのでストライキ鎮圧の際に射殺された父親の事件がらみでストライキ首謀者と目されて逮捕され、老母は息子の無罪のためにと警察(と軍隊)に情報提供を求められ床下の銃器類の包みを明かしますが、裁判はまったく機械的に息子を極刑判決の有罪にしてしまう。映画は母の権力への怒りとともににわかに政治映画に拡大し、労働者グループは青年の救出のために監獄を襲撃する計画を立てます。母は息子に短い時間だけ面会を許され、息子に監獄襲撃の計画のメモを渡します。「明日」とだけ書かれたメモで息子は母の面会の意味を察知し、鉄格子を握る青年の表情に野原で自由に遊ぶ少年の映像が再度「明日」の字幕とともにクロスカッティングされます。クライマックスで監獄を襲撃した労働者たちの群衆が軍隊に制圧されて屍死累々となり、流氷を渡ってきて再会がかない、抱きしめた息子も流弾に絶命してしまう。老母は倒れた息子の額の血を泥まみれの手で拭い、息子が掲げていた赤旗を掲げて押し寄せてくる騎馬隊に立ち向かい疾走してくる騎馬隊は老母を踏み殺してなおも労働者たちを虐殺していきます。流氷が激流に激突しあいながら流れていく状景がモンタージュされて民衆の怒りと革命運動の継続が暗示されて、この極端に字幕の切りつめられ、説明めいた字幕は用いられない映画は幕を閉じます。クライマックスの憲兵対隊による労働者虐殺場面は『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段の大虐殺」へのプドフキンの挑戦ですが、群衆劇で押し通すエイゼンシュテインに対してプドフキンはヒロインの主婦の老母の息子を失った悲しみと怒り、死を覚悟した最後の決起に焦点を集中させる。決然と赤旗を掲げゆっくりと進んでいく老母の正面からのショットと押し寄せてくる騎馬隊のやはり真正面からのショットのクロスカッティングは決定的瞬間を俯瞰のロングからの構図に突然切り替わり騎馬隊が平然と老母を踏み殺して通過していくことで老母の死の痛切さを増幅します。プドフキンの「革命三部作」はいずれも別個の趣向がある名作ですが、1作選ぶならやはりこの『母』がずば抜けている。また三部作共通に「密告」「裏切り」が主人公の革命への覚醒と決意の契機になっており、これは「革命三部作」のテーマ面での共通点になっているのも三部作の第1作にすでに続く2作への萌芽が始まっており、権力者の不正へのプドフキンの強い怒りが凝縮されている観があります。いずれにせよエイゼンシュテインにはない等身大の人間への共感がプドフキン最高の美点であり、『戦艦ポチョムキン』より『母』にはるかに正統な映画のエッセンスが豊かに息づいていると思われるのはそれゆえのことです。
●4月26日(金)
『聖ペテルブルグの最期』Konets Sankt-Peterburga (Mezhrabpomfilm, Moscow'27.Dec.14)*87min, B/W, Silent : https://youtu.be/-Pe72HmPFt8 (English Subtitles) : 日本未公開(特殊上映)
◎共同監督にミハイル・ドレルが当たり、脚本ナターン・ザルヒ、撮影アナトーリー・ゴロヴニャ、編集オレクサンドル・ドヴジェンコの布陣で製作された本作はエイゼンシュテインの『十月』'28同様ロシア革命10周年を記念して企画された、革命前夜からロシア革命成就までを描いた作品です。映画はヴォルガ地方の農村地帯ペンザの貧農たちの生活描写から始まります。素朴な農民の青年(イヴァン・チュヴェレフ)が職を得るために同郷出身の知人の中年夫婦(アレクサンドル・チスチャコフ、ヴェラ・バラノフスカヤ)を頼って聖ペテルブルクに到着します。しかし夫妻の夫の労働者は労働運動のリーダーで、ちょうど工場ストライキを始めたばかりでした。ペテルブルグには厳しい、ほとんど奴隷のような労働条件しかない工場労働しかありません。