人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クニ河内とかれのともだち Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band - 切狂言 (Kirikyogen) (London, 1970)

クニ河内とかれのともだち - 切狂言 (London, 1970)

f:id:hawkrose:20200415200436j:plain
クニ河内とかれのともだち Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band - 切狂言 (Kirikyogen) (London, 1970) Full Album : https://youtu.be/gNtQdvhCPgg
Released by King/London Records - (L) 3003, December 1, 1970
(Side 1)
A1. 切狂言 (芝居小屋の名役者) - 5:09
A2. 人間主体の経営と工事 - 5:46
A3. タイム・マシーン - 7:48
(Side 2)
B1. おまえの世界へ…… - 6:33
B2. 恋愛墓地 - 4:11
B3. 女の教室 - 3:26
B4. 男から女を見た科学的調査 - 3:54

[ クニ河内と彼のともだち ]

クニ河内 - キーボード、作詞作曲編曲
石間秀樹 - ギター
ジョー山中 - ヴォーカル
ぺぺ吉弘 - ベース
チト河内 - ドラムス
内田裕也 - プロデュース

(Original London "Kirikyogen" LP Liner Cover & Side 1 Label)

f:id:hawkrose:20200415200634j:plain
f:id:hawkrose:20200415200702j:plain
 このアルバムは現在では正規ライセンスによる海外盤も2種類のレーベルから発売されており(それ以前も4種以上の海賊盤コピーが発売される人気アイテムでした)、そのうちひとつにはジュリアン・コープがライナーノーツを書き下ろしています。コープ(元ティアドロップ・エクスプローズ)は近年は文筆活動で知られ、1990年代にはドイツの70年代初期ロックの研究書『Krautrocksampler』で実験派ジャーマン・ロック(クラウトロック)の再評価を促し、21世紀に入って70年代の日本のロック研究を翻訳で380ページにおよぶ大著『Japrocktsampler』2007(翻訳・白夜書房2008)にまとめてジャーマン・ロック研究以上の大反響を呼び、コープの評価によって欧米で増加した日本のロックのマニアの要望によって次々と1970年代の日本のロックの海外盤復刻CDが発売される、という快挙(または怪現象)にも結びつきました。ただしコープが同書の巻末のジャップロック・ベスト・アルバム50選に上げたアルバムからでも、カープの評価基準はアンダーグラウンドでヘヴィなアシッド・ロックに偏向しているのがわかります。コープ選出の日本のロック名盤50選のリストのうちトップ10は、

1. フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』1971
2. スピード・グルー&シンキ『前夜』1971
3. 裸のラリーズ『Heavier Than a Death in the Family』(Live 1977)1995
4. ファー・イースト・ファミリー・バンド『多元宇宙への旅』1976
5. J・A・シーザー『国境巡礼歌』1973
6. LOVE LIVE LIFE + ONE『LOVE WILL MAKE A BETTER YOU』1971
7. 佐藤允彦サウンドブレーカーズ『恍惚の昭和元禄』1971
8. 芸能山城組『恐山』1976
9. 小杉武久『キャッチ・ウェイブ』1975
10. J・A・シーザー邪宗門』1972

 そして11位がファー・イーストの前身バンドのファーラウト『日本人』1973で、この『切狂言』1970は25位にランクされています。裸のラリーズは名盤50選のうち4枚入選し、ファーラウト~ファー・イースト・ファミリー・バンドも4枚、フラワー・トラベリン・バンドも本作を加えれば4枚、タージ・マハル旅行団を含め小杉武久が5枚、J・A・シーザーが3枚、佐藤允彦が2枚、一柳慧が2枚、マジカル・パワー・マコが2枚、スピード・グルー&シンキの全2枚、ブルース・クリエイション2枚が入選している偏りが目立ちますし、名盤として知名度が高いものでは『ジャックスの世界』1968が42位、『五つの赤い風船・New Sky&Flight』1970が47位、『外道』1974が30位、『四人囃子・一触即発』1974が49位に入っている程度で、はっぴいえんど頭脳警察サディスティック・ミカ・バンドはちみつぱい村八分もキャロルもサンハウスめんたんぴんも安全バンドも入っていません。つまり熱心な日本の'70年代ロックのリスナーにとってもほとんどポピュラーではないのです。ミュージシャンもいわゆるロック・アーティストに限らず、小杉武久一柳慧(ヨーコ・オノの前夫)、マジカル・パワー・マコは現代音楽系アーティスト、佐藤允彦はジャズの、J・A・シーザー寺山修司の劇団・天井桟敷の座付音楽家でした。コープは意図的に日本のアンダーグラウンド・シーンの実験派ロックを対象としています。ですがコープが最大の賛辞を惜しまないフラワー・トラベリン・バンド、スピード・グルー&シンキ、裸のラリーズファー・イースト・ファミリー・バンドらは音楽的には当時の英米ロックに対応しながら、日本のシーンではアウトサイダーであり続けたアーティストたちでした。ジャーマン・ロック(クラウトロック)のオーソリティであるコープが上記のバンドに、70年代西ドイツのカン、アモン・デュール、アモン・デュールII、ファウストタンジェリン・ドリームグル・グルアシュ・ラ・テンペルらと照応する非英米圏ロックならではの異端性を見出したのは、やはりコープが目をつけたのが日本でも異端視されているアーティストたちだったからでしょう。特にコープのフラワー・トラベリン・バンドへの入れこみようは名盤50選での『SATORI』1位のみならず、原著(また原著通りの翻訳書)のカヴァーに名盤28位にも選出したフラワーのデビュー・アルバム『エニウェア(Anywhere)』1970の篠山紀信撮影のアルバム・ジャケットをそのまま流用しているほどです。

