人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アモン・デュール Amon Duul - 楽園へ向かうデュール Paradieswarts Duul (Ohr, 1971)

アモン・デュール - 楽園へ向かうデュール (Ohr, 1971)

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アモン・デュール Amon Duul - 楽園へ向かうデュール Paradieswarts Duul (Ohr, 1971) Full Album : https://youtu.be/LV_1LF6BMCU
Recorded in Munich, November to December, 1970
Released by Metronome / Ohr Records OMM 56.008, West Germany, 1971

(Seite A)

A1. 愛、平和、自由、そして調和 Love in Peace - 16:56

(Seite B)

B1. 雪で喉を潤し太陽の祝福を Snow Your Thurst and Sun You Open Mouse - 9:25
B2. 平行幾何学の世界 Paramechanische Welt - 7:34

(CD Bonus tracks)

4. 永久の流れ Eternal Flow - 4:14
5. 平行幾何学の世界 Paramechanische World - 5:49

[ Amon Duul ]

Dadam (Rainer Bauer) - guitars, vocal
Ulrich (Ulrich Leopold) - bass, chorus, piano
Lemur - percussion, chorus, guitars
Helga - percussion
Hansi - flute, bongos
Ella - harp, bongos
Chris - bongos

(Original Ohr "Paradieswarts Duul" LP Liner Cover & Seite 1/2 Label)

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 第1作『サイケデリックアンダーグラウンド』と1968年末に同時録音された『崩壊』を独立した第2作とすれば、アモン・デュールの第3作『楽園に向かうデュール』は1年半後のレコーディングで、メトロノーム・レコーズ傘下に創設されたアンダーグラウンド・ロックの新興インディー・レーベルOhrからシングル「永久の流れ(Eternal Flow)」と共にリリースされました。ちょうどアモン・デュールIIがセカンド・アルバム『地獄(Yeti)』を録音中で、そのアモン・デュールIIの2枚組大作の最終曲はオリジナル・デュールのメンバーがゲストして『楽園に向かうデュール』と同じ路線の作風になっています。その曲を先にご紹介しますが、『サイケデリックアンダーグラウンド』でも曲名に頻出した「サンドーズ(Sandoz)』とは当時西ドイツで出回っていたLSDの商標名だそうです。
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Amon Duul II - Sandoz in the Rain (Improvisation) (from the album "Yeti", Liberty, 1970) : https://youtu.be/iKSjmhsEdcE

 この第3作『楽園へ向かうデュール』にしてもシングル「永久の流れ」やデュールIIの『地獄』でゲスト参加した「雨の中のサンドーズ」にしても、あまりに『サイケデリックアンダーグラウンド』や『崩壊』からの変貌ぶりに驚きますが、『楽園に向かうデュール』は実質的にはすでに解散状態にあったアモン・デュールのギターとヴォーカルのダダム(ライナー・バウアー改名)とベースのウルリーヒだけが残って制作した沈鬱なアシッド・フォーク・ロックのアルバムです。強烈凶暴な『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』の抜け殻か残骸のような作品でもありますが、アモン・デュールのサイケデリック感はアメリカやイギリスのフラワーなサイケデリアとは違う自己破壊的なバッド・トリップ感覚でしたから、本質的な部分では変化はないとも言えます。A面1曲、B面2曲と『サイケデリックアンダーグラウンド』同様に大作を連ねた構成に見えますが、スローテンポのシンプルな曲をだらだらやっているから長いだけで、本作の場合はそれが悪夢的で陰鬱なムードとアルバムのトータル感を高めています。3~4分前後の曲を10曲前後収める標準的な構成だったら本作のような効果は出なかったでしょう。前2作では編集やエフェクトによって演奏断片を巧妙にアルバム化していましたが、本作では録音作品的なギミック以前にシンプルながら作曲とアレンジにも冴えを見せており、A1に顕著ですが二本のギターとベースがさりげなくズレたリフでポリリズムを作り、ヴォーカル・パートではいつの間にか転調しているなど曲作りもうまく、はっきり詞が聴きとれる英語詞のヴォーカルもしっとりとした良いものです。B1は5分半目から曲調が変わってアコースティックなアンサンブルになりますが、ジェファーソン・エアプレインの「Comin' Back To Me」のギター・リフがさりげなく出てきます。B2もギターが弾いているのはニール・ヤングの「Down By the River」です。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982)の長編映画(制作順)第8作『ニクラスハウゼンへの旅』(1970年10月)はペーター・ラーベンの音楽監修の下アモン・デュールIIが出演・演奏していますし、同作より早く制作された第5作『リオ・ダス・モルテス』(1971年2月)ではやはりラーベン音楽監修でパールズ・ビフォア・スワインのデビュー作『One Nation Underground』(ESP・1967年10月)がBGMに使われ、この2作はどちらも西ドイツのヒッピー映画ですからアモン・デュールIIの支持層や当時西ドイツではニューヨークのインディーのパールズのESP盤まで日常的に聴かれていたのがわかります。映画からもそうした背景が伝わるので、エアプレインは1967年2月、ニール・ヤングは1969年5月のアルバムですからアモン・デュールのメンバーが聴いていないはずはありませんが、パクりでもオマージュでもない堂々とした本家どりになっています。また、このアルバムは歌詞だけでなく、曲名や担当楽器クレジットも相変わらずのニックネームだけながら英語表記になりました。本作はメトロノーム・レコーズとの契約満了のため制作されたとおぼしく、プロ・ミュージシャンのバンドだった分家のアモン・デュールIIが国際的活動に進出したのに対してアモン・デュールのメンバーはほぼ消息を絶ってしまうので英語詞に国際進出の意図はなかったでしょうが、完全な解散後に発表された未発表テイク集『Disaster』1972、『Experimente』1984を含めて全5作のアモン・デュールのアルバムでは唯一ロック、フォークらしい作風に近づいています。もともとアモン・デュールに曲らしい曲や歌詞らしい歌詞は出てこないのですが、本作(とシングル「永久の流れ」、アモン・デュールII『地獄』へのゲスト参加曲「雨の中のサンドーズ」)では英語詞を採用することでデュールとしては例外的に曲らしい曲、歌らしい歌になったと言えそうです。

