人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子「神話としての『わたし』」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年より)

『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊
f:id:hawkrose:20200504151935j:plain
(氷見敦子<昭和30年=1955年生~昭和60年=1985年没>)
f:id:hawkrose:20200504152036j:plain

「アパートに棲む女」

氷見敦子

上の階に棲む女を
わたしはまだ一度も見たことがなかった
女のたてる音だけが
生きていて
「存在」する
アパート全体を木立のようにざわめかせる
深夜、
女が階段を駆け上ってくる音が
わたしの夢の端を通過していきます
なにか
こだわりのようなものを擦りつけていく女から
置き去りにされた音だけが
今夜も
砕かれた岩となって散乱するわたしのなかへ
転がり込むことをやめない

音に怯えた
わたしは
ひっそりと彼女のあとをつけています
想念が
夢を抜けて
揺れる膜の内側に届いている
いっさいが閉ざされているところに女がいて
小さく縮み始めているのだった
膜のなかで縮んでいく
女の音だけが広がっている
それは
遠い記憶のように
わたしの命の中心へ染み込んでいくわたしを満たしていく音を
キャッチするのだ

かなたから
発信された想念が
生き生きと彼女に触れている
わたしは
アパートの屋根から塔のように突き出している
女の頭部を見上げています
まるで
叫びそのものとなって宇宙へ向かっていく
巨大な女がわたしから食み出し
輝くように狂っているのが
わかるのです (夢ではなく
蜥蜴の群が
彼女の口から吐き出されて
星のように散らばっている闇を浮遊すり女の尻を追った
わたしは
なにか
神秘的な力によって動かされている
命の光がちみもうりょうとした闇へ向かっていきます
日常があり
生きているわたしの肉体のなかを
濁流のように血が流れ落ちていくのだった
内臓が植物のように繁殖しているのだった
それらの音が
脳の底に響きわたる音のかなたへ
きれぎれの記憶が
飛び散っていく (淋しさ

気がつくと
わたしの部屋にも
その女が
「存在」しているのだった
冷たい畳の上を這いまわっている女から
湧き出す音が
少しずつ脳を破壊していく恐怖が
激しく
わたしの命をゆさぶっている
闇があり
底の方に彼女が潜んでいるのだった
その女の腕が
いまでは
しっかりとわたしのからだに巻きついている
女が命の茂みで欲情する女がわたしを狂ったように
分娩する
衝撃があり
想念が夢のかなたへ打ち寄せていくのだ
アパートの階段を駆け上ってきた女が
ふたたび宇宙の闇へ走り込んでいく
音が
聞こえて
音が溢れて
いつまでも消えずに
濃くなっていく女の音が
どこまでもわたしを通過して
続いた

(「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)

「神話としての『わたし』」

氷見敦子

(わたしが

 *

そのマンションに辿り着いたとき
遠い人の記憶に引き込まれてしまった、わたしが
なにか輝く塵のようなものになって
脳の深淵に吸い寄せられていく
気がつくと、見知らぬ女が夕暮れのドアを開けているのです
隙間から洩れる宇宙よ
消えかかったドアに足を踏み入れたそこから
かすんでいくわたしは、わたしの半分が凍りついたように笑い
マンションのなかへ入っていくのを見届けたのだ
だれでも夕暮れのドアを通ってしまえば
二度と戻ってくることはないから
そのときがきて
一瞬、振り返ったまなざしだけがわたしの夢の奥へ矢のように放たれていく
彼女を追って
時間の環をめぐるわたしは
神話のようにわたしだけが彼女の記憶を生きて
同じくらい深く死んで
死んできたのだと感じる、わたしの
しんと静まり返った脳に飛来してくるもの
記憶が宇宙の法則を越えて
とほうもない速さで巻き戻されていく、わたしが
まなざしの切っ先に蘇ってくるのだ
遠い昔、うっそうと生い茂る木立のなかで
その男に出会った、わたしが
もう次の瞬間には男の頭蓋を踏み越えている、向こうから
砂塵のように立ちのぼる
性交する人の声に追われてきた彼女を振り返るたびに
不思議ね、赤ん坊の目玉だけが宇宙へ
小気味よく弾かれていく記憶の果てから
何度もわたしを打ち砕いた赤ん坊が
わたしだった、という神話を垣間見てしまった
夢の霧を吹き払って
恐怖が見晴らしのよい脳へ入っていきます
宇宙に散らばった赤ん坊の声が脳の中を滝のように流れて
流れていくわたしをどこに運んでいくのか
亡霊の顔のままさまよい続けた女が
ふっと、夕暮れのドアの向こうへ消えていこうとする
わたしは、わたしがまたひとり
まっしろな脳の平原を渡って、どこかへ
輝く塵となって
消えていくのですね
(けれども