職にすぐ就けなかった青年は会社社長(ウラジミール・オボレンスキー)に直談判しに行き、面接で誘導質問されて知らず知らずのうちに労働者のリーダーである同郷出身の恩人の逮捕を手助けしてしまいます。青年は恩人の逮捕にようやくことの重大さに気づいて自責の念に駆られ、検察官(セルゲイ・コマロフ)に資本家の不正行為を直訴しようとしますが、門前払いを食らって騒動を起こした青年は逮捕され、懲役により第一次世界大戦の軍役に送られ、そこで戦友たちと革命の計画を語りあいます。3年後の1917年、戦場から帰った青年は労働者のリーダーになり、十月革命の内戦準備を整えます。恩人の夫人と再会した青年は禁固刑にされていた恩人の処刑が間近であることを知らされ、処刑場に乗りこんで軍隊に反旗を訴えて恩人の救出に成功しますが、さらに過酷な十月革命の実行が青年と労働者たちを待ち受けます。映画は内戦で戦死した青年の死を看取り、生き残った労働者兵たちに金バケツで持参してきた塩ゆでのじゃがいもを配り、廃墟となった聖ペテルブルグ寺院の回廊をひとめぐりして去っていく労働者夫人の姿で終わります。
――本作は題材・内容ともにエイゼンシュテインの『十月』と比較されますが、『十月』が徹底して群像劇であり特定の主要人物を排した作劇術なのに対して本作は青年とその同郷出身の恩人夫婦を主人公としてキャラクターの掘り下げとドラマがあり、やはり1905年の帝政下の民衆蜂起とその弾圧を描いた『戦艦ポチョムキン』と『母』の対照が『十月』と『聖ペテルブルグの最後』にもある。レーニンを最高指揮官とするボルシェヴィキ革命をドキュメンタリー的に映像で徹底再現してみせるのが『十月』の意図なら、プドフキン自身の出身地でもあるペンザの農村から始まりプドフキン自身と同世代の青年の上京物語である本作は、あり得たかもしれない10数年前のプドフキン自身の運命でもあったわけで、プドフキン自身は内戦で命を落としませんでしたが実際につい10年前の出来事なのが本作を血の通った映画にしています。「革命三部作」はいずれも権力からの抑圧に無自覚な主人公が裏切り・密告の過程を経て叛逆に目覚めるプロットを持っていますが、あてにしていた就職がふいになった失望と職に就きたい一心で結果的に恩人夫婦への密告者になってしまう。青年が事の重要さに気づくのは軍用車に騎兵とともに乗せられてアパートの中庭に案内させられ、地下室に住む恩人が逮捕されて連行され夫人が泣き崩れ、驚いて出てきた主婦たちやアパートじゅうの窓から軽蔑の眼差しを受けながら会社社長に採用メモとチップを渡されて恩人を連行した車が去っていく場面で、このシークエンスでのアパートじゅうの窓の仰角ショット、中庭の様子をとらえる俯瞰ショット、青年の視点による人々から受ける軽蔑の眼差しは圧倒的で、このシークエンスは鋭く一度観たら忘れられない「密告」の名場面です。田舎出の素朴な青年が期待して上京してきたのに夫人に迎えられて家に上がると恩人の労働者は「ついてない時に来たな。明日からストライキなんだ」そして妻に「仲間たちと計画を練るから今夜は泊めてやってくれ」と自分のことは後回しにされる失望、そして体よく密告者にさせられて怒って乗りこんで行くも門前払いを食らい格闘になって逮捕されてしまう場面とシークエンス単位は非常に鋭く良いのですが、第一次大戦の兵役3年間が挟まると構成のバランスは崩れ、銃殺刑にされる恩人の救出に駆けつけて処刑に並んだ騎兵隊に反旗を呼びかける場面は『戦艦ポチョムキン』の「甲板上のドラマ」のシークエンスと似ていますが、これは『戦艦ポチョムキン』に軍配が上がります。十月革命の戦闘自体は案外あっけなく、むしろ恩人の夫人が塩ゆでじゃがいもを生存者の労働者兵に配りにきて青年の死を看取る、内戦終結直後の「聖ペテルブルグ寺院の終焉」の静謐な場面が印象に残ります。最初観た時は金バケツでじゃがいもを提げてきた夫人がじゃがいもを渡すと生存者が食べ始めるので何かと思いましたが、そうか塩ゆでじゃがいも配りなのかと合点がいくまで数秒かかりました。日本の感覚だとおにぎりを配るようなものでしょう。「聖ペテルブルグの最後……」と字幕が出て夫人が寺院の回廊を去って行く結びも余韻深いですが、全編の構成の緊密さ、完成度では『母』の方が上位に上がります。しかし本作は『母』とは違う角度で人物像の掘り下げ、表現の豊さがあり、意図せずして密告者となった主人公の素朴な青年の痛覚は前作では描き得なかったもので、本作もまたプドフキンの傑作と呼ぶに足るものです。
