人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

創作童話『偽ムーミン谷のレストラン・修正版』より抜粋5話

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 第二章。
 従者は伝令の役目を果たして引き上げて行きました。戸口まで見送ったのは好奇心旺盛なくせに気取り屋なので谷の陰口を一身に集めているスノークで、ぼんくら揃いでは例外ない谷の住人であるからにはスノークもまたぼんくらのひとりでしたが、だからこそ回避できている住人同士の衝突もあるものです。ムーミン谷は幸か不幸か絶対主(いわゆる神)の概念からは自由でしたが、それには思わぬ利点もあって誰もがぼんくらならばぼんくらの上にぼんくらはなく、ぼんくらの下にもぼんくらはない、という無関心に支えられた平等主義でしたから、スノークが出すぎた真似をしたところでそれは谷にとって不利益を招く心配もなければ、もし利益をもたらすとしても決してスノークの手柄ではなく誰がしても結果は同じだったでしょうから、このムーミン谷の市民道徳はあながち衆愚主義とは言えない美点があったのです。そして今ムーミン家の居間には、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
ムーミンパパ、ムーミンママ、偽ムーミン(偽核家族)
スノーク、偽フローレン(偽兄妹)
・ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士(学者、哲学者)
・ヘムル署長、スティンキー(警官と泥棒)
ミムラ、ミイ、他総勢35名(多産系兄弟姉妹)
ミムラ夫人(その母、かつ放浪者スナフキンの母)
・ヨクサル(放浪者スナフキンの父)
・ロッドユール、ソースユール、スニフ(ムーミン家友人の冒険家夫妻とその息子)
・フレドリクソン(ロッドユール叔父、発明家)
・3人の魔女
 その一、トゥーティッキ。気のいい世話好きな魔女トロール
 その二、モラン。すべてを凍らせる冷たい灰色の魔女トロール
 その三、フィリフヨンカ。きれい好きで神経質で気が小さい魔女トロール
・ガフサ(フィリフヨンカ友人)
・エンマ(フィリフヨンカ叔母、劇場掃除婦)
・グリムラルンさん(小言爺さん)
・トフスランとビフスラン(双生児夫婦)
・ホムサたち(谷のガキども)
・ニンニ(影の薄い少女)
ティーティウー(自我を探す這い虫)
・ニョロニョロ(群棲担子菌類)
・ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
・その他大勢
 ――だいたいそんなところです。いないのはムーミン、フローレン、スナフキンくらいのものでした。しかし観客がいなくても芝居の上演はできるように、ムーミンたちの不在も谷には何ら影響はなかったのです。


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 スナフキンの遺体は濡れた新聞紙を何重にも重ねて隙間なく包まれていました。乾いた新聞紙は意外なほどに丈夫で破れにくいものですが、濡れた新聞紙ほど破れやすい包み紙はないことからも遺体はまず乾いた新聞紙で包まれて、その後にまんべんなく水浸しにされたものと思われました。新聞紙の表面には水ににじんだために読み取れないのか、もともとこの状況で予想される発見者には読めない種類の言語なのか、あるいは言語ですらなく単に新聞紙らしき体裁のためだけに雑多な記号を組み合わせてあるだけかも確実には判別できない印刷がほどこされていました。ただしもしこの新聞紙が新聞紙を模したダミーだとすれば、何も伝えない新聞を新聞とは呼べないことからも、そもそも新聞紙ですらない可能性すら浮かんできます。その場合この遺体を包んでいるものは新聞紙でないのならば印刷された紙の様子をした屍衣にすぎず、スナフキンは新聞紙で包まれた遺体ではないことになります。
 まずいな、とスナフキンは思いました、心臓が破裂しそうだ。
 ホットケーキの発祥は古代エジプトと言われ(要出典)、小麦粉に玉子と砂糖を加えて混ぜたものをバターで焼いたものがそれに当たるといいます。現在市販されているホットケーキ粉は70年ほど前に発売され、当初はまんじゅうを作る粉としても使えるようにするため砂糖は含まれずなかなか広まりませんでした。やがて砂糖を加えたミックス粉が発売されホットケーキは家庭料理菓子として普及しますが、これをホットケーキと呼ぶのは150年程度前に伝播したごく一部の国で、ホットケーキに先だってパンケーキ(フライパンで焼くケーキ)が材料・調理法とも大部分の国では行われています。バターを乗せはちみつをかけて食べるのも同じです。パンケーキとホットケーキの違いは生地を薄く焼くのがパンケーキ、厚く焼くのがホットケーキと言うだけにすぎません。ちなみに厚く焼くこつは円周状に重ねて生地を足すとたっぷりした厚さに仕上がります。
 スナフキンの遺体を包んだ新聞紙の家庭欄にはそうした記事が掲載されていました--もしそれが新聞紙であれば、です。ですがもしその新聞に家庭欄がなかったら、またはその記事の部分だけがていねいに切り抜かれているとしたら、あるいは辛子マヨネーズを塗って食べるものとされていたらどうでしょうか。
 それは考えられないことでした。あまりに無理がありました。


