2025年新作深夜冬アニメ(1月~3月)放映予定の一覧を、首都圏地上波・無料BS局放映のみの作品に絞ってまとめました。有料BS局、有料配信サイトのみの新作もこのリスト以外にありますが、それらはのちに地上波局に降りてきてから改めて新作としてご紹介することにします。まだ放映日時未定作品もある上に、日時の変更、配信オリジナル作品の地上波初放送、さらに注目すべき再放送作品も予想されますが、それらは随時訂正・追補していきたいと思います。なおこの冬の新作アニメは1月1日(水)から始まりますので、水曜日始まり・放映時刻順に並べました。全国キー局・地方局のリストにすると膨大になるので首都圏版・無料BS局のみにしましたが、ほとんどの新作は各地方局、配信サイトで観られますので、参考にしていただければ幸いです。なお今季アニメで飛び抜けて放映局数が多いのは、全国31局ネット(!)で放映される『Aランクパーティ離脱~Aランクパーティを離脱した俺は、元教え子たちと迷宮深部を目指す。』なのを注記として添えておきます。
【2024年・年末スペシャル】
◎五等分の花嫁* (TVスペシャル)
>TBS:12/23(月) 25:29~
>BS11:01/01(水) 16:00~ ※全局2話一挙放送
◎ささやくように恋を唄う【第11話・第12話】※2話連続放送
>テレビ朝日系:12/28(土) 25:45~
>BS朝日:12/29(日) 25:00~
◎Fate/strange Fake【最新話】 (TVスペシャル)※「Fate Project 大晦日TVSP 2024」内にて放送。
>TOKYO MX:12/31(火) 21:30~
>BS11:12/31(火) 21:30~
【2025年冬アニメ(1月~)新番組一覧】
●水曜日
◎いずれ最強の錬金術師?
>TOKYO MX:01/08(水) 22:00~
>BS11:01/08(水) 24:00~
◎誰ソ彼ホテル
>TOKYO MX:01/08(水) 22:30~
>BS日テレ:01/08(水) 23:00~
◎天久鷹央の推理カルテ
>TOKYO MX:01/01(水) 24:00~ ※初回は1話・2話連続放送 ※2週目以降は01/08(水) 24:30~
>BS11:01/01(水) 24:00~ ※初回は1話・2話連続放送 ※2週目以降は01/08(水) 24:30~
◎マジック・メイカー~異世界魔法の作り方~
>テレビ東京:01/08(水) 24:00~
>BS日テレ:01/09(木) 23:00~
◎ハニーレモンソーダ
>フジテレビ:01/08(水) 24:55~
>BSフジ:01/15(水) 24:00~
◎グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION
>TOKYO MX:01/01(水) 25:00~
>BS日テレ:01/01(水) 25:00~
◎RINGING FATE
>フジテレビ:01/08(水) 25:25~
◎異修羅 SEASON2
>TOKYO MX:01/08(水) --:--~
◎Re:ゼロから始める異世界生活 3rd seaon【反撃編】
>TOKYO MX:02/05(水) ~
●木曜日
◎Dr.STONE -SCIENCE FUTURE-(第4期) 【第1クール】
>TOKYO MX:01/09(木) 22:00~
>BS11:01/09(木) 24:00~
◎アラフォー男の異世界通販
>TOKYO MX:01/09(木) 22:30~
>BS11:01/09(木) 24:30~
◎BanG Dream! Ave Mujica
>TOKYO MX:01/02(木) 23:00~
>BS日テレ:01/02(木) ~
◎もめんたりー・リリィ
>TOKYO MX:01/02(木) 23:30~
>BS朝日:01/03(金) 23:00~
◎悪役令嬢転生おじさん
>TBS系:01/09(木) 24:26~
◎想星のアクエリオン Myth of Emotions(第4期)
>TOKYO MX:01/09(木) 24:30~
>BS朝日:01/10(金) 23:30~
◎どうせ、恋してしまうんだ。
>TBS:01/09(木) 25:28~
>BS11:01/12(日) 23:30~
◎不遇職【鑑定士】が実は最強だった
>TOKYO MX:01/09(木) --:--~
>BS11:01/09(木) --:--~
●金曜日
◎FARMAGIA(ファーマギア)
>TOKYO MX:01/10(金) 22:30~
>BS11:01/10(金) 23:00~
◎クラスの大嫌いな女子と結婚することになった。
>TOKYO MX:01/03(金) 23:30~
>BS11:01/03(金) 23:30~
◎薬屋のひとりごと 第2期
>日本テレビ系:01/10(金) 23:40~
>BS日テレ:01/11(土) 22:30~
◎ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います
>TOKYO MX:01/10(金) 24:00~
>BS11:01/10(金) 24:00~
◎Übel Blatt~ユーベルブラット~
>TOKYO MX:01/10(金) 24:30~
>BS日テレ:01/11(土) 24:30~
◎日本へようこそエルフさん。
>TBS:01/10(金) 25:53~
>BS11:01/13(月) 23:30~
●土曜日
◎Sランクモンスターの《ベヒーモス》だけど、猫と間違われてエルフ娘の騎士として暮らしてます
>TOKYO MX:01/04(土) 22:30~
>BS11:01/05(日) 24:00~
◎SAKAMOTO DAYS【第1クール】
>テレビ東京系:01/11(土) 23:00~
>BSテレ東:01/12(日) 24:00~
◎UniteUp! -Uni:Birth-(第2期)
>TOKYO MX:01/11(土) 23:30~
