ストロベリー・パス Strawberry Path - 大烏が地球にやって来た日 When The Raven Has Come To The Earth (Philips, 1971)
Released by Philips Records Philips? FX-8516, June 1971
(Side A)
A1. I Gotta See My Gypsy Woman (C.Lyn, S.Narumo) - 5:20 *no links
A2. Woman Called Yellow "Z" (C.Lyn, S.Narumo) : https://youtu.be/Q3VLxvIEHAE - 5:52
A3. The Second Fate (H.Tsunoda) - 4:50 *no links
A4. Five More Pennies (C.Lyn, S.Narumo) : https://youtu.be/tUgXvouLd-g - 6:47
(Side B)
B1. 45秒間の分裂症的安息日 Maximum Speed Of Muji Bird (S.Narumo) - 1:10 *no links
B2. Leave Me Woman (C.Lyn, S.Narumo) - 4:42 *no links
B3. Mary Jane On My Mind (C.Lyn, H.Tsunoda) : https://youtu.be/zg-DDtefFkE - 5:10
B4. 地球の幻影 Spherical Illusion (S.Narumo, H.Tsunoda) : https://youtu.be/lM7t7g3AEjQ - 5:55
B5. 大烏が地球にやって来た日 When The Raven Has Come To The Earth (S.Narumo) : https://youtu.be/OVwAp8wKGcs - 6:40
[ Strawberry Path ]
成毛シゲル Shigeru Narumo - guitars, keyboads, bass
角田ヒロ Hiro Tsunoda - drums, vocals
with
江藤勲 Isao Eto - bass on A2,A3,B2,B3,B4,B5
柳ジョージ George Yanagi - vocal on A1
中谷望 Nozomu Nakatani - flute on B5
*
フライド・エッグ Flied Egg - グッバイ・フライド・エッグ Goodbye Flied Egg (Virtigo, 1972) Full Album : https://youtu.be/a3pnTMum7X0
Released by Philips Records Virtigo-FX8606, December 1972
(Side A) Live Side
A1. Leave Me Woman (C.Lynn, S.Narumo) - 4:27
A2. Rolling Down The Broadway ? (C.Lyn, S.Narumo) - 4:03
A3. Rock Me Baby (B.B. King, J. Josea) - 3:38
A4. Five More Pennies ? (C.Lyn, S.Narumo) - 12:11
(Side B) Studio Side
B1. Before You Descend? (P.Sky, S.Narumo) - 3:59
B2. Out To The Sea (M.Takanaka) - 2:36
B3. Goodbye My Friends (H.Tsunoda) - 1:40
B4. 521秒の分裂症的シンフォニー 521Seconds Schizophrenic Symphony (S.Narumo) - 8:41
? a )The 1st Movement: Promnade
? b )The 2nd Movement: A Rock Beside The Gate
? c) The 3rd Movement: Strawberry Path
? d )The 4th Movement: Finale
[ Flied Egg ]
成毛シゲル Shigeru Narumo - guitars, keyboads
角田ヒロ Hiro Tsunoda - drums, vocals
高中マサヨシ Masayoshi Takanaka - bass, guitar
with
柳ジョージ George Yanagi - vocal on B1
70年代日本ロック界でトップ・ギタリストといえば成毛滋、そして成毛がリーダーだったバンドでは、70年代の日本のロックの代表作には必ず上げられるストロベリー・パスの『大烏が地球にやって来た日』1971.6と、ストロベリー・パスの改名バンド、フライド・エッグの2作(『グッドバイ~』1971.12の前にスタジオ録音アルバム『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』1972.4がある)が知られるが、本当に多くの人が聴いているのだろうか、と常々疑問視される「名のみ名盤」の日本ロック部門の最有力候補でもある。
