Recorded at Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, August 23, 1957
Released by Prestige Record Prestige PRLP 7123 issqued in March 1958, reissued as "Traning In" in 1961, later stereo reissued as Prestige PR 7651 in 1969.
Note : Coltrane's second full session as a leader, recorded for Prestige on 23 August, 1957 but only issued early in 1958 (date according to Billboard of 31 March 1958). Originally released as "John Coltrane with the Red Garland Trio" with an abstract cover, the album was reissued three years later as "Traneing In", the cover now showing a portrait of Coltrane taken by Esmond Edwards.
(Side one)
1. Traneing In (John Coltrane ) - 12:34
2. Slow Dance (Alonzo Levister) - 5:28
(Side two)
1. Bass Blues (John Coltrane) - 7:48
2. You Leave Me Breathless ( Ralph Freed, Friedrich Hollaender) - 7:25
3. Soft Lights and Sweet Music ( Irving Berlin) - 4:41
[ Personnel ]
John Coltrane - tenor saxophone
Red Garland - piano
Paul Chambers - bass
Art Taylor - drums
(Original reissued "Traning In" LP Front Cover)
●Prestige Era (1957-1958)
1. 1957-Late; Coltrane (rec.1957-05-31)
2. 1958-02; Blue Trane (rec.1957-09-15) *Blue Note Records
3. 1958-03; John Coltrane with the Red Garland Trio / Traneing In (rec.1957-08-23)
4. 1958-Summer; Tanganyika Strut (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-05-13, 1958-06-24) *Savoy Records
5. 1958-10; Soultrane (rec.1958-02-07)
(Released after Prestige Era Albums)
6. 1959-02; Jazz Way Out (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-06-24) *Savoy Records
7. 1961-03; Lush Life (rec.1957-05-31, 1957-08-16, 1958-01-10)
8. 1961-12; Settin' the Pace (rec.1958-03-26)
9. 1962-10; Standard Coltrane (rec.1958-07-11)
10. 1963-00; Dakar (rec.1957-04-20)
11. 1963-03; Kenny Burrell & John Coltrane (co-leader) (rec.1958-03-07)
12. 1963-09; Stardust (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
13. 1964-04; The Believer (rec.1957-12-20, 1958-01-10, 1958-12-26)
14. 1964-08; Black Pearls (rec.1958-05-23)
15. 1965-05; Bahia (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
16. 1966-01; The Last Trane (rec.1957-08-16, 1958-01-10, 1958-03-26)
コルトレーン単独、または共作名義だけで2年間に16枚のアルバムがある上に、参加アルバムはマイルスのバンドでデビューした1955年~1956年の2年間で12枚、1957年~1958年の2年間では24枚を数える。つまり1955年~1958年の4年間では52枚で年間13枚ペースだが、1957年~1958年の2年間では40枚だから年間20枚という驚異的な録音量が判明する。これだけアルバムがあると逆にコルトレーンの楽歴で重要なアルバムと過渡的なアルバムの軽重の差も現れてくるのだが、上記のコルトレーン名義のアルバム以外にも、1955年~1958年の間にマイルスのバンドにメンバーとして残した参加アルバムはコルトレーン自身のアルバムと匹敵、またはそれ以上にコルトレーンにとっても記念碑的作品になっている。
(Original "John Coltrane with the Red Garland Trio" and reissued "Traning In" LP Liner Notes)
ただし『Blue Trane』はいかにもスタジオで作りこまれた重厚さがこの時期のコルトレーンには例外的で、プレスティッジ作品の良くも悪くも実質的にスタジオ・ライヴのフットワークの軽さが、粗製濫造で薄利多売の量産レーベルらしいやっつけ混じりの面白さになっているのとは異質な感じを受ける。当時の黒人ジャズのインディー・レーベルは黒人ジャズマンのギャラの安さがなければあれほど繁盛しなかった。白人ジャズマンは白人リスナーには黒人ジャズマンより売れたが、いかんせんギャラが高かったという背景もある。1957年~1958年の2年間で参加アルバム40枚、というコルトレーンも原盤権の買い取りではライヴ収入だけ、レコーディング収入だけでは生計が成り立たなかったのだろう。コルトレーンは1957年にはセロニアス・モンクの、1958年には出戻りのマイルスのバンド・メンバーだったから自分がリーダーのバンド活動は1960年以降になるが、もし1957年~1958年時点で自分のバンドを持って独立していたらライヴで聴けるサウンドは『Blue Trane』よりもプレスティッジの諸作に近いものだったろう。何しろマイルス・デイヴィスのバンドですらライヴのためのリハーサルなど一切やっていなかった、と言われたのが今問題にしている時代の黒人ジャズだった。『Coltrane』と『Soultrane』はつい先日ご紹介したので、『John Coltrane with the Red Garland Trio』もご紹介しておくのは順当な選択だろう。
(Original "John Coltrane with the Red Garland Trio" and reissued "Traning In" LP Side 1 Label)
録音はB2、B1、B3、A1、A2の順で行われたそうで、B1とA1はブルース、B2とA2はバラード、B3は猛烈なファスト・テンポのスウィンガーと選曲のバランスはとれている。楽曲スタイルごとに見ると、まずA1はAA'BA'形式の変型ブルースで、レッド・ガーランド・トリオだけの演奏が前半は延々続き、ベース・ソロを挟んで後半はコルトレーンのロング・ソロになるという構成。テナー・ソロは見事だが、ピアノ・トリオが長すぎる。アルバムの原題通りと言えばそれまでだが。B1のリフ・ブルースはA♭で、後のオリジナル曲「Cousin Mary」(『Giant Steps』収録)がやはりA♭のリフ・ブルースだが、このB1では不慣れなキーが面白いフレーズを生んでいる。スタンダードをファスト・テンポのスウィンガーに解釈したB3はおなじアーヴィング・バーリン作の「Russian Lullaby」(『Soultrane』収録)に引き継がれる。そしてA2、B2のバラードだが、テーマ吹奏だけでソロはピアノとベースに任せることで抒情的な効果を上げている。A2のエンディングはそのまま後年のオリジナル曲「Naima」(『Giant Steps』収録)に流用される。B2のバラードとなると、テーマ吹奏だけでリズム・セクションにムードを委ねた空間性といい、悠然たる楽想といい、ルバートぎりぎりのテンポ感といい、これを推し進めた先に「After the Rain」を頂点にインパルス時代の「Dear Lord」「Welcome」などの瞑想的超越主義バラードが控えていたのか、とコルトレーンの発想の原点が凝縮されたアルバムなのには改めて感心する。ガーランド・トリオもブルース2曲の中庸を得たプレイ、B3の驀進するスウィング感などさすがだ。だがバラード2曲はどうしても従来の4ビートから離れられないでいる。コルトレーンは、やはりエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)をレギュラー・メンバーに獲得したアトランティック時代後半からがバンド自体のサウンドを掌握できるようになった本領発揮の時代と感じないではいられない。