(Julian Cope "Japrocksampler" Japanese Out-of-Printed Translated Edition)

f:id:hawkrose:20200415200957j:plain
 クニ河内は1968年デビューの異色ギターレスGS、ハプニングス・フォーのリーダーで、ハプニングス・フォーは実力派GSとしてGSブーム衰退後の1972年まで活動し、5枚のアルバムを残しています。バンドはもともと博多でナイトクラブ専属のジャズ・ピアノ・トリオとして結成されたのが母体で、現場で叩き上げてきた大人のプロのバンドでした。クニ河内はキーボード・プレイヤーとしてもタイガースのアルバムの実質的プロデュースやツアー・メンバーを勤めるなど、当時の日本のロックの第一線のキーボード奏者でした。ハプニングス・フォーは日本語歌詞のオリジナル曲でもサウンドは群を抜いて本格的な洋楽指向のバンドだったので、英語詞ロックによる日本のロックの世界進出を企画していた内田裕也に高く買われ、1970年1月26日収録の2枚組ライヴLP『ロックンロール・ジャム '70』1970.4でザ・モップスゴールデン・カップス内田裕也のバンドのフラワーズ(フラワー・トラベリン・バンドの前身バンド)にハプニングス・フォーでも、他のバンドのゲスト・キーボード奏者としても招かれています。

 ハプニングス・フォーは1970年7月には東芝からのサード・アルバム『アウトサイダーの世界』でコンセプト・アルバム色を強めていましたが、一方解散状態にあった後期フラワーズはリーダーの内田裕也がメンバーから外れてプロデューサーに徹することになり、後期からフラワーズに中途加入していた元ポップGSの491(フォーナインエース)出身で強力なヴォーカリストジョー山中(城アキラ→ジョー・アキラ→ジョー山中)、本格派サイケデリックGSのビーバーズ出身で当時日本で傑出したロック・ギタリスト、石間秀樹を中心にフラワー・トラヴェリン・バンドとして再編されます。日野皓正クインテットとジョイントしたデビュー・シングル「クラッシュ b/w ドゥープ」を1970年5月にコロンビアから発表後、デビュー・アルバム『エニウェア』を1970年10月に発表しましたが、アルバムは全5曲とも英米ロックのヘヴィ・ロック・カヴァーでした。ですがジョー山中石間秀樹がゲスト参加したクニ河内の日本語ロック・アルバム『切狂言』を経て、アトランティックに移籍した全5曲オリジナルの『SATORI』1971.4はジュリアン・コープが文句なしに日本のロック史上最大の傑作と賞賛するに値する、発表から歳月を経るごとに評価を高める名盤になりました。『SATORI』からは「SATORI Part1/SATORI Part2』がシングル・カットされましたが、1971年9月にはアメリカの新人バンド、ジョー・ママとのAB面スプリット・シングルで『切狂言』収録の「人間主体の経営と工事」をフラワーならではのヘヴィ・ロック・アレンジで「MAP」と改題しカヴァー、フラワー史上唯一の日本語曲として発表しています。『切狂言』は二つのバンドの選抜メンバーによるアルバムで、ハプニングスからヴォーカルのトメ北川、もうひとりのキーボード奏者シノ篠原が抜けたクニ河内チト河内、ぺぺ吉広の3人のリズム・セクションにフラワーからのジョーと石間が加わった編成でした。ハプニングスをあまり評価しないジュリアン・コープも『切狂言』についてはクニ河内の秀逸なオリジナル曲とサウンド・プロダクション、ジョーの最高の歌唱とフラワーのアルバムを含めても最高の石間秀樹のギターに賞賛を惜しみません。コープは『切狂言』を世界的なドゥーム・メタルの起源、必聴のロック・クラシックとまで呼んでいます。