いや、少なくともストロベリー・パスのアルバムで初出した「メリー・ジェーン」は45年もの間有線放送スタンダードであり、つのだ☆ひろ(角田ヒロ改め)による再録もあるがストロベリー・パスのヴァージョンのつのだ名義によるシングル再発がもっとも高いセールスを記録していると言われ、各ヴァージョンのトータル・セールスは200万枚というから日本のロック・オリジナル曲では最大のヒット曲になる。「メリー・ジェーン」を含むだけでも『大烏~』は70年代の日本のロックでは数少ない大ヒット・シングルを生んだアルバムと言えて、フォーク、ポップス系ではない純ロック畑からのヒット曲としても「メリー・ジェーン」に並ぶものはすぐには思いつかない。せいぜいキャロルの一連のヒット曲くらいだろうか。ロック寄りのSSWでも最大のヒットメイカー井上陽水はまだ1972年春にデビューしたばかりだった。
(Original Philips "When The Raven Has Come To The Earth" LP Liner Cover)
商業的成功を基準にすると日本の70年代ロックは「メリー・ジェーン」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」に集約されてしまう、という事実は日本へのロックの根づき方を語ってもいるだろう。『大烏が地球にやって来た日』からはリンクが9曲中5曲しか引けなかったが、引けなかった4曲のうちA1,B2はA2,A4と同タイプのハードロックで、B1はB2の前奏的インストのオルガン・フーガでタイトル通り45秒しかない。英語タイトルの「Muji Dori」は谷岡ヤスジの「アサーッ!」という、アレです。A3はピンク・フロイド風牧歌的インスト。リンクを引いた曲で触れていない曲を見れば、B4はギターソロとドラムソロの応酬によるジャズロック、B5はインストのプログレ大作で、よくよく聴けば、いや誰でも気づくが、♪メリー・ジェーン~につながっていくものはアルバム収録の他の曲には何もないのだった。
てか全曲がメリー・ジェーンなアルバムなどあったらその方がたまらないのだが、本作で聴くかぎり肺活量すごいんだろうなあ、と毎回感心する角田ヒロの大味なヴォーカルに統一感があるためメリー・ジェーンだけが浮いてはいない。ストロベリー・パスのアルバムはハードロック曲はレッド・ツェッペリンとユーライア・ヒープ、プログレ・インストではピンク・フロイドの影響が観られて、だいたい少し前のブリティッシュ・ロックをなぞった内容だが、するとやっぱり「メリー・ジェーン」は本来のコンセプトから外れている。だが日本のロック・リスナーはアニマルズの「The House Of The Rising Sun」からビッグ・ブラザー&ホールディング・CO.(ジャニス・ジョプリン)の「Summertime」、グランドファンクの「Heartbreaker」、ツェッペリンのアレやイーグルスのアレなど、品格のない短調のバラードを好む傾向があり、それもロックの幅広さには違いない。成毛が音楽監督の映画主題歌に採用されシングル発売予定もあった(後述)。アルバム収録にバンド側も逡巡はなかったのだろう。
(Original Philips/Virtigo "Goodbye Flied Egg" LP Gatefold Sleeve)
ストロベリー・パスは成毛滋(ギター/1945-2007)と角田ヒロ(現つのだ☆ひろ、ドラムス&ヴォーカル/1949-)が中心になって活動していたメンバー流動型のセッション・バンド、ジプシー・アイズ(録音作品なし)から中核メンバーの成毛と角田が本格的にデュオ形態のバンドに移行したもので、ジプシー・アイズには当時の東京の本格的洋楽指向のロック・ミュージシャンのほとんどが参加していた。成毛は60年代に学生バンド・コンテストで次々優勝して勇名を馳せた、プロ・デビューしたザ・フィンガーズの花形ギタリストだったにも関わらずキーボードを兼任させられ、ストロベリー・パスの頃には左手の押弦だけでギターを弾きながら右手でキーボード、同時にキーボードのベース・ペダルを演奏していた。成毛は日本でもっとも早くギターのベンディング奏法(チョーキング)を始めたギタリストとして知られ、当時の日本のロック・シーンでは最速の速弾きギタリストとして驚嘆された存在だった。
角田は18歳で渡辺貞夫グループに抜擢された天才少年ドラマーで、渡辺グループ加入と同時に海外公演で絶賛を浴びていた注目の若手ミュージシャンだった。年齢が若いのでロックにも理解のある渡辺とは円満なまま後期ジャックス、休みの国、加藤和彦、セッション・バンドの「フード・ブレイン」等でロック畑に進出。ジャックスでは加入してすぐリード・ヴォーカルを取るなどヴォーカリストとしての力量も早くから披露していた。ライヴは成毛と角田のデュオでこなしたがストロベリー・パスのアルバムではNo.1セッション・ベーシストの江藤勲が大半のベースを弾くことになった。毎回リード・ヴォーカル曲でゲスト参加していた柳ジョージはジプシー・アイズではベースで参加することもあったがレギュラー参加はスケジュール的に無理だったため、アメリカ駐留軍基地の高校生バンド「Brush」(自主制作盤あり)でギターを弾いていた現役高校生の高中正義(1953-)を正式ベーシストに迎えて、バンドはフライド・エッグに改名する。
