(続き)ジャンボのCDが見つからないのはまたか、とがっかりした。一昨年暮れの入院ではぼくは夜昼問わず錯乱状態で、幻覚と覚醒が交互に訪れるので現実が判らなくなり、寝タバコで焼死か一酸化炭素中毒死寸前になり、持てるだけの本やCDをいくつも旅行用カバンに詰めて、入りきらない分は第2便で床に平積みにした。ぼくはカネもあてもないのにこの部屋から逃げるつもりだったのだ。それも錯乱状態の行動のひとつだった。夜が近づくにつれ恐怖がつのった。
とにかく野宿は駄目だ、なんとか診察時間内にクリニックに電話し、数日前にすっぽかした言い訳をして明日受診にしてもらう。最後に食事して眠ったのがいつか覚えていない。深夜にはもう耐えられなくなった。救急車を呼んだ。だがどの病院も深夜シフトの時間帯になっていた。救急車が去った後、警察署に障害者手帳持参で事情を話して泊めてもらいに行ったが追い返された。
ぼくはその頃非常に不安定な状態で続いていた人妻との関係に耐えられなくなってそんな躁の病相に追い詰められたので、彼女との関係をきっぱり清算するのは退院してしばらくの、翌年4月まで持ち越すことになる。ぼくは突然だれからも失踪したのだ。
もう数週で退院、という頃に自宅外泊練習があった。酒もタバコも美味かった。病院食なれしているせいでなにを食べたらいいかわからず、酒だけ飲んでいた。部屋の床は崩れた本とCDで足の踏み場もなく、布団まで埋もれていた。半面まで寄せたが布団は掛け布団しか引っ張り出せず、ミノムシのようにくるまって寒さに凍えた。次の外泊練習でようやく床のものを棚に戻した。錯乱状態の時にお金に困って売ってしまったものがある。絶対売ったはずはないのに見つからないのが高柳昌行「ラ・グリマ」、ザ・カーズ「キャンディ・Oに捧ぐ」。半端はビーチ・ボーイズの「グッド・ヴァイブレーション・ボックス」のディスク5、ケースだけ残っているグレイトフル・デッドのファースト。2000枚中の紛失率としてはまずまずか。しかしジャンボは盲点だった。2年に1回くらいしか聴かないから気がつかなかった。
退院後に彼女とは一度しか会わず、その時ぼくは決心を固めたのだった。彼女は新しい布団を頼みもしないのに送ってくれた。
…友達にお金を貸すと友達もお金もなくす、という。貸した方が肩身が狭いのはなぜだろう?