人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋照幸『第五氷河期』ほか

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 今回も日本のシンガー・ソングライターの歌詞を取り上げる。高橋照幸(1948?-)は69年3月からジャックスのローディを勤め、6月には早くもジャックスをバック・バンドに「休みの国」名義でデビューした(岡林信康とのスプリット・アルバム)。ジャックスが日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンドなら休みの国はVUのライヴァルたるパールズ・ビフォー・スウェイン(Pearls Before Swine)に相当する。日本のアシッド・ロックの代表的名盤と言えば、これだ。

『第五氷河期』

凍てついた地上のパニックの中で
嘘をつかれてしのびなく
言い伝えはあったよ
でも夢はなかった
いつまでも 影だけが
さまよい歩くこの地上

読みとれるだけの文字と
聞きとれるだけの言葉で
世の中は出来ているのさ

お前は生きていたか
汗は流れたか
いつまでも 影だけが
さまよい歩くこの世界
 (アルバム「休みの国」1969より)

『マザー』

母になる時を待つ
朝の光の生みぎわで
もうひとつの夢を見て
青い風に包まれる
思い出せないきのうのように
時は去る 遠くの空
空の果てまでも
愛を残し去ってゆく
静かな夢よ

ひとりきり目をさます
広い部屋のベッドの中で
窓を開け 庭を見る
今朝は何も欲しくない
何も見えない夜のように
時は去る 遠くの海
海の果てまでも
夢を残し去ってゆく
静かな夢よ
 (アルバム「Fy Fan」1972より)

 休みの国の名を高めたのはジャックスの的確なサポートもあるが、なにより高橋の卓越した詞・曲・歌が大きい。アルバムの最後を飾る次の曲は、冒頭の『第五氷河期』と対をなして、日本のアシッド・ロックのスタンダードになっている。

『追放の歌』

誰もいないでこぼこ道を歩いてく
からの水筒もこんなに重いと思うのに
俺の背中にこだまする 人々のあの歌が
喜びの歌じゃない 追放のあの歌
きのうは俺もいっしょに歌ってた

こんなに暗く長い道の真ん中で
あけてしまった缶詰をまたながめ
救われたと信じても 煙草の煙が教えてる
休みの国はまだ遠い 静けさなんてないんだと
まだ聞こえてる遠い追放の歌
 (アルバム「休みの国」より)