井上輝夫は1940年兵庫県西宮市生まれ。慶応大学在学中より吉増剛造らと同人誌活動。処女詩篇『あたらしい黄金の力を』は1962年9月発表、ただちに若手詩人中のカリスマ・堀川正美に称賛されるが、フランス文学研究者の道に進み、詩集刊行もやっと1975年になってからだった。
『あたらしい黄金の力を』
おお あたらしい黄金の力よ
おれの血液のコレステロールを清浄せよ
もしおれの血液にラジエタァをつけなかったら
腐りやすい頭蓋はボーフラのわく古井戸に一変する
白昼 太陽はいたずらに死霊どものダンスを照らし
街路樹はねじまげられたい欲情に悶え死ぬだろう
まぶしい朝もあお白い女の顔に散りはてる
黒びかる笑いだけが電波のように世界をとりまき
人類の圧力に人類の遺恨をとかした血液は黒濁し
おれは両耳をふさいで屈原を想わなければならないだろう
そして おれの生存は靴を履いたまま水平線に沈没する
淀んだ深海で現像されるどんなフィルムも不幸だ
おれの血液よ 過熱する前に世界へ流れてゆけ
血を惜しむところにおまえの生命はない
そして おれとは激烈きわまる真赤な戦場だ
後頭部からなだれこんでくる無数の凍れる死と
心臓からかけあがってくる単独の狂犬とが
組みうちあう戦場がまさしくおれなのだ
(……)
おまえの女友達はプロパリンを飲みすぎたし
おまえの親友は喉を鉄管にして麻薬で片足をびっこにした
地におちた青リンゴより一段と罪深い悲しみが
おまえの青春の大草原に降りおちてきたはずだ
見たまえ おまえがめぐりあわねばならなかった煉獄に
木犀の花がスコールのように注ぎはじめ
青くはれた子宮が悠々と全天にひろがり
牛乳を手にしたおふくろの姿がわき出してくるとき
おまえは唇をかみ切っても黙っていなければならない
にぎりこぶし大の心臓をつき出してみせ
三ガロンの血で朝食をつくってもらえばいいのだ
おまえとおれの戦いはいまだ終ってはいない
世界の文様がひらひらなびくこの列島の下では
鉄製の憎悪と鉄製の子宮が流行するからだ
おれたちの口が自らの唾で封印されないために
おお あたらしい黄金の力よ
おれの血液のコレステロールを清浄せよ
(詩集「旅の薔薇窓」より)