人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病と死と信仰・後編(連作8)

(連作「ファミリー・アフェア」その8)

昔々、教会と共産党は青年男女が集える貴重な社交施設だった。小さな町に洋服店の店主が教会を建て、当初は従業員と店主の友人だけだったが、最初に洗礼を受けた男女が職場結婚することになり、初めての挙式が行われ、初めての赤ちゃんが生まれた。それがぼくだ。もう半世紀近く昔になる。今ではその教会は信徒数4000人を誇る日本有数の単立教会になっている。

小学校に上がると、ぼくは自分の受けてきたキリスト教教育の理想が現実にはまるで無力で、土足で踏みにじられているのを見た。日曜学校の生徒ですらぼくのような存在はいなかった。罪障感はあったが、ぼくもたまにはさぼることもあった。ばれると父は躊躇せずぼくを打擲した。
父は40歳の時失職した。勤めていた洋服店が大手チェーンに吸収されたからだった。もうオーダーメイドの時代ではなかった。…それから1年後に父はようやく安定した仕事に転職したが、数軒の職場を転々としていたその1年間、ぼくは毎日父に撲られていた。理由はなんでもいい。玄関の靴の揃えかた、「おかえりなさい」という口調、もうなんでもいいのだ。母がパートから帰ってくるまで怖くて仕方なかった。
さすがに母の前では無意味な因縁をつけて撲ることは滅多になかったが、そういう時は-父は一発ではなく、しつこく撲り続けるタイプだった-母は「やめて!私の子よ!」と立ちふさがってくれたものだ。
どこがクリスチャン・ホームだろうか?なんとなくわかるが、父は弟は決して撲らなかった。

父の父は靴職人で、父は50歳の時の子供。異母長兄とは25歳離れている。世代と職業から被差別部落との関係もあり得る。大酒飲みで女好き、父の実母は戦時中に鉄道自殺している。
新婚の母は父の実家を訪れ夕食の席で食卓を思いっきりひっくり返されたのを一生恨んでいた。納得。
父の家系には躁鬱の資質が相当あるようだ。男は職人、女は文科(教員、画家)。ライターというのは両者を兼ねるだろう。

母を44歳で殺したのは飲めない母を忘年会で泥酔させて急性脳梗塞に陥らせたパート先の人たちだが、本当は母を殺したのはぼくだった。ぼくは高校が嫌で嫌で登校拒否していた。
母の死の床で、牧師と父を中心に教会員が祈りの輪をつくっていた。ぼくはそれに加わらなかった。加われなかった。