人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

The Doors' Last Stand

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1971年1月に6作目のスタジオ制作アルバム『LA・ウーマン』を録音し終え、仕上げは他のメンバーに任せてヴォーカリストのジム・モリソンはパリで恋人と暮らし始める。アルバムは4月に発表され、それまでのザ・ドアーズのアルバム同様トップ10ヒットになり高い評価を得たが、連動するコンサート・ツアーは行われず、残る三人のメンバーは作成した演奏にヴォーカルを後録りし、再調整して楽曲を完成する予定で次のアルバムの楽器パートの録音を進めていた。

パリ滞在から半年目の71年7月、モリソンは入浴中の発作で急逝する。前年9月にジミ・ヘンドリクス、10月にジャニス・ジョプリンが亡くなっており、モリソンは本心から次の'J'は自分だと怯えていたと伝えられる。
ドアーズのメンバーはモリソンが帰国しない場合はモリソン抜きでアルバムを完成させるつもりですらあった。6月から制作を始めたアルバムは8月に完成し、メンバーはフランスで葬られたモリソンの葬儀に一人も参列しなかった。
モリソン没後初のアルバム'Other Voices'は早くも10月18日に発表された。

画像4に掲げたドアーズのデビュー・アルバムのジャケットと並べただけで、もうこのバンドは中心を欠いてしまったことが痛感される。実際に、このアルバムは『モリソン・ホテル』と『LA・ウーマン』で成功した手法で制作されており、メンバーはデビュー以来不動の結束力を誇り、ジム・モリソンはカリスマ性あるヴォーカリストだったが元々作詞作曲はバンド全体のアイディアで、年長のオルガン奏者レイ・マンザレクのリーダーシップがバンドのイメージも音楽的方向性も掌握していた。だがモリソン抜きにマンザレクはドアーズのイメージと音楽を描けなかったのだ。

次の'Full Circle'(72年春録音・72年7月7日発表)がドアーズの最後のアルバムになった。ここではモリソン不在を逆手にとり、『モスキート』などはモリソン在籍後期のドアーズを再現している。
だがその方向でバンドは継続を望まず、ドアーズは解散した。78年11月18日発表の'An American Prayer'は同年『モリソン・ホテル』『LA・ウーマン』録音時のモリソンの自作詩朗読の素材テープに再びメンバーが結集して音楽作品にしたもの。ドアーズ再注目に足る、素晴らしい出来だった。