人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャニス・ジョプリン(1)

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ぼくは知識がよほど偏っているのか、常識には無知なのに知らなくてもいいようなことは知っていたりする。特殊な勉強をしてきたわけではない。読書にしろ経験にしろほとんど成り行き、ぼくの知っているようなことは珍しくないと思っていた(実際ほとんどはそうだと思う)。
なので源氏物語は集団創作であるとか「奥のほそ道」はほとんどフィクションだとか、江戸川乱歩の悪辣な世渡りであるとかクリスマスはイエス・キリストの誕生日ではないとか、初めて知ったという反響には意外だった。ぼくはあまり疑問や先入観を持たない時期にそうしたことを知ったらしい。
たとえば今回の本題であるジャニス・ジョプリンのキャリアだが、一般に流布されている彼女の生涯は実像とあまりに食い違っている。皮肉にもジャニスの没後間もなく優れた伝記・資料書「ジャニス」と生前のライブ映像をふんだんに使ったドキュメンタリー「ジャニス」がまとめられているのに、実像よりも伝説化・神話化の方が浸透してしまった。これは人々の願望の方が事実を上回ってしまったといってよい。
たとえば新潮文庫「ロック~ベスト・アルバム・セレクション」89年(原著74年)ではジミ・ヘンドリックスの急逝(70年9月)もジャニスの急逝(同年10月)も死因はドラッグとあっさり片づけられている。確かに違法ドラッグの服用歴はあったかもしれないが、彼らが常用していたのは過密スケジュールを乗り切るための精神安定剤抗鬱剤、高揚剤と睡眠薬だった。
過剰接収はあっただろう。ジミは吐瀉物で窒息死しジャニスはアルコール・薬物の過剰効果で冷たくなってしまった。早い話が過労死だったのだ、ということは冷静に考えればわかる。ミュージシャンの仕事は基本的に夜型、しかも自宅へなど滅多に帰れないツアー生活、デビューから実働4年の間休まる暇もなかった(ジミの「アー・ユー・エクスペリエンスド?」は67年のアルバム年間1位、ジャニスの「チープ・スリル」は68年の年間1位)。
伝記を読んで気の毒なのは、晩年の彼らが共に今後は無理のない活動を望んでいて、そのためにいっそうの苛酷なスケジュールをこなしていたことだ。こういうのを単純に「生き急いだ」といっていいのだろうか?可能性はまだまだ先にある、とふたりとも考えていた。でも肉体の衰弱と破滅の速度の方が早かった。
(次回へ)