人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

萩原朔太郎を想う

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 朔太郎は新潮社の5巻本旧版全集+人文書院版全書簡集がリーダブルで愛読しています。5巻本全集のうち4巻はエッセイと文学論で天然ボケ満載、さすが大詩人の風格。書簡集も誤字脱字だらけ。入り婿して実家の医院を継いだ妹(画像中は末妹との2ショット。そっくり!)にとても丁寧な手紙を書いているので妻(当時)に話したら「恰好つけたかったのよ」。でも案外正解な気がします。妻にも兄がおりましたので。

 朔太郎は遅咲きの詩人でした。北原白秋崇拝から始まり、自分と同期の新世代詩人がデビューしてくるまで詩法を掴めなかった。そのかわり同世代詩人から最良の部分を見分け、自分の詩法に取り入れるのに長けていました。最初期の「愛憐詩篇」1913~の影響源は室生犀星です。詩集「抒情小曲集」より『小景異情その二』

ふるさとは遠きにありて思うもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食になるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに
ふるさとおもい涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかえらばや
遠きみやこにかえらばや
 (『小景異情その二』室生犀星)

 詩集「月に吠える」1917はその2年前刊行されブーイングの嵐を巻き起こした山村暮鳥詩集「聖三稜玻璃」(プリズムの当て字)の感化が顕著です。『だんす』

あらし
あらし
しだれやなぎに光あれ
あかんぼの
へその芽
水銀歇私的利亞(ヒステリア)
はるきたり
あしうらぞ
あらしをまろめ
愛のさもわるに
烏龍茶をかなしましむるか
あらしは
天に蹴上げられ
 (『だんす』山村暮鳥)

 次の詩集「青猫」1923では犀星・朔太郎と並んで白秋門下の三羽鳥と呼ばれた大手拓次に文体を学んでいます。詩集「藍色の蟇」より『象よ歩め』

赤い表紙の本から出て、
皺だみた象よ、口のない大きな象よ、のろのろあゆめ、
ふたりが死んだ床の上に。
疲労をおどらせる麻酔の風車、
お前が黄色い人間の皮をはいで、
深い真言の奥へ、のろのろと秋を背に負うて象よあゆめ、
おなじ眠りへ生の嘴は動いて、
ふとった老樹をつきくずす。
鷲のようにひろがる象の世界をもりそだてて、
夜の噴煙のなかへすすめ、
人生は垂れたあけびの頚のようにゆれる。
 (『象よ歩め』大手拓次)

 詩集「氷島」1934で初めて朔太郎は独自の文体を編みだします。それはまたいずれ。