>BS11:01/11(土) 23:30~
◎ババンババンバンバンパイア
>テレビ朝日系:01/11(土) 23:30~
>BS朝日:01/12(日) 25:00~
◎Aランクパーティ離脱~Aランクパーティを離脱した俺は、元教え子たちと迷宮深部を目指す。
>日本テレビ系:01/11(土) 24:55~
>BS日テレ:01/18(土) 24:00~
◎沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる
>TOKYO MX:01/04(土) 25:00~
>BS11:01/04(土) 25:00~
◎ニートくノ一となぜか同棲はじめました
>TOKYO MX:01/04(土) 25:30~
>BS11:01/04(土) 25:30~
◎メダリスト
>テレビ朝日系:01/04(土) 25:30~
>BS朝日:01/06(月) 23:24~
◎魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~
>テレビ朝日系:01/11(土) 26:00~
◎闇芝居 十四期
>テレビ東京:01/04(土) 26:50~
●日曜日
◎キミとアイドルプリキュア♪
>テレビ朝日系:02/--(日) 08:30~
◎妃教育から逃げたい私
>TOKYO MX:01/05(日) 22:00~
>BSフジ:01/08(水) 24:30~
◎君のことが大大大大大好きな100人の彼女 第2期
>TOKYO MX:01/12(日) 22:30~
>BS11:01/12(日) 24:30~
◎全修。
>テレビ東京系:01/05(日) 23:45~
>BSテレ東:01/10(金) 24:59~
◎キン肉マン -完璧超人始祖編- Season2
>TBS系:01/12(日) 23:57~
>BS11:01/17(金) 18:30~
◎戦隊レッド 異世界で冒険者になる
>TOKYO MX:01/12(日) 24:30~
>BS11:01/12(日) 25:05~
●月曜日
◎魔法使いの約束
>TOKYO MX:01/06(月) 22:00~
>BS-TBS:01/07(火) 23:30~
◎わたしの幸せな結婚 第2期
>TOKYO MX:01/06(月) 22:30~
>BS11:01/06(月) 23:00~
◎この会社に好きな人がいます
>TOKYO MX:01/06(月) 23:00~
>BSフジ:01/07(火) 24:00~
◎サラリーマンが異世界に行ったら四天王になった話
>TOKYO MX:01/06(月) 23:30~
>BS11:01/06(月) 24:00~
◎黒岩メダカに私の可愛いが通じない
>テレビ東京系:01/06(月) 24:00~
◎没落予定の貴族だけど、暇だったから魔法を極めてみた
>テレビ東京:01/06(月) 25:30~
>BSフジ:01/09(木) 24:30~
●火曜日
◎外れスキル《木の実マスター》 ~スキルの実(食べたら死ぬ)を無限に食べられるようになった件について~
>TOKYO MX:01/07(火) 23:30~
>BSフジ:01/07(火) 24:30~
◎Unnamed Memory Act.2
>TOKYO MX:01/07(火) 24:30~
>BS11:01/07(火) 24:30~
◎花は咲く、修羅の如く
>日本テレビ:01/07(火) 25:35~
>BS日テレ:01/08(水) 23:30~
●未定
◎青の祓魔師 -終夜篇-(第5期)
>2025/01/--(-)
◎俺だけレベルアップな件 Season 2 -Arise from the Shadow-
>2025/01/--(-)
◎地縛少年花子くん 第2期
>TBS系:--/--
◎空色ユーティリティ
>(未定)--/--
2024年秋アニメ(10月~)新番組一覧・首都圏版
2024年新作深夜秋アニメ(10月~12月)放映予定昨年一覧を、首都圏地上波・無料BS局放映のみの作品に絞ってまとめました。有料BS局、有料配信サイトのみの新作もこのリスト以外にありますが、それらはのちに地上波局に降りてきてから改めて新作としてご紹介することにします。まだ放映日時未定作品もある上に、日時の変更、配信オリジナル作品の地上波初放送、さらに注目すべき再放送作品も予想されますが、それらは随時訂正・追補していきたいと思います。今回リスト作成のため調べたところ、放映局の多さでは、
●放映局が全国10局以上の新作
◎歴史に残る悪女になるぞ~悪役令嬢になるほど王子の溺愛は加速するようです!
◎るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-【京都動乱】(第2期)
●放映局が全国6局以上10局未満の新作
◎ソードアート・オンライン オルタナティブ・ガンゲイル・オンライン 第2期
◎BLEACH-ブリーチ- 千年血戦篇 -相剋譚-
◎青の祓魔師 -雪ノ果篇-(第4期)
◎鴨乃橋ロンの禁断推理 2nd Season
◎魔王2099
●放映局が全国4局~5局の新作
◎カミエラビ 【シーズン2】完結編
◎ネガポジアングラー
◎メカウデ
◎ハミダシクリエイティブ
◎百姓貴族 2nd Season
◎凍牌~裏レート麻雀闘牌録~
◎魔王様、リトライ!R(第2期
となりました。放映局の多さは制作・放映局側の作品への期待度や話題性が反映していますので、上記なおこの秋の新作アニメは10月1日(火)から始まりますので、上記14作は一応今季の注目作と言えます。なおこの秋の新作アニメは10月1日(火)から始まりますので、火曜始まり・放映時刻順に並べました。全国キー局・地方局のリストにすると膨大になるので首都圏版・無料BS局のみにしましたが、ほとんどの新作は各地方局、配信サイトで観られますので、参考にしていただければ幸いです。
【2024年秋アニメ(10月~)新番組一覧】
●火曜日(10/01~)
◎妖怪学校の先生はじめました!
