人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャックス Jacks - ジャックスの世界 Vacant World (東芝エキスプレス, 1968)

ジャックス Jacks - ジャックスの世界 Vacant World (東芝エキスプレス, 1968)

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ジャックス Jacks - ジャックスの世界 Vacant World (東芝エキスプレス, 1968) Full Album : https://youtu.be/PKAnPx-RoFQ
Recorded at ニッポン放送第1スタジオ, April 24(Side 1), May 25(Side 2), 1968
Released by 東芝音楽工業株式会社, エキスプレス Express EP-7704, September 10, 1968 (Red Colored Disc)
Directed by 高島弘之
(Side 1)
A1. マリアンヌ Marianne (相沢靖子・作詩、早川義夫・作曲) - 5:20
A2. 時計をとめて Stop The Clock (水橋春夫・作詩作曲) - 4:16
A3. からっぽの世界 Vacant World (早川義夫・作詩作曲) - 4:57
A4. われた鏡の中から In The Broken Mirror (早川義夫・作詩作曲) - 3:23
A5. 裏切りの季節 Gloomy Flower (早川義夫・作詩作曲) - 3:20
(Side 2)
B1. ラブ・ジェネレーション Love Generation (早川義夫・作詩作曲) - 3:36
B2. 薔薇卍 Bara-Manji (谷野ひとし・作詩作曲) - 2:29
B3. どこへ Where? (相沢靖子・作詩、木田高介・作曲) - 3:10
B4. 遠い海へ旅に出た私の恋人 Love (相沢靖子・作詩、早川義夫・作曲) - 4:23
B5. つめたい空から500マイル 500 Miles From The Sky (早川義夫・作詩、水橋春夫・作曲) - 3:02

[ ジャックス Jacks ]

早川義夫 - リード・ヴォーカル、サイド・ギター
水橋春夫 - リード・ギター、サイド・ヴォーカル
谷野ひとし - ベース・ギター
木田高介 - ドラムス、フルート

(Original 東芝エキスプレス "ジャックスの世界" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 東京都の飛び地と呼ばれる郊外、神奈川県相模原市横浜市に川一本挟んで隣接する町田市は古来宿場町として、商業地域として栄えている今なお裏街には風俗営業店がひしめく町ですが、1960年代、1970年代、1980~90年代に渡って多くのロック・バンドを送り出してきた町でもあります。とりわけ町田市が生んだ3大バンドといえば、X JAPAN、外道(デビュー1973年~解散1976年)、そしてこのジャックス(結成1966年~解散1969年)が上げられるでしょう。X JAPANはご周知の通りですし、外道は2003年の再結成以来今なお活動中です。町田市の和光高校~私大学の学生を中心に結成されたジャックスは、1968年のレコード・デビュー以来当時のアンダーグラウンド・フォークともグループ・サウンズとも分類のつかない存在で、完全にオリジナル曲主義を貫き、当時の英米ロックやフォークからもまったく影響を受けない日本語歌詞による独自のアシッド・フォーク、アシッド・ロック(ガレージ・サイケデリック・ロック)をデビュー・シングル「からっぽの世界 b/w いい娘だね」(1968年3月25日、日本コロムビア/タクトTS-302)、セカンド・シングル「マリアンヌ b/w 時計をとめて」(1968年5月20日日本コロムビア/タクトTS-303)で早くも確立していたバンドです。標準的な4人編成のロック・バンドながらグループ・サウンズのような商業的活動には乗れず、高石友也岡林信康遠藤賢司ザ・フォーク・クルセダーズ五つの赤い風船アンダーグラウンド・フォーク勢らからは絶大な支持と影響力を勝ち得たものの、メンバーの学業や進路、バンド運営の行き詰まりからファースト・アルバム『ジャックスの世界』(1968年9月10日、EXPRESS/東芝音楽工業 EP-7704)発売時にはすでに活動が危ぶまれており、リーダーの早川義夫の脱退の意向からセカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』(1969年10月10日、EXPRESS/東芝音楽工業 EP-7726)は事実上の解散状態で制作され、1969年8月の正式解散後にリリースされました。

