そこで画像をご覧ください。これはなんでしょう?ちらし寿司です。なぜ?
(1)ちらし寿司には紅しょうがが載っている
(2)紅しょうがが載っている飯はちらし寿司である
(3)この牛丼はちらし寿司である
あまりにもあんまりな例だが、形式論理の障害とは基本的にはこういうものなのだ。同書に紹介されたものでは、急に両親が偽者だと言い出した例がある。たまたま両親の素振りが冷たく感じた事があったらしい。そこから一足跳びに「偽者の両親」という妄想が生じた。ただしこれはシンプルな例なのだ。
ぼくは同室のKとナースステーションに就寝前の服薬をしに別のフロアに行っていた。戻ろうとすると、明らかに慢性化した重度の統合失調症患者とわかるTに呼び止められた。相談があるという。食堂の隅に座って話を聞くことにした。
「ロッカーから3万円盗まれたんです」とT「でもナースステーションではだれも相手にしてくれない」
-それは困りましたね、今後はナースステーションに預けて、大金はロッカーに入れないことですね。
するといきなりTは「ヘルパーのTが偽名で再就職してるの知ってますか?」
-おれたちまだ入院して10日くらいだから。
「そうですか。じゃあ去年のスポーツ大会も…」
知りません。なにかあったんですか?
「患者のHがスポーツ大会きっかけに凄んできたり、壁をドンドン叩いて脅してくるんです」
-それはスタッフに相談しなくちゃ。
「…実はヘルパーのTはぼくのアパートと病院のロッカーの合鍵を作っているんです。入院中に侵入している。Hかもしれない。アパートから入院に戻ると物が動かされたり、持ってきていないものがロッカーに入っていたりするんです」
-不思議ですね。
「Hからは壁を蹴られて『いつでも殺せるんだからな』と怒鳴られて、土下座させられました」
ぼくは穏やかにメモをとっていた。とにかく相手が話したいことに耳を傾けることだ。
(続く)