人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ワパスー Wapassou - ルートヴィヒ2世 Ludwig, un roi pour l'eternite (Crypto, 1979)

ワパスー - ルートヴィヒ2世 (Crypto, 1979)

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ワパスー Wapassou - ルートヴィヒ2世 Ludwig, un roi pour l'eternite (Crypto, 1979) Full Album : https://youtu.be/9WQUB-6cKGM
Recorded & Mixed at Omega Studio, Strasbourg, November 1978
Released by Disques RCA / Crypto ZAL 6477, 1978
Sound Engendered by Francis Adams & Fernand Landmann
Produced by Jean-Claude Pogmant
Music by Freddy Brua except as indicated
Arrangements by Wapassou
Lac de Strasbourg 1886 by Richard Wagner
L'adieu au loi : Music by Freddy Brua and Arrangements and Directions by Marc Dolsi

(Face 1)

A1. ルートヴィヒ2世・永遠の狂王 Ludwig, Un Roi Pour l'eternite - 18:00

(Face 2)

B1. ルートヴィヒ2世・永遠の狂王 Ludwig, un roi pour l'eternite (suite) - 16:02
B2. スターンベルグの湖・1886年 Lac de Starnberg 1886 (Richard Wagner) - 1:16
B3. 国王への告別 L'adieu au roi - 2:10

(1994 CD Bonus track)

4. ヌーボー・ロマンへの讚歌 Hymne Au Nouveau Romantisme

  • 6:25

[ Wapassou ]

Freddy Brua - claviers
Karin Nickerl - guitares et basse
Jacques Lichti - violon
Giselle Landmann - light-show
Fernand Landmann - son
et.
Veronique Nickerl - chant
Marc Dolisi - ARP synthesizer on "L'adieu au roi"

(Original Crypto "Ludwig, un roi pour l'eternite" LP Liner Cover & Face 1 Label)

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 自主制作盤でまだ習作的なデビュー作『ニンフの泉』1974、インディー・レーベルながらメジャー配給のクリプト・ディスクに移ってLPのAB面を通してアルバム全1曲の大作に規模を拡大し一気に作風を確立した第2作『ミサ・ニ短調』1976、第3作『サランボー』1977までワパスーのアルバムはどれも良いですが、最高傑作を上げるなら『ミサ・ニ短調』『サランボー』に継ぐ三部作の最終作になった本作『ルートヴィヒ2世』でしょう。構成はAB面を通して35分におよぶアルバム・タイトル曲「ルートヴィヒ2世・永遠の狂王」がくり広げられ、ワーグナーの『パルシファル』の一節をモチーフとした1分16秒の小品「スターンベルグの湖・1886年」を挟み(これはルートヴィヒ2世が溺死した変死体で発見された湖と没年を示します)、最後にゲスト参加のマルク・ドルシにアープ・シンセサイザーとアレンジの協力を仰いだ2分10秒の小品「国王への告別」で終わります。アルバム全編がシームレス(曲間なし)なので末尾の2曲も実際はタイトル曲「ルートヴィヒ2世・永遠の狂王」のコーダ部分をなし、ルートヴィヒ2世が寵愛したワーグナーのモチーフとマルク・ドルシのゲスト参加をクレジットするために一応曲として分けられた、と言っていいでしょう。また本作は1994年の初CD化に当たって6分25秒の未発表曲「ヌーボー・ロマンへの讚歌」が追加されましたが、作風は本編と変わらずややリズミックで、アンコール的に収まっているので違和感はありません。この追加曲によってさらに雄大な規模を感じさせるアルバムになっているので、未発表曲の追加も妥当でしょう。またワパスーの『ミサ・ニ短調』以来の大作は2分~4分、6分の楽章を連続させることで成り立っているので、リズミックな仕上がりになった「ヌーボー・ロマンへの讚歌」は本編の中間部への収まりには不適当とされオミットされた楽章と推測できます。『ミサ・ニ短調』の冒頭モチーフが自主制作盤の『ニンフの泉』の1曲からの転用だったように、本作冒頭2分間のモチーフは前作『サランボー』のB面「パート2」の8分40秒台からの2分間で既出していますが、テーマを奏でるキーボードの音色とアレンジがまったく違うため一聴してすぐにはわかりません。『サランボー』ではその楽章からさらに大きく展開するので経過部分として聴き流してしまうからですが、本作冒頭では同じモチーフがこんな音色聴いたことがない、と仰天するようなアープ・シンセサイザーの音色設定で奏でられます。コード進行を暗示する26秒を過ぎてからこの主旋律は出てくるのですが、あまりに突拍子もない音色なのでこの26秒目から最初の楽章の終わる冒頭2分間で意識は持っていかれます。ワパスーの音楽は本質的にはトリップ・ミュージックで、'70年代の使用機材からインストルメンタルプログレッシヴ・ロック的に聴けもしますが、本作はドイツ分領時代のバイエルンの「狂王」ルートヴィヒ2世への葬送曲であり、テーマ的にも現代ミサ曲『ミサ・ニ短調』、古代カラタゴ戦争の悲劇の巫女への挽歌『サランボー』を継ぐものです。

