人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

レニー・トリスターノ Lennie Tristano - Gマイナー・コンプレックス G Minor Complex (Atlantic, 1962)

レニー・トリスターノ Lennie Tristano - Gマイナー・コンプレックス G Minor Complex (Lennie Tristano) (Atlantic, 1962) : https://youtu.be/nmsGcJTzH0s - 3:49

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Recorded at Tristano's own studio, New York City, 1961
Released by Atlantic Records as the album "The New Tristano", Atlantic 1357, February 1962
[ Personnel ]
Lennie Tristano - unaccompanied solo piano

 盲目のイタリア系白人アメリカ人ピアニスト、レニー・トリスターノ(1919-1978)は生前3枚のアルバムしか残さなかった人ですが、黒人ジャズのビ・バップに対応する白人ジャズのクール・スタイルを出身地シカゴからニューヨークに進出した'45年~'46年にはいち早く確立していた人であり、チャーリー・パーカーの初リーダー録音が'45年、ビ・バップの黒人ピアニストの両雄だったセロニアス・モンクバド・パウエルの初リーダー録音が'47年だったのを思えばビ・バップの興隆期にはすでに非ビ・バップ的な方法を提唱していた先駆的な白人ジャズマンでした。ビ・バップを学ぶ白人ジャズマンは同時にトリスターノの方法からビ・バップの学習法を学んだので、ビ・バップを乗り越えるにせよ発展させるにせよトリスターノの方法はポスト・ビ・バップ期のミュージシャン、具体的にはビル・エヴァンスセシル・テイラーという一見対照的なジャズ・ピアニストにも発想の原点となりました。

 通俗的なイメージでは「クール・ジャズ」というと穏やかでリラックスしたジャズのようなものが浮かびますが、トリスターノのクール・スタイルはむしろビ・バップの手法を徹底的に過激化したすえの楽曲の解体を目指したものであり、すべてのジャズ演奏はインプロヴィゼーションであるという考え方で、後期のトリスターノはスタンダード曲をそのまま弾いてもオリジナルのインプロヴィゼーション曲とまで考えるにいたり、スタンダード曲に別タイトルをつけて自作曲と見なすまでになります。この「Gマイナー・コンプレックス」はどこかで聴いたことがあると多少なりともジャズを聴いている方がお気づきの通り、ヘレン・メリルフランク・シナトラの歌唱やアート・ペッパーの演奏で著名なコール・ポーター作のスタンダード曲「You'd Be So Nice to Come Home To」('43年の映画『Something to Shout About』主題歌)のコード進行に乗せたインプロヴィゼーションなのですが、原曲の調性とテンポ、リズムパターンを踏襲しところどころ原曲のメロディ断片も出てくるため普通はこれを原曲の曲名を明記して取り上げる。トリスターノの場合はあえて原曲の要素を残しているのにオリジナル・タイトルのトリスターノ自作曲としていて、これは「You'd Be So Nice to Come Home To」ではなく「Gマイナー・コンプレックス」なのだ、と聴くことを迫ります。

 トリスターノ没後に発表される残された未発表アルバムではアプローチはさらに過激なものになり、ジャズ史上最大の不人気大物ピアニストとして弟子(実際にトリスターノの代理ピアニストとしてトリスターノのバンドに参加していました)のビル・エヴァンスの人気のマイクロ値ほどのリスナーしかいない超不遇ピアニストですが、この自信と威厳に満ちた演奏はトリスターノの孤独の強さを思い知らされる圧倒的な世俗ジャズとの訣別宣言で、次作にしてトリスターノ生前最後のアルバムは逝去前年の1976年になり、しかも内容は未発表の旧録音からのセレクトで、没後に数年置きながら次から次へと未発表アルバムが出てくるのです。晩年15年間は没後のリスナーのみに向けてアルバムを作りつづけたトリスターノは今年生誕100周年ですが、話題になりもしないところまで孤高と言うしかなく、生誕100年にしていまだ活動の全容は未知かつ評価の定まらない最後の大物ジャズマンと言えるかもしれません。