人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

原民喜の詩と死

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原爆シリーズの第二回目はいきなり極北へいく。原民喜(1905-46、図版は44歳)の作品は教科書に採用されたり新聞のコラム、テレビのドキュメンタリーで紹介されることも多いから、生涯をマイナー・ポエット(玄人受けはするが作品は売れない)で終ったこの詩人・小説家の没後の名声は痛々しくすらある。鉄道自殺によって46年の生涯を閉じるまで作品発表は自費出版か同人誌。実家の仕送りか臨時の中学教師で生計をたてていた。世代的にはいわゆる「無頼派」、太宰治坂口安吾と同時期になる。青年時代に芸者を身請けして逃げられたり、自殺未遂したり、アナーキズムコミュニズムに傾倒して挫折した経歴も太宰や高見順と共通する。
原民喜は文学仲間内では優しく温厚な人柄で慕われていた。文学仲間のひとりのお姉さんと結婚、夫婦揃って病弱で子供には恵まれず、所帯はいつも貧乏だったが、奥さんの病死(糖尿病と肺結核、戦時中では絶望的な病だ)まで仲睦まじかった。
一篇一篇丹精した、審美的で抽象度の高い短篇小説を書いていた原が、一転して広島の原爆投下の被災者として衝撃的な詩と小説を書き始めたのは、奥さんを前年に失って広島市の実家に身を寄せていた偶然による。原民喜を真に後世に残る文学者にし、やがて自殺に導いたのは生涯最大の不孝に遭遇したからだった。

短篇小説の代表作としては定評ある「夏の花」「心願の国」、驚くべきは審美的な抽象性は被災地の悲惨を描いてもまったく変っていない。この後詩を2篇抄出するが、もはや詩ですらないかもしれない。すでに死んだ人間が書いた。そう見える。

コレガ人間ナノデス/原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ/肉体ガ恐ロシク膨脹シ/男モ女モスベテ一ツノ型ニカエル/爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテクル声ハ/「助ケテ下サイ」/ト カ細イ 静カナ言葉/コレガ コレガ人間ナノデス/人間ノ顔ナノデス
(「コレガ人間ナノデス」)

水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ/死ンダホウガ マシデ/死ンダホウガ/アア/タスケテ タスケテ/水ヲ/水ヲ/ドウカ/ドナタカ/オーオーオーオー/オーオーオーオー//夜ガクル/夜ガクル/ヒカラビタ眼二/タダレタ唇二/ヒリヒリ灼ケテ/フラフラノ/コノ メチャクチャノ/顔ノ/ニンゲンノウメキ/ニンゲンノ
(「水ヲ下サイ」)