人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

こーちゃん復活( 部分再録)

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ヤキトリ屋こーちゃんの復活の枕に、まずこの町の歴史を語ろう。お話は戦後10年ごろまでさかのぼる。昔むかし…

田舎町に小さな教会が建った。町の名士の洋服店主が中央の教団から牧師を招いて設立したもので、この町で最初のキリスト教会だった。もちろん始めはごく少人数で、従業員と店主の家族、知人しかいない。ぼくの父と母は従業員で父は洋裁師、母は受付兼メイドだった。およそ50年前のことだ。
当時はオーダーメイドの洋服しかなかった。従業員は10数人でみんな店の敷地の寮に入っていた。銀座の一流店にも劣らない品質と丁寧な接客が自慢だった。
この町には旧日本陸軍工場摂取地のアメリカ陸軍基地があり、陸軍といっても兵士は置けないから管理職の基地だ。港町のように兵士が町に出て治安が乱れるようなことはない。この基地からの需要が主にこの店を発展させた。
(この基地の日本陸軍工場時代には学生時代の三島由紀夫も都心から勤務している。電車で1時間の夜間爆撃が工場からも見えた。この町も空襲の恐れは高かったがなんとか免れた)。

仕事とは言えアメリカ軍基地に出入りできるのも従業員の自慢だった。一度従業員の1人が夜間に基地に窃盗に入り店の危機を招いたか当然即座に処分され、店の信用は落ちなかった。
父は広島、母は山形からの集団就職。父は隣町から広島の原爆投下を目撃し、母親を鉄道自殺で失った。母は農場で育ち、中国への馬番出兵で3歳からの3年間父親不在だった。
父は教会初めての洗礼を受けた。義務教育すら十分でなくひらがなとカタカナしか書けない父には教会は初めての教育で、文学で、思想だった。
同い年生れの二人にはやがて自然に結婚の話が持ち上がった。田舎町では他に出会いはない。夫婦寮も空いているしちょうどいい。結婚前に母も洗礼を決心した。女性では初めてだ。
やがてこの教会最初の結婚式が挙げられた。どうせ列席するのは社員一同なんだから寮の食堂でも良さそうなものなのに。
男の子が産まれた。教会初めての赤ちゃんだった。当時の女性牧師によって聖書の一節から命名された。和人。「平和を作り出す人たちは幸いである/彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章9節)。
それがぼくだ。

まるでこの町の歴史の闇がいまだに続いているようなヤキトリ屋こーちゃん。その復活の証拠写真がこれだ。