人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小熊秀雄と山之口貘

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「みなさん、子供は持った方がいいですよ」
小田切秀雄文学部長教授(1916-2000)は言った。「子供を持つことで得られる経験は実に大きい。人生経験が二倍にも三倍にもなります。あ、それから自動車免許だけは絶対取らせた方がいい。私は免許を持っていないが」
大教室の学生たちはみんな神妙に苦笑した。左翼系戦後文学批評の大家は退官も近く、授業は文学漫談に近かった。なにしろ醤油をがぶ飲みして徴兵忌避し、三島由紀夫を「きみも共産党に入りませんか?」と気軽に誘ってしまったというエピソードまである天真爛漫な人である。そんな先生だから突然なにを言い出すかわからない。話が偶然沖縄の文化と政治的歴史に及んで、先生はいきなり、
「沖縄といえば山之口貘」と言い出した。
「みなさんご存じですか?…そう、日本の大詩人といえば高村光太郎萩原朔太郎金子光晴宮沢賢治、それから小熊秀雄山之口貘。この6人です。あ、中原中也もいいですがね」

それだけ言って話題は別のところに跳んでしまったので、学生たちはまるで脈絡がつかめなかったと思う。特にいきなり著名詩人に混じって「小熊秀雄山之口貘」と言われても訳がわからなかったのは間違いない。
小熊秀雄(1901-1940)は北海道生まれの詩人。複雑な家庭環境に育ち、コミュニズム弾圧下のコミュニズム詩人として困難な活動を敢えて選び、生前の二詩集「小熊秀雄詩集」「跳ぶ橇」(ともに1935)、没後出版の「流民詩集」1947で現代詩史に名をとどめる。
山之口貘(1903-1963)は沖縄生まれのアナーキズム詩人。19歳で上京後は数十種類の職業を転々としながら詩作を続け、主義としてのアナーキズムではなくホームレスの立場から特異な詩を書いた。
今回は山之口貘から一篇を紹介して、小熊秀雄は改めて取り上げたい。第一詩集から『生活の柄』。

歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構わず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあったか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起こされてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかと思うと冷気にからかわれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。
(詩集「思辮の苑」1938より)