>TOKYO MX:10/08(火) 23:00~
>BS朝日:10/13(日) 23:00~
◎嘆きの亡霊は引退したい
>TOKYO MX:10/01(火) 23:30~
>BS日テレ:10/01(火) 23:30~
◎甘神さんちの縁結び
>テレビ東京系:10/01(火) 24:00~
>BS日テレ:10/01(火) 24:00~
◎歴史に残る悪女になるぞ~悪役令嬢になるほど王子の溺愛は加速するようです!
>TOKYO MX:10/01(火) 24:30~
>BS11:10/01(火) 24:30~
◎ぽちゃーズ※「EXITV」内にて放送
>フジテレビ:10/08(火) 25:25~
●水曜日(10/02~)
◎アクロトリップ
>TOKYO MX:10/02(水) 22:00~
>BS日テレ:10/02(水) 24:30~
◎やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中
>TOKYO MX:10/09(水) 23:00~
>BS日テレ:10/10(木) 23:00~
◎新テニスの王子様 U-17 WORLD CUP SEMIFINAL
>テレビ東京:10/02(水) 24:00~
◎カミエラビ 【シーズン2】完結編
>フジテレビ:10/02(水) 24:55~
>BSフジ:10/09(水) 24:00~
◎齢5000年の草食ドラゴン、いわれなき邪竜認定season2
>TOKYO MX:10/02(水) 25:05~
>BSフジ:10/08(火) 24:30~
◎百妖譜(ひゃくようふ) 第2期
>フジテレビ:10/02(水) 25:25~
◎Re:ゼロから始める異世界生活 3rd seaon【襲撃編】※初回は90分スペシャル
>TOKYO MX:10/02(水) ~
>他
●木曜日(10/03~)
◎きのこいぬ
>TOKYO MX:10/03(木) 21:25~
>BS11:10/03(木) 24:00~
◎殿と犬~わんわん!~
>TOKYO MX:10/10(木) 21:54~
◎星降る王国のニナ
>TOKYO MX:10/10(木) 22:00~
>BS朝日:10/11(金) 23:00~
◎ネガポジアングラー
>TOKYO MX:10/03(木) 22:30~
>BS日テレ:10/03(木) 25:00~
◎結婚するって、本当ですか
>TOKYO MX:10/03(木) 23:30~
>BS11:10/03(木) 23:30~
◎アオのハコ
>TBS系:10/03(木) 23:56~
◎ひとりぼっちの異世界攻略
>TOKYO MX:10/03(木) 24:00~
>BSフジ:10/03(木) 24:30~
◎ダンダダン
>TBS系:10/03(木) 24:26~
◎メカウデ
>TOKYO MX:10/03(木) 24:30~
>BS朝日:10/06(日) 23:30~
◎るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-【京都動乱】(第2期)
>フジテレビ:10/03(木) 24:55~
◎ハミダシクリエイティブ
>TOKYO MX:10/03(木) 25:00~
◎とーがね!おまつり部<再編集版>
>TOKYO MX:10/03(木) 25:20~
◎さようなら竜生、こんにちは人生
>TBS:10/10(木) 25:28~
◎はじめました、山猫医院
>チバテレビ:10/03(木) 25:30~
◎トリリオンゲーム
>TBS:10/03(木) ~
>他
●金曜日(10/04~)
◎殿と犬~ぽてぽて!~
>TOKYO MX:10/11(金) 19:26~
◎Duel Masters LOST ~追憶の水晶~
>YouTube:10/04(金) 20:00~
◎百姓貴族 2nd Season
>TOKYO MX:10/04(金) 21:54~
>BS朝日:10/07(月) 22:54~
◎ドラゴンボールDAIMA(ダイマ)
>フジテレビ系:10/11(金) 23:40~
◎株式会社マジルミエ
>日本テレビ系:10/04(金) 23:00~
>BS日テレ:10/05(土) 22:30~
◎ソードアート・オンライン オルタナティブ・ガンゲイル・オンライン 第2期
>TOKYO MX:10/04(金) 24:00~
>BS11:10/04(金) 24:00~
◎ダンジョンに出会いを求るのは間違っているだろうかⅤ【豊穣の女神篇】(第5期)
>TOKYO MX:10/04(金) 24:30~
>BS11:10/04(金) 24:30~
◎アイドルマスター シャイニーカラーズ 2nd season
>テレビ東京:10/04(金) 25:23~
>BS11:10/07(月) 23:30~
>BS日テレ:10/09(水) 22:30~
◎合コンに行ったら女がいなかった話
>TOKYO MX:10/04(金) 25:30~
>BS日テレ:10/06(日) 23:00~
◎魔法使いになれなかった女の子の話
>TBS:10/04(金) 25:53~
>BS-TBS:10/04(金) 26:30~
◎凍牌~裏レート麻雀闘牌録~
>TBS:10/04(金) 26:23~
>BS-TBS:10/04(金) 27:00~
●土曜日(10/05~)
◎オーイ!とんぼ 第2期
>テレビ東京系:10/05(土) 10:00~
>BSテレ東:10/07(月) 24:30~
◎青のミブロ
>日本テレビ系:10/19(土) 17:30~
◎科学×冒険サバイバル!