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 ムーミンは退屈になってきたので考えごとでもしてヒマつぶししようと思いつきました。たとえば国勢調査などの統計調査で、回答者が年齢や生まれ年を、キリのいい数字(典型的には下1桁が0や5である数字)や、文化的に好まれる思える数字(よくある例ではサバを読んだりその逆だったり、縁起の良い年生まれとしたり)で不正確に報告することがあります。ウィップル指数とは人口統計学で用いられる指標で、そういった統計が年齢や生まれ年を不正確に報告する傾向を測る方法のひとつとして知られます。それは人口ピラミッドなどの年齢統計で0または5で終わる年齢が特に値が突出して多くなるという、エイジ・ヒーピングと呼ばれる現象に基づいています。それは自分の年齢を正確に知らない人が自分の年齢を回答する場合、自分の年齢に近いと思われる、切りの良い数字で回答することが主な原因となります。この現象は発展途上国の統計に多く見られますが、発展途上国の場合でも十二支が社会的習慣として浸透している国では必ずしもそうとは限りません。エイジ・ヒーピング(10進法とその中間値としての0、5)が診られる統計結果では末尾が0または5の回答を全人口に平均化すれば完全値に近い精度が求められる、というのがウィップル指数の考えで、これが完全値との偏差の大きい統計ほど回答の平均値を許容値の中心とすると、非常に不良、不良から、比較的正確、非常に正確まで信憑性・精度を判定できるとするのがウィップル指数の応用による人口統計学の基本になっています……。
 ああ喉が乾いた、とムーミンは(思っただけですが)思いました。思いついた飲み物はマヨネーズでした。マヨネーズ、とムーミンは声に出してみました。まあ言うだけはタダですから。でもパンの耳につければマヨネーズはサンドイッチのスプレッドになる、つまり飲み物じゃなくて食べ物になるわけだ……。
 ウィップル指数が統計情報の分析に使えるのは一部の哺乳動物だけで、動物一般にはぜんぜん役に立たないのも自明のことです。では応答反応が観測できる生物ならば、バクスター効果が得られる植物であってもウィップル指数による統計分析が可能ではないか。マヨネーズが飲み物にも食べ物にも分類できるように、また概念の実体化であるムーミントロールの谷にも樹木や草花があるように、メタフィジックとフィジカルが両立するシステム環境が観測できるのではないか……。