(Original Philips/Virtigo "Goodbye Flied Egg" LP Side A & Side B Label)
フライド・エッグの真の代表作は唯一の全曲スタジオ録音アルバム『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』を上げるのが妥当と思われるし、次回でご紹介したいと思う。ストロベリー・パスの唯一作(1971年6月)から数えても、A面に解散ライヴ、B面にスタジオ録音の新曲を収めたフライド・エッグの解散アルバム『グッバイ~』は1972年12月発売と、ジプシー・アイズの活動を含めても満2年の短命バンドだった。解散後成毛滋はジプシー・アイズ活動以前に3年間滞在していたロンドンへ戻り(成毛はブリジストンの石橋財閥令息、鳩山兄弟の従兄弟に当たる)、つのだ☆ひろはバンドリーダーになってスペース・バンドを結成、活動する。つのだの場合は、71年夏にATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(監督=清水邦夫・田原総一朗)主題歌にシングル『メリー・ジェーン』が使われ、フライド・エッグ存続中の1972年7月には編集ヴァージョンのシングルがつのだのソロ名義で発売されているのが、すでにフライド・エッグ解散後の布石となっていたものと思われる。
フライド・エッグの解散ライヴは日比谷野外公園で1972年9月19日に行われた。フライド・エッグ名義の第1作『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』が1972年4月なのだから、アルバム発売時には解散までのスケジュールはほぼ確定していたとしか思えない。『~フライド・エッグ・マシーン』より先に『大烏~』と『グッバイ~』をご紹介したのは、やはり今でも「メリー・ジェーン」は問題の1曲なのと、『グッバイ~』はライヴのストレートなハードロック・バンドぶりとスタジオ録音のギャップにこのバンドの振幅が表れていると思えるからで、『~フライド・エッグ・マシーン』はその点バンドが統一感に留意した成功作になっている。ただし真の問題は、ストロベリー・パス~フライド・エッグの音楽はまったく感動に欠けることだ。面白さがないのではないが、これはどういうことなのだろうか。
Released by Philips Records Philips? FX-8516, June 1971
(Side A)
A1. I Gotta See My Gypsy Woman (C.Lyn, S.Narumo) - 5:20 *no links
A2. Woman Called Yellow "Z" (C.Lyn, S.Narumo) : https://youtu.be/Q3VLxvIEHAE - 5:52
A3. The Second Fate (H.Tsunoda) - 4:50 *no links
A4. Five More Pennies (C.Lyn, S.Narumo) : https://youtu.be/tUgXvouLd-g - 6:47
(Side B)
B1. 45秒間の分裂症的安息日 Maximum Speed Of Muji Bird (S.Narumo) - 1:10 *no links
B2. Leave Me Woman (C.Lyn, S.Narumo) - 4:42 *no links
B3. Mary Jane On My Mind (C.Lyn, H.Tsunoda) : https://youtu.be/zg-DDtefFkE - 5:10
B4. 地球の幻影 Spherical Illusion (S.Narumo, H.Tsunoda) : https://youtu.be/lM7t7g3AEjQ - 5:55
B5. 大烏が地球にやって来た日 When The Raven Has Come To The Earth (S.Narumo) : https://youtu.be/OVwAp8wKGcs - 6:40
[ Strawberry Path ]
成毛シゲル Shigeru Narumo - guitars, keyboads, bass
角田ヒロ Hiro Tsunoda - drums, vocals
with
江藤勲 Isao Eto - bass on A2,A3,B2,B3,B4,B5
柳ジョージ George Yanagi - vocal on A1
中谷望 Nozomu Nakatani - flute on B5
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フライド・エッグ Flied Egg - グッバイ・フライド・エッグ Goodbye Flied Egg (Virtigo, 1972) Full Album : https://youtu.be/a3pnTMum7X0
