人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

日記(3月28日・水曜・晴れ)

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拘置所にぶちこまれたり入退院を繰り返していると毎日入浴する習慣がなくなる。そういうところでは週に3回あればいい方だし、留置場などは5日おきだった。留置場にはなんの罪状もなくても不審者という名目で拘束できるのだ。
拘置期間は10日ごとに強制的に延長される。留置場では70日間、拘置所では50日間を過ごした。5月に逮捕され執行猶予つき有罪判決で釈放された時には9月になっていた。人生で初めて蝉の声を聞かない夏だった。そうしてぼくは前科者になり、正式に国家公認の精神障害者になって、病気療養生活が始まった。
ぼくと国家との関係はそういうものなのだ。

代謝が落ちているのを感じる。ほとんど外出しないからかもしれない。長くても1時間。30分がちょうどいい。近所のスーパーで買い物するだけだ。焦ってもいけない。外出先でパニック発作は危険だ。服薬の副作用と病気自体のせいで子供のようによく転ぶようになった。もう生涯自転車はあきらめる。前後に幼い娘ふたりを乗せて遠乗りしていたのは過去のことだ。
娘たちを連れて歩くとよくすれちがう人に「可愛いねえ」と声をかけられたが、こんどはぼくが黙ってうつむく番だ。ひとり暮らしになって2年弱は寝床で娘たちが寄り添ってくる幻覚がよくあったが、3年目あたりでようやく幻聴もなくなった。精神医学でいう「記憶の風化」もあるし、離婚後一度も会っていないとはいえもう長女も次女も添い寝する歳ではないとわかっている。
妻(だった女性)とセックスする夢は一度だけ見た。執着はなかった。そういうものだ。

ボブ・ディランの訳詞で味をしめたので今度は「ジョン・レノン全訳詞」、とぶちあげたのだが、前説から先に進まないので弱った。思い入れが強すぎるとはこういうことか。中学時代は他にも聴いたが、なんといってもビートルズ、なかんずくジョンだった。死去の報には父親に死なれたような気がした。実際、父とは2歳違いなだけなのだ。カムバック・シングルの『スターティング・オーヴァー』だって発売日に買ったのだ。
どのアルバムの曲も曲順通りに浮かんでくる。歌詞の内容もほとんど歌声と一緒に浮かんでくるので、歌詞カードいらないくらいだ。だが「ジョン・レノン・アンソロジー」を聴き返していたら、先入観なしに初めてジョンに接したような気がした。
それで書けないのだ。困ったな。