人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

フラワー・トラベリン・バンド Flower Travellin' Band - SATORI (Atlantic, 1971)

フラワー・トラベリン・バンド - SATORI (Atlantic, 1971)

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フラワー・トラベリン・バンド Flower Travellin' Band - SATORI (Atlantic, 1971) Full Album + Bonus Track : https://www.youtube.com/playlist?list=PLJbOK4YpeFUh-OTPlsN5Di9OpRqOdRISa
Released by Atlantic Records, Japan , Atlantic P-8056A, April 5, 1971
Canadian Released by GRT Records GRT Of Canada Ltd. 9320-1005, 1971
Produced by Uya Uchida (内田裕也) & Ikuzo Orita (折田育造)
Engineerd & Mixed by Norio Yoshizawa (吉澤則男)
Illustrated by Shinobu Ishimaru (石丸忍)
All tracks are written by Flower Travellin' Band.

(Side One)

A1. SATORI Part 1 - 5:25
A2. SATORI Part 2 - 7:06
A3. SATORI Part 3 - 10:44

(Side Two)

B1. SATORI Part 4 - 11:01
B2. SATORI Part 5 - 7:58

(Bonus Track)

6. MAP (Kuni Kawachi) - 4:28*Single A-Side Atlantic P-1068A, 1971

[ Flower Travellin' Band ]

Joe (ジョー山中) - vocal
Hideki Ishima (石間秀樹) - guitar
Joji Wada (和田ジョージ) - drums
Jhun Kowzuki (上月ジュン) - bass

(Original Atlantic "SATORI" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover, Incert & Side One Label)

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 このアルバムについては、フラワー・トラベリン・バンド、特に本作にぞっこん惚れこんだ挙げ句、日本の'50年代~'70年代ロックの研究書『ジャップロックサンプラー(Japrocksampler)』2007(翻訳2008)まで書いてしまったイギリス人ミュージシャン、ジュリアン・コープの同書の記載をご紹介するのが面白いでしょう。コープは'60年代いっぱいまでの日本の洋楽受容史を第1部の1~5章にまとめ、6章から始まる第2部で日本の'70年代ロックの幕開けに触れたあと、第7章はまるまるフラワー・トラベリン・バンドについて割いています。そのあとは裸のラリーズ、スピード・グルー&シンキ、タージマハル旅行団、J・A・シーザー佐藤允彦(とジャズ・ロック・シーン)に各1章を割き、最終章をファー・イースト・ファミリー・バンドに当てたあと、巻末にコープ選の日本のロック・ベスト50選を掲げ、第1位は本作『SATORI』です。なお本作は録音1日、ミックス1日の2日間で制作されており、すぐにフラワーはカナダに渡って次のアルバム『メイド・イン・ジャパン』を録音したため、カナダ盤『SATORI』は「SATORI」からはパート1~パート3の大幅な短縮編集版に、『メイド・イン・ジャパン』用の新録音5曲を足した事実上のコンピレーションとなっていますが、アルバムはカナダのトップ10、シングル「SATORI Part 2」は5位に上るヒットとなっており、バンドとしての絶頂期1年半をカナダで活動したためフラワーの日本での人気は上がらず、帰国した頃には赤字経営でバンドが存続できなくなっていたのがフラワーの解散を早めることになりました。「Hiroshima」はインストルメンタル曲だった「SATORI Part 3」のヴォーカル入りリメイクですからカナダ盤『SATORI』のパート1~3が日本オリジナル盤のパート1~3と同曲なのか、実物を照らしあわせていないので不確かなのですが、現在は稀少盤になっているカナダ盤『SATORI』の曲目を資料から上げておきましょう。

(Canadian Released GRT "SATORI" LP Front Cover, Liner Cover & Gatefold Inner Cover)

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SATORI (GRT Of Canada Ltd. 9320-1005, 1971)
(Side A)
A1. Satori Part I - 3:38
A2. Kamikaze - 4:20 (from "Made In Japan")
A3. Satori Part II - 3:37
A4. Hiroshima - 5:15 (from "Made In Japan")
(Side B)
B1. Unaware - 5:55 (from "Made In Japan")
B2. Gimme Air - 3:15 (from "Made In Japan")
B3. Satori Part III - 4:00
B4. Lullaby - 2:35 (from "Made In Japan")

 この先はジュリアン・コープの『ジャップロックサンプラー』(日本版・白夜書房奥田祐士訳)から『SATORI』に関する記述を引用します。

フラワー・トラベリン・バンドが日本全国の観客を沸かせるなか、内田裕也と折田育造はアトランティックのオフィスで密談を重ね、レッド・ツェッペリンやイエスのようなアトランティック最大のプログレッシヴ・バンド――彼らのアルバムは素晴らしくアートっぽい、何重にも解釈が可能なジャケットに包まれていた――にも匹敵する、素晴らしいロック加工品を作りあげる決意を固めた。折田はアメリカ、カナダ、イギリスからリリースの確約を得、裕也はフラワーの来るセカンド・アルバム用に、仏教、ヒンズー教、そしてサイケデリアをもとにしたデザインを考えてほしい、とファイン・アーティストの石丸忍に依頼した。」

