人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジョン・コルトレーン John Coltrane - コルトレーン・タイム Coltrane Time (United Artists, 1962)

ジョン・コルトレーン - コルトレーン・タイム (United Artists, 1962)

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ジョン・コルトレーン John Coltrane - コルトレーン・タイム Coltrane Time (United Artists, 1962) Full Album : https://youtu.be/FyiNW62jiZ8
Recorded in October 13, 1958, New York City
Re-Released by United Artists Records United Artists Jazz UAJS 15001, 1962
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Originally Released as Cecil Taylor Quintet - Hard Drivin' Jazz, United Artists Records - UAL 4014, mono, 1959
Cecil Taylor Quintet - Stereo Drive, United Artists Records - UAS 5014, stereo, 1959
Produced by Tom Wilson

(Side 1)

A1. Shifting Down (Kenny Dorham) - 10:43
A2. Just Friends (John Klenner, Sam M. Lewis) - 6:17

(Side 2)

B1. Like Someone in Love (Jimmy Van Heusen, Johnny Burke) - 8:13
B2. Double Clutching (Chuck Israels) - 8:18

[ The Cecil Taylor Quintet ]

Cecil Taylor - piano
Kenny Dorham - trumpet
John Coltrane - tenor saxophone (Credited as "Blue Train" Original "Hard Driving Jazz")
Chuck Israels - bass
Louis Hayes - drums

(Original United Artists "Coltrane Time" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 何を隠そう筆者が高校生の時初めて聴いたジョン・コルトレーン(テナーサックス・1926-1967)のアルバムがこれでした。実はこのアルバムからコルトレーンに入るのは邪道で、普通コルトレーンの代表作には上げられないものです。それもそのはずで、このアルバムはセシル・テイラー(ピアノ・1929-2018)のモノラル録音のアルバム『Hard Drivin' Jazz』(1958年10月録音)のステレオ・ミックス盤『Stereo Drive』が一旦廃盤になった後、コルトレーンのインパルス!レーベル移籍の大キャンペーンに便乗してコルトレーン名義のアルバム『コルトレーン・タイム(Coltrane Time)』1962として再発売してしまったいんちきアルバムで、1950年代のジャズマンは自分のアルバムの権利はほとんど持っていなかったのがその背景にあります。1961年にコルトレーンがアトランティックからインパルス!に移籍する際、アーティスト側にアルバム制作メンバーと選曲、マスター・テイク、タイトルとジャケット、発売時期の決定権を条件にレーベル契約したのはジャズ界では画期的な快挙だったほどで、過去の録音はどうにもならずにプレスティッジやアトランティックは未発表アルバムの発売を続け、メンバーの一員として参加した別アーティストのアルバムまでがコルトレーン名義で再発売されました。『コルトレーン・タイム』はその最たるものだったのです。しかも筆者は音楽の先生にカセットテープにコピーしてもらったのですが、先生もレコードではなく先生の友人からコピーしてもらったカセットテープで持っていました。AB各面15分もないやけに短いアルバムだなと思ったら、元々のカセットテープが採譜用に33 1/3回転のLPレコードを45回転で再生・録音したものでした。再生スピードを上げると音程は4度上がりますが、倍音成分が消えて採譜のための聴き取りが楽になるのです。カセットテープにはアルバム・タイトルなしでジョン・コルトレーンとしか書いていなかったし、音楽の先生も元のタイトルを知らなかったので、後で探し当てるまで苦労しました。そして探し当ててみたら回転数が違っていたというと冗談みたいですが、実話ですからこのアルバムとは出会い方から間違っていたのです。コルトレーンのアルバムをあらかた聴いても見つからず、忘れた頃にセシル・テイラーのアルバムを集めていて、廃盤アルバム『Hard Drivin' Jazz』はステレオ版『Stereo Drive』改め『コルトレーン・タイム』でしか入手できないんだな、とセシル・テイラーのアルバムのつもりで買ったらこれがいちばん最初に聴いたコルトレーン(正確には回転数違いのカセット・コピー)だと気づいて唖然としました。しかもLPプレーヤーなら簡単に、CDでもDTMで出来るはずですが、A1で言えばKey=FがKey=B♭になりますがB♭ならキーとしては違和感ないし(トランペットもテナーサックスもB♭管)、しかも1.5倍のアップテンポで聴いても意外とかっこ良かったりするのです。