>NHK Eテレ:10/05(土) 18:25~
◎Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀4※人形劇
>TOKYO MX:10/05(土) 22:00~
◎BLEACH-ブリーチ- 千年血戦篇 -相剋譚-
>テレビ東京系:10/05(土) 23:00~
>BSテレ東:10/11(金) 24:30~
◎ブルーロック 第2期
>テレビ朝日系:10/05(土) 23:30~
◎チ。―地球の運動について―
>NHK総合:10/05(土) 23:45~
◎魔王2099
>TOKYO MX:10/12(土) 24:00~
>BS11:10/12(土) 24:00~
◎青の祓魔師 -雪ノ果篇-(第4期)
>TOKYO MX:10/05(土) 24:30~
>BS11:10/05(土) 24:30~
◎らんま1/2【新作】
>日本テレビ:10/05(土) 24:55~
>他
◎君は冥土様。
>テレビ朝日系:10/05(土) 25:30~
>BS朝日:10/12(土) 25:00~
◎パーティーから追放されたその治癒師、実は最強につき
>テレビ朝日系:10/05(土) 26:00~
●日曜日(10/06~)
◎七つの大罪 黙示録の四騎士 第2期
>TBS系:10/06(日) 16:30~
◎ラブライブ!スーパースター!! 第3期
>NHK Eテレ:10/06(日) 17:00~
◎シャングリラ・フロンティア 2nd season
>TBS系:10/13(日) 17:00~
◎殿と犬~くんくん!~
>TOKYO MX:10/13(日) 18:55~
◎〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン(※ABEMAでは既に配信中)
>TOKYO MX:09/29(日) 21:30~
>BS11:09/29(日) 22:30~
◎妻、小学生になる。
>TOKYO MX:10/06(日) 22:00~
>BS11:10/06(日) 23:30~
◎村井の恋
>TOKYO MX:10/06(日) 23:30~
>BS日テレ:10/06(日) 23:30~
◎転生貴族、鑑定スキルで成り上がる 第2期
>TBS系:09/29(日) 23:30~
>BS日テレ:09/30(月) 24:30~
◎ぷにるはかわいいスライム
>テレビ東京系:10/06(日) 23:45~
◎MFゴースト 2nd Season
>TOKYO MX:10/06(日) ~
>他
●月曜日(10/07~)
◎ハイガクラ
>TOKYO MX:10/07(月) 22:00~
>BS朝日:10/07(月) 23:24~
◎鴨乃橋ロンの禁断推理 2nd Season
>TOKYO MX:10/07(月) 22:30~
>BS11:10/07(月) 25:00~
◎来世は他人がいい
>TOKYO MX:10/07(月) 23:00~
>BS11:10/07(月) 24:00~
◎最凶の支援職【話術士】である俺は世界最強クランを従える
>TOKYO MX:10/07(月) 23:30~
>BS日テレ:10/07(月) 23:30~
◎夏目友人帳 第7期
>テレビ東京系:10/07(月) 24:00~
◎ありふれた職業で世界最強 3rd season
>TOKYO MX:10/14(月) 24:00~
>BS11:10/14(月) 24:30~
◎殿と犬~もふもふ!~
>TOKYO MX:10/14(月) 25:00~
◎精霊幻想記 第2期
>テレビ東京:10/07(月) 25:30~
>BSフジ:10/09(水) 24:30~
◎放課後少年花子くん 続編(※ショートアニメ全4話)
>TBS:10/07(月) 25:35~
●放映日時未定
◎魔王様、リトライ!R(第2期)
>TOKYO MX:10/--(--) ~
>BSフジ:10/--(--) ~
>BS日テレ:10/--(--) ~
◎Fate/strange Fake【最新話】(TVスペシャル)
>TOKYO MX:--/--(--) ~
◎グリザイア:ファントムトリガー THE ANIMATION(TVスペシャル)
>TOKYO MX:--/--(--) ~
◎五等分の花嫁(TVスペシャル)
>TBS系:--/--(--) ~
ザ・ドアーズと立原道造の「ヒヤシンス・ハウス」
ヒヤシンスの家 (ザ・ドアーズ)
The Hyacinth House (The Doors) (Electra, from the album "L. A. Woman", April 19, 1971) : https://youtu.be/Aeh_cU0pmR8?si=RhCPnIds2stuYNMa
What are they doing in the hyacinth house?
What are they doing in the hyacinth house?
To please the lions (yeah) this day
I need a brand new friend who doesn't bother me
I need a brand new friend who doesn't trouble me
I need someone (yeah) who doesn't need me
I see the bathroom is clear,
I think that somebody's near
I'm sure that someone is following me, oh yeah
Why did you throw the jack of hearts away?
Why did you throw the jack of hearts away?
It was the only card in the deck that I had left to play
And I'll say it again I need a brand new friend
And I'll say it again I need a brand new friend
And I'll say it again I need a brand new friend
The end
ヒヤシンスの家で彼らは何してるんだろう?
ヒヤシンスの家で彼らは何してるんだろう?
今日ライオンどもを、そう、機嫌をとるために
ぼくに迷惑をかけない新しい友達が必要なんだ
ぼくに迷惑をかけない新しい友達が必要なんだ
ぼくには必要なんだ、そう、ぼくを必要としない誰かが
バスルームが空いているのがわかる、
誰かが近くにいると思う
誰かがぼくの後をつけているに違いない、ああ
なんでハートのジャックを捨てたんだい?
なんでハートのジャックを捨てたんだい?
