人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小熊秀雄『ふるさとへの詩』

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小熊秀雄のプロフィールは前回紹介した。初期の作品にピークがある、と言いながら晩年の佳作を取り上げたのは、小熊の詩は好調なほど長いからだ。これも簡潔さ・暗示を好む日本の詩では珍しい。第一詩集から紹介します。『ふるさとへの詩』

ふるさとよ、
私は当分お前に逢わないよ。
お前は泰然自若として、
不景気のソファに
腰をおろしてしまったね、
とにかくお前は
私の生みの土地ではあったが、
ただ私に瞬間、産声をあげさしたところ
お前は邪険ではなかったが
決して親切とは言えなかったよ。
私はミルクで育ったから
ママ母より、
私は牛がなつかしいよ。
ふるさとよ、
くるくる渦巻く水が谷間にあった、
あそこは非常に静かなところであった、
ピチピチとヤマメや岩魚が跳ねていた、
針をおろすとすぐ魚は針に飛びついた、
だから釣なんか、ちっとも面白くなかった。

自若として落ち着いた
ふるさとの不景気な山よ、
木炭小屋はケチな宮殿であった、
あの宮殿の中には
国民が一人いたっけ、
忠良な国民がさ、
蕗の皮をムイて
そいつを手でポキンポキンと折って
鍋にブチ込んで煮て喰っていた農民がさ、
あの六十数歳の国民はどうしたろう。

おお、ふるさとよ、
タツムリのヨダレか、
お蚕のように
私の記憶から綿々とひきだされて
尽きないものよ、
私は当分お前に逢えないよ、
私は忙がしいから
仕事が沢山あるから、
私はお前のソファに
*をつけるために
お前が立ちあがるために
いつもポケットに*を忍ばせている
悪人になったよ
-金持どもが我々を悪人だと言うんだ
私たちは**を組んで
いまとても陽気に押し廻っているんだ
我々の所謂、悪人は、仲間は
ふるさとよ、
みんなお前をなつかしがっているよ。
(「小熊秀雄詩集」1935より)

小熊秀雄は日本文学の「ケチな」風土を拒み、おおらかで希望に満ちた大衆性を指向した詩人だった。同時に政治至上主義・芸術至上主義をも斥けた。いわゆる「民衆詩」の陥りやすい指導性・教導性の空虚さを知り抜いていたから、小熊の詩は同時代にあっても異彩を放つものになった。つかの間の可能性を最大限に残して、この詩人は短い生涯を終えた。