 さて、このアルバムは1958年12月のセッションでプレスティッジとの契約を満了する直前のコルトレーンが「Blue Train」(Blue TraneではなくTrainです)の変名で参加したことでセシル・テイラーの初期アルバムでも異色作になったのですが、テイラーはそれまで3枚のアルバムを出していました。『Jazz Advance』(1956年9月録音)、『At Newport』(ジジ・グライス&ドナルド・バードクインテットとのスプリット・ライヴ・アルバム、1957年7月録音)、『Looking Ahead』(1958年6月録音)で、『Hard Drivin' Jazz』の次作『Love For Sale; Plays Cole Porter』(1959年4月録音)を経て初期の到達点『セシル・テイラーの世界(The World of Cecil Taylor)』(1960年10月録音)、ギル・エヴァンス・オーケストラとのスプリット・アルバム『Into the Hot』(1961年10月録音)でさらに飛躍し、大傑作『Live at Cafe Montmartre』(1962年11月録音)、『Unit Structures』(1966年5月録音)、『Conquistador!』(1966年10月録音)、『Great Paris Concert』(1966年11月録音)、『Fondation Maeght Nights (Second Act of "A")』(1969年7月録音)に至るのが1960年代いっぱいまでのテイラーの作品歴です。ジャズマンとしては寡作ですがその分1作1作に重みがあり、ソロ・ピアノ活動とバンドが半々になる1973年以前のアルバムはどれも必聴といえるものですが、『Hard Drivin' Jazz』だけはテイラーのアルバムでも異質の企画盤でした。プロデューサーは元インディー・レーベルのトランジション主宰者で、この頃はフリーのプロデューサーをしていたトム・ウィルソンで、トランジションでテイラーやサン・ラ、ドナルド・バードの初アルバムをリリースしていたことからウィルソンはフリー転向後もテイラーやバード、サン・ラをニューヨークのレーベルに単発契約させていました。ウィルソンはのち1962年からはジャズに見切りをつけ、ボブ・ディランサイモン&ガーファンクルフランク・ザッパ、アニマルズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドらフォークとアンダーグラウンド・ロックのプロデューサーに転身する、'50年代~'60年代の音楽シーンの陰の立役者です。

 '50年代~'60年代のセシル・テイラーは自分のバンドのレギュラー・メンバーとしか録音しませんでした。唯一の例外が『Hard Drivin' Jazz』で、トランペットが元チャーリー・パーカークインテット、元ジャズ・メッセンジャーズケニー・ドーハム(1924-1972)、ベースがビリー・ホリデイバド・パウエルと共演し、後にエリック・ドルフィーとの共演やビル・エヴァンス・トリオのレギュラー・メンバーになるチャック・イスラエルズ(1936-)で、イスラエルズはこのアルバムが初レコーディングです。ドラムスは元ホレス・シルヴァークインテットでのちキャノンボール・アダレイのレギュラー・メンバーになるルイス・ヘイズ(1937-)と、腕前は確かですがまったくの寄せ集めのメンバーでした。イスラエルズとヘイズはまだ21、2歳でしたから依頼があれば受ける立場だったでしょう。コルトレーンは新鋭テナーマンとしてテイラーとの組み合わせが期待されたとおぼしく、コルトレーン自身がわざわざ変名を使って参加するほど本作のセッションには意欲的でした。ですがドーハムはマイルス・デイヴィスの後任でチャーリー・パーカークインテットのトランペットを勤め、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズを立ち上げた、ビバップ時代からのベテラン奏者でした。この人選はプロデューサーのトム・ウィルソンが行い、旧知のセシル・テイラーに依頼したものでしょう。テイラーも今回だけはと自分のバンドのレギュラー・メンバーでの録音に固執しなかったのは、録音前にはドーハムやコルトレーンの実力を正当に認めていたからでしょう。のちにテイラーはコルトレーンは良かったが、ドーハムじゃなくて若手トランペット奏者(のち『Into the Hot』で起用、またチャールズ・ミンガスのバンドに参加)のテッド・カーソンにすればよかったと発言しています。

(Original United Artists "Hard Driving Jazz" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 記録によると本作のレコーディングはA1、B1、A2、B2の順で行われていますが、コルトレーンの伝記やインタビュー、テイラーの証言からすると、ケニー・ドーハムがとにかく先輩風を吹かしていた現場だったようです。生前のコルトレーンへのインタビューではやや誘導尋問ぽく答えているのですが、セシル・テイラーとのレコーディングはもっと上手くできたはずでまたチャンスがほしい、と未練を残す発言をしています。テイラーはワンマンな割に放任主義的な面があり、トランペットとテナーのパートはあんたたちヴェテランなんだから好きにやってくれ、という調子だったようです。テイラーのレギュラー・メンバーなら一生懸命テイラーの音楽性に合うプレイをするし、コルトレーンもせっかく異色の新鋭ピアニストのアルバムなのだからもっとチャレンジしてみたかったと無念がっています。コルトレーンはドーハムにホーンのアンサンブルの提案と打ち合わせを申し入れましたが、ドーハムは「おれに指図するな」と打ち合わせを拒んだそうですからさすがです。選曲はスタンダード2曲(パーカーの愛奏曲「Just Friends」にハードバップ・スタンダード「Like Someone in Love」)にドーハムとイスラエルズのオリジナル・ブルース2曲と決まっていましたが、イスラエルズのブルースB2はパーカーの「Chasin' the Bird」や「Ah-Leu-Cha」の変奏というべき対位法ブルースでしたし、ドーハムのブルースA1はよく聴くとコルトレーンの「Blue Trane」のテーマ・リフをマイルス・デイヴィスのヴァージョンによるミルト・ジャクソンのブルース「Bags' Groove」(キーまで同じ)のテンポとリズム・パターンに移し替えたものとわかります。

