人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジ・エレクトリック・プルーンズ

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これまでいくつもの60年代~70年代バンドを紹介してきたが、一部の例外を除いて共通点がある。どこも生真面目で骨身を削るように音楽をやっていることだ。だからこそ優れたアルバムが残せたのか、音楽の印象からこちらが買い被ってしまうのかはわからない。
アメリカの60年代ロックを見るとそれは顕著で、同時期でもイギリスは輸入音楽としてのロックを真面目に追求する観が強かった。何とかオリジナリティを生み出せないものかとジャズやブルース、トラッドとのクロスオーヴァー化を図ってジャズ・ロック、ブルース・ロック、トラッド・ロックなどを編み出したのもイギリスのロック・ミュージシャンたちだ。早い話が、ロックの原産国ではない分、プロのミュージシャン意識が高かった。
アニマルズやマンフレッド・マン、アフィニティなどはロックに転向する前はジャズのオルガン・コンボだし、アレクシス・コーナーやジョン・メイオールは門下からストーンズやクラプトンを輩出したが元々はブルースの実習学校みたいなものだった。音楽を技術の体系として学んできた人たちという分、観念的な領域に陥らずに済んだのかもしれない。
何となくイギリス人=頭いい=思索的、対してアメリカ人=能天気=直感的という先入観があるが、イギリス人の場合は実務的、アメリカ人こそ観念的と言っていいと思われる。イギリスのロック・ミュージシャンは音楽を取ったら何も残らない。非常に純音楽的なわけだ。これは文学や映画などにも言える。たぶん個人主義と文化の厚みに均衡がとれているからで、良くも悪くも破滅型の芸術家は滅多に出ない。
これがアメリカとなると芸術家の末席といえるロック・ミュージシャンは存在自体が反社会的(元々ジャズ・ミュージシャンが紀元だが)な上、社会自体に文化的統一もない。泡沫的なバンドですら存在自体に意義があった。その典型がたとえばジ・エレクトリック・プルーンズである。
プルーンズはザ・シーズ、チョコレート・ウォッチ・バンドと共にロサンジェルスのちんぴらバンドで、いわゆる「ガレージ・パンク」と呼ばれた一派。暴動直前のステージと喧嘩上等な態度がガレージ・パンクのアティテュードで、曲も演奏もアマチュア並み。掲載アルバムの解説はあえてしないが、ザ・バーズやラヴ、ザ・ドアーズの陰に、こういった連中がいたのだ。