Released by Philips Records Virtigo-FX8606, December 1972
(Side A) Live Side
A1. Leave Me Woman (C.Lynn, S.Narumo) - 4:27
A2. Rolling Down The Broadway ? (C.Lyn, S.Narumo) - 4:03
A3. Rock Me Baby (B.B. King, J. Josea) - 3:38
A4. Five More Pennies ? (C.Lyn, S.Narumo) - 12:11
(Side B) Studio Side
B1. Before You Descend? (P.Sky, S.Narumo) - 3:59
B2. Out To The Sea (M.Takanaka) - 2:36
B3. Goodbye My Friends (H.Tsunoda) - 1:40
B4. 521秒の分裂症的シンフォニー 521Seconds Schizophrenic Symphony (S.Narumo) - 8:41
? a )The 1st Movement: Promnade
? b )The 2nd Movement: A Rock Beside The Gate
? c) The 3rd Movement: Strawberry Path
? d )The 4th Movement: Finale
[ Flied Egg ]
成毛シゲル Shigeru Narumo - guitars, keyboads
角田ヒロ Hiro Tsunoda - drums, vocals
高中マサヨシ Masayoshi Takanaka - bass, guitar
with
柳ジョージ George Yanagi - vocal on B1
70年代日本ロック界でトップ・ギタリストといえば成毛滋、そして成毛がリーダーだったバンドでは、70年代の日本のロックの代表作には必ず上げられるストロベリー・パスの『大烏が地球にやって来た日』1971.6と、ストロベリー・パスの改名バンド、フライド・エッグの2作(『グッドバイ~』1971.12の前にスタジオ録音アルバム『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』1972.4がある)が知られるが、本当に多くの人が聴いているのだろうか、と常々疑問視される「名のみ名盤」の日本ロック部門の最有力候補でもある。
いや、少なくともストロベリー・パスのアルバムで初出した「メリー・ジェーン」は45年もの間有線放送スタンダードであり、つのだ☆ひろ(角田ヒロ改め)による再録もあるがストロベリー・パスのヴァージョンのつのだ名義によるシングル再発がもっとも高いセールスを記録していると言われ、各ヴァージョンのトータル・セールスは200万枚というから日本のロック・オリジナル曲では最大のヒット曲になる。「メリー・ジェーン」を含むだけでも『大烏~』は70年代の日本のロックでは数少ない大ヒット・シングルを生んだアルバムと言えて、フォーク、ポップス系ではない純ロック畑からのヒット曲としても「メリー・ジェーン」に並ぶものはすぐには思いつかない。せいぜいキャロルの一連のヒット曲くらいだろうか。ロック寄りのSSWでも最大のヒットメイカー井上陽水はまだ1972年春にデビューしたばかりだった。
(Original Philips "When The Raven Has Come To The Earth" LP Liner Cover)
商業的成功を基準にすると日本の70年代ロックは「メリー・ジェーン」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」に集約されてしまう、という事実は日本へのロックの根づき方を語ってもいるだろう。『大烏が地球にやって来た日』からはリンクが9曲中5曲しか引けなかったが、引けなかった4曲のうちA1,B2はA2,A4と同タイプのハードロックで、B1はB2の前奏的インストのオルガン・フーガでタイトル通り45秒しかない。英語タイトルの「Muji Dori」は谷岡ヤスジの「アサーッ!」という、アレです。A3はピンク・フロイド風牧歌的インスト。リンクを引いた曲で触れていない曲を見れば、B4はギターソロとドラムソロの応酬によるジャズロック、B5はインストのプログレ大作で、よくよく聴けば、いや誰でも気づくが、♪メリー・ジェーン~につながっていくものはアルバム収録の他の曲には何もないのだった。