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 案外手間はかからなかったようだな、とムーミンパパはレストランのドアの前に立ち、ムーミンムーミンママを振りかえりました。ムーミン、実は偽ムーミンムーミン家の居間の会話中、危険を察してトイレに立ち、本物のムーミンと入れ替わっていたのです。
ムーミンが抱いた疑惑とは主に、
・情報源があやしい
・謎のレストランという設定がやばい
・特上の料理が出る
・挙句に食材にされる
 その根拠としては、半年に一度の新聞が今朝届いたとは思えませんし、ムーミンパパの頭はどうも不思議な電波を拾っているらしい。顧客を肥らせ食材にする話はいくつか知っている。偽ムーミンムーミン谷の公立図書館に隠れて勝手に住んでおり、女性司書とも肉体関係があるので耳年増なのです。ムーミン谷の識字率は小数点を越えてマイナス値に達していますので当然利用者も皆無に近く、これほど偽ムーミンに好都合な施設はありません。
 さらに、
ムーミン谷には通貨がない
 ――というのも偽ムーミンの抱いた疑惑の根拠でした。正確には現在は通貨がないが、過去には1ムーミン2ムーミンという単位が存在していたらしい。だがこれはかつて貨幣経済が行われていた、というよりも人身売買経済がムーミン谷の制度だったのではないか、と半ばタブーになっています。おそらくそれはムーミン族が高次意識体たるトロールに到達する前で、食事や運動、買い物、排泄、性交、入浴などはトロール化以前の生活習慣の名残ではないか、と偽ムーミンは性交中に女性司書から教わりました。そんなの学校じゃ習わなかったよ。学校で教わることなんてみんなウソなのよ(笑)。
 ただし偽ムーミンはおいしいところはいただくつもりでしたので、注文が済んだらトイレに立つようにムーミンを脅してありました。トイレで入れ替わり、食事が済んだら食後のコーヒー中にまたムーミンと入れ替わる。そうすればお勘定は1.25ムーミンでございますという事態にも居合わせずに済む。家族三人の片足・片腕ずつでいいかね?それでは勘定に合いません。パパどうするの?何ならいいのかね?臓器などはいかがでしょうか?
 それに若い臓器ほど高くお引き取りいただけます、と偽ムーミンは想像し、親友の不運に憐憫を禁じ得ませんでした。
 その頃ムーミンパパはメニューを開いて給仕に尋ねていました。このけったいな模様は何かね?はい、と給仕、それはロールシャッハ・テストと申します。


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 さて、今ムーミン谷のレストランには、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
 ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミン/スノーク、フローレン/ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士/ヘムル署長、スティンキー/ミムラ、ミイ、ミムラ族35兄弟姉妹/ミムラ族とスナフキンの母ミムラ夫人/スナフキンの父ヨクサル/冒険家ロッドユールとソースユール夫妻と息子スニフ/発明家フレドリクソン/3人の魔女トロール・トゥーティッキ、モラン、フィリフヨンカ/フィリフヨンカの叔母エンマ、女友だちガフサ/小言じじいグリムラルンさん/双子夫婦トフスランとビフスラン/谷のガキどもホムサたち/見えない少女ニンニ/迷い這い虫ティーティウー/群棲担子菌類ニョロニョロ/ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
 その他ここにいない人たちです。上に挙げた人たちでも必ずしも今レストランにいるわけではなく、たとえばムーミントロールのなれの果てとはいえもはやムーミンでもトロールでもないようなご先祖様をいかにして暖炉の裏から引っ張り出せるというのでしょうか。
 ご先祖様はムーミンをミイラにしたような身体に全身から長い毛を生やした姿をしていました。誰もその毛を触ってみた者はおらず、抜け毛らしいものも見当たりませんでしたが、山はりねずみのように毛を立てることができるのか、または静電気を帯びて膨らんでいるのか、毛の立った状態では亀の子だわしのように膨らんでいるので本体はしわくちゃに痩せ細ったわら人形というか、そのものずばりミイラ化したムーミンであることは先に教えられていなければ惑わされてしまうかもしれません。このような不気味な新種の、または未知のトロールがいるのかと腰がひけるだけです。では幽霊の正体見たり枯れ尾花でわかってしまえば何も言うことはないかというと、このご先祖様の存在ほどムーミン谷の人びとにとって頭の痛い懸案はありませんでした。
 つまり谷の誰もがこのご先祖様がいつから存在しているのか、ひょっとすると谷よりも古くから存在していたのかもわかりませんでした。この物体は知られた時にはすでに対話は不可能なほど老化していました。そしてもしもいつか将来、今いる谷の住民がすべて存在を失ってしまっても、ご先祖様だけは暖かな、または誰も火を灯すことのない暖炉の裏でじっとうずくまっているかもしれないのです。


(初出2017年/全80回より抜粋・お借りした画像は本編と関係ありません)