人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アモン・デュール Amon Duul - ディザスター Disaster - Lude Noma (BASF, 1972)

アモン・デュール - ディザスター (BASF, 1972)

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アモン・デュール Amon Duul - ディザスター Disaster - Lude Noma (BASF, 1972) Full Album : https://youtu.be/EE-JfhWMgSM
Recorded in Munich, West Germany, Late 1968
Released by BASF Records 292979-8, 1972

(Seite 1)

A1. Drum Things (Erschlagzeugtes) - 9:10
A2. Asynchron (Verjault Und Zugeredet) - 7:32
A3. Yea Yea Yea (Zerbeatelt) - 0:56

(Seite 2)

B1. Broken (Ofensivitaaten) - 7:21
B2. Somnium (Trauma) - 9:25

(Seite 3)

C1. Frequency (Entzwei) - 9:51
C2. Autonomes (Entdrei) - 5:35

(Seite 4)

D1. Chaoticolour (Entsext) - 7:56
D2. Expressionidiom (Kapuntterbunt) - 1:47
D3. Altitude (Quaar Feld Aus) - 1:00
D4. Impropulsion (Noch'n Lied) - 6:23

[ Amon Duul ]

Peter Leopold, Ulrich Leopold, Rainer Bauer, Ella Bauer, Uschi Obermaier, Helge Filanda, Angelica Filanda

(Original BASF "Disaster" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Seite 1 Label)

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 アモン・デュールが変なバンド(実際にはバンドですらなかったのですが)だったのは、2作のアルバム制作しかしなかったのに5作のアルバムがあり、そのうち2作は2枚組アルバムですから枚数にすれば7枚にもおよぶことで、そうなったのもレコード会社とは7年契約だったから、という信じがたい事情があります。デビュー作が『サイケデリックアンダーグラウンド』だったバンドにそれだけ商業的可能性があると認められたのですから、当時の西ドイツのポピュラー音楽界はとんでもない百鬼夜行の徘徊する世界だったのでしょう。アモン・デュールはコミュニストのヒッピー・コミューンだったのでアルバム契約を履行する義務などまったく考えずデビュー作の制作セッションだけで契約金をガメてしまったようです。セカンド・アルバムの『崩壊』は『~アンダーグラウンド』セッションの残りテープから編集されたアルバムでした。すでにバンドはコミューンすら解体し、音楽界から足を洗う前にリーダー格のライナーとウルリーヒが冥途の土産に制作したのが『楽園へ向かうデュール』で、これがオリジナル・デュール最後の録音になりました。ですが翌年には、セカンド『地獄』70とサード『野ネズミの踊り』71を共に二枚組アルバムで出した分家アモン・デュールIIの向こうを張ってか、おそらくメンバーが立ち会わないで4作目のアルバムが2枚組LPで発表されます。それが本作『ディザスター』で、これも『崩壊』と同じくデビュー作のセッションからの未発表部分、しかも素材段階の断片だとすぐにわかる内容でした。『崩壊』は即興セッション断片をさらに断片化し、取捨選択と編集加工の意図が感じられた、異色作ながら完成度の高いアルバムでしたが、『ディザスター』は素材も素材でセッション断片を断片のまま収めたものです。例えば「Yea Yea Yea」は『サイケデリックアンダーグラウンド』のA1中間部で使われたビートルズの「I Should Have Known Better」のでたらめヴァージョンですが、コラージュではない素のままの演奏が収録されています。アモン・デュールはデビュー作から匿名的にデータらしいデータをジャケットに載せず、唯一主要メンバー二人のデュオ・アルバム『楽園へ向かうデュール』のみにメンバーと担当楽器の記載がある程度でしたが、『ディザスター』では再びメンバー・クレジットも担当楽器の記載もなく、曲目も英題とドイツ語題が併記してある具合ですからセッション時のワーキング・タイトル(仮題)をそのまま、あるいは後付けでタイトルをつけたと思われます。本作はメンバーが編集に立ち会っていない、単なる素材録音集で、本作から巧妙に編集加工されたものが『サイケデリックアンダーグラウンド』と『崩壊』の2作だったのを明かした単なるスタジオ・セッション断片集でもあります。普通こうしたセッション素材がアルバム化されるというのはよほどの大物アーティストのヒット作、しかも数十年経ってからなのがまだ正式な解散表明もなく自然消滅、しかも兄弟バンドのアモン・デュールIIの絶頂期に便乗するようにリリースされてしまったのが本作で、どさくさ紛れにもほどがありますが、それもアモン・デュールらしいとも言える気がします。本作は日本で1995年に世界初CD化されましたが、翌1996年にフランスのSpalax RecordsでCD化された際のメーカー・インフォメーションを訳して解説に替えておきます。

 本作『ディザスター』はアモン・デュールの最初の2枚のアルバム『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』と同時に収録された、1968年録音のジャムセッションを収めたアルバムです。その2作と同様に、気まぐれな、しばしば歌詞のない合唱があり、雑多なサウンドを基調にした、ずっしりとしたパーカッションと途切れとぎれのギターをバックに歌われた曲に重点が置かれています。『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』と比較すると、本作はさらにスタジオ・ライヴに近く、録音後のダビングやエフェクト加工、リミックスの痕跡はほとんどありません。最初の2作よりも少し落ち着いた感じがしますが、『楽園へ向かうデュール』ほど甘くはありません。バンド解散後であり、2枚組LPで発表されたことからも残存音源を一掃する意図が感じられるために、本作のリリースには謎が多く、どのように企画されたアルバムだったかには疑問が残ります。とにかく、ここには確実な達成があります。 『ディザスター(災厄)』は、バンドの「とにかく何かを試してみて、何が機能するかを見る」というモットーの論理的結論と考えることもできます。 オープニング曲「Drum Things(Erschalgzuegtes)」は、『サイケデリックアンダーグラウンド』の「シュトメールが見たサンドーサの夢(Ein Wunderhubsches Madchen Traumt Von Sandosa)」と同じスタイルの古典的スタイルの長尺ジャムセッションです。この曲のエンディングには高鳴るようなドラムスに加えて、フィンガーベルのようなサウンドがパーカッション的な効果を高めています。 素晴らしいドラムスの乱打で終わる 「Somnium(Trauma)」や「Chaoticolor(Entsext)」のような他の多くの長尺曲がアルバムの大半を占めており、ほとんどが鍵となるリフから展開され、グルーヴをかもし出します。 楽曲が進むに連れ、わずかな変化が現れます。いくつかの短い楽曲は、アモン・デュールがキャッチーなポップスに近づいた演奏を示します。 ビートルズがデビューする前に半分ビートルズのようなスタイルのバンドが演奏したような見事な小曲は「Yea Yea Yea(Zerbeatelt)」という完璧なタイトルがついています。 長年にわたって不当に無視されてきた『ディザスター(災厄)』は、これを作ったアモン・デュールの自画像のようです。……素晴らしく、奇妙で、そして眩惑に満ちて!
(Ned Raggett)