 アモン・デュールのアルバムは著作権が長く不明だったためCD化が遅れ、海賊盤を除けば1995年に初めて日本のインディー・レーベルで初の一斉CD化が行われました。著作権はなぜかアモン・デュールIIのクリス・カーレルとペーター・レオポルド(アモン・デュールのウルリーヒの兄弟)が保有しており、オリジナル・デュールのメンバーは唯一ライナー・バウアーがハード・ロック・バンドの「Gift」に参加したのが確認されているだけで、バウアー含めて以後消息不明になっています。本作がアシッド・フォーク・アルバムになったのはやはりデビュー作、セカンド・アルバムで過激な作風だったヴェルヴェット・アンダーグラウンドが一転してアシッド・フォーク的なサウンドに転じたサード・アルバム(1969年)が念頭にあったのかもしれませんが、この失踪予告のようなアルバムのタイトルが『楽園に向かうデュール』とは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド以上のダウナーなユーモアを感じさせます。アモン・デュールがヴェルヴェット・アンダーグラウンド影響下に生まれたバンドだったのは確かだったとしてもアモン・デュールにはルー・リードジョン・ケイルのような強力な音楽的リーダーはおらず、『サイケデリックアンダーグラウンド』と『崩壊』もアモン・デュールIIを結成して離れていくメンバーが残していった音楽的モチーフを素材にしたものでした。『楽園へ向かうデュール』はライナー・バウアーとウルリーヒ・レオポルドのデュオに旧メンバーがサポート程度に協力したもので、アシッド・フォークのシンガー・ソングライター作品として聴けるアルバムでもあり、完成度も『サイケデリックアンダーグラウンド』や『崩壊』とは異なる方向性の作風で非常に高く、ジャーマン・エクスペリメンタル・ロック再評価の先鋒をなしたジュリアン・コープの『Krautrocksampler』ではオリジナル・アモン・デュールのアルバムでは本作が最高傑作とされています。しかし実質的な一時的再結成アルバムの本作は1作きりのプロジェクトであって同じ路線で次作を作れる性質の作品ではないのも明らかで、オリジナル・デュールの音楽性は全盛期メンバーによる'90年代の再結成以降今なお現役活動中(結成52周年!)のアモン・デュールIIに吸収されたと見なされている観があります。LSDは強烈な統合失調様状態の幻覚を引き起こし、その常用は重篤統合失調症に至らしめることが'70年代には判明しましたが、本作はヒッピー文化がまだLSDに感覚拡張の可能性を見ていた時代の作品です。実際当時の多くのアーティストが重篤な病状に陥り活動を絶っています。アモン・デュールIIの長いキャリアからすればオリジナル・デュールは初期の短命なサブ・プロジェクトだったとも言えるので、オリジナル・デュールは短命に終わるべくして終わった存在でもあるでしょう。逆に『サイケデリックアンダーグラウンド』『崩壊』『楽園へ向かうデュール』の3作の強力な刹那的感覚はデュールIIではもっと音楽的発展性があるものだったので、バッド・トリップのまま廃疾者のように失踪してしまったオリジナル・デュールの方はおそらく今後も復帰・再結成など考えられず、その感は『楽園へ向かうデュール』でもっともぎりぎりの淵で暗く陰鬱に表れていて、このどこまでも沈んでいく音楽的な闇はピンク・フロイドの『狂気』『炎』『ザ・ウォール』を予告して、しかもフロイドの比ではありません。しかもオリジナル・デュールは完全に消滅したその後もメンバー消息不明のまま未発表音源の発掘リリースが続くのです。