人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン Kenny Burrell & John Coltrane (Prestige/New Jazz, 1963)

ケニー・バレルジョン・コルトレーン (New Jazz, 1963)

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ケニー・バレルジョン・コルトレーン Kenny Burrell & John Coltrane (Prestige/New Jazz, 1963) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLd56fNeWVkFkX2m4Ip1wiExdxQB5hdN1d
Released by Prestige Records New Jazz NJ 8276, May 1963
Reissued as "The Kenny Burrell Quintet with John Coltrane" (PR 7532, 1968)
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, March 7, 1958

(Side A)

A1. Freight Trane (Tommy Flanagan) - 7:18
A2. I Never Knew (Ted Fio Rito, Gus Kahn) - 7:04
A3. Lyresto (Kenny Burrell) - 5:41

(Side B)

B1. Why Was I Born? (Oscar Hammerstein II, Jerome Kern) - 3:12
B2. Big Paul (Tommy Flanagan) - 14:05

[ Personnel ]

Kenny Burrell - guitar
John Coltrane - tenor saxophone
Tommy Flanagan - piano
Paul Chambers - bass
Jimmy Cobb - drums

(Original New Jazz "Kenny Burrell and John Coltrane" LP Liner Cover & Side A Label)

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 ジョン・コルトレーン(テナーサックス・1926-1967)は前回にも触れた通り自己名義のアルバムだけでも45作あまり、参加アルバムや発掘音源を含めるとその5倍ものアルバムが残されていますが、生前に故人が発売を了解していたスタジオ録音・ライヴ録音アルバムはほぼ100枚といったところになります。ロック・アーティストでこれだけ多作だったのはフランク・ザッパトッド・ラングレンクラウス・シュルツェくらいですが、ザッパは25歳でデビュー作を発表し享年は50歳、対してコルトレーンのデビュー作は30歳で享年40歳になり、マイルス・デイヴィスのバンド・メンバーに抜擢され本格的なレコーディング・キャリアを始めたのも28歳でしたから、ザッパとコルトレーンでは活動期間が倍ほど違います。またコルトレーンディスコグラフィーを見ていると、コラボレーション・アルバムがけっこう多いのが目を惹きます。発掘音源(代表的かつ重要なものでは1957年と1958年のセロニアス・モンクとのライヴ)は除いて、コルトレーン自身が生前に公式アルバムとしたもので、他アーティストのアルバムにコルトレーンが参加したもの(ジャムセッション作含む)、また他アーティストとのコラボレーション作品を録音順にリストにしてみました。