それはぼくが残しておいた唯一の切り札だったのに
もう一度言うよ、新しい友達が必要なんだ
もう一度言うよ、新しい友達が必要なんだ
もう一度言うよ、新しい友達が必要なんだ
終わり
The Doors - Hyacinth House (Robby Krieger's House Demo) : https://youtu.be/pF5BLqcOgNw?si=1lVxY5a0GQ2CZOXr
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ザ・ドアーズの曲「ヒアシンスの家 (The Hyacinth House)」はジム・モリソン(ヴォーカル、1943~1971)の遺作となったアルバム『L. A. ウーマン (L. A. Woman)』(Electra, April 19, 1971, US#9/UK#28/Canada#11/Holland#1)のオリジナルLPではB面2曲目の楽曲で、このアルバムでは全曲がドアーズ全員の共作となっていますが、歌詞と作曲はジム・モリソン、補作曲と編曲はリーダーでキーボード奏者のレイ・マンザレク(1939~2013)によるものです。この曲の歌詞はギリシャ神話の少年神、ヒュアキントスの死と変身の伝説(オヴィディウス『変身物語』岩波文庫など)を下敷きにしており、ジム・モリソンがアメリカの教育者で古代ギリシャについての著作が多いエディス・ハミルトン(Edith Hamilton, 1867~1963)のギリシャ神話についての本をいつも携行し愛読していたのはメンバーが証言しています。もともとバンド名もオルダス・ハックスリーの幻覚剤使用実験の手記『知覚の扉 (The doors of perception)』(1954年)から取ったドアーズは、デビュー・アルバムから旧約聖書の「伝道の書」の一篇をそのまま歌詞にする(「チャンスはつかめ (Take It as It Comes)」)、セリーヌの長篇小説『夜の果てへの旅』からタイトルを取る(「エンド・オブ・ザ・ナイト (End of the Night)」)、ソフォクレスの『オイディプス王』に材を取る(「ジ・エンド (The End)」)など非常に文学趣味の強いバンドで、メンバー全員が大学卒業生だったのも当時のロック・バンドでは稀なことでした。また1967年から1971年の間に、発表した7作のアルバムすべて(2枚組ライヴ盤含む)をゴールド・ディスク(50万枚突破)にし、スタジオ・アルバム6作すべてを全米アルバム・チャートのトップ10入りさせ(うちNo.1アルバム1作、デビュー・アルバムはビートルズの『サージェント・ペパーズ』に遮られて全米2位ながら年間チャート7位)、12曲のトップ100入りシングル・ヒット(うち7曲トップ40入り、No.1ヒット3曲)と、‘60年代後半のアメリカの新人バンドとしては最高の商業的成功を収め、批評家からの芸術的評価を獲得したグループです。こんな小難しいバンドがトップ・グループになったのも音楽面では親しみやすいポップ・センスを持っていたためで、この「ヒアシンスの家」も聴き流そうと思えば快適に聴ける、しかし歌詞の内容は不吉そのものの曲でもあります。
この曲の歌詞でジム・モリソンが下敷きにしたギリシャ神話の伝説は、アポロンの愛した美少年ヒュアキントスが、円盤投げ競技に出たアポロンの円盤を受け損ねて死んでしまうことから始まります。冥界の神ハーデスが遺体を奪いに現れますが、アポロンは拒否してヒュアキントスの血を大地に注ぐと、その遺体はヒアシンスの花に変身してハーデスを退けた、という伝説です。この場合ジム・モリソンはアポロンの円盤を受け損ねて死んだヒュアキントスで、ハーデスの冥界に引き取られないように遺体となったおれをヒアシンスに変えて連れ出してくれないか、それには誰かおれに無理強いしない新しい伴侶が必要だ、と、いう解釈になります。「ヒアシンスの家」は冥界行きを逃れる象徴ですが、それは花になるのと引き換えの死の家でもあるわけで、そこから連れ出してくれるための新たな恋人を待つ場所でもあります。そういう解釈が妥当なら、1953年の映画『乱暴者』のマーロン・ブランドの衣装から取って裸に革ジャン・革パンツに革ブーツと意識的にロック・スターを演じ続けてきて疲弊した自分を「アポロンの円盤を受け損じたヒュアキントス」と例えたことで、この曲はジム・モリソンの自伝的な曲になっており、すでにメンバー三人がバック・トラックを完成したあとジム・モリソンがメロディーをつけヴォーカル・パートをダビングする、と前作『モリソン・ホテル (Morrison Hotel)』(Electra, February 9, 1970, US#4/UK#12)から行ってきた手法と同一の作業で作られた『L. A. ウーマン』の完成後、ドアーズはプロモーション・ツアーを行わずレイ・マンザレク、ロビー・クリーガー(ギター、1946~)、ジョン・デンズモア(ドラムス、1944~)の三人で次のアルバム用のバック・トラックの制作に入り、ジム・モリソンはつきあい始めたばかりの恋人パメラ・カーソン(1946~1974)とパリに休養に行ってしまいます。そしてモリソンがホテルの風呂で急死したのは、アルバム発表からわずか3か月の、1971年7月3日のことでした。モリソンの変死(遺体は検死されずに埋葬されました)に関与しているのではないかと疑われていたパメラは、3年後の1974年4月にヘロインのオーバードーズで後を追ってしまいます。
◎アポロンとヒュアキントス像(18世紀製作)