 その後ハプニングス・フォーは『アウトサイダーの世界』以来の脱GS路線をさらに推し進めた完全なプログレッシヴ・ロックのコンセプト・アルバム『引潮・満潮』1971.8を最後に1972年には解散し、以後はクニ河内のソロにメンバーが協力する形でセッション・バンドのトランザムを結成(クニ河内プロデュース、メンバーはハプニングスのチト河内、トメ北川、シノ篠原に石間秀樹、後期サディスティック・ミカ・バンド後藤次利)、ファミリー的な活動を継続し、現在でもハプニングスは散発的に再結成をくり返しています。ハプニングスのもうひとりのキーボード奏者シノ篠原は実質的にフラワー・トラベリン・バンドのレギュラー・メンバーを兼任するほどハプニングスとフラワーの協力関係は深く長く続き、90年代のフラワー再評価以後には正式メンバーとして参加、ジョー山中もステージのMCではシノ篠原を「オリジナル・メンバー」と紹介していました。フラワーのリーダー石間秀樹クニ河内を尊敬し、『ロックンロール・ジャム '70』での共演以来音楽的なアドヴァイスを受けていたこともありました。石間秀樹は『切狂言』では日本語で歌ったジョーの魅力を認めていましたが、プロデューサー兼パトロン内田裕也から英語詞ロックに挑戦する課題を科せられたフラワーでは、『切狂言』の日本語歌詞以上に英語詞をバンドと一体化させたサウンドに挑戦する苦労がありました。

 フラワーは全アルバムをプロデューサーの内田裕也の意向通り英語詞ロック(作詞は後に元ゴールデン・カップスミッキー吉野が結成したゴダイゴの作詞を手がける奈良橋陽子、当時野村陽子が提供しました)で通しましたが、唯一シングル曲「MAP」だけは『切狂言』収録曲をフラワーの独自ヴァージョンにリメイクしたのは、内田裕也にも『切狂言』の成果が認められていたからと思われます。『切狂言』は当時の日本で唯一のロック専門誌だったニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン、80年代初頭に誌名改名)の年間ベスト・アルバムで日本のロック部門ベスト5入りする高評価を獲ています。ただし1969年創刊のニューミュージック・マガジンのロック部門第1回は岡林信康『私を断罪せよ』、第2回は『はっぴいえんど』が1位で、ともに同誌が後援していたフォークのインディーズ・レーベルURCからのアルバムでもあり、内田裕也が推進していた国際進出を目指す英語詞ロックとは正反対の日本語ロックだったので、反体制フォークと日本語詞のロックの融合を奨励していたニューミュージック・マガジン主宰の中村とうよう、小倉エージといったジャーナリストとの対立もありました。内田はニューミュージック・マガジンの奨励する方向性を認めつつもフラワーへの過小評価に反発していました。『切狂言』は後の頭脳警察のデビューとともに、数少ない内田裕也側からの日本語ロックの試みでした。また、サウンドの面でも、ジョー山中石間秀樹が『切狂言』に参加した時期のフラワー・トラベリン・バンドの『切狂言』との前後作を聴き較べると、リーダーの石間の音楽的アイディアやサウンド・プロダクション(内田裕也パトロンやコンセプト指示者としてのプロデューサーで、サウンドはバンドの自主性を尊重していました)が『切狂言』の参加によって英米ロックのヘヴィ・ロック化を試みた『エニウェア』から、オリジナリティに富んだ『SATORI』に大きく飛躍したのがわかります。石間はザ・ビーバーズ時代の唯一のアルバム『ビバ!ビーバーズ』1968.6ですでにジェフ・ベックを消化したギターのラーガ奏法をヤードバーズのカヴァーで披露していましたが、スパイダーズに見出されたビーバーズではデビュー・シングル「初恋の丘」1967.7以来メンバーのオリジナル曲は採用されませんでした。フラワー・トラヴェリン・バンドのデビュー・アルバム『エニウェア』ではまだ全曲がマディ・ウォータース(ブルース・プロジェクトによるカヴァー経由)、ブラック・サバス、アニマルズ、キング・クリムゾンのカヴァーで、まだ日本盤未発売だったサバスとクリムゾンをオリジナルよりさらにヘヴィに演奏し、「ルイジアナ・ブルース」と「朝日のあたる家」をヘヴィ・サイケデリック・ロックに解釈するのがフラワーの挑戦でした。デビュー・シングル「クラッシュ b/w ドゥープ」もまだ明確な方向性のない、日野皓正クインテットとの共演自体が成果のすべてであるような曲にとどまっていました。ここでの日野皓正のトランペットは何かの勘違いとしか思えないようなジャズ・ロック調の演奏で、フラワー側も日野クインテット側も空回りしているとしか言いようがありません。一方、『切狂言』を通過した後の『SATORI』セッションからのアルバム未収録日本語歌詞シングル「Map」はフラワーの個性確立がうかがえる佳作に仕上がっています。
f:id:hawkrose:20200415201120j:plain
Flower Travellin' Band - Crash (Columbia, 1970.5) Single-A Side : https://youtu.be/4-Ur9rMFwnc
Flower Travellin' Band - Dhoop (Columbia, 1970.5) Single-B Side : https://youtu.be/o4Cq7bcKjV8
f:id:hawkrose:20200415194739j:plain
Flower Travellin' Band - MAP (Atlantic, 1971.9) Split Single with Jo Mama : https://youtu.be/252YBU79UWg

