大学生時代には年間約500本の映画を上映会に観に行きましたが、自活するだけアルバイトで働いてよくまあ映画など観る時間と出費を捻出できたものです。時間は大学の授業をサボり、出費の方は会員制のシネクラブで非商業上映会を1本400円程度で上映作品なら何でも観ていました。シネクラブの性質上、日本未公開作品、商業上映廃棄作品の割合が多く、この機を逃すと一生観る機会はないぞと思い、一期一会の覚悟であちこちのシネクラブに通っていたものです。大学に籍を置いていたのはサボって映画を観るためのようなものでした。贋大学生みたいなものです。
サイレント時代の映画をごっそり観たのはそういう機会があったからで、これは鍛えられました。当時市販のヴィデオではサイレント作品のソフト化はほとんどありませんでしたし、あってもレストアされていない粗悪なプリントに適当なクラシック楽曲か安っぽいキーボード伴奏をつけてある程度で、シネクラブの上映会ではサイレント作品は無音のままで上映されていました。近年のレストア版のように吟味された良好プリントのデジタル修復、丁寧なサウンドトラックで快適に鑑賞できるようになるとは思いもよりませんでした。もっとも粗末な環境とはいえ必死でシネクラブのスクリーン上映で完全なサイレントで観た経験は自宅でのんびりDVD鑑賞するのとはまったく異質のものです。後追いとはいえサイレント映画上映会の熱心な観客だった体験を持てたのは、やはり大学の授業より大切なことでした。
●10月16日(日)
モーリス・トゥーヌール/クラレンス・ブラウン『モヒカン族の最後』(アメリカ'20)
・高名な作品だが、高名な原作小説同様歴史的な価値からの評価なのではないか。1920年にはまだ西部劇でもアメリカ先住民は登場していなかったので、原作小説も映画化作品も誤謬に満ちたものだが(意図的に悪く歪曲してはいない)、アメリカ史の影に照明を当てた功績がある。
ジェームズ・クルーズ『幌馬車』(アメリカ'23)
・西部開拓史という建国神話が西部劇に描かれた先駆的大作。ジョン・ウェイン初主演作『ビッグ・トレイル』(ラオール・ウォルシュ、1930)は本作のトーキー版リメイクだったんだな。内容では『ビッグ・トレイル』に軍配を上げたい。『幌馬車』大ヒットに対して『ビッグ・トレイル』は大コケだったそうだが。
フレッド・ニブロ『ベン・ハー』(アメリカ'26)
・小学生の頃家族でウィリアム・ワイラー版リメイクを再ロードショーで観た。子供心につまんないなと思ったが、このサイレント・染色/パートカラー版はレストアも上乗で、テンポも良く2時間20分一気に楽しめる一種のファミリー映画。半分はキリストの生涯が平行して描かれ、ユダヤ人貴族ベン・ハーとキリストを通したシオニズム讃歌になっているのが意外。
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン『全線~古きものと新しきもの~』(ソヴィエト'29)
・農村のコルホーズ計画実施を描いて地味な題材の上に当局からダメ出しされて作り直したり難産だったらしいが、映画手法は『十月』よりもさらに過激になっている。最新作が常に最高傑作になる天才の手腕には痺れる。
●10月17日(月)
D・W・グリフィス『大疑問』(アメリカ'19)
・この前後のグリフィスはホーム・ドラマに犯罪を絡ませるものが多く微妙だが、本作はなんとか上手くいった方。新発見の良好プリントらしく画質も良い。この頃から起用が多い新人キャロル・デンプシーではなく本作はリリアン・ギッシュ主演なのも作品の質を上げている。
ロバート・J・フラハティ『極北の怪異(極北のナヌーク)』(アメリカ'22)
・イヌイットの生活に取材したドキュメンタリー映画の古典。黒澤の『デルス・ウザーラ』に至るまで影響力甚大で、ドキュメンタリー映画の父フラハティにも出発点になった作品。
キング・ヴィダー『ビッグ・パレード』(アメリカ'25)
・翌年ラオール・ウォルシュが素早く『栄光』で同じ題材を描いた。第1次大戦のアメリカ軍フランス駐屯部隊の恋と戦闘。1940年代までアメリカの歴代サイレント映画のロングラン・ヒット実績を『ベン・ハー』と競った大作。
F・W・ムルナウ『サンライズ』(アメリカ'27)