 本作の題材となっているルートヴィヒ2世(Ludwig II.・1845年8月25日生~1886年6月13日没、第4代バイエルン国王在位1864年1886年)についてはそれこそ森鴎外からルキノ・ヴィスコンティにいたるまで多くの文学・芸術作品によって語られているので、手軽にウィキペディアにでも当たられればその奇人ぶり、「狂王」と呼ばれるゆえんが簡単に調べられます。ジーバーベルグのパロディ的な伝記映画のようにドイツ人自身には19世紀分領制時代のドイツならではの極端な悪趣味を示すシンボルとしてもとらえられていますが、ワパスーの本作は物語的な発想ではないのでそういう地方国の王様がいた、というくらいでいいでしょう。本作ではゲストに女性ギタリストの妹が呼ばれ、バンドはライトショウ担当、エンジニア担当のメンバーが正式参加となっていますから本作をライヴで再現するにはライトショウとエンジニアが不可欠だったとバンド自身がアピールしており、裏ジャケットにもこの2人は正式メンバーとして写真が掲載されています。つまりこのアルバムは一種の舞台音楽として制作されたもので、俳優のいない無言劇(女声スキャットは入りますが、これまでのワパスー作品の中でスキャット・パートはもっとも切りつめられ、その代わり集中して効果的に用いられています)としてライヴ演奏されたのでしょう。デビュー作では女性ギタリスト自身が歌っていましたが、編集によってさまざまな楽章がつなぎ合わされているにしても録音自体は楽章ごとにほとんどオーヴァーダビングなしに録音され、そこで女性ギタリストの実妹スキャット参加や、コーダ曲のみのアープ・シンセサイザーのゲスト参加が必要とされたと推定されます。ライヴではバンド・メンバー5人(うち2人は専任スタッフ)のみで本作全編が再現されていたようです。

 ワパスーの演奏力はミュージシャンとしてはこれ以上拙くては音楽にならないほどで、センスとアイディアによってのみ成立しているようなものでした。また一般的にファンタジー(幻想性)とイマジネーション(想像力)ではファンタジーだけでは作品にならず、作品の成立にはより意識的なイマジネーションが不可欠ですが、その点でもワパスーはファンタジーとイマジネーションの分化が明確ではなく、必ずしもイマジネーションの強さによって成り立っている音楽とは言えませんでした。センスとアイディア頼りの音楽作品ならではの弱点と強みがワパスーのアルバムには混在しており、その意味では非常に限界と制約を抱えた存在だったと言えそうです。自主制作盤のデビュー作のみにドラマーのゲストを迎え、クリプト三部作ではベースもドラムスも入らない音楽に徹底していたのはワパスーの力量ではベースとドラムスを伴うアンサンブルが不可能だったことにもよるでしょう。楽想は多彩ですが決して豊富とは言えないのもモチーフの重複使用に表れています。しかし本作ではすべてがプラスに働き、一世一代とも言えるアルバムを作り上げたのです。クリプトを離れた次作ではドラマーを正式メンバーとし、またソウル色の強い女性ヴォーカリストを迎えましたが、ワパスーの個性は霧散してしまいます。ワパスーはかろうじて'80年代半ばに本格的なロック指向のギタリストを迎えて最終作を出しましたが、クリプト三部作までのユニークな個性を取り戻すことはできませんでした。アマチュアリズムの産物というよりも、本作のワパスーの達成は印象派より前のフランス音楽、カミーユ・サン=サーンスセザール・フランク、ガブリエル・フォレら教会音楽系の作曲家の音楽を思わせる慎ましいもので、アーリア系のアングロ・サクソン~ゲルマン的発想による英米ロックやドイツの電子音楽とはまったく異なる感性を感じさせます。多楽章構成なのに組曲的な構築性をほとんど感じさせず悠然と流れていく点でもいわゆるプログレッシヴ・ロック、シンフォニック・ロックとはまったく違う浮遊感と自発的な流動性に富んだもので、『ミサ・ニ短調』『サランボー』そして本作と三作を重ねてようやく十分な達成を見たものでした。ワパスーが職人的なミュージシャンの集まりならば本作を最後に行き詰まることもなかった代わりに、クリプト三部作のような音楽を作り出すこともできなかったでしょう。本作はそういったバンドの畢生の一作です。また本作は冒頭2分間のモチーフだけでも不朽の作品になっています。本作を生み出すためだけにワパスーは存在していたと言っても悔いの残らないものです。それで十分ではないでしょうか。