人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

バートン・グリーン・カルテット Burton Greene Quartet (ESP, 1966)

バートン・グリーン・カルテット (ESP, 1966)

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バートン・グリーン・カルテット Burton Greene Quartet (ESP, 1966) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nf3mRd6mtnXPUIEM5wnJOTqybHVdAgYX8
Recorded in January 1966.
Released by ESP Disk ESP 1024, 1966
All written by Burton Greene
(Side A)
A1. Cluster Quartet - 12:08
A2. Ballade II - 10:34
(Side B)
B1. Bloom In The Commune - 8:04
B2. Taking It Out Of The Ground - 13:02

[ Burton Greene Quartet ]

Burton Greene - piano
Marion Brown - alto saxophone
Frank Smith - tenor saxophone (B2 only)
Henry Grimes - bass
Dave Grant - percussion (A1, B1, B2)
Tom Price - percussion (A2 only)

(Original ESP "Burton Greene Quartet" LP Liner Cover & Side A Label)
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 年末年始でもこのブログはかまわず平常運転でいきます。本作の主役、バートン・グリーンは1937年イリノイ州シカゴ生まれで、ご覧のジャケット写真の通り19世紀のデカダン詩人のような容貌が目を惹く白人ジャズマンとしてフリー・ジャズ界から活動を始めた珍しいピアニストでした。白人ジャズ・ピアニストでフリー・ジャズに移り、やはりESPディスクからフリー・ジャズ作品を発表した先輩格にはポール・ブレイがいましたが、ブレイはハード・バップ時代にチャールズ・ミンガスマックス・ローチの共同レーベルのDebutからデビューし、ビル・エヴァンスとピアノ・デュオ作品で共演し、ソニー・ロリンズのサイドマンも勤め、オーネット・コールマンをバンドメンバーに迎えた実績があり、いわば出自のしっかりしたジャズマンでした。グリーンはと言えば最初からフリー・ジャズのピアニストとしてデビューしたので、このアルバムや当時のライヴでもマリオン・ブラウンやヘンリー・グライムズ、ゲストに迎えたファロア・サンダースら黒人メンバーのプレイはいいのにグリーンのピアノは駄目、とジャーナリズムの不評をこうむることになりました。結局グリーンはフリー・ジャズに見切りをつけて新発明のムーグ・シンセサイザーに活路を見出し、メジャーのコロンビアにシンセサイザー音楽のアーティストとして迎えられ、シンセサイザー・アルバム『Presenting Burton Greene』で再デビューし、'70年代はグリーン自身の創設した自主レーベルで順調に新作を発表する実験音楽家になります。

 グリーンが不運だったのは、当時フリー・ジャズ支持者のインテリのジャズ批評家やリスナーの大半は白人黒人問わずフリー・ジャズを急進的かつ尖鋭的な黒人ジャズ運動と考えていたことで、一部の白人ジャズマン(主に黒人ジャズマンのサイドマン出身者)を除いては認められるのが難しかった事情があります。フリー・ジャズというと滅茶苦茶や出鱈目という安易なイメージがありますが、実際のフリー・ジャズのほとんどは調性もあれば和声も旋律(音階)もある音楽なので、西洋楽器を使っている以上当然そうなり、フリー系のジャズマンは演奏に肉声やノイズ的ニュアンス、または逆に極端な抽象性・幾何学性を与えることで新しい響きを出そうとしました。本作のオープニング曲A1「Cluster Quartet」などはABA'B'=26小節(先のABが14小節、後のA'Bが12小節)のシンプルでオーソドックスな変型ブルース曲で、楽曲自体に新しいアイディアはまったくありませんし、グリーンだけでなく駆け出し時代のマリオン・ブラウンもまだまだ稚拙な演奏で、凄腕ベーシストのグライムズでもっているような演奏です。しかしこれは稚拙だからこそチャーミングな演奏で、この曲ならではの輝きがあります。アルバム全編がA1の水準を保てなかった弱味が本作の愛嬌で、5分過ぎないとピアノが出てこないバラードのA2、幾何学的テーマの喧騒ナンバーB1、B2も悪くないのですが、肝心のグリーンの演奏はピアノのクラスター奏法(拳や手の平で打鍵する)、内部奏法(ピアノの弦を直接爪で弾く)、打撃奏法(ピアノ本体を叩いたり蹴飛ばしたりする)など前衛音楽的手法を駆使すればするほど、やや年長のセシル・テイラーポール・ブレイ、アンドリュー・ヒルらに較べてセンスがぞんざいでサウンドが雑というか、素人くさい演奏になってしまうのです。ライヴではマリオン・ブラウンら黒人メンバーが生彩を放っていたのにグリーンはまるで冴えなかった、ただの前衛気取りにすぎないと評されていたのも何となく納得のいくもので、アイディア倒れの白人ジャズと言っては身も蓋もありませんが、ESPディスク自体もけっこう山師的な側面も強い新興フリー・ジャズ・レーベルでしたからグリーンのようなピアニストがデビューする余地があったということです。グリーンはのちジャズ界に復帰して、本作よりぐっと落ち着いたピアニストになりましたが、ESP作品らしいうさんくささと処女作ならではの若気のいたりの良さがあるこのデビュー作はジャケットのムードも伴って今でもひっそりと長く細く愛聴されていて、巻頭曲A1と全編に漂う何となくぎくしゃくした「これじゃない」雰囲気だけでも忘れがたいアルバムになっているのはジャズ史の片隅の美談でしょう。こういうあまり出来の芳しくないアルバムほど訴えかけてくるようないじらしさがあり、馬鹿な子ほど可愛いという人情の機微に触れるものがあります。凡人や悪人だって人間には違いないように二流のフリー・ジャズだってジャズには違いないではないかとしみじみ感じいらせてくれる滋味のあるアルバムで、グリーンにはこれが本気の全力だったと思われるだけに、ますます身につまされる力作には違いありません。