人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(9)ラディウス~イル・ヴォーロ

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フォルムラ・トレのギタリストだったラディウスは当時のこととして当然ジミ・ヘンドリックスの強い影響を受けており、ルチオ・バティスティ人脈の広さもあってイタリアのロック界屈指のギタリストと目されており、またカンタウトーレとしての一面もあった。日本で言えば成毛滋か(成毛は歌わなかったが)森園勝敏(四人囃子)か、といった位置にいた。

トレではドラムスのチッコのヴォーカルの比重が大きかったので、トレの解散はチッコのソロ、ラディウスとロレンツィ(キーボード)の新バンドということになる。それがイル・ヴォーロ(画像2、3)で、2ギター・2キーボード・ベース・ドラムスと他のメンバーもそれまでの在籍バンドで確かな実積を残した人材が集められた。バンド名は「飛翔」、少年の顏が印象的な第一作は1974年、青空のジャケットの第二作「イル・ヴォーロ2」1975年(原題は「生きるべきか死ぬべきか」)でこのバンドの歴史は終った。他にカンタウトーレファウスト・レアーリ「愛の物語」1975がイル・ヴォーロ全面バックで作られたアルバムで、意図的にインストゥルメンタル主体のアルバムを制作してきたイル・ヴォーロのヴォーカル・アルバムとしての価値も大きい。

ラディウスのヴォーカルはいかにもギタリストの歌という感じで食い足りないのだが、トレでもイル・ヴォーロの第一作(第二作は歌物は1曲のみになる)でもその脆さがイタリアの哀愁を感じさせて、良かれ悪しかれラディウス関連作品の魅力になっていた。
トレの「夢のまた夢」1973と「大いなる館」1973の間に最初のソロ・アルバム「ラディウス」1972が出ており、メンバーはトレ、イル・ヴォーロ、アレアというセッション作品だった。本格的なカンタウトーレ活動はイル・ヴォーロ解散後で「ケ・コザ・セイ」1976(画像1)、「ちぎれた紙屑」1977、「アメリカ、グッドバイ」1979の3作で評価を決定的なものにする。バンドという制約がないほうがのびのびと音楽活動できるタイプだったのかもしれない。ならばフォルムラ・トレ、イル・ヴォーロとずいぶん遠回りをしてきたものだと思わずにはいられない。

だが70年代バンドの再結成ブームはフォルムラ・トレにもおよんで、1990年に「90」で復活してしまった。そして今でもトレは現役バンドとして活動を続けている。