人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

フェラ・クティ Fela Ransome Kuti & Africa 70 - エクスペンスィヴ・シット Expensive Shit (Sounds Workshop, Nigeria, 1975)

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フェラ・ランサム・クティ&アフリカ70 Fela Ransome Kuti & Africa 70 - エクスペンスィヴ・シット Expensive Shit (Sounds Workshop, Nigeria, 1975) Full Album: https://youtu.be/yUNkimxj0Vo

Recorded in 1975
Originally Released by Sounds Workshop (Nigeria), Editions Makossa (US), 1975
(Side A)
A1. Expensive Shit - 13:13
(Side B)
B1. Water No Get Enemy - 11:00
All songs written and produced by Fela Kuti

[ Fela Ransome Kuti & Africa 70 ]

Fela Ransome Kuti - composer, arrangement, tenor saxophone, electric piano, vocal
Tunde Williams - trumpet
Lekan Animashaun - baritone saxophone
Franco Aboddy - bass guitar
James Abayomi - stick

Allmusic Rating ★★★★1/2

User Rating ★★★★★

Review by Lindsay Planer
This disc is an overt response to the consistent harassment afflicting Fela Kuti's Kalakuta Republic in the early '70s under the oppressive Lagos authorities. The title track is a direct reference to an actual incident that occurred in which the cops planted a marijuana cigarette on Kuti -- who promptly swallowed it and therefore destroyed any evidence. He was then held until he could pass the drugs from his system -- which miraculously did not occur when his fecal sample was then sent for analysis, thanks to some help from his fellow inmates. Because of the costs incurred during this debacle, Kuti proclaimed his excrement as Expensive Shit. Musically, the Afro-funk and tribal rhythms that Kuti and his Africa '70 put down can rightfully be compared to that of James Brown or even a George Clinton-esque vibe. The beats are infectious with a hint of Latin influence, making the music nearly impossible to keep from moving to. Although the band is large, it is also remarkably tight and malleable enough to accompany and punctuate Kuti's vehement and indicting lyrics. The nature of what Kuti says, as well as infers, amounts to much more than simply whining or bad-rapping the law. His witty and thoughtful raps not only relate his side of the incident, but do so with tongue-in-cheek humor -- such as the statement that his oppressors must really enjoy his feces because they want to examine it so urgently. Yet, he tries to stay away from it, for somewhat obvious reasons. The album's B-side contains the metaphysical "Water No Get Enemy." This is a comparatively jazzy piece, with Africa '70 again exploring and stretching out its impulsive beats behind Kuti's singing. The track features some of his finest and most inspired keyboard work as well. He weaves hypnotic and ethereal electric piano lines over the earthy-sounding brass section. The laid-back groove works well in contrast to the manic tempo of "Expensive Shit."
(allmusic.com)

 このブログではだいたいジャズとロックを交互に紹介していますが、フェラ・クティ(1938~1997)の位置づけはどうしたらいいものでしょうか。この12作目のアルバムはLPでは片面1曲ずつ、それぞれ13分・11分とコンパクトで、フェラ・クティのアルバムはだいたいこういう一気に聴ける構成になっています。アルバム・タイトル曲のA面の攻撃性、B面の内向的にうねるグルーヴ感など両曲とも甲乙つけがたく、A面の路線は77年のアルバム『ゾンビ』Zombie : https://youtu.be/SVMmnYp_Zxsのタイトル曲で頂点を極めるので、ベスト・アルバムにはB面の「ウォーター・ノー・ゲット・エネミー」が採られることが多いようです。
 ナイジェリア人のフェラ・クティは元々はジャズ・ミュージシャン志望で、大学時代はイギリスに留学しており、テナーサックスとエレクトリック・ピアノを手がけるバンドリーダーでした。帰国後ジャズ・ミュージシャンとして活動を始め、60年代末にはアメリカ公演を行います。そこでテナー奏者ではジョン・コルトレーンに心酔し、アメリカの黒人運動からアフリカ人としてのアイディンティティに向かう思想的影響も受けますが、音楽的にはジェイムズ・ブラウンのブラック・ロック=ファンク・スタイルに傾倒することになりました。その結果フェラが生み出したのが、「アフロビート」(Afrobeat)と自称したミニマルで実験的でもあればプリミティヴでもある不思議なファンク・ジャズ・ロックでした。この音楽的発明は、クリーム解散後のジンジャー・ベイカーがフェラとの共演アルバム制作に乗り出し、フェラのバンドの演奏を見たジェイムズ・ブラウンが自分のバンドのアレンジャーにフェラの演奏の採譜をさせる、という逆影響まで生むことになります。

