人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

セロニアス・モンク Thelonious Monk - ブリリアント・コーナーズ Brilliant Corners (Riverside, 1957)

セロニアス・モンク - ブリリアント・コーナーズ (Riverside, 1957)

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セロニアス・モンク Thelonious Monk - ブリリアント・コーナーズ Brilliant Corners (Riverside, 1957) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLWuqeV9DLDpr-fLyP_LbnPU2e_I07eIZv
Recorded in October 9 (A2, B1), October 15 (A1), and December 7 (B2, B3), 1956
Released by Riverside Records RLP 12-226, 1957
All songs written and composed by Thelonious Monk except where noted.

(Side 1)

A1. Brilliant Corners - 7:42
A2. Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are - 13:24

(Side 2)

B1. Pannonica - 8:50
B2. I Surrender, Dear (Harry Barris) - 5:25
B3. Bemsha Swing (Thelonious Monk, Denzil Best) - 7:42

[ Personnel ]

Thelonious Monk - piano; celeste on "Pannonica"
Ernie Henry - alto saxophone on A1, A2, B1
Sonny Rollins - tenor saxophone
Oscar Pettiford - bass on A1, A2, B1
Max Roach - drums, timpani on B3
Clark Terry - trumpet on B3
Paul Chambers - bass on B3

(Originally Riverside "Brilliant Corners" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 この『ブリリアント・コーナーズ』はジャズのアルバム・ガイド類ではセロニアス・モンクの代表作に必ず上げられ、最高傑作と評価されることが多い作品です。異論はありませんし、モンク畢生の傑作と言ってもいいくらいの力作なのですが、モンクの音楽を最初に聴くにはあまり勧められないアルバムでもあります。このアルバムの面白さや傑出した内容はモンクの音楽に馴染んでからようやくわかってくる厄介な性質のもので、すぐに楽しめて飽きずに聴けるモンクのアルバムなら『セロニアス・モンク・トリオ(Thelonious Monk Trio)』1956、『ミステリオーソ(Misterioso)』1958、『ファイヴ・バイ・ファイヴ・バイ・モンク(Five by Five by Monk)』1959、『モンクス・ドリーム(Monk's Dream)』1963、『アンダーグラウンド(Underground)』1968あたりがいいでしょう。本作はモンクの作品歴の中でも突出したアルバムですが、単にジャズばかりかモンクというアーティストの音楽性に通じていないとあまり楽しめない可能性があり、力作すぎてくり返し聴くにはしんどい作品になってもいます。アルバム全5曲中大作の3曲が新曲で、ソロ・ピアノの小品B2と既発表曲の再演B3はアルバムの収録時間合わせのために追加録音されました。他にも用意された新曲があったかもしれませんが、本作の録音は非常に困難で、本来予定されていた2回のセッションでやっと新曲3曲を録音した難航状態だったので、あと2曲加えてアルバム1枚分にするには既発表曲でよしとされたようです。

 本作の録音は1956年10月・12月で、この1956年はアメリカのジャズではそれまで実験的とされた傾向のアーティストから優れたアルバムが生まれた年になり、1959年にははっきり新旧世代の交替を促すようなアルバムが現れます。1956年にもっとも尖鋭的なジャズはチャールズ・ミンガス『直立猿人(Pithecanthoropus Erectus)』(1月録音)に始まり、レニー・トリスターノの『鬼才トリスターノ(Tristano)』やマイルス・デイヴィスクインテットの四部作、偶然同日(9月27日)に録音された新人ピアニストによる『ジャズ・アドヴァンス(Jazz Advance)』(セシル・テイラー)と『ニュー・ジャズ・コンセプション(New Jazz Conception)』(ビル・エヴァンス)を経て『ブリリアント・コーナーズ』に終わったと言えます。ミンガスもモンクもこの時点では黒人ジャズきっての前衛派アーティストと目されていました。大作『直立猿人』は情感への訴求力が強いアルバムですから初めてミンガスの音楽を聴く人にも勧められる傑作ですが、モンクの音楽はもともと抽象度が高い上に、他の名作では適度に調整されたテンションが『ブリリアント・コーナーズ』では息の抜けないほど張りつめているきらいがあります。ソニー・ロリンズ(テナーサックス)、オスカー・ペティフォード(ベース)はまだしも、マックス・ローチ(ドラムス)の演奏がリラクゼーションを許さない形跡があることもその印象を強めています。追加録音ではアーニー・ヘンリー(アルトサックス)とペティフォードのスケジュールが合わず名手クラーク・テリーポール・チェンバースが呼ばれましたが、これも本来なら10月の2回のセッションで完成する予定のアルバムだったことによります。