1. Paul Chambers - Chambers' Music (Jazz West, 1956.3)
2. Elmo Hope - Informal Jazz (Prestige, 1956.5)
3. Sonny Rollins - Tenor Madness (Prestige, 1956.5/Jam Session, title track only)
4. Various - Tenor Conclave (Prestige, 1956.9/Jam Sessions)
5. Paul Chambers - Whims of Chambers (Blue Note, 1956.9)
6. Tadd Dameron with John Coltrane - Mating Call (Prestige, 1956.11)
7. Various - Interplay For Two Trumpet and Two Tenors (Prestige, 1957.3/Jam Sessions)
8. Red Garland with John Coltrane - Dig It! (Prestige, 1957.3)
9. Johnny Griffin - A Blowing Session (Blue Note, 1957.4/Jam Sessions)
10. Tomny Flanagan - The Cats (Prestige-New Jazz, 1957.4/Jam Sessions)
11. Mal Waldron - Mal 2 (Prestige, 1957.4,5)
12. Mal Waldron - The Dealers (Prestige, 1957.4/Jam Sessions)
13. John Coltrane - Dakar (Prestige, 1957.4/Jam Sessions)
14. John Coltrane and Paul Quinichette - Cattin' (Prestige, 1957.5/Jam Sessions)
15. Various - Blues For Tomorrow (Riverside, 1957.6/Jam Session, one track only)
16. Thelonious Monk - Monk's Music (Riverside, 1957.6/Jam Sessions)
17. Sonny Clark - Sonny's Crib (Blue Note, 1957.9)
18. Frank Wess and John Coltrane - Wheelin' & Deelin' (Prestige, 1957.9/Jam Sessions)
19. Various - Winner's Circle (Bethlehem, 1957.10/Jam Sessions, four tracks only)
20. Red Garland - All Mornin' Long (Prestige, 1957.11/Jam Sessions)
21. Red Garland - Soul Junction (Prestige, 1957.11/Jam Sessions)
22. Red Garland with John Coltrane - High Pressure (Prestige, 1957.11/Jam Sessions)
23. Ray Draper Quintet featuring John Coltrane (Prestige/New Jazz, 1957.12)
24. Art Blakey Orchestra - Art Blakey's Big Band (Bethlehem, 1957.12)
25. Gene Amons - Groove Blues (Prestige, 1958.1, three tracks only)
26. Gene Amons All Stars - The Big Sound (Prestige, 1958.1, one track only)
27. Kenny Burrell & John Coltrane (Prestige/New Jazz, 1958.3)
28. Wilbur Harden Quintet - Mainstream 1958 (Savoy, 1958.3)
29. Wilbur Harden - Tanganyika Strut (Savoy, 1958.5,6)
30. Michel Legrand Orchestra - Legrand Jazz (Columbia, 1958.6, three tracks only)
31. Wilbur Harden - Jazz Way Out (Savoy, 1958.6)
32. George Russell - New York N.Y. (Decca, 1958.9, one track only)
33. Cecil Taylor - Hard Drivin' Jazz (United Artists, 1958, reissued as John Coltrane - Coltrane Time)
34. Ray Draper Quintet - A Tuba Jazz (1958.11)
35. Milt Jackson and John Coltrane - Bags and Trane (Atlantic, 1959.1)
36. Cannonball Adderley Quintet in Chicago (Mercury, 1959.2)
37. John Coltrane and Don Cherry - The Avant-Garde (Atlantic, 1960.6,7)
38. Miles Davis - Someday My Prince Will Come (Columbia, 1961.3, two tracks only)
39. John Coltrane (with Orchestra) - Africa Brass (Impulse!, 1961.5,6)
40. Duke Ellington and John Coltrane (Impulse!, 1962.9)
41. John Coltrane and Johnny Hartman (Impulse!, 1963.3)
42. John Coltrane - Ascension (Impulse!, 1965. 6/Jam Sessions
43. John Coltrane - Om (Impulse!, 1965.10/Jam Sessions)
44. John Coltrane (featuring Juno Lewis) - Kuru Se Mama (Impulse!, 1965.10)
45. John Coltrane (duet with Rashied Ali) - Interstellar Space (Impulse!, 1967.2)

 ついでに(発掘音源は除いて)コルトレーンがメンバーとして参加した公式アルバムもリストにしておきます。1957年にはセロニアス・モンクのバンド・メンバーでしたが『Monks Music』はジャムセッション作品のため先にゲスト参加アルバムに上げました。マイルスのアルバムへも『Someday My Prince Will Come』は独立後のゲスト参加アルバムなので先のリストに上げました。コルトレーンが渡り歩いてきたバンドはディジー・ガレスピー(1949-1951)、アール・ボスティック(1952)、ジョニー・ホッジス(1953-1954)、マイルス・デイヴィス(1955-1956、1958-1959)、セロニアス・モンク(1957)となり、マイルスのツアーには1960年にも同行していますが後任サックス奏者が決定するまでのゲスト参加で、このツアーはコルトレーンにとって翌年に自分のバンドでヨーロッパ・ツアーをする際の下見のようなものでした。独立してバンドリーダーになるまでのバンド遍歴が聴ける公式アルバムは、