 そのドーハムのオリジナルA1がピアノの無伴奏イントロで始まると、いかにもセシル・テイラーらしい異様なムードにどうなるかと期待が湧きますが、2ホーンとベース、ドラムスが入って曲らしくなるとあっけないほどハード・バップのブルースなので拍子抜けします。コルトレーンの先発ソロは後にエリック・ドルフィーが多用するような平行音列を連発して意欲的なのですが、テイラーのソロに移るとまるでコルトレーンのソロのムードが消し飛んでしまいます。そしてケニー・ドーハムは、ピアノがどうバックアップしてこようが「Bags' Groove」のソロを想定して吹いているように聴こえます。こうなるとベースとドラムスはオーソドックスなプレイでトランペット・ソロを支えるしかなく、ピアノとの一体化は果たすすべもありません。アルバム全編がそういう感じで、ファスト・テンポのA2「Just Friends」はAA'構成のテーマを先のAはドーハム、後のA'はコルトレーンが吹奏し、ソロはセロニアス・モンクを過激にしたようなテイラーから始まるのでいけるか?と思いますが、ドーハムのソロになると普通のハード・バップになってしまい、後発ソロのコルトレーンまでドーハムのムードを引き継いでしまいます。この曲はもともとドーハムの得意曲だけにがそんな仕上がりではテイラーの立場がありません。B1「Like Someone in Love」はバラードにもスウィンガーにもなる曲でここではスウィング・テンポでの演奏ですが、やはりAA'形式の曲を先のAをコルトレーン、後のA'をドーハムが吹奏し、そのままドーハムのソロに入ります。録音順ではA1の次、A2の前に演奏されただけあって後発ソロのコルトレーンはドーハムに引っ張られまいとしていますが、その分どっちつかずのソロになってしまっています。トランペット、テナーに続くピアノ・ソロ、ベース・ソロがすごくやりづらそうにやってからエンド・テーマに戻って、結局ドーハムのペースに全員が持っていかれます。

 録音順でもアルバム収録順でも最終曲のB2「Double Clutching」はイスラエルズのオリジナル・ブルースですが、ハード・バップどころかビ・バップの雰囲気すら漂うラフなセッションで、ほとんど手癖のドーハム、張りきれば張りきるほどソロの焦点が定まらない(その代わりやたら速い)コルトレーンと来て、テイラーのソロが最後に来ると完全にブルース・フォームが霧消してしまいます。短いベース・ソロを挟んでフォー・バースになり、こうなるとホーン奏者もリズム・セクションもフォー・バースでは冒険しようにもできないかもともとやる気がないかのどちらかで、無理やりブルースに戻って終わります。そんなわけでこのアルバムはセシル・テイラーのリスナーには「あれは別」扱いされるし、コルトレーンのリスナーには失敗作扱いされるし、一般的にはマイペースを貫いたドーハムのプレイがまだしも、とされています。それもわからないではありませんが、こういう事故みたいにしてできてしまったアルバムがゴロゴロしているのが当時のジャズの面白さでもあるでしょう。ドーハムがのちにはけっこう前衛派のジャズマンと共演してやればできるのを証明しているのを思うとドーハムのファンには痛快な内容のセッションですし、のちの名手イスラエルズとヘイズが若い頃にはドーハムやテイラーのような先輩頑固ジャズマンにこうやって鍛えられていたを伝えるドキュメントでもあります。ちゃっかり「Blue Trane」のパクリをオリジナル曲として提供しているドーハムの居直りと、ソロイストごとにムードが一変してまるで一体感がない演奏も聴きかたによってはスリリングですらあります。メンバー全員がリーダーを張れる実力者が集まって同じところをぐるぐる回っているだけのような結果に始終してしまっているのは普通は失敗作ですが、こういう事態はジャズならではのものと思うと無難にまとまったアルバムよりも聴き応えがあると味方につきたくなるような、歳月を越えて届いてきた没セッションのようないじらしい味わいすらあり、もしこれが本当に没になって今ごろ発掘されたとしたらメンバーの顔ぶれや録音時期の貴重さだけでも「幻のセッション発掘!」と大騒ぎになった一枚でしょう。結局これはセシル・テイラーのアルバムでもなければケニー・ドーハムのアルバムでもなく、コルトレーンのアルバムとして発売され続けているのがケチのついた理由のようなものですが、コルトレーンでも聴くか、ただしコルトレーン本人のアルバムじゃないやつ(重いから)、という時にこれを聴くと、けっこう楽しめたりもするので、名作ばかりがジャズではないという当たり前の楽しみに気づかせてくれる博愛の心で聴きたいアルバムです。

(旧稿を改題・手直ししました)