 というわけでローチを槍玉に上げましたが、もともとローチが相性がいいピアニストはハイテンションが身上のバド・パウエルなので、モンクにはローチのようにビートを細分化させるのではなく、推進力に徹したアート・ブレイキーの方が相性が良かったとも言えます。もっとも『ブリリアント・コーナーズ』の新曲A1、A2、B1がモンクきっての難曲だったのも力みの強い原因になっており、2回もスタジオに入って3曲しか録音できず、タイトル曲「ブリリアント・コーナーズ」などはワンコーラスが28小節(8小節+6小節+14小節)×2プラス倍テンポで28小節(8小節+6小節+14小節)プラス元テンポで28小節(8小節+6小節+14小節)という、曲のどこをどちらのテンポで演っているのか演奏者もリスナーも振り落とされる構造になっているのです。しかもこの曲は12テイクを録音しましたが結局完奏テイクが録音できなかったので、プロデューサーのオリン・キープニーズによるテープ編集で完成させたのがアルバム収録テイクだったとモンク没後にボックス・セット化されたリヴァーサイドのモンク全集でキープニーズ自身によって公表されました。この曲は後にチャールズ・トリヴァー(トランペット)・クインテットがライヴで完全再現してみせましたが(オムニバス『ニュー・ウェイヴ・イン・ジャズ(New Wave in Jazz)』1965収録)、この曲をレコードで聴きこんだジャズマンがライヴで完奏できるまで10年かかったわけです。モンク本人ですらこの曲をライヴでは演奏しませんでした。だいたいモンクのオリジナル曲はそういう数学的発想から出来ているので、本作ほど難曲ぞろいの場合にローチのドラムスで無理だったなら、なおさらブレイキーではお手上げだったでしょう(ブレイキーには力押しという必殺技がありましたが)。

 ミンガス、後にはオーネット・コールマンのオリジナル曲にも変拍子は頻発しますが、良くも悪くもエモーションの発露としてエネルギーを蓄積・放出するための表現であって美術で言えば表現主義に相当するのに対し、モンクの変拍子はエモーションとは別の幾何学的発想から音楽の面白さを作り出そうというもので、指向性としては表現主義とはまったく逆の抽象性が見られます。2サックス・クインテット編成のフォーマットの中で、アルバム『ブリリアント・コーナーズ』はモンクの全アルバム中もっとも高い抽象度を達成した作品といえます。しかし音楽には音楽なりに抽象性の限界があって、名作と言えるモンクの他のアルバムでは(ピアノ・トリオ作品、ソロ・ピアノ作品でさえも)素朴に演奏自体を楽しんでいる情感、楽曲に仕掛けた工夫に対する興味に由来した無邪気な遊戯性があり、その無邪気さがモンクの音楽では情緒的な感動とは別種の喜びになっています。モンクの一番弟子だったバド・パウエルほど技法的にモンクとかけ離れたピアニストはいませんが、バドの演奏はエモーションの爆発的発露のあまりエモーション自体は蒸発して、演奏行為そのものが表現目的を達成しているかのような無意味に近づきます。バドの成功した演奏はおおむねその域に達しており、イノセンスの純度でモンクの音楽と同質のものとも言えるのです。

 モンクのアルバムでは参加ミュージシャンの同化力が音楽の成否を分けているとも言えて、モンク自身はピアノ・トリオにテナーサックスのワンホーン・カルテットを好んでいました。またテナーサックスのアドリブ・ソロではピアノは弾かず、テナーとベース、ドラムスのピアノレス・トリオ編成になるアレンジを好みました。『ブリリアント・コーナーズ』ではアルトとテナーの2サックスの編成で、これは新曲をこなすための必要からだったでしょうが、やはりロリンズのソロは圧倒的に素晴らしく、本作の完成度の高さに貢献しています。特に「パノニカ」など、転調だらけの困難なコード進行でのソロを事前に作曲してあるかのようになめらかに吹いています。アルトのアーニー・ヘンリーは翌年12月、31歳で急逝してしまいますが、ブルース曲A2ではまるでエリック・ドルフィーを先取りしたような異次元空間に突入しています。何か演奏中に別のサウンドが聴こえてこないとこういうラインは吹けないでしょう。音色的にも破綻寸前で吹いているのがはっきりわかるので、本作の発売当初の不評はヘンリーの異様なプレイに集中したそうです。ヘンリーには4枚のリーダー作がありますが、ヘンリー自身のアルバムでもここまでやばいプレイは聴けません。このA2はタッド・ダメロンのバンドでビ・バップ全盛期からの長い下積み時代を送ったヘンリーにとって、一世一代の名演と言えるものです。

 ビ・バップの発祥についてはセロニアス・モンクケニー・クラーク(ドラムス)が主催したジャムセッションを起源とするのが定説で、ジャズマンたちの証言も残された音源もそれを立証しています。しかしモンク本人はビ・バップのピアニストではない、という見解がかつての日本のジャズ・ジャーナリズムにはあり、モンクやレニー・トリスターノをもビ・バップ・ピアニストとするアメリカ本国でのジャズ史観とは食い違っていました。ビ・バップを音楽技法から限定すれば、チャーリー・パーカーの技法をピアノに置き換えたバド・パウエルの系譜しかビ・バップのピアニストと認められないことになります。ですがビ・バップを'40年代ジャズのモダニズム運動とすれば、特定のスタイルのみをビバップと呼ぶ必要はありません。ミンガスは明らかにビ・バップとは別の文脈から出てきてビ・バップと遭遇したジャズマンでしたが、モンクはビ・バップの立ち上げから出発して気がつくと別の場所にいた、という人でした。トリスターノは生涯モンクを痛罵していましたが(バドには賞賛を惜しみませんでした)、実際のビ・バップの現場はモンクもバドもトリスターノも含むものだったでしょう。『ブリリアント・コーナーズ』はビ・バップのアルバムではないかもしれませんが、それ以上にハード・バップとははっきり対立する異色のジャズを生み出しています。

(旧稿を改題・手直ししました)