余談を承知で夏休みらしい書き出しにしたい。もちろん永遠のテーマ、海と山のどちらが好きか?だ。ぼくは海にも山にも恵まれた県に育ったので義務教育で海と山の遠足があった。子供にとって、あとは親の好み次第になる。幼児の頃から海1:山3くらいの割合だった。海も楽しかったが当時の小田原の海は子供心にも汚くて、のちに恋人と茅ヶ崎に行った時も嘆息したが、葉山や三浦の海に至ってはこれが小田原の海とひと続きとは思えなかった(中学生の時に教会学校で行った大島の海は海水の澄明さよりも海風と波の激しさ、引率の女子大生のお姉さんのVゾーンぎりぎりのビキニの方が印象に残っている)。
山。これは父の趣味で、父の登山仲間とさんざん丹沢に登った。8合目?あたりにプロテスタント教会の山荘があるのだ。小学生までにはほとんど山道を覚えこんだほどだった。
一度父たちに置き去りにされたことがある。ぼくは小学生1年生、どしゃ降りの台風の日だった。予約を取り消さずに8合目まで車で登った父たちは、台風だから泊めてくれないかもしれないぞ、とぼくひとりを車に残して山荘に尋ねに行ってしまった。しばらくは平気で、次第にこのまま父たちが戻ってこなかったらどうしようと不安になり、泣き出すとどんどん恐くなってきて止まらなかった。
永遠みたいに長い時間が経ち、父たちは荷物とぼくを取りに戻ってきた。姿を見つけてぼくは車から出て泣きながら父のもとに走ったが、坂道のぬかるみで真正面にびっしょり倒れてしまった。大人たちはみんな笑った。もちろん父も。
(この話を妻にしたせいで、妻はぼくの父を常識にも愛情にも欠ける人間だと思ったようだ。確かにぼくは待ちきれずに台風の山道に出て遭難死してもおかしくなかった)。
丹沢には教会の催しで年に数度も行ったが、たぶんアレが最期かなというのが中学3年生のゴールデン・ウィークだと思う。バーベキューはともかく(沢の水で洗ったにせよ火は通す)沢の水で作ったレモンスカッシュはヤバかった。翌日登校して、下校時には高熱と吐き気で帰宅もやっと、40度の熱が72時間続いた。生水の怖さを思い知った。日本脳炎の予防接種くらい太い解熱剤の注射を往診してくださった鈴木英夫先生(北原白秋門下生の歌人でもある)に打っていただいた。
ここまでの話とタイトルに何の関係が?それは次回で!