 *

わたしが通りすがりの男とマンションへ入っていくとき
発情した男の膝の上に股がっている、わたしの
肛門の奥へ奥へ
数千年も前に死滅したけものの咆哮が吹い上げられていくのだった
あるいは、わたしの脳天から飛び出していく
赤ん坊のてのひら
わたしが行きずりの男の欲望を飲み込んでいくとき
男の膝の上で絶えまなく死に続ける
まなざしだけが神話の縁を歩いた、そこから
とっぷりと暮れる都市にはバスが走り
男の心臓にゆっくりと刃物を突きたてるわたしは、死と同じくらい
無限に向かって開かれた記憶から
どれだけ身をかわしてきたことだろう
軽やかな笑いの渦に巻かれて繰り返されてきた殺戮
血の匂いも乾いた脳の平原に消えていったはずの彼女がいつなの、
こんなにもやさしくわたしのなかに夢を見せ始めたのは
というよりも、回復されない生命の闇に呆然と佇み
佇んでいたわたしのそばから
ひとり、またひとりと
巨大な赤ん坊に戻っていく
遠い昔、森であった沼であった
マンションが宇宙の方へ移動していきます、わたしの
静かな脳のなかに膨大な記憶があって、そこから
明かりがもれている、マンションの窓に
ずっと以前から
ともされてきた明かりが
星になっていく明かりが、わたしの脳の奥深く
しんしんと降り積もっているのだ、雪のように舞い落ちてくる
明かりが、その色
わたしの脳の底に広がっていく、とても
なつかしいような悲しいような色に滲んでいくのですね
きっと、遠い人の記憶に届いているわたしが星になっていく
はかりしれない瞬きのひとつが
宇宙へ向かっていく
そんな気がするのです
(ときどき

 *

ヒトの形からはみ出してしまうわたしは、わたしではない女が
舞い降りてきて、ぽつんと
マンションの上に浮かんでいます、その女の
神話だけが凍えた脳を浮遊しているのだ、たとえば
永遠だけがきのこのように繁殖する
気も遠くなるような記憶の縁から、わたしは
輝く罪となって滑り落ちていくしかない
宇宙の井戸の底でこんなにも粉々に砕かれてしまう快楽
ほんとうは
わたしがマンションの上に浮かんでいるというのではなく、マンションが
わたしのなかに浮かんでいて
生命の闇を孕み続けている、あるいは
宇宙そのもののように膨張していくかなたから
見知らぬ女が飛び散っていく、一瞬が
一秒にも数千年にも感じられる都市を歩き続けてきたわたしは
彼女のなかをどこまでも生きて、死んでいく
わたしを見つけ出すことなどできない女が
夕暮れの都市のどこかへ消滅していく
一瞬が神話のように輝く
都市のどこかへ

(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)


