人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

富岡多恵子詩集「女友達」より

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静物』 富岡 多恵子

きみの物語はおわった
ところできみはきょう
おやつになにを食べましたか
きみの母親はきのう云った
あたしゃもう死にたいよ
きみはきみの母親の手をとり
おもてへ出てどこともなく歩き
砂の色をした河を眺めたのである
河のある景色を眺めたのである
柳の木を泪の木と仏蘭西では云うのよ
といつかボナールの女は云った
きみはきのう云ったのだ
おっかさんはいつわたしを生んだのだ
きみの母親は云ったのだ
あたしゃ生きものは生まなかったよ

『挨拶』 富岡 多恵子

みっともないから
きみは
喋ろうとしていた
おじさんは死ににいったし
おばさんは帰りみちに死ぬだろう
どこかへつれていってよ
きみはこのごろ
老人になりそこなうことが多かった
それできみはたんに
酒が思いっきりのめなかったのが心残りだと
シナの詩人のまねをして云った
 (詩集「女友達」1964より)

 富岡多恵子(1935-・大坂生れ)は元故・池田万寿夫夫人。小野十三郎に薫陶を受け、学校教師のかたわら1957年の第一詩集「巡礼」で鮮やかなデビューを飾り、室生犀星西脇順三郎ら長老詩人たちからも高く評価される。次作「女友達」、長篇詩『物語の明くる日』1961で現代詩の第一線に立つが、小説家に転身。文学賞総なめの大家となるが、詩才を惜しむ人は多い。ガートルード・スタインの長篇小説「三人の女」も名訳として名高い。

『喋らないでわたしは聴いた』 富岡 多恵子

死にたくないにんげんたちはクルマに乗った
ひとりはあしたサンフランシスコへいく
ふたりは結婚した
かれらはホテルの部屋でシャワーをあび
かれらは死なないでまたやってきた
わたしは比喩および隠喩を
クルマにのせていない
わたしはよくほほえむようになり
わたしはさまざまな相談をうけた
わたしは形容詞および副詞
名詞および動詞
あらゆるパンクチュエイションを
よこにおいた
こいびとは枕詞を喋った
きみは草枕であります
このわたくしの
 (同上)