1. Dizzy Gillespie Orchestra - Capitol Recordings (Capitol, 1949-1950, not included Coltrane's solo)
2. Dizzy Gillespie Sextet - School Days (Regent/Savoy, 1951.2, two tracks only)
3. Dizzy Gillespie Quintet - The Champ (Savoy, 1951.2, two tracks only)
4. Earl Bostic and His Alto Sax (King, 1952.4,8, eight tracks only)
5. Johnny Hodges Orchestra - Used To Be Duke (Norgram, 1954.7)
6. Miles : The New Miles Davis Quintet (Prestige, 1955.11)
7. Relaxin' with the Miles Davis Quintet (Prestige, 1956.5,10)
8. Workin' with the Miles Davis Quintet (Prestige, 1956.5,10)
9. Steamin' with the Miles Davis Quintet (Prestige, 1956.5,10)
10. Cookin' with the Miles Davis Quintet (Prestige, 1956.10)
11. Miles Davis and the Modern Jazz Giants (Prestige, 1956.10, one track only)
12. Miles Davis - 'Round About Midnight (Columbia, 1955.10, 1956.6, 1956.9)
13. Thelonious Monk - Thelonious Himself (Riverside, 1957.4, one track only)
14. Thelonious Monk with John Coltrane (Riverside, 1957.7, new three tracks only)
15. Miles Davis - Milestone (Columbia, 1958.4)
16. Miles Davis - Jazz Track (Columbia, 1958.5, three tracks only)
17. Miles Davis at Newport 1958 (Columbia, 1958.7)
18. Miles Davis - Kind of Blue (Columbia, 1959.3,4)

 これで『Soultrane』をご紹介した際にリストにしたコルトレーン自身の名義のアルバム(遺族公認による正式リリースの発掘音源含む)、一部重複しますがコルトレーンのセッション・ゲスト参加アルバムと共作アルバム、またバンド・リーダーとして独立するまでに在籍してきたバンドのアルバムが揃うので、これがコルトレーンの全アルバム(プライヴェート録音やラジオ放送音源を除く)と見なすこてができます。マイルスのバンドに加入するまでの5枚は資料的価値としても、以降の12年間でコルトレーンはほとんど強迫的なまでに急進的なジャズマンであり続けました。その姿勢はメイン・ソロイストとしてのゲスト参加作品、コラボレーション作品でも変わらなかったので、それほどコルトレーンは腕前を買われていたということでもあるし、ほとんどの場合その期待に応えています。また、黒人ジャズ自体が非常な多産を許した時代だったという背景もあります。プレスティッジ・レコーズはレッド・ガーランド(1923-1984)、マル・ウォルドロン(1925-2002)、トミー・フラナガン(1930-2001)らといったピアニストをハウス・バンドのリーダーにして片っ端からジャムセッション・アルバムを制作しており、プレスティッジほどは粗製濫造ではなかったリヴァーサイド、ブルー・ノートでも専属のセッション・ピアニスト中心にメンバーの組み合わせを変えて新作の企画を立てていたので、それが当時もっとも効率的にインディーのジャズ・レーベルを運営していく方法だったのです。今日のように1作ごとに周到なプロモーションがされ、ツアーが連動させるようになったのは1970年代以降のメジャー・レーベルによるもので、それまでのジャズのレーベルはとにかく契約期間中に大量の録音をストックして小出しにリリースし、リリース済み作品のプロモーションを兼ねていました。そんなやり方で名作佳作が続出したのは奇跡的で、'40~'60年代のジャズにはそれが可能な時代でした。ですからそうした安易な制作では奇跡が起こらなくなった時にジャズは存亡の危機に立たされたのですが、コルトレーンの急逝はちょうどそんな節目に当たっていました。