●4月27日(土)
『アジアの嵐』Potomok Chingiskhana (Mezhrabpomfilm, Moscow'29.Nov.10)*125min, B/W, Silent : https://youtu.be/sCE5447sjQY (with English Subtitles) : 日本公開昭和5年10月
[ 解説 ]「生ける屍」に主演して我国にも知られているフセヴォロド・プドフキン氏が自ら監督に当った映画で脚色はオシップ・ブリック氏、撮影はプドフキン氏の片腕として「セント・ピータースプルグの最後」等を手がけたアナトーリー・ゴロウニヤ氏。主役を演ずるインキジノフ氏は純粋の蒙古人である。因に此の映画は別名「ジンギスカンの後裔」とも言われている。無声。
[ あらすじ ] 茫漠たる蒙古の広野に育った猟師ティムウル(ヴァレリ・インキジノフ)は病床にある父親から珍しい銀狐の毛皮を渡され金に換えようと市場に出立する。一年に一度開かれるこの市場では蒙古人が遠い路をはるばる運んで来た毛皮が売買されるのであるが、買手たる白人商人(ヴィクトル・ツォッピ)は狡猾な手段でいつも彼等の品物を強奪的に安価に手に入れている。ティムウルが持って来た銀狐の毛皮は市場の人気を呼んだが悪辣な白人商人は僅かな値段で買落とそうとする。これが因でティムウルと白人との間に争いが起り軍隊の出動となったが友人の計いでティムウルは山中に逃亡し、ゆくりなくも蒙古独立の志士の一隊にめぐり会う。そしてこの義勇団の団長の危険を救ったことから彼もまた団員として仲間に入ることを許される。此の地に来ている自国商人の利益を保護し隙あらば土地までも我物にせんと言う侵略的野心を持つ白人国の政府はかねてから此所に一団の軍隊を駐屯させていたがその司令官ペトロフ(L・テディンツェフ)はその内意を色にも出さず、表面和平を説えて此の地の宗教喇嘛教の儀式などに参列している。だが蒙古独立の義勇団と自国の軍隊とが交戦中との報知を受取り彼が司令部に帰って見ると、そこには一人の蒙古人が捕えられていた。この蒙古人こそティムウルであったが、ペトロフは彼を反抗者の一人として直ちに銃殺の刑に処さんとする。所が一伍長に命じてティムウルを処刑に出した後、ペトロフがティムウルの所持品を調べてみるとこの蒙古人がヂンギスカンの後裔であることが判明する。そこで老獪なるペトロフは一計を案じ谷底に瀕死の状態でいるティムウルを連れ戻し手厚い看護を施す。ティムウルは未知の白人の中にあって元気を回復してゆく。かくてペトロフはティムウルを蒙古王に祭り上げ自らその実権を握ろうと計画をめぐらす。ティムウルは美しい白人の夫人(L・ビリンスカヤ)から見世物扱いにされているのを心づかず司令官の野心の傀儡となって無意味の日を続ける。だがペトロフの奸策や一切の虚飾の剥がれる日が到来した。或日司令官の令嬢に毛皮を持参した男があった。この男こそティムウルを恥しめた商人でありその持参品は問題の毛皮であった。ティムウルの怒りは一時に燃え上り彼は人々の前面で令嬢(アンナ・スダケヴィッチ)の頚に巻かれた毛皮を奪い取る。忽ち官邸内は騒然となる。折から捕虜となった一蒙古人が彼の面前で惨殺される。いまは猛虎の如く怒り狂ったティムウルは阿修羅の如く荒れ廻り厩より荒馬を奪って去る。蒙古は遂に立った。横暴なる白人に対して起った。ティムウルを先頭に数万の義勇団の馬蹄の響き、突如アジアの広野に嵐が起った。ペトロフの軍隊は銃をとって走る。嵐に面をそむけながら。嵐は力を増す。丘の大樹は吹き干切られる。岩も飛ぶ。軍隊も吹き飛ばされる。ティムウルの一隊は勝鬨あげて過ぎる。ペトロフの一隊は重なり合って丘をころがり落ちてゆく。