 クニ河内はハプニングス・フォーのデビュー・シングル「あなたが欲しい」1967.11以来ハプニングス・フォーのオリジナル曲全曲の作詞作曲を手がけており、作曲家としても優れていましたが、当時作曲のみならず日本語ロックの作詞をメンバー自身が手がけていたバンドはスパイダースやテンプターズ以外にはほとんどありませんでした。『切狂言』ではA面が人生について、B面が恋愛のかけひきについてテーマが統一されています。これはクニ河内自身が1970年7月のアルバム『アウトサイダーの世界』で例外的に全曲の作詞を元フォーク・クルセダーズ北山修に委託したことでコンセプト・アルバムの歌詞作りの骨法をつかんだ結果と思われます。『アウトサイダーの世界』のテーマは「出世と挫折」という、若者向けロックにはあるまじき苦い冗談をあえて演歌調のロックに仕上げた異色作でしたが、もっともハプニングスのアルバムは飲食店の業務用に8トラック・カートリッジで発売されたカヴァー・アルバム『決定版!R&Bベスト16』1971を含めた全5枚とも異色作ばかりです。『切狂言』も現在の海外再発盤では「Kuni Kawachi & Flower Travellin' Band」名義が定着していますが、もしハプニングス名義で制作され、優れたソウル・ヴォーカリストのトメ北川が歌っても違和感はなかったでしょう。

 しかしそこに石間秀樹のギターが入ると、ジョー山中以外のヴォーカリストは考えられません。この二人のギターとヴォーカルのコンビネーションはジェフ・ベック・グループやレッド・ツェッペリンブラック・サバスに匹敵するものでした。それが現在では『切狂言』が準フラワー・トラヴェリン・バンドのアルバムとして最重要関連作品とされている理由でもあり、世界的に見ても石間とジョーは当時最強のリードギター&ヴォーカル・コンビでした。石間のギターはギターレス・バンドだったハプニングスにはない要素でしたから、『切狂言』でのクニ河内は石間のギターを積極的に前面に出していますし、石間のギターが前に出ればジョーのヴォーカルも前に出ます。「タイム・マシーン」はタイトルだけをくり返すヴォーカルにブルース・ハープが応答するコール&レスポンス形式のシンプルな曲ですが、インスト・パートではピアノがビートルズの「Yesterday」をたどたどしく弾く音にオルガンが「あなたが欲しい」のコード進行を鳴らし、ブルース・ハープが合いの手を入れる中でフィードバック・ギターがラーガ奏法でバッハの「トッカータとフーガ」とトラディショナルの「朝日のあたる家」の変奏を弾いています。このヴァニラ・ファッジ的ミクスチャーのアイディアはクニ河内ならではですが、これを自発的に消化して存分に弾きこなしてみせるギタリストは、当時も今も石間秀樹以外にいるとは思えません。ジェフ・ベックジミー・ペイジリッチー・ブラックモアでもこうはいかないでしょう。

 A面の人生サイドはハードなプログレッシヴ・ロックのアレンジで、B面の恋愛サイドもB1「お前の世界へ」はそのままフラワーのアルバムに採用されそうなドラマチックでハードな曲とアレンジですが、B2~B4はアシッド・フォーク的なソフト・ロック調になり、皮肉の効いた歌詞と、石間の巧みなアコースティック・ギターがたっぷり聴けます。石間ならではのラーガ奏法のギターとアコースティック・ギターのアンサンブルがオリエンタルな抒情ムードをかもしだすB2「恋愛墓地」、B3「女の教室」のカントリー・ブルース調の恋愛遊戯への皮肉、B4「男から女を見た科学的調査」のグロッケンシュピールヴィブラフォンのアンサンブルによるアシッド・フォーク的曲調に悪乗りして「女を前から見る時、顔を見る/女を後ろから見る時、脚を見る/女を横から見る時、胸を見る」と展開する冗談のような歌詞など、多彩な曲想をひねりの効いた歌詞で聴かせて楽曲すべてがハプニングス・フォー時代のクニ河内のもっとも冴えた創作力の好例をなしています。実質的に二つのバンドの合体セッションでこれほど成功したアルバムは稀でしょう。発表当時、ハプニングスやフラワーのアルバム以上に高く評価されたのも過褒ではなく、正当な好評価だったのかもしれません。

(旧稿を改題・手直ししました)