人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

衝撃の『ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?』!

ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?」の表紙
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ジャガーさん東京大空襲で火だるまに 木更津高時代、1人で自動車を自作 ”千葉の英雄”自伝出版へ 驚きの秘話続々
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ヤフーニュース「驚きのジャガー自伝」https://news.yahoo.co.jp/articles/109a3f8986f8a79dec9e062c2437fe05acfc9c17
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 空襲被害に遭い千葉に疎開、高校時代にはたった1人で自動車を自作―。「故郷のジャガー星に帰還した」と10月に突如発表し、世間を驚かせた千葉のご当地ミュージシャン、JAGUARジャガー)さんが「帰還」前に執筆した自伝が17日、出版される。自ら制作した音楽番組を千葉テレビで毎週放映するという「伝説」を残したジャガーさんだが、衣装から建物まであらゆるものを自分で作ってしまう「DIYの天才」ぶりを開陳。東京大空襲の被害者であることや、疎開で千葉にやって来たこと、木更津第一高校(現・木更津高校)で東大進学を勧められるほどの秀才だったことなど、これまで明かされなかった秘話の数々を打ち明けている。
https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12702538065.html
木更津第一高校では美術部に所属。自身の絵の隣に立つジャガーさん(「ジャガー自伝」より)
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 「世」に出る前のジャガーさんの足跡はこれまで謎に包まれていたが、自伝では、1944年生まれで戦争体験者である、という驚きの事実が明かされる。 自伝によると、45年3月、「地球での仮の姿」の1歳の頃、当時家族と住んでいた東京・北千住で東京大空襲に遭遇。焼夷(しょうい)弾の炎に巻き込まれて火だるまになったが、両親が必死に消し止め命拾いをした。その後、千葉の長浦(袖ケ浦市)に疎開・転居したのが、千葉との縁の始まりだったという。 長浦小学校に通い、米軍ラジオ放送の洋楽に熱中する一方、工作にも没頭。中学時代には蒸気の力で走るリアルな機関車模型や望遠鏡を制作し、木更津第一高時代には、エンジンを積んだ三輪自動車を鈑金も含めて全て1人で作り上げた。 洋画家だった父の影響で絵画もたしなみ、高校では美術部に所属。洋裁にも夢中になり、妹にスタジャン、姉にスーツを作って贈るなど、若い頃から創造力を”爆発”させていた。 一方で学業でも秀才ぶりを発揮。高校時代は学年400人中1位をたびたび取った。教師から東大進学を勧められたが、芸術に関心があったため写真の専門学校に進んだという。 洋服直しの店を複数展開するなど経営者の顔も持つジャガーさん。自らのド派手な衣装はもちろん、旋盤加工や溶接などの技術を駆使して店舗の内装やライブハウスもDIYで制作。極め付きは市川・本八幡の3階建てビル。従業員と力を合わせ、設計、強度計算、配管、配線など「あらゆる知識を総動員して」手作りで建設したというから驚きだ。楽曲の発信のために千葉テレビの音楽番組「ハロー・ジャガー」を自ら制作したという話は知られているが、その背景には、何でも自身で作らないと気が済まない「DIY精神」があった。

ジャガーさんが高校2年生のときに自作した三輪自動車(「ジャガー自伝」より)
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「世」に出る前のジャガーさんの足跡はこれまで謎に包まれていたが、自伝では、1944年生まれで戦争体験者である、という驚きの事実が明かされる。 自伝によると、45年3月、「地球での仮の姿」の1歳の頃、当時家族と住んでいた東京・北千住で東京大空襲に遭遇。焼夷(しょうい)弾の炎に巻き込まれて火だるまになったが、両親が必死に消し止め命拾いをした。その後、千葉の長浦(袖ケ浦市)に疎開・転居したのが、千葉との縁の始まりだったという。 長浦小学校に通い、米軍ラジオ放送の洋楽に熱中する一方、工作にも没頭。中学時代には蒸気の力で走るリアルな機関車模型や望遠鏡を制作し、木更津第一高時代には、エンジンを積んだ三輪自動車を鈑金も含めて全て1人で作り上げた。 洋画家だった父の影響で絵画もたしなみ、高校では美術部に所属。洋裁にも夢中になり、妹にスタジャン、姉にスーツを作って贈るなど、若い頃から創造力を”爆発”させていた。 一方で学業でも秀才ぶりを発揮。高校時代は学年400人中1位をたびたび取った。教師から東大進学を勧められたが、芸術に関心があったため写真の専門学校に進んだという。 洋服直しの店を複数展開するなど経営者の顔も持つジャガーさん。自らのド派手な衣装はもちろん、旋盤加工や溶接などの技術を駆使して店舗の内装やライブハウスもDIYで制作。極め付きは市川・本八幡の3階建てビル。従業員と力を合わせ、設計、強度計算、配管、配線など「あらゆる知識を総動員して」手作りで建設したというから驚きだ。楽曲の発信のために千葉テレビの音楽番組「ハロー・ジャガー」を自ら制作したという話は知られているが、その背景には、何でも自身で作らないと気が済まない「DIY精神」があった。
https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12706413914.html
 「ハロー・ジャガー」が始まった経緯や、ジャガーさんの店で働いていたX JAPANのhideさんの真面目な仕事ぶり、ジャガーさんに憧れて面接に訪れた中学時代の氣志團綾小路翔さんの様子なども、本人の口から詳しく語られている。 「星への帰還」前にはビルのエレベーターを自作する計画も立て、実現していたというジャガーさん。担当編集者は「現代の平賀源内か、エジソンか、というぐらいジャガーさんは”モノづくりの天才”だった」と話す。千葉の戦後史も交えて描かれており、千葉と歩みをともにしたジャガーさんが、なぜ千葉を愛し、愛されたのかがよく分かる一冊となっている。 「ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?」(全312ページ)はイースト・プレス刊。1540円。

(「千葉日報」2021年12月6日)