 ジャックスはグループサウンズ・ブームの絶頂期といえる1968年春にデビュー・シングルを発表、前年末から「帰って来たヨッパライ」の大ヒットで話題を呼んでいたザ・フォーク・クルセダーズとともにアンダーグラウンド出身グループとして注目され、評価はフォークルとジャックスでは五分五分と言えるほど高いものでしたが、一般論な人気取りや売り上げ、観客動員力はフォークルのポップ・センスに大きく水を開けられていました。1968年7月に東芝キャピトル・レーベルから発売されたフォーク・クルセダーズ初のメジャー・アルバム『紀元弐千年』が当時驚異的な2万枚を超えるヒットを記録した(当時LPレコードは2,000円・会社員の平均年収は80万円です)のに較べ、同年9月に東芝エキスプレス・レーベルから発売されたジャックスのアルバム『ジャックスの世界』はそれまでのシングル同様ほとんど売れませんでした。しかもアルバム発表時にはすでに個性的なリード・ギタリスト水橋春夫がバンドの財政難や音楽性からジャックスに見切りをつけて脱退しています。先行シングルの大ヒットから制作・録音も大きな予算をかけてアルバム・ジャケットに勢を凝らしたフォーク・クルセダーズとは対照的に、ジャックスのアルバムは簡素なジャケットで、録音はたった2日、1968年4月24日にLPのA面5曲、翌月の5月25日にB面5曲が録音されました。ザ・ドアーズのデビュー・アルバム『ハートに火をつけて(The Doors)』(1967年1月発売)が1966年8月29日~9月23日までのうち、飛び飛びにわずか7日間のセッションで録音されたのを連想させられます。ファースト・アルバム『ジャックスの世界』は完全無欠な傑作で捨て曲などひとつもありません。バンドの演奏も早川のヴォーカルも最高のパフォーマンスを捉えており、事実上解散状態で制作されたセカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』は比較するとやや分が悪いのは否めません。ですが半数の早川自作の参加曲は激情的ブルース「堕天使ロック」、「からっぽの世界」の続編のような「花が咲いて」「敵は遠くに」、ジャックス解散直後のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(1969年11月)の「サルビアの花」へとつながる「君をさらって」「ハウ・トゥ・ラヴ」などの名曲を含んでデビュー作と遜色ありませんし、早川不参加の半数もジャックスが早川個人のバンドではなかったのを示す、ユニークな音楽性の楽曲が揃っています。角田が熱いヴォーカルをとる谷野ひとし作の「ジョーのロック」「Dm4-50」は早川のヴォーカルで聴ける発掘ライヴに較べても聴きごたえがありますし、角田自作の「この青い海に」は早川の作風に似せた歌詞と曲想でヴォーカルも早川に似せています。角田自作のもう1曲「To Love You」はビートルズのホワイト・アルバムや『アビー・ロード』の断片曲のようですし、木田自作の「運命の囚人」は才気あふれる多重録音のブラス・ファンク・アシッド・ロックです。木田は翌1970年に西岡たかし(五つの赤い風船)・斉藤哲夫とのトリオ「吐痙唾舐汰伽藍沙箱」名義のプロジェクト作『溶け出したガラス箱』でも実験的なアシッド・フォーク・ロックのアレンジに腕を振るっており、いっそ早川抜きに水橋が正式復帰したジャックスでも吹っ切れた面白いアルバムが作れたのではないかと思えます。

 話を戻すと、リード・ギタリストの水橋を失ったジャックスはかつてバンド・コンテストでジャックスを見い出し、レコード・デビューを斡旋してくれた渡辺貞夫の紹介で、渡辺貞夫グループのドラマー角田ひろ(当時の表記)をメンバーに迎え、ドラムス担当だったマルチプレイヤー木田高介(『ジャックスの世界』でもドラムレスの曲では木田が各種楽器をこなし、木田がヴォーカルをとる自作曲「どこへ」はほとんどの楽器が木田の多重録音でした)が曲ごとにサックス、フルート、ピアノ、オルガン、ヴィブラフォン等にまわった変則的な4人編成で活動を続けますが、セカンド・アルバム制作中にはリーダー早川義夫が不満をつのらせ、制作意欲も低下してしまいます。ノン・ミュージシャンのアーティスト指向だった早川に対して、高校時代から海外公演経験もあり天才少年ドラマーの名を国際的に轟かせたプロのジャズ・ドラマーの角田(しかも正統的なヴォーカリストの力量もありました)や、クラシックからジャズ、ポップスまで造詣が深く、和光高校から東京芸術大学音楽科に進んで専門的な音楽教育を受け、ポピュラー音楽畑では本名(桂重高)での活動を禁止されていたので芸名を名乗っていた木田高介は、脱退した水橋春夫同様プロ意識の高いミュージシャンシップの持ち主だったので、早川とも木田・角田とも気が合う谷野ひとしはともかく、早川はリーダーなのに孤立した格好でした。収録全11曲中早川が参加したのは早川の自作曲6曲のみで、早川不参加曲では主に角田がヴォーカルを兼任し、ゲスト・ギタリストにフォークルの加藤和彦(加藤はフォークルでジャックスの「からっぽの世界」「時計をとめて」「遠い海へ旅に出た私の恋人」をライヴ・カヴァーしアルバムにも収録しました)、元メンバーの水橋春夫が参加しています。解散声明中に録音されたセカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』は1969年10月に発売されましたが、先に触れた通りジャックスはその2か月前には解散ライヴを行っていました。