てか全曲がメリー・ジェーンなアルバムなどあったらその方がたまらないのだが、本作で聴くかぎり肺活量すごいんだろうなあ、と毎回感心する角田ヒロの大味なヴォーカルに統一感があるためメリー・ジェーンだけが浮いてはいない。ストロベリー・パスのアルバムはハードロック曲はレッド・ツェッペリンとユーライア・ヒープ、プログレ・インストではピンク・フロイドの影響が観られて、だいたい少し前のブリティッシュ・ロックをなぞった内容だが、するとやっぱり「メリー・ジェーン」は本来のコンセプトから外れている。だが日本のロック・リスナーはアニマルズの「The House Of The Rising Sun」からビッグ・ブラザー&ホールディング・CO.(ジャニス・ジョプリン)の「Summertime」、グランドファンクの「Heartbreaker」、ツェッペリンのアレやイーグルスのアレなど、品格のない短調のバラードを好む傾向があり、それもロックの幅広さには違いない。成毛が音楽監督の映画主題歌に採用されシングル発売予定もあった(後述)。アルバム収録にバンド側も逡巡はなかったのだろう。
(Original Philips/Virtigo "Goodbye Flied Egg" LP Gatefold Sleeve)
ストロベリー・パスは成毛滋(ギター/1945-2007)と角田ヒロ(現つのだ☆ひろ、ドラムス&ヴォーカル/1949-)が中心になって活動していたメンバー流動型のセッション・バンド、ジプシー・アイズ(録音作品なし)から中核メンバーの成毛と角田が本格的にデュオ形態のバンドに移行したもので、ジプシー・アイズには当時の東京の本格的洋楽指向のロック・ミュージシャンのほとんどが参加していた。成毛は60年代に学生バンド・コンテストで次々優勝して勇名を馳せた、プロ・デビューしたザ・フィンガーズの花形ギタリストだったにも関わらずキーボードを兼任させられ、ストロベリー・パスの頃には左手の押弦だけでギターを弾きながら右手でキーボード、同時にキーボードのベース・ペダルを演奏していた。成毛は日本でもっとも早くギターのベンディング奏法(チョーキング)を始めたギタリストとして知られ、当時の日本のロック・シーンでは最速の速弾きギタリストとして驚嘆された存在だった。
角田は18歳で渡辺貞夫グループに抜擢された天才少年ドラマーで、渡辺グループ加入と同時に海外公演で絶賛を浴びていた注目の若手ミュージシャンだった。年齢が若いのでロックにも理解のある渡辺とは円満なまま後期ジャックス、休みの国、加藤和彦、セッション・バンドの「フード・ブレイン」等でロック畑に進出。ジャックスでは加入してすぐリード・ヴォーカルを取るなどヴォーカリストとしての力量も早くから披露していた。ライヴは成毛と角田のデュオでこなしたがストロベリー・パスのアルバムではNo.1セッション・ベーシストの江藤勲が大半のベースを弾くことになった。毎回リード・ヴォーカル曲でゲスト参加していた柳ジョージはジプシー・アイズではベースで参加することもあったがレギュラー参加はスケジュール的に無理だったため、アメリカ駐留軍基地の高校生バンド「Brush」(自主制作盤あり)でギターを弾いていた現役高校生の高中正義(1953-)を正式ベーシストに迎えて、バンドはフライド・エッグに改名する。
(Original Philips/Virtigo "Goodbye Flied Egg" LP Side A & Side B Label)
フライド・エッグの真の代表作は唯一の全曲スタジオ録音アルバム『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』を上げるのが妥当と思われるし、次回でご紹介したいと思う。ストロベリー・パスの唯一作(1971年6月)から数えても、A面に解散ライヴ、B面にスタジオ録音の新曲を収めたフライド・エッグの解散アルバム『グッバイ~』は1972年12月発売と、ジプシー・アイズの活動を含めても満2年の短命バンドだった。解散後成毛滋はジプシー・アイズ活動以前に3年間滞在していたロンドンへ戻り(成毛はブリジストンの石橋財閥令息、鳩山兄弟の従兄弟に当たる)、つのだ☆ひろはバンドリーダーになってスペース・バンドを結成、活動する。つのだの場合は、71年夏にATG映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(監督=清水邦夫・田原総一朗)主題歌にシングル『メリー・ジェーン』が使われ、フライド・エッグ存続中の1972年7月には編集ヴァージョンのシングルがつのだのソロ名義で発売されているのが、すでにフライド・エッグ解散後の布石となっていたものと思われる。
フライド・エッグの解散ライヴは日比谷野外公園で1972年9月19日に行われた。フライド・エッグ名義の第1作『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』が1972年4月なのだから、アルバム発売時には解散までのスケジュールはほぼ確定していたとしか思えない。『~フライド・エッグ・マシーン』より先に『大烏~』と『グッバイ~』をご紹介したのは、やはり今でも「メリー・ジェーン」は問題の1曲なのと、『グッバイ~』はライヴのストレートなハードロック・バンドぶりとスタジオ録音のギャップにこのバンドの振幅が表れていると思えるからで、『~フライド・エッグ・マシーン』はその点バンドが統一感に留意した成功作になっている。ただし真の問題は、ストロベリー・パス~フライド・エッグの音楽はまったく感動に欠けることだ。面白さがないのではないが、これはどういうことなのだろうか。