 このアルバムは今なお現役のケニー・バレル(ギター・1931-)とコルトレーンの共作扱い(なかなか良いデザインのジャケットには『Kenny Burrell & John Coltrane』とタイトルがあるのに、LPレーベルの記載は『Kenny Burrell with John Coltrane』なのがプレスティッジらしいご愛嬌です)になっていますが、コルトレーンもバレルもプレスティッジの専属から離れた、録音から5年も後に発売されたもので、もともと当時のプレスティッジでの契約条件ではアーティストにはアルバム内容の決定権はありませんでした。1年前にトミー・フラナガンジャムセッション・アルバム『The Cats』でコルトレーン、バレル、フラナガンの顔合わせがあるように、このアルバムも参加メンバーが均等にフィーチャーされたジャムセッション・アルバムとして企画されたと思われます。例えば14分におよぶB2「Big Paul」はフラナガンのオリジナルですが、ポール・チェンバース(ベース・1935-1969)をフィーチャーしたブルースで、典型的なジャムセッション・ナンバーの構成を持っています。ベースの無伴奏ソロのイントロからユニゾン・リフによるテーマ提示もなしにピアノ・トリオ演奏になり、このピアノ・トリオだけのパートもまた長く続きます。ピアノ・ソロに続くソロはテナーサックスで、コルトレーンはプレスティッジ時代でも1957年後半には格段に力量を上げ、1958年にはそろそろスタジオ・ライヴ的なジャムセッションでは表現しきれない実験性に向かっていた様子が、特にこの曲のソロ後半の性急さからは感じられます。コルトレーンに続くケニー・バレルのソロは落ち着いたもので、バレルはチャーリー・クリスチャン派のバップ・ギターを出発点にジャズ・ギタリストとしてはブルース色が強いプレイヤーですが、端正で軽やかなブルース感覚にブルース・ギタリストではないジャズ・ギターならではの洒脱さがある人です。筆者はバレル70代の頃の来日公演を聴きに行きましたが、アルバムでは聴けないメタルもどきの早弾きソロを茶目っ気たっぷりに披露する一面もあり、ジャズマンはライヴを観ないとわからないものだと大いに楽しんできました。コルトレーンもリズム&ブルースを経由してきているプレイヤーですが、バレルのようにブルースとバップを上手く調和させたスタイルというよりも、ブルースとしてもバップとしても過剰なものを同時に表現しようと苦心していたのがプレスティッジ時代でも1958年には目立ってきています。この年、マイルス・デイヴィスのバンドに復帰したコルトレーンは凄腕アルトサックス奏者キャノンボール・アダレイとバンドメイトになり、マイルスもアルバム『Milestones』1958.3でコルトレーンとアダレイから画期的な名演を引き出しています。マイルスのバンドはライヴが多忙なレギュラー・バンドでしたから、1958年のコルトレーンはマイルス・セクステットに雇われながらスケジュールの空きをプレスティッジやサヴォイの録音に当てていたので、マイルスのバンドで演っている音楽的水準にインディー・レーベルの制約の中で挑む無理をすることになりました。本作など『Milestones』の録音から3日後の録音のアルバムです。コルトレーン参加のマイルス・デイヴィスのアルバムがコルトレーンにとってコルトレーン自身のアルバムと同等かそれ以上の重要性を持つ、とはそういう意味でもあります。

 バレル、フラナガンコルトレーン、さらにチェンバースとジミー・コブ(ドラムス)とは1958年には黒人モダン・ジャズのマニアにしか通じないメンバーでしたが、5年寝かせて1963年春に発売した頃にはもはや同じ顔ぶれで新作を制作するのは不可能なほど全員が大物ジャズマンと認められていました。名をなした後のイメージからはこの人選、特にバレル、フラナガンコルトレーンの3人の取り合わせには何の接点があるかといかぶしげに思いますが、バレルとフラナガンはともにデトロイト出身で少年時代からの親友だったといいます。また、コルトレーンディジー・ガレスピーのバンドに在籍中の1951年の『School Days』と『The Champ』に収録されたセクステット録音は、録音地はデトロイトガレスピーコルトレーン、バレル、ミルト・ジャクソン(ピアノ、ヴァイブ)、パーシー・ヒース(ベース)、カンザス・フィールド(ドラムス)というメンバーになっています。コルトレーン25歳、バレル20歳で、ライヴ録音も同メンバーで残されていますが(発掘音源なのでリストには掲載していません)、この時期のガレスピーは良いレコードを作ってライヴの受けもいいのにリスナーからもジャーナリズムからも注目されなかった不遇の時代でした。当時のガレスピーのバンドはリズム&ブルースへ接近していたので、ガレスピーのバンドの契約満了後にコルトレーンはおそらくガレスピーのバンド在籍中に知りあったと思われるリズム&ブルースの人気サックス奏者アール・ボスティックのバンドに移籍しています。それからデューク・エリントン楽団のスター・ソロイスト、ジョニー・ホッジスのバンド・メンバーを経てマイルス・デイヴィスのバンドに抜擢されるのですが、ガレスピーのバンドでジャクソンやヒース、バレルと共演していたのは本人たち以外にはほとんど忘れられていました。ガレスピーのオリジナル「Tin Tin Dio」「Birk's Works」「We Love To Boogie」などはこのメンバーでガレスピーの定番レパートリーになったくらいで、人気と注目に後押しされていればもっと実績を残せたかもしれません。