・ドイツの天才監督がハリウッドに招かれた第1作で、キャストはアメリカ人、英語映画、スタッフはムルナウ組のドイツ人というハイブリッド作品。名作の誉れ高いがあまりにキャラクターに一貫性がなく、物語に破綻はないか。
●10月18日(火)
D・W・グリフィス『愛の花』(アメリカ'20)
・これもホーム・ドラマに犯罪が絡むもので、画質劣悪の輸入DVDしかない。字幕が潰れてろくに読めないくらいひどい。当時画期的な水中撮影が見せ場で、グリフィスとしては中の下程度の作品。キャロル・デンプシー主演作。
ジョン・フォード『アイアン・ホース』(アメリカ'24)
・『幌馬車』への対抗作としてアメリカ全土への鉄道網敷設を描いた歴史大作。主役が『サンライズ』と同じ俳優で、こちらの方がはまっている。DVDはプリント状態、レストア最上(染色も美しい)、サントラ最適で嬉しい。
ジャン・エプスタン『大地の果て』(フランス'29)
・大半が人工的室内セットでブルジョワ階級を描いてきたエプスタンが完全ロケで貧しい漁村の海藻採集漁師のリアリズム映画を描く。岩場と海の映像が室内セット以上に異様で、漁師たちの心理や人間関係に合理的な説明もなく、従来の作品以上に謎めいた作品になっている。
●10月19日(水)
D・W・グリフィス『東への道』(アメリカ'20)
・110分版と140分版がある。観直したのは110分版で、出来も短い方がテンポがいい。原作小説があるらしいが原作自体がトーマス・ハーディの『テス』の通俗版パクりだろう。ラストは『荒武者キートン』でキートンが改作した。物語のドラマ的迫力でグリフィスの名作の一つ。
エルンスト・ルビッチ『ウィンダミア夫人の扇』(アメリカ'25)
・サイレント演出の究極といえるルビッチ作品だが、この120分はオスカー・ワイルドの傑作戯曲に忠実とはいえサイレントには長い。『結婚哲学』程度の長さが密度が濃くて良い。
キング・ヴィダー『群衆』(アメリカ'28)
・ヴィダーには牧歌的な『涙の舟歌』、理想主義的『ビッグ・パレード』、痛快な『ビリー・ザ・キッド』もあるが、抑圧された庶民を描いてやるせない『群衆』もあるのが沁みる。
G・W・パブスト『パンドラの箱』(ドイツ'29)
・照明や構成に表現主義の名残りがある点で次作『淪落の女の日記』の新しさに及ばないが、ヒロインのルルの造型で神話的作品になった。両作を合わせてどちらも傑作と呼べる出来。
●10月20日(木)
D・W・グリフィス『夢の街』(アメリカ'21)
・インディー盤、かつ稀少な作品といえど画質の悪さは商品以前で、字幕が潰れてほとんど読めない。英語版ウィキペディアで梗概を読みながら観たが、グリフィス作品でも下の部の残念な作品。起死回生を賭けた畢生の大作の次作『嵐の孤児』に気がとられていたのだろうか。
ジョン・フォード『三悪人』(アメリカ'26)
・『アイアン・ホース』の画質の良さを帳消しにする画質の劣悪さに人物の見分けもしばらくつかなかったくらいで、日本盤オリジナルらしい音楽もひどい。良好画質で音楽適切ならなかなかの佳作と思えただろうから、ソフトの仕様も作品の良し悪しにはずいぶん影響する。
ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』(フランス'28)
・すっとぼけた短編映画で、実験性よりサイレント喜劇映画の系列を思い出させる。初めて観る人には今でもショッキングな作品にはなっているだけの突飛で悪戯的な映像ではある。
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン/グレゴリー・アレクサンドロフ『メキシコ万歳』(アメリカ'33/ソヴィエト'79)
・アメリカに招かれたエイゼンシュテインがメキシコ・ロケで監督し、未完のまま1933年に不完全版が公開された作品を、助監督が1979年に撮影の記憶と遺稿を元になるべくエイゼンシュテインの意図に近く再編集した。撮影はサイレントだが、完成型は字幕処理かナレーションが入ったか決定できない(79年版は字幕とナレーション併用)。民族学研究映像と劇映画、ドキュメンタリーが渾然一体となった途方もないスケール(になったはず)の作品で、面白いことに『アンダルシアの犬』と同じショットが出てくる(ブニュエルはメキシコの君主国だったスペイン出身)。ニューヨーク近代美術館編の未編集カット集を観たことがあるので、アレクサンドロフの労力と成果には頭が下がる。