 氷見敦子(昭和30年=1955年2月16日生~昭和60年=1985年10月6日没・享年30歳)の詩は、以前に遺作『氷見敦子詩集』(昭和61年=1986年刊)の巻頭作品にあたる「消滅してゆくからだ」をご紹介しました。「消滅してゆくからだ」は女性詩誌の商業詩詩「ラ・メール」に発表された、詩集中でも比較的短い、まとまりのいい一篇です。氷見の詩が投稿ではなく詩誌の依頼で商業詩誌に掲載されたのはこれが初めてでした。氷見敦子は大阪府寝屋川市の裕福な家庭に生まれ、フェリス女学院大学に学び英文科を卒業しました。幼少からピアノを習い、18歳の頃の夢は女優、シンガーソングライター、作家だったという文学少女だった氷見は、同大学で講師だった詩人・中桐雅夫に師事して本格的に詩作を始めるようになります。1980年代に入って同世代の詩人との同人誌活動に参加し、'80年代の女性詩人ブームに乗って自費出版詩集『石垣のある風景』(紫陽社・昭和55年=1980年)、『水の人事』(ワニ・プロダクション・昭和57年=1982年)、『パーティ』(七月堂・昭和58年=1983年)、『異性の内側』(詩画集、あとりえ・のおと、銅版画=岩佐なを・昭和58年=1983年)、『柔らかい首の女』(一風堂・昭和59年=1984年)を刊行していました。広告会社に勤務していた氷見は第1詩集刊行後からフリーライターになり、活発に同人詩誌活動に参加するとともに何度も一人暮らしや結婚を反対されていましたが、昭和59年(1984年)1月からは詩人仲間の恋人の「井上さん」と事実婚生活に入ります。同年10月刊行の詩集『柔らかい首の女』の出版準備中には2年来の胃痛が胃潰瘍に悪化しているのが判明します。同年末の胃の2/3を切除する胃潰瘍手術時には家族と「井上さん」に末期の胃癌症状が宣告されした。氷見は詩集刊行ごとに徐々に注目を集める詩人になっていましたが、『柔らかい首の女』刊行後には『氷見敦子詩集』冒頭2篇に収録される初の商業詩誌発表が実現します。

 氷見の名を現代詩に刻んだのは逝去一周忌に刊行された没後刊行の遺作『氷見敦子詩集』でした。同書に収録される詩篇が発表され始めた晩年1年間で氷見敦子の悪性腫瘍の病状は急速に進行し、『氷見敦子詩集』は末期胃癌による昭和60年(1985年)10月6日の逝去(享年30歳)の翌年の昭和61年(1986年10月6日)に刊行されました。同書は昭和59年(1984年)9月発表~昭和60年(1985年)11月発表(逝去翌月)の遺作にいたる、逝去翌月までの14か月間に発表された14篇からなる遺稿詩集です。詩篇のタイトルも刻々と迫る死を告げるようなものなので、目次を上げておきましょう。

『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊・目次
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
○千石二丁目からバスに乗って仕事に行く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年1月発表)
○井上さんのいなくなった部屋で、ひとり…… (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年3月発表)
○井上さんと超高層ビル群を歩く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年5月発表)
○一人ひとりの<内部>の風景を求めて (同人誌「漉林」昭和60年=1985年9月発表)
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
○東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年7月発表)
○「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年11月発表)

 この遺作「氷見敦子詩集」は本人自身の編集ではない遺稿詩集なので、詩篇は詩作年代順に並べられています。冒頭2篇は商業詩誌に発表され、2番目の詩篇「アパートに棲む女」も比較的短くまとまりのいい詩ですが、3番目の詩篇「神話としての『わたし』」以降の12篇は、氷見敦子逝去直前の「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)以外はいずれも同人誌に発表され、氷見敦子は具体的に自分自身を語り手にした長編詩に向かいます。4篇目の「夢見られている『わたし』」からは「井上さん」が登場し、その次の「井上さんと東京プリンスホテルに行く」からは闘病下での「井上さん」との生活が直接の題材となります。ですがそれは生活詩や心境詩とは異なるものでした。この「神話としての『わたし』」では「わたし」は溶解し始めています。以降の『氷見敦子詩集』収録詩篇は絶筆「日原鍾乳洞の『地獄谷』へ降りていく」まで「わたし」の溶解が進んでいく過程をたどったものになります。この「わたし」の溶解は、単に死の予兆による心身の衰弱によるものとかたづけられるものでしょうか。