人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ワパスー Wapassou - ミサ・ニ短調 Messe en re mineur (Crypto, 1976)

ワパスー - ミサ・ニ短調 (Crypto, 1976)

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ワパスー Wapassou - ミサ・ニ短調 Messe en re mineur (Crypto, 1976) Full Album : https://youtu.be/Fd6_p6mB1Po
Recorded at Studio les Pieds dans l'Eau, Antibes, July 1976.
Engendered by Bernard Belan
Mixed by Fernand Landmann and Frederic Fizelson
Released by Disques WEA / Crypto ZAC 6401, 1976
Produced by Jean-Claude Pognant
Composed by Freddy Brua

(Face A)

A1. Messe en re mineur - 15:57

(Face B)

B1. Messe en re mineur - 24:00

[ Wapassou ]

Freddy Brua - claviers
Karin Nickerl - guitares et basse
Jacques Lichti - violon
et.
Eurydice - chant

(Original Crypto "Messe en re mineur" LP Liner Cover & Face A Label)

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 まるで山村暮鳥詩集『聖三稜玻璃』のようなジャケットの本作収録曲は、レコード・ジャケットにもLPレーベルにも「ミサ・ニ短調(Messe en re mineur)」と載っているだけですが、A面は15分57秒のパート1、B面は24分のパート2で、CDでは39分57秒の全1曲になっています。ジャズや民族音楽系でLPの面をまたぐ場合は即興演奏のためフェイド・アウトでパート1が終わりフェイド・インでパート2が始まる編集が多いのですが、本作は基本的にはテーマと変奏で展開されながらもアレンジ、即興パートともに整理されたもので、楽章の長いクラシック曲のようにきちんと楽節で切れており、その分AB面が不均等ながらもフェイド・アウト~インによる重複はなくCDでは完全に全1曲となっています。ワパスーがジャン=クロード・ポニャンのクリプト・レーベルに所属して制作した三部作、本作『ミサ・ニ短調』1976(Crypto ZAC 6401・WEA配給)と『サランボー(Salammbo)』1978(Crypto ZAL 6437・RCA配給)、『ルートヴィッヒ2世(Ludwig, un roi pour l'eternite)』1979(Crypto ZAL 6477・RCA配給)はいずれも同様の構成を持っており、アルバム・タイトル曲だけで全1曲(『ルートヴィッヒ2世』のみ最後に短いエピローグ曲が入りますが)の大作で、自主制作盤だった第1作『ニンフの泉(Wapassou)』ではA面3曲・B面2曲が独立した構成で歌詞つきのヴォーカル曲もありましたが、クリプト三部作では歌詞なしのスキャット~ヴォーカリーズのみに徹底することになります。本作のモチーフは『ニンフの泉』A3の『音楽幻想(Musillusion)』をそのまま使ったものですが、楽曲によって多彩な楽想を見せ、ゲスト・ミュージシャンにヴォーカル、フルート、クラリネットシタール、ベース、ドラムスを招いた『ニンフの泉』から本作では女性ヴォーカル(スキャット)以外のゲスト参加は一切なく、録音エンジニアは『ニンフの泉』と同じベルナール・ベランを起用し、前作ではメンバー扱いだったサウンド・エフェクト担当のフェルナン・ランドマンはメンバーから外れてミキサー担当スタッフになって正規メンバーは作曲を手がけるリーダーのフレディ・ブレア(キーボード)にジャック・リュシュティ(ヴァイオリン)、女性ギタリストのカラン・ニッケルの3人に固定されることになりました。

 良く言えば多彩、悪く言えば散漫だった自主制作盤『ニンフの泉』から本作への進展とスタイルの確立、完成度の高さは目覚ましいほどで、これもアイアン・バタフライの「ガダ・ダ・ビダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」やマグマの「コーンタルコス(Kohntarkosz)」のような基本モチーフだけの大作曲の系譜にあるものですが、ワパスーの本作ではおよそ他のバンドでは通用しないような稚拙なメンバー、しかもボトムとなるリズム・セクションなしの編成で音楽が成立しており、シンセサイザーの導入を中心とした音色の異様さと隙のないアレンジだけでつたないヴァイオリン、たどたどしいギターがつむぐワパスー独自の作風が一挙に成立しているのは呆気に取られます。いわゆるテクニカルな側面は一切なく、プレイヤーとしてはワパスーのメンバーはロック史上最低限の演奏力しか持ち合わせていないものですが、シンプルなモチーフに全力をそそいでひたすら音色とアレンジに工夫を凝らすことで40分飽きさせないだけの達成を示しており、一般的なロックらしいビートの躍動感にはほとんど顧慮せずにロック文脈での大作組曲を成立させています。黒人音楽的要素は皆無ですがジプシー音楽的な民族性がこれをアカデミックな室内楽とは異なるロック作品としており、電子音楽としても非常にユニークな仕上がりになっています。フランスの電子音楽系ロックはドイツや英米よりやや遅れて出発しているのですが、ドイツ=ゲルマン系の発想が分析的であり、英米アングロ・サクソン系の発想が実用的であるのに較べ(またスラブ的発想が倫理的なのに対して)、ラテン系の発想は解剖学的なものなのに特色があり、たとえばキリンを定義するのにゲルマン系では運動能力の分析から入り、アングロ・サクソン系では生態の把握から定義し、スラブ的には有害無害の基準から量るのに対して、ラテン系では解剖学的に「胴体は羊、四肢は馬、頭部は鹿」と把握します。ワパスーのアンサンブルはそのようなもので、キーボードとヴァイオリン、ギター、スキャットは別々のパーツと捉えてそれぞれが固有に独立した機能を持ち、キメラ的に組み合わされている発想にドイツや英米電子音楽とは違った特色があります。これはフランスでは一見ワパスーとは対照的にヘヴィなエルドンの電子音楽にも見られるので、エルドンの場合は微分的なリズム・セクションに幾何学的なエフェクトが重なる上にジミ・ヘンドリックス直系のギターが乗るというキメラ的、またはフランケンシュタインサウンドになっています。ワパスーでもサウンド傾向は違えサウンドのアンサンブルには同じ発想によるので、三部作は『サランボー』でさらに、『ルートヴィッヒ2世』ではこれ以上突きつめるとアンサンブルとして成立しないほどぎりぎりに楽器ごとの異様な音色が追究されます。ワパスーのクリプト三部作はどれも良いので、サウンドのバランスに好きずきが分かれるようなものでしょう。本作はその最初の作品であることで三部作中もっとも聴きやすい内容です。またワパスーのクリプト三部作はゴスやアンビエントを先取りしたような、のちの音楽シーンからさかのぼってみればむしろ親しみやすい作風の、非常に完成度の高い作品でもあります。聴きようによっては2000年代以降のアニメのサウンドトラックのようにも聴けるのです。