この曲はドアーズのボックス・セット『The Doors Box Set』(Elektra, October 28, 1997)で、ロビー・クリーガーのビーチハウスで録音されたデモテープが発表され、同ボックスの解説書でメンバー三人がそれぞれ楽曲の成立過程を証言しています。モリソンがギリシャ神話の本を愛読していたのを証言し、これはヒュアキントス伝説の曲だと気づいたのはジョン・デンズモアだったようです。ロビー・クリーガーは実際にこの曲のデモテープが録音されたビーチハウスは庭でヒアシンスを栽培していたと証言し、「バスルームが空になるのが~」というのはモリソンとデンズモアが遊びに来た時一緒に来たモリソンの友人ベイブが先にシャワーを浴び、モリソンがバスルームが空くのを待っていた情景で、「ライオンどもを喜ばせ~」というのはクリーガーが飼っていたボブキャットで、「新しい友達が必要」というのはジムの恋人パメラがぼくたちと揉めていたことへのあてこすりだろう、と説明しています。またこのデモテープはリーダーのマンザレク抜きの演奏で、モリソンの歌、クリーガーのアコースティック・ギター、デンズモアはクリーガーの家にあったアラビアン・ドラムスを叩いていますが、完成テイクではマンザレクが間奏でショパンのポロネーズ6番の引用ソロ(アポロンの奮闘を表現して)を弾いており、補作曲と編曲をマンザレクが担当したことをマンザレク自身が語っています。デモテープではいかにも楽しげにホーム・レコーディングしていますが、この曲の歌詞が即興的に完成されたのはこのデモテープが録音された時になるそうで、おそらくメンバーも、ジム・モリソン本人でさえこの曲の歌詞の不吉さに気づいていなかったのかもしれません。すでに新作『L. A. ウーマン』の後では前作『モリソン・ホテル』発売時のような大規模ツアーは行わず、モリソンは休暇を取りに出かけ、残りの三人はすぐにモリソン帰国後のための次作用のバック・トラックを制作する、と余裕のあるスケジュールが決定していたようです。そしてモリソンはパリに休暇を取りに行ったまま帰らぬ人となり、デビュー・アルバム『ハートに火をつけて (The Doors)』(Electra, January 4, 1967, US#2/Canada#15, US Year End #7)から4年と4か月=52か月を四人編成で活動してきたドアーズはそのまま三人編成に移行します。マンザレクがリード・ヴォーカル兼任になった三人編成ドアーズは制作中のアルバム完成を急ぐため、パリのペール・ラシェーズ墓地で行われたモリソンの葬儀にも参列しませんでした。三人編成ドアーズは2枚の力作アルバムをリリースし、活発にライヴ活動を行うも、すべてのアルバムをトップ10入り、ゴールド・ディスク認定させてきたジム・モリソン在籍時から一気に人気は凋落し(南米ではヒット曲が出ましたが)、モリソン逝去2年後の1973年をもって解散してしまいます(のちマンザレクは「喪の期間が短すぎたんだ」と後悔の発言をしています)。デビュー・アルバムと再び『L. A. ウーマン』、三人編成ドアーズの第1作のアルバム・ジャケットを並べてみましょう。1967年のデビュー・アルバムから1971年の『L. A. ウーマン』でのわずか4年のジム・モリソンの容貌の激変、三人編成ドアーズの『Other Voices』(Electra, October 18, 1971, US#35)のいかにもジム・モリソンの不在を強調した、そのためかえって主役不在の印象は、アルバム内容が当初ジム・モリソンのヴォーカル・ダビングを前提として制作が進められていた作品だけに、力作にもかかわらず「ヒヤシンスの家」の不吉な予感が的中してしまったかのようです。
ヒヤシンス・ハウス、と言って連想されるのは、東京帝国大学工学部で建築学を学び、建築事務所に就職した詩人・立原道造(1914~1939)が建築作品の代表作として残した「ヒアシンスハウス」です。立原は早くからギリシャ神話のヒュアキントス伝説に惹かれ、自費出版した第一詩集『萱草に寄す』(昭和12年/1937年7月刊)、第二詩集『暁と夕の詩』(昭和12年/1937年12月刊)をともに「風信子(ヒアシンス)叢書」として刊行しました。そして立原道造を偲んで、立原生誕90周年の2004年に立原設計の遺稿設計図に基づいて「ヒアシンスハウス」がさいたま市の別所沼公園に建てられており、立原の命日・3月29日は「風信子(ヒアシンス)忌」と呼ばれています。
◎「ヒアシンスハウス」(さいたま市別所沼公園)
立原の設計した「ヒヤシンスハウス」はコテージ(小民家)と言うより茶屋または小屋のようなもので、トイレとベッドルームはありますが、台所も風呂場もありません。いわば散歩がてら自分だけの隠れ家として食料や飲料を持ち込んで半日すごすような作りで、とても本格的な住居とは言えないものです。立原道造の詩集のイメージそのままですが、このヒヤシンスハウスも、生活の場所ではなく一種の現実離れした虚構という意味では、「生ける屍の住む大棺(または墳墓)」のような感じさえしてきます。トイレしかなく座るか寝るしかないというのでは、拘置所の独居房や精神病棟の隔離室と同じです。現実の事象を現実とはメタ次元で表現する立原の詩の発想とそこがつながっています。立原本人が「現実を切り離す」不吉さを自覚していないだけに、ジム・モリソンのヒヤシンス・ハウスよりある意味いっそう不気味でもあれば、発想としては偶然の一致を見せています。ジム・モリソンがいかに文学趣味の強いヴォーカリスト兼作詞家だったとしても、当時おそらく英訳やその英文解説はなかったでだろう立原道造の「ヒアシンスハウス」を知っていたとは思えません。