人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャーマン・ロック(4)カン

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

ジャーマン・ロック最重要バンドかもしれない。カン(1969-)はギターのミヒャエル・カローリが故人のため活動は散発的なものになっているが、バンドの看板を降ろしてはいないのだ。この6月にも未発表3枚組ボックスの発売が予定されている。カンの評価はレトロ的なものではなくストーンズのように、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのように、ドアーズのように現役アーティストにも影響を与えている。カンはデビューから40年経てますます新しい。

バンド名のCANには「可能性のるつぼ」という意味合いが込められているという。カンの音楽を生き生きとさせているのはまさに素頓狂なセンスによる実験精神だ。どの曲にも意表を突く仕掛けがある。友人のドラマーに聴いてもらったことがある。「バスドラの皮をベロベロに張って数人がかりでマレットで叩いてるんでしょう」そんなサウンドはカンでしか聴けない。

カンは1968年にキーボードのイルミン・シュミット、ベースのホルガー・シューカイ、ドラムスのヤキ・リーベツァイトが出会って始まった。イルミンはクラシック、ホルガーは現代音楽、ヤキはジャズ出身でこの年全員30歳。シューカイの生徒で20歳のロック・ギタリストが前述のカローリで、アメリカの黒人画家留学生マルコム・ムーニーを加えて全員素人集団が制作したのが第一作「モンスター・ムーヴィー」1969(画像1)。いきなり金字塔を作ってしまった。

すぐにマルコムはホームシックで脱退、新ヴォーカリストに日本人ヒッピー、ダモ鈴木を路上でスカウト。ムーニー時代の未発表曲とダモの新録をまとめテレビ・映画主題歌集「サウンドトラックス」1970発表、翌1971年の2枚組大作「タゴ・マゴ」(画像2)は英米でのヒット作となった。
次作「エーゲ・バミヤージ」1972も前作の流れを汲む快作で、大ヒットとなったテレビ主題歌『スプーン』を収録。「フューチャー・デイズ」1973(画像3)でカンは三たび最高傑作を作り上げる。
だがダモ鈴木は脱退。元々の4人で「スーン・オーヴァー・ババルマ」1974を制作後英ヴァージンに移籍、イギリスを拠点に5作のアルバムを残す。マルコム、ダモ時代の未発表曲は「アンリミテッド・エディション」1976、「ディレイ1968」1981にまとめられた。イギリス時代より数段上の内容なのは仕方あるまい。