――本作の原題は『ジンギスカンの末裔』でその方が内容に即していますが、海外版(アメリカ輸出版)が『Storm Over Asia』だったため現行の邦題になったようです。現行の日本盤DVDは'30年代に音声をダビングした擬似トーキー版で長さも87分と短縮され、海外版DVDではサイレントの125分版が観られますが40分近い短縮で擬似トーキーというと難があり、しかし125分版はやや冗長に感じる。『聖ペテルブルグの最後』は初公開時は2時間あまりだったのがのちにサイレントのまま87分で決定版になったようですが同作の場合は冒頭のペンザの農村風景や第一次大戦などが短縮されたと思われるので適切な短縮編集だろうと思われます。本作は途中でモンゴル人の主人公(「ジンギスカンの末裔」とあとで判明し政治利用されそうになる)が白人のパルチザン部隊に加わり、パルチザン部隊の隊長ペトロフの視点が入ってくるあたりからが視点人物が割れるのが冗漫さと焦点の定まらなさになってくる。『アジアの嵐』と改題したアメリカ輸出版、日本公開版の由来はクライマックス場面が大嵐の中の戦闘になるのですが、『母』や『聖ペテルブルグ~』ではパンフォーカス、ピント送りやカット割りでさりげなく美しく繊細な映像構成に成功していたプドフキンが、本作では題材に見合った手法をと考えたのでしょうが、非常に荒々しい映像やモンタージュが目立つのも本作の特色で、本質的には本作はアクション映画でありスペクタクル映画としてもプドフキンの考えたモンゴル人の民族性というのが映像の荒々しさで表現されているのだとしたらちょっと問題です。アベル・ガンスのようにコマ単位のクロスカッティングも多用され、はっきり言って本作の映像表現は『母』や『聖ペテルブルグ~』より古びて見えます。またクライマックスのものすごい嵐の中の戦闘もリアリズムを通り越していて嵐そのものが象徴表現として用いられているように見え、これも映像表現として適切なものかどうか疑問に感じられます。主人公の怒りは加わっていたロシアのパルチザン部隊そのものが自分たちの部族から搾取していたイギリス人商人たちと変わらず、ラマ教圏を支配しようとしており、そのため自分がジンギスカンの末裔と判明すると政治利用しようとするのに気づいて爆発してモンゴル民族独立のために謀叛を起こすのですが、スターリン独裁化前兆期に本作が公開延期になった気配があるのはスターリン政権はむしろ本作で描かれたようなアジア隣接圏の共産党支配に乗り出す意図があったため、内容を改訂させるかこの内容で公開して現在のソヴィエトはアジア諸国の民族独立を奨励すると表向きは通しておくかで映画省内で検討されたのだと思います。しかしいろんな意味でプドフキンの意欲的問題作の本作はプドフキンらしい細やかでさりげない描写もあちこちありますし、西欧のブルジョワ批判もあり、この題材をアベル・ガンスが撮ったらと思うとさぞやけたたましい代物になったでしょうから、本作のいただけない点はグリフィスよりもガンスの映画に近いからなのですが、題材・内容・手法・仕上がりのいずれも異色であるところに本作の価値はあり、好き嫌いを置いても「革命三部作」の掉尾を飾る大力作には違いありません。また異郷冒険大スペクタクル映画として本作が大好きという感想があってもおかしくないので、冗長さも含めての大作感ともにそれがプドフキンの狙いなら本作も大成功作で、その証拠に戦前の日本公開は大好評を博しています。もちろん戦前の日本の観客はソヴィエト映画らしい危険な匂いを嗅ぎつけたからこそ本作を大歓迎したのです。