人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(6)アモン・デュールll

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前史で述べた通り、アモン・デュールは元々バンドではなくヒッピーのコミューンだった。だから全3作(と発掘録音2作)は作品というよりアシッド・パーティのドキュメントとして制作されたと言える(正確には「サイケデリックアンダーグラウンド」「崩壊」の2作と発掘作がそうで、「楽園へ向かうデュール」はリーダーと選抜メンバーによる静寂なアシッド・フォーク作品になった。第一作に劣らず評価は高く、この一作ゆえにアモン・デュールは音楽的にも帰決を見た、と言える)。

サイケデリックアンダーグラウンド」セッションの時点でこれが1回きりの企画だと知っていたメンバーのうちプロ・ミュージシャンとして即戦力になる人材が集まって始めたのがアモン・デュールll(Amon Duul ll,1969-)で、所属レーベルがカンと同じ外資系レーベルのユナイテッド・アーティストなのも幸いして、早くから英米日も含めた商業的成功をおさめた(以下「セカンド」と略)。「サイケデリックアンダーグラウンド」直後録音の第一作「神の鞭」1969(画像1)はA面4曲・B面は混沌としたインプロヴィゼーション1曲だが、小曲にも大曲にも溌剌とした魅力がある。無印デュールと較べれば一介のロックバンドとはいえ、仮に無印が存在しなくてもセカンドはひとりだちできるバンドだった。
(セカンドになるメンバーにとっては無印のレコーディングはいい経験になったようで、「サイケデリックアンダーグラウンド」で「崩壊」で登場するモティーフがセカンドのアルバムにも再利用されている)。
セカンドは快進撃を続け、第二作・第三作は立て続けにLP2枚組の大作となるが既にイギリスでは第一線バンドになっており、この時点ではカンの上をいっていたかもしれない。
画像2は第二作「地獄!」1970(原題は'Yeti')、画像3は第三作「野ネズミの踊り」1971。構成は第一作の延長で、AB面に作曲されたキャッチーな曲、CD面に大作のインプロヴィゼーション。ファンのみならず人気が高いのは「地獄!」B1の『天使の雷鳥』で、ジャーマン・ロック定番のキラー・チューン。

残念ながらこの後メンバー・チェンジが相次ぎ、デュール・セカンドは平凡なロックバンドになってしまうのだが(第五作「狼の町」1972は最後の名作)、歴史の長さと作品数では有数の存在には違うまい。