 ボブ・マーレイ、ジミー・クリフらレゲエが英米で早くから受け入れられたのは、レゲエが元々ロック・ステディと呼ばれる英米ロック系ポップスの改作から始まったことによる音楽的親近性と、ジャマイカは地理的に近くレゲエにはスター性のあるミュージシャンがいた、という事情があります。フェラのアフロビートは基本的にはフェラ独自のスタイルであり、伝統的音楽はもっと穏やかなもので、かつナイジェリアは19世紀以来イギリス植民地ではあったもののあまりに広大だったため第1次世界大戦前後には間接統治となり、1960年の独立後には伝統的首長制と軍事政権の力が強まりジャマイカのような英米文化圏ではありませんでした。その上フェラはナイジェリアのミュージシャンとして内政状況に強い抗議の姿勢を音楽によって示す、はっきりと政治的立場を明確にした人でした。自国での人気は高く、専属のライヴ・スポットを持ち、1974年にはフェラの政治的影響力を警戒した警察局から冤罪をかけられて逮捕・カラクタ刑務所に拘置されます。証拠不十分で釈放されたフェラは自宅敷地を高さ4メートルの有刺鉄線で囲み、カラクタ共和国を名乗って独立国を宣言し、本格的なコミューン生活に入りました。翌75年、再度の見せしめ逮捕を経て作られた政権批判アルバム『エクスペンスィヴ・シット』はまたもや国内大衆の支持を得てヒット作となります。
 警察や軍部からの度重なる弾圧は代表作『ゾンビ』発表の77年にピークに達し、1000人の軍隊によってカラクタ共和国は包囲・襲撃され、家屋を全焼させられます。フェラは逮捕され、以後カラクタ共和国の名称を禁じられた上に国内でのライヴ活動も制限されてしまいます。一時的に活動休止に追い込まれたフェラは釈放後、メンバーのコーラス隊女性27人と合同結婚式を挙げました。おそらく『エクスペンスィヴ・シット』の、フェラを中心にわんさかいる上半身裸体の女性たちが全員フェラの奥さんだったのでしょう。前面に張られている有刺鉄線はカラクタ共和国の領地でしょうから、本作制作当時から『ゾンビ』の頃までのフェラはもっとも順調かつ攻撃的だったろうと思われます。

 その後フェラはバンド名をエジプト80と改め、皮肉にもナイジェリアでの弾圧がきっかけとなりヨーロッパのジャズ・シーンから国際的評価を高めていきます。ヨーロッパのジャズ界では70年代にサン・ラ・アーケストラやアート・アンサンブル・オブ・シカゴなど黒人性を強く打ち出したフリー・ジャズの評価が高く、アート・アンサンブルのメンバーは早くからフェラの音楽に着目していました。ロックではブライアン・イーノとデイヴィッド・バーンが目をつけ、イーノのプロデュースするバーンのバンド、トーキング・ヘッズがアフロビートの導入に『フィア・オブ・ミュージック』1979で着手し、『リメイン・イン・ライト』1980で大成功します。『フィア・オブ・ミュージック』に参加したロバート・フリップが『リメイン・イン・ライト』のフィーチャリング・ギタリストであるエイドリアン・ブリューを迎えたキング・クリムゾンの『ディシプリン』1981はアフロビートをよりミニマムに解釈し、ファンク色を抽象化したものでした。日本では暗黒大陸じゃがたらパンク・ロックとアフロビートを折衷した作風を生み出します。80年代以降フェラの国際的評価は高まりましたが、活動制限や健康問題でかつてのカラクタ共和国大統領の創作力は寡作になっていきます。1997年、エイズによる合併症で死去。享年58歳。2010年にはアルバム46作分のCD26枚組(+ライヴDVD1枚)の全集(収録漏れ曲・アルバムもあるので完全版とは言えませんが)がリリースされました。
 フェラは生涯12回逮捕されましたが、いずれも政治的弾圧によるもので全件不起訴または証拠不十分による釈放、または無罪となっています。『エクスペンスィヴ・シット』は「最初の収監体験から生まれたアルバムで、タイトルと歌詞は「大麻所持容疑で逮捕されたフェラに対し、証拠品として大便を執拗に要求した警察に対する皮肉」(ウィキペディアより)とされ、スカトロジーによる権力批判というフランク・ザッパ的な着想です。ザッパとフェラは無類のバンドリーダー、マルチプレイヤー、ハイブリッド的音楽性でも共通性が多い音楽家でした。ザッパもエイズによる合併症で逝去した人です(フェラより2年年少の1940年生まれ、'93年没・享年52歳)。もっともナイジェリアのフェラの場合は、ザッパと異なりアフリカの風土病という環境にありました。このブログではサン・ラの全アルバム紹介、クラウス・シュルツェの全アルバム(2000年代以前まで)紹介を編年体で載せてきましたが、フェラ・クティは20世紀音楽の巨匠の中でも音楽的業績の大きさだけでは語り尽くせない複雑な背景を持った存在だけに紹介が難しいミュージシャンです。今後代表的アルバムなりともご紹介してみたいと思います。