 ジャックスは同時代の日本のロック(グループ・サウンズ)からもフォーク(アンダーグラウンド・フォーク)からも異端的存在だったため、2枚のアルバムは当初の売れ行きも芳しくなく、『ジャックスの世界』が1971年6年・1976年5月に、『ジャックスの奇蹟』が1972年7月にわずかに再発売されただけでした。'70年代にはベスト・アルバム『からっぽの世界/ジャックスのすべて』(1972年6月5日、EXPRESS/東芝音楽工業 ETP-8179)、ジャックス・ファンクラブのみ限定200枚プレスの『LIVE 68'7'24』(1973年、DM4-50)がリリースされましたが、未発表テイクを含むメジャー発売のベスト盤もほとんど注目されず、オリジナル・メンバー4人によるファースト・アルバム完成直後、アルバム・リリース1か月半前の自主コンサートのライヴ盤で『ジャックスの世界』から全10曲中8曲、『ジャックスの奇蹟』に収録される2曲、シングルB面曲とラジオ放送曲(『からっぽの世界/ジャックスのすべて』で初発表)を各1曲、さらに'80年代に映画サントラ音源が発掘されるまでスタジオ録音が存在しなかった「お前はひな菊」「由美子はいない」の未発表曲2曲を収録した、ジャックスの最高傑作ともいえる内容の『LIVE 68'7'24』もいまだにアナログ盤・CD再発売もされない稀覯盤になり、'70年代~'80年代半ばまでジャックスは運良く小部数プレスの再発売盤を店頭で買えるか、中古盤を探すか(数万円のプレミアで販売されていました)、稀にラジオの深夜放送で聴ける程度だったのです。しかし'70年代末~'80年代初頭にかけてジャックスは日本の元祖パンク、オリジナル・サイケ、ガレージ・ロックのバンドと再評価され、ドアーズやヴェルヴェット・アンダーグラウンドに匹敵する日本のロック・レジェンドとされ(むしろローカルな存在に終わった13thフロア・エレベーターズに近いかもしれませんが)、ジャックスをカヴァーするバンドも現れ始めました。早川義夫(1947-)はジャックス解散後しばらくインディーのURCレコードのディレクターを勤めましたがその後は川崎市で書店経営に専念しており、水橋春夫(1949-2018)はキングレコードのディレクター(横浜銀蠅山瀬まみWinkなどを手がけました)、ジャックスを見いだした渡辺貞夫の推薦で水橋春夫に代わる後期メンバーに参加していた角田ヒロことつのだ☆ひろ(1949-)の活躍は言うまでもありません。また谷野ひとし(1947-)はヒッピー生活を続けており、つのだ☆ひろとともにジャックスのローディー出身の高橋照幸(1948-2016)とのバンド「休みの国」に1990年代まで散発的に参加し、水橋春夫が2015年にソロ活動を始めた際も晩年まで水橋春夫のバンドに参加しました。木田高介は「赤色エレジー」「神田川」を始めとする多くのフォーク系ポップスのアレンジャーとして大ヒット曲の立役者でしたが、1980年に初のソロ・アルバムのリリース翌月に交通事故で逝去しています(享年31歳)。

 '80年代半ばになって、ジャックスがファースト・アルバム以前に録音していた若松孝二のインディー映画(ピンク映画)『腹貸し女』(1968年3月)のサウンドトラック盤『リアリゼイション』(1986年2月3日、ソリッド・レコード SOLID-1001)がインディー盤で発掘リリースされ、東芝からもほぼ同内容の『リメインズ』(1986年3月31日、東芝EMI Eastworld WTP-80193)がメジャー発売され高評価・好セールを記録しましたが、当時は「からっぽの世界」が差別用語使用で自主規制されており、『リメインズ』にはインストルメンタル版が収録されたものの、その好評を受けて発売されたシングル集『タクト・リコレクション』(1986年4月21日、日本コロムビア Columbia AY-7409)、またラジオ出演音源をまとめた『エコーズ・イン・ザ・ラジオ』(1986年6月4日、東芝EMI Eastworld WTP-72433)にもジャックスを代表するデビュー曲「からっぽの世界」は未収録になりました。ついにインディーのソリッド・レコードから、当時は異例だったCD7枚組のボックス・セット『ジャックスCD BOX』(1989年4月25日、ソリッド・レコード CD-SOL1001)が発売され、初めて『ジャックスの世界』『ジャックスの奇蹟』の全編、増補された未発表テイク集、ラジオ出演音源、後期メンバーによる自主コンサートのライヴが集成されましたが、内容の充実を誇る分、限定プレス・定価2万円と敷居の高い発売を余儀なくされました。ようやく東芝EMI株式会社から『ジャックスの世界』と『ジャックスの奇蹟』の単品CD化が実現したのも1992年の旧カタログの一斉CD化までかかったのです。以降ジャックスの2枚のオリジナル・アルバムは日本のロックの古典的定番としてロングセラーとなり、早川義夫も1994年に音楽活動を再開し、2018年(同年に、晩年再び和解した水橋春夫が逝去しています)までアルバム発表・ライヴ活動を続けています。