また立原が早くからギリシャ神話のヒュアキントス伝説に惹かれていたというのはナルシシズムとマゾヒシズムの不健康な混交を感じさせます。ある意味、神話・伝説を下敷きにして新たな神話的詩篇を生み出すという本家取りの趣向では、ジム・モリソンの歌詞の文学性はT・S・エリオットの長篇詩『荒地 (The Waste Land)』(1922年刊)やハート・クレインの長篇詩『橋 (The Bridge)』(1930年刊)を正統に継いだ、20世紀モダニズム現代詩の系譜にあります。ことに同性愛とドラッグ、アルコール依存症に苦しみ、船上から地中海へ投身自殺したクレインの作風に似ています。ブルースやロックに熱中するとともに文学青年でもあったモリソンが英語圏の現代詩の古典・エリオットやハート・クレインを読んでいなかったはずはありません。かえってボブ・ディランなどは詩人の名前など知ったかぶりをして無手勝手に自作曲を多作していた、とのちの自伝で自白しているほどで、それに較べるとジム・モリソンは実直なまでに勉強家タイプの作詞家でした。
◎逝去前年の立原道造(1914~1939)
今年生誕110年を迎える立原道造も、モリソンとは異なる意味で、やはりまた勉強家タイプの詩人でした。立原は明治以来の初版詩集を収集するのが趣味だったと立原の友人たちの証言があり、また師の堀辰雄のそのまた師、室生犀星については特に傾倒し、室生犀星が第一詩集として刊行した『愛の詩集』(大正7年/1918年1月刊)と、執筆年次は『愛の詩集』に先立つ第二詩集『抒情小曲集』(同年9月刊)を比較して、詩友たちにどちらを選ぶか詰問し、立原自身は『愛の詩集』を選ぶ、と宣言していたといいます。立原は不思議と古びない詩人で、あるいはそれが青年のまま亡くなった立原の青春性かもしれませんが、やや年長の中原中也、伊東静雄や津村信夫の持つ古典的風格、立原と同世代かつ夭逝した青年詩人の野村英夫、矢山哲治らの老成ぶりと較べても、どこか背伸びした少年の作文のような永遠の未完成的性格が感じられるのです。そこが師の堀辰雄譲りの文壇おじさまキラー、文学少女キラーの媚態が垣間見えるところで、享年27歳のジム・モリソンの「ヒヤシンスの家」は享年24歳の立原道造の「ヒアシンスハウス」よりよほど諦念に達しています。しかしそこが癖者で、立原の詩や「ヒアシンスハウス」はドアーズの「ヒヤシンスの家」よりよっぽどドリアン・グレイ的な、無自覚な魔性の魅力が立ちこめているとも言えるのです。
追悼・フォーク歌手、高石ともや(友也)さん(1941~2024)
高石ともやさん死去 フォークソングの旗手の晩年は達観したかのように穏やか「陽気に行こう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f39db66304d985c51cd72464f49a79cb6a3271a
https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12858626654.html
高石ともや(友也)さんが膵がんでお亡くなりになったと知ったのは、遅ればせながら8月17日(土)のご逝去からちょうど二週間目の昨日、8月31日(土)のことでした。筆者はつい先日、愛するひとと一緒に高石さんの高石友也名義時代の『想い出の赤いヤッケ/高石友也フォーク・アルバム第1集』(日本ビクター, 昭和42年/1967.8.15)、『受験生ブルース~第2回高石友也リサイタル実況より/高石友也フォーク・アルバム第2集』(日本ビクター, 昭和43年/1968.6.15)、『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』(日本ビクター, 昭和44年/1969.6.15)の、高石さん渡米旅行以前の初期アルバム三部作をアルバム未収録シングル曲入りのCDで聴き返し、彼女も筆者もその時代の、自分たちが生まれた頃・まだ幼児だった頃の日本のポピュラー音楽ではグループ・サウンズやフォーク・クルセダーズが好きですが、スパイダースやブルー・コメッツを始めとする素晴らしいGS時代の日本のロック・バンドや、才気に富んだフォークルはそれはそれとして、高石さんのプロテスト・フォークはなんて志の高い、真摯な音楽なんだろうと、その孤立した異質な存在感に目の覚める思いでした。そこで高石さんの近況はいかがなさっているだろうと、調べてみてつい二週間前にお亡くなりになっていたと知り、愕然としてせめてもと、急ぎこの追悼文を捧げることにした次第です。享年82歳の高石さんはボブ・ディランと同じ1941年生まれですが、高石さんはまさにボブ・ディランが果たした役割を日本の風土でなしとげられたのです。
年間300ステージ(!)をこなしていたという最盛期に制作・発表されたサード・アルバム『坊や大きくならないで』ではプロテスト・フォークの延長上にロック色が強まり、弾き語り以外のバンド編成の曲では、バック・バンドにジャックスと五つの赤い風船の、当時それぞれ東西を代表する、極めてサイケデリック色の強いアンダーグラウンド・シーンのフォーク・ロック・バンドが起用されていますが(ジャックスはその時期の高石さんのレギュラー・バックバンドでもありました)、ジャックスや風船の的確なサウンド以上に、このサード・アルバムは高石さん自身の訳詞によるバリー・マクガイア(1963年、全米3位「グリーン・グリーン」のヒットで知られるニュー・クリスティ・ミンストレルズのヴォーカリスト)の「明日なき世界 (Eve of Destruction)」(P. F. スローン作詞作曲、1965年7月、全米No.1)の鮮やかな(しかも原詞の内容、ニュアンスまで余すことなく伝えた)日本語カヴァーを筆頭に、ロックの日本語ヴォーカル・スタイルを革新した記念碑的作品となりました。