人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17)70年代ロックを導いたGS(前)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

タイトルはでかく出たが、1000文字で全部は網羅できない。GS出身の70年代~現役(故人も多いが)は80年代までは日本のポップス界の重鎮だった。どの頃まで、というと小室哲哉あたりがのしてくるまでだ。そこでフォー・ナイン・エース(491)、ザ・ビーバーズ、内田祐也とフラワーズを並べてみた。そのこころは?

フラワー・トラヴェリン・バンドです。70年代初頭のみならず日本ロック最重要グループのひとつ。ジュリアン・コープ選ジャップ・ロック・ベスト50堂々1位(「SATORI」71.4)。内田祐也が末期フラワーズに491の城アキラ(ジョー山中、vo)とビーバーズの石間秀樹(g)を加入させ(ヴォーカリストもギタリストもいるのに)、フラワーズからは和田丈二(ジョージ和田、ds)だけ残し、4枚だけシングルを出したタックスマンから上月潤(上月ジュン、b)を加え自分はプロデュースに専念したのがFTBだった。10年間夢見てきた世界レヴェルのバンドが実現したのだ。海外進出を考え、歌詞は全曲英語。内田はジョン・レノンともミック・ジャガーとも別荘に招待しあう仲で、もちろん彼らにも聴いてもらったという。
掲載アルバムは、
○フォー・ナイン・エース「レッツ・ゴー童謡」1967.12(画像1)
○「ビバ!ビーバーズ!」1968.6(画像2)
○内田祐也とフラワーズ「チャレンジ!」1969.7(画像3)
○オムニバス「ロックン・ロール・ジャム'70」1970.4(画像4・原盤2LP)

このうち「ロックン・ロール・ジャム'70」にジョーと石間、和田を含むFTBへ移行直前のフラワーズのライヴがLP片面分収録されている。もともとこのバンドはヴォーカル3人、ギター2人という焦点が定まらない編制で、ツェッペリン/サバス・スタイルの4人組に移行する必然性はあった(GSにはこの「無駄な編制」が多い。ビーバーズの2ヴォーカル・2ギター、インスト・バンドだがヴォーカリストもいた491。これは当時のバンドがクラブ演奏主体のライヴ・バンドで、機材の発達、サポート・ミュージシャンの起用が当然になっている昨今の方がおかしいとも言える)。
祐也さんはかなり強引な人だが、なぜか憎まれない。慕われている。ジョンやミックとフレンドリーだったのもそこだろう。