 この『ジャックスの世界』の収録曲の多彩さと充実は、まだ英米ロック、フォークの日本的解釈にとどまっていた当時にあってはフォーク・クルセダーズとともに驚異的なもので、五つの赤い風船、休みの国、はっぴいえんど、だててんりゅう、頭脳警察など後発の国産日本語バンドに与えた影響は計り知れません。フリー・ジャズとアシッド・ロックの結合のような「マリアンヌ」「からっぽの世界」「遠い海へ旅に出た私の恋人」、それぞれ趣きの異なるサイケデリックなアシッド・フォークの「時計をとめて」「どこへ」「遠い空から500マイル」、激しいガレージ・パンクとサイケデリック・ロックの融合した「われた鏡の中から」「裏切りの季節」「ラブ・ゼネレーション」「薔薇卍」と楽曲ごとに歌われるテーマ、サウンドの焦点がはっきりしており、リーダーの早川以外の3人も優れた楽曲を提供し、谷野以外の水橋・木田は自作曲ではリード・ヴォーカルも取る具合に、4人のメンバー全員がかけがえのない貢献をしています。ジャックスには3人の早熟な天才的ソロイスト=シンガー・ソングライターのグループだったフォーク・クルセダーズとも違うバンドならではの結束力と一体感があり、『ジャックスの世界』録音時点で早川と谷野が20歳、水橋と木田が19歳とは恐れ入ります。水橋が抜けて木田が各種楽器のアレンジャーとなり角田ヒロが加入すると、高石友也らフォーク・シンガーのバックバンドを勤める機会も増えましたが(高石友也の『坊や大きくならないで』1969.6はジャックスと五つの赤い風船が半々の曲に参加した、やはり同月発売のジャックス全面参加作『休みの国』と並ぶアシッド・フォークの名作です)、プロフェッショナルなミュージシャンである木田と角田の存在感と発言力が増すとともにジャックスのバランスは不安定になったので、もともとジャックスの音楽を自然発生的な次元で作り出そうとしていたノン・ミュージシャン指向の早川が投げやりになってしまったのもやむを得ないという気がします。

 しかし『ジャックスの世界』では、「マリアンヌ」や「からっぽの世界」を始めとする早川の曲のすべて、水橋や谷野、木田の曲ですが「時計をとめて」や「薔薇卍」「どこへ」などは洋楽のフォーク、ロックばかりかジャックス以前にも以後にもない唯一無二のもので、ジャックスなんかフォークじゃないかという批判もありますが、確かにジャックスはドラムレスのオリジナル曲「からっぽの世界」でアマチュア・フォーク・コンテストから認められたバンドですがこの曲がドラムレスのアレンジだったからフォーク部門のコンテストに出たというだけで(「マリアンヌ」だったらロック部門に出たでしょう)、フォークもロックもジャックスにとっては同じです。ジャックスと同時代のグループ・サウンズも立派に日本語のロックでしたし、'70年代には裸のラリーズ村八分のようなジャックスがいなくても出現していたような突然変異的なバンドや、キャロルやサンハウス、めんたんぴん、外道のような原点回帰を意識したバンドも現れましたが、頭脳警察はっぴいえんどはジャックスを日本語ロックの先達と断言しています。日本語じゃなくたっていい、むしろロックは英語の方がかっこいい、英語じゃなきゃいかんという流派もフラワー・トラベリン・バンドブルース・クリエイションフライド・エッグ(角田ヒロ参加)の諸作のような金字塔を残しているわけで、ジャックスがその後の日本のロックすべての原点ではないでしょう。またジャックスの青くささ、シリアスな文学性はロックとしては不純物ともいえ、ジャックスをかつて愛聴した人でもジャックスなんか聴きたくないという気分にさせる要素が満ち満ちていますが、それでも本作の訴求力と重要性は認めずにはいられません。「マリアンヌ」「時計をとめて」「からっぽの世界」「われた鏡の中から」「裏切りの季節」と続く旧LPのA面(B面も佳曲揃いですが)に匹敵するアルバムがどれほどあるでしょうか。今回調べたらなんとアメリカにジャックスの英訳対訳歌詞、資料収集を数人がかりで研究しているサイトが実在するのを発見したほどで、わざわざ歌詞や日本語文献を英訳するほどジャックスに心酔しているアメリカ人リスナー(しかもチーム!)までいるのです。そうした関心がエキゾチシズムやレトロ趣味からではなく率直なジャックスの音楽への感動によるのは明らかで、この音楽は今でも生きているのです。

(旧稿を改題・手直ししました)