人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(3)タンジェリン・ドリーム

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タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream,1970-)も日本では早くから人気バンドだった。初期4作はマイナー・レーベルのOhr、5作目からはイギリスの新興レーベルだったヴァージンに移籍したが、ドイツ本国やイギリスでのヒットもあってピンク・フロイドのように瞑想ロックとして聴かれていた。あながち的外れではない。実際合同ツアーもあり、コラボレーションの形跡もある。タンジェリンからフロイドへの影響も考えられることだ。

タンジェリンの音楽は基本的にはシンセサイザーのシークエンスに載せた垂れ流しなのだが、電子音と生演奏のセンスには先駆者ならではのセンスがあった。クラフトワークとも違う。タンジェリンの手法から発展したと思われるフランスのエルドンとも違う。
メンバーはギター、キーボード、ドラムスの3人で、全員がシンセサイザー兼任だが起承転結ははっきりしており、冗長に流れることがない。おそらくこの手法はフロイドのセカンド・アルバム「神秘」1968年表題曲に示唆されたと思われる。フロイドのリスナーにすんなり受け入れられたのもそれゆえだろう。

だが第一作「エレクトロニック・メディテーション」1970年(画像1)は思いきり実験的なものだった。リーダーのエドガー・フローゼ(ギター)はまだバンドを掌握しておらず、コンラッド・シュニッツラー(後にクラスター)のチェロとクラウス・シュルツェ(後にソロ)のドラムスが電気変調されて暴れまくる。
タンジェリンがフローゼのバンドになったのは第二作「アルファ・ケンタウリ」1971(画像2)からだろう。黄金トリオというべきピーター・バウマン(キーボード)とクリス・フランケ(ドラムス)が揃い、「ツァイト」1971、「アテム」1973がイギリスで高い評価を受けてヴァージンに移籍し「フェードラ」1974、「ルビコン」1975をヒットさせる。フロイドとの全米ツアーから傑作ライヴ盤「リコシェ」1975(画像3)を発表。以後もタンジェリンは健在で、ライヴ盤10作同時発売などアルバムは三桁にも上る勢いだ。

だがバウマン、フランケ脱退後のアルバムからは徐々にロック的なダイナミズムが薄れてきたのは事実。バウマン在籍中のライヴ盤「アンコール」1977が最後の花かもしれない。以後バンドは映画サントラやニューエイジ・ミュージックの方面で活動する。