朔太郎、光晴ときたから中原中也(1907-1937)を再読してみよう。教科書の定番作品よりも過激な詩が多い。たとえば『春日狂想』がそれで、中也はダダで始まりダダを生きた人だった。
『春日狂想』 中原 中也
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあいけません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
けれどそれでも業(?)が深くて、
なおもながらうこととなったら、
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、
もはやどうにも、ならぬのですら、
そのもののために、そのもののために、
奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。
2
奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、こともできない。
(……)
神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇えば、にっこり致し。
参詣人等も、ぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢
ゴム風船の、美しきかな》
空に昇って、光って、消えて--
やぁ、今日は、御機嫌いかが。
ひさしぶりだね、その後どうです。
そこらの何処かで、お茶でものみましょ。
勇んで茶店に入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。
煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、--
戸外はまことに賑かなこと!
--ではまたそのうち、奥さんによろしく、
外国(アッチ)に行ったら、たよりをください。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。
馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。
まぶしく、美しく、はた俯いて、
話をさせたら、でもうんざりか?
それでも心をボーッっさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。
3
ではみなさん、
喜びすぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしましょう。
つまり、我らに欠けてるものは、
実直なんだと、心得まして。
ハイ、ではみなさん、ハイ、ご一緒に……
テムポ正しく、握手をしましょう。
(詩集「在りし日の歌」1937より)