 「しかし新曲をひと通り聴くために、バンドをリハーサル・スタジオに入れたとき、裕也と折田はともに、その不遜なまでの自信とユニークさにたじろぐほどのショックを受けた。絶え間なくつづくショウとサマー・フェスティヴァル出演は、個々のリフのアイディアを際限なく追究する機会を石間秀樹にもたらし、どこまでも展開しつづける極東の怪物と化したそれを、バンドは一音たりとも揺るがせない正確さで、ふたりの師に向けて解き放った。だがそれ以上に驚異的なのが、ジョーの出しゃばらなさだった。4行かそこらの歌詞を歌うと、あとはほかのメンバーの自由に任せ、自分の歌がバラバラに引き裂かれても平気な顔をしていたのだ。石間が東洋的な啓示に尽きず魅了されていたことから、新曲のうちの3曲にはシンプルに「SATORI I」「SATORI II」「SATORI III」という仮題がつけられていた。素晴らしい、と裕也は言った。アルバム全体的をそれと同じくらい神秘的に仕立てて、何ひとつ明かさないことにしよう。かくしてフラワー・トラベリン・バンドのセカンド・アルバムは『SATORI』と題され、いずれも長尺な5曲の収録曲も、素っ気なく「SATORI Part 1~5」と題されることになった。」

内田裕也と折田育造がプロデューサーのクレジットを分け合った『SATORI』は、フラワーにとって、永遠に、もっとも特異かつ狂的な作品となる定めにあった。マイケル・シェンカーやパワー・トリオ、エレクトリック・サンのウルリッヒ・ロートのような非ブルース的ギタリストがプレイする、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」とヤードバーズの「幻の十年」のスーパー・フィットした合体形とでも言えばいいだろうか。しかしこうした文言ではとても『SATORI』における石間秀樹の並み外れて刺激的なプレイを言いあらわすことはできない。そして過去15年間(1990年~2006年)で、いわゆるヘヴィ・メタルはまったく新しい高みに達しているものの、『SATORI』のアレンジの簡明さと無駄を省いた演奏は、残念ながらいまだに特異な例となっている。」

「豪華な見開きジャケットに包まれた『SATORI』――表には、石丸忍による巨大な仏陀に内包された、サイケデリック化された東洋世界のてっぺんに座す「フラワー・トリップ・バンド」の図があしらわれていた――は、日本のリスナーを熱狂させるとともに、カナダのアルバム・チャートでもトップ10入りを果たした。」

「(フラワー・トラベリン・バンド解散後)常に自分に正直なギター・マエストロ、石間秀樹のその後の消息は杳として知れないが、その並み外れた妙技と、西洋のヘヴィ・ロックに対するユニークなスタンスは、21世紀初頭の現在になっても数々のヘヴィ・メタル・バンドに影響を及ぼしている。事実、世界中のメタル専門誌で、『SATORI』は『黒い安息日』『パラノイド』『マスター・オブ・リアリティ』、『レッド・ツェッペリンII』、ブルー・チアーの『ファースト』と『アウトサイド・インサイド』、そしてMC5の『キック・アウト・ザ・ジャムス』と並ぶ古典にくり返し選ばれてきた。」
(以上『ジャップロックサンプラー』第7章「フラワー・トラベリン・バンド」より)

1 フラワー・トラベリン・バンド
『SATORI』(アトランティック、1971年)
「この作品で内田裕也の全裸のバイク乗りたちは完全に成熟し、さらにその先を行く。というのも『SATORI』はこの地上に放たれたハード・ロックの狂乱のなかで、史上もっとも素晴らしいもののひとつだからだ。斧を振りかざす狂人、石間秀樹に導かれたギター崇拝の祭典。彼は典型的なトニー・アイオミズムをジェフ・ベックし、ジミー・ペイジし、ひとつひとつの悪魔的なリフをより幻惑的で派手なリフで飾り、輪唱めいた地下2階のうめきを、ことごとく何兆もの落ち着きがない、ヒンズー風シタールのフレーズで活気づかせる。その魔法的な成果は、王者のような喜びに満ち、同時に野蛮人のように残酷だ。しかしサウンド的には完璧だったため、ヴォーカリストのジョーはアルバムの全編にわたってほぼ用なしになり、各曲のタイトルですらまったく不要だった。かくして収録曲を「Song I」「Song II」と題したオカルト・ヘヴィ・ロッカー、J・D・ブラックフット1970年のLP『The Ultimate Prophecy』に倣い、フラワーも同様の未来的アプローチを取って、それぞれのトラックに「SATORI Part 1」から「SATORI Part 5」までのタイトルを冠した。21世紀初頭にこのレコードが再評価された際には、この見たところ実験的でアヴァンギャルドな「名前のない歌」的アプローチが、『SATORI』の名声と神秘性をさらに高めることになる。というのもそれによって、すでに高い評価を誇るアルバムにさらなる神話性が付加されたからだ。これはフラワーのセカンド・アルバムだが、アトランティック・レコードの幻視者・折田育造の資金とプロダクション能力が後ろ楯についたのは、このアルバムからのことだった。サウンドはセンセーショナルで、演奏も極上で――当時の日本の水準のはるかに上を行き、足腰のもろいレーベル仲間、スピード・グルー&シンキに無限とも言える差をつけていた。事実、『SATORI』はあまりにも孤立しているため、いまだに他のレコードと、ほんとうの意味で比較することはできない。そんなレコードは実のところ、まだ作られていないのだ。」
(『ジャップロックサンプラー』巻末「筆者のトップ50」より)