 ですがまだ20代のジャズマンだった彼らには1951年と1958年では大きな変化があって当然で、コルトレーンやバレルほど自分のスタイルに磨きをかけてきたならなおのことになります。フラナガンデトロイトからニューヨーク進出後初参加の『Kenny Burrell Vol.2』(ブルー・ノート1956.3)以来本作でまだ満2年目にして参加アルバム36枚目、と引っ張りだこの辣腕ぶりを発揮していました。チェンバースはプレスティッジ専属ベーシストでマイルス・セクステットの同僚でもあり、ジミー・コブ(1929-2020)はマイルスのバンドですっぽかし癖に問題があったフィリー・ジョー・ジョーンズの代わりにライヴをこなしているうちに、ちょうどこのアルバムの録音翌月からフィリー・ジョーに代わる正式ドラマーになっています。プレスティッジのセッション・ドラマーはアート・テイラーの起用が多いのですがテイラーのドラムスは良くも悪くも堅実で、このアルバムを聴くとコブで良かったなあ、としみじみ思わせられます。天才フィリー・ジョーの後任に抜擢されて過小評価されがちのコブですが、それだけのセンスの良さに気づかされます。

 レコーディングはA3「Lyresto」、B1「Why Was I Born?」、A1「Freight Trane」、A2「I Never Knew」、B2「Big Paul」の順番で行われています。フラナガンのオリジナル・ブルースがA1、B2で、A1は緊密なアレンジが施されていますがB2は意図的にルーズなジャムセッション曲です。アルバムのオープニング曲になったケニー・バレルの40小節(16小節×2+8小節)のオリジナルA3はスタンダード曲「How High the Moon」を下敷きにしたものでしょう。A2とB1はスタンダード・ナンバーで、ビリー・ホリデイレスター・ヤングのヴァージョンで有名なB1「なぜ生まれたの」がギターとテナーサックスだけのデュオ編成によりギターだけのバックアップによるテナーをフィーチャーして切々と泣かせる本作のハイライト曲となり、A2はバンド編成でギターが単独でテーマと先発ソロをとります。このセッションでは全5曲以外の予備曲は録音されず、バランスのとれた選曲と構成は2曲のオリジナル曲を提供したフラナガンの仕切りでしょう。1968年のステレオ・ミックス盤再発で本作は『The Kenny Burrell Quintet With John Coltrane』と改題されましたが、コルトレーンの逝去の翌年で参加を強調していてもはっきりケニー・バレルクインテットと改題したのはプレスティッジには珍しい良心的な扱いで、セッションの仕切りはフラナガンですが狙いはケニー・バレルのリーダー作だったのがアルバム全体のムードからも感じられます。

 本作のバレルとコルトレーンは両者とも良い演奏ですが、抜群の安定感のあるバレルに対して時折コルトレーンが勢い余ったプレイを見せるのが玉にきず、といったところでしょうか。コルトレーンの演奏に関しては後のミルト・ジャクソンとの『Bags & Trane』1959.1がより良い演奏が聴かれます。もっともセシル・テイラーの『Hard Drivin' Jazz』1958.10、ドン・チェリーとの『The Avant-Garde』1960.6-7ほど無理なアルバムにはならなかったのは、トミー・フラナガンの手腕によるところが大きいと思われます。プレスティッジのハウス・ピアニストではレッド・ガーランドマル・ウォルドロンらも多数のアルバムがありますが、ソロイストそれぞれの個性を引き出すよりもガーランドはいつもガーランドでしたし、ウォルドロンはいつもウォルドロンでした。フラナガンはソロイストのバックでは最小限にリズムを刻み、ピアノのソロでも分厚いコードやアルペジオは避けてベースとドラムスの躍動感を生かした効果的なシングル・ラインのソロを弾いています。アルバム全体では佳作止まり、ハイライト曲と言えるギターとテナーのデュオ「なぜ生まれたの」もケミストリーというほどではありません。コルトレーンの後年のアルバム傾向にはロック的なギターとの相乗効果を期待させる適性があり、これがコルトレーン唯一のギタリストとの本格的コラボレーション作品と思うと物足りませんが、実態はバレルのリーダー作として聴けば親密な暖かみのある、一歩引いたところで成立して成功したアルバムと言ったところでしょうか。