アルバム全編、また同アルバム当時のアルバム未収録シングル「死んだ男の残したものは」(2バージョン)、「おいで僕のベッドに」(オーケストラ・バージョン)、「イムジン河」も初期三部作の高石さんの到達点を感じさせるもので、逆に言えばこのサード・アルバムで高石さんの和製プロテスト・フォークは頂点に達してしまったため、渡米~帰国後の30代以降の高石さんはカーター・ファミリーを範とするカントリー~ブルーグラス系の、プロテスト・フォーク以前の純粋なフォークに回帰したとも思えます。高石さんのライフワークとなったナターシャ・セブンでの活動がそれで、またマラソンやトライアスロンへの熱中も、より持続的なストイシズムを求めた高石さんの中では一貫したものだったと思われます。
◎『想い出の赤いヤッケ/高石友也フォーク・アルバム第1集』(日本ビクター, 昭和42年/1967.8.15)
https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kMRcF17kYHf1PNhvix4L8hlhUm5xhZ-dA&si=zu2-6oxRo5rCvarA
しかし初期三部作の高石さんのプロテスト・フォークはその姿勢において'60年代の先鋭的ロックが追求していた反骨精神そのもので、高石さんの存在、そして歌唱法の革新なくしては岡林信康さん、吉田拓郎さんら、より長く第一線の活動を維持したフォーク系シンガーソングライターの系譜は現れなかったでしょう(高田渡さん、遠藤賢司さん、三上寛さん、あがた森魚さんら、高石さんの系譜とは異なるシンガーソングライターも現れましたが)。高石さん自身は必ずしも自作自演型フォーク歌手ではなく、優れた選曲センスと音楽的言語センス、決定的だったのはその素晴らしい声質と歌唱力でした。声自体が光輝き、聴く人の心を射抜き、揺るがせるのです。日本語ロックのスタンダード曲となった高石さん訳詞版「明日なき世界」はその後の岡林信康さんや吉田拓郎さんの登場を予告し、その影響力は「日本語ロックの創始者」を自負したはっぴいえんど以上に広範なものでした。この曲を高石さん訳詞でカヴァーした忌野清志郎さん、佐野元春さん、宮本浩次さんらは、岡林さんや拓郎さんと同様、高石さんの歌唱法を独自に継承したものです。それほど日本語ロックのヴォーカル・スタイルを決定的に革新した歌手は高石さん以外にいません。遅咲きの高石さんと同時期に圧倒的存在感を誇ったロック歌手に、加橋かつみさん、早川義夫さん、加藤和彦さんと北山修さん、と数え上げても(まだまだお名前を上げられますが)、その個性は個人的でアーティスティックなもので、高石さんのような普遍性とは異なる指向性(北山修さんは高石さんに近いですが)によって表現されていた観を抱かせます。
◎『受験生ブルース~第2回高石友也リサイタル実況より/高石友也フォーク・アルバム第2集』(日本ビクター, 昭和43年/1968.6.15)
https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nYZRJU-dFKoshbkNDI3iA2mmq2PmTkoNA&si=pPHARrs3rVjB9VQW
個性を競うのではなく普遍性を探る、高石さんの場合には25歳デビューの遅咲きの高石さんが最初から備えていたのが(高石さんが最新のニューヨークのフォーク・シーンを伝えるレコードから学んだのは)、京都出身の高石さんの身の丈に合う現実の日本に移したフォーク・ミュージックの諧謔精神で、まだ青春期の日本のロック(GS)が「若い僕ら」の青春、ひと夏の恋、北欧の美少女との出会いを歌っていた時に、高石さんははっきりと日本の現実の学生、主婦、労働者の生活の実態や、戦争体験者を含む戦後20年を経たばかりの不安定な日本の民衆の直面する問題、そして国際的な危機意識を歌い上げました。高石さんのデビュー当時はまだ日本のフォークはプロの歌手はおらず、音楽好きの学生がサークル活動で合唱する、いわゆるカレッジ・フォークの時代でした。高石さんも大学8回生という学生でしたが、脱カレッジ・フォークを果たした、アーティストとしての主張を持つ日本初のソロのプロテスト・フォーク歌手として突然出現したのです。歌手としては遅咲きの25歳デビューでしたが、それだけに高石さんはアメリカのフォーク運動に学んで完全に咀嚼し、日本のプロテスト・フォーク歌手としてのスタイルをデビュー時から完成して登場しました。グループ・サウンズ全盛期にあって高石さんのプロテスト・フォークは、その精神性において当時の日本のロック・バンドよりも正統なロックに位置づけられるものでした。高石さんは同年生まれのボブ・ディランの5年遅れの日本版だったかもしれませんが、ステートメントを持ったアーティストとしてその登場は、日本のポピュラー音楽界では悠に5年は早かったのです。
◎『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』(日本ビクター, 昭和44年/1969.6.15)
https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mvqPHb4VBgviOkKyOdb17FGA1shSw5gBI&si=6zsAeULoyxJtpCVg
そして'60年代のフォーク・アルバム三部作ののちの高石さんは昭和44年(1969年)12月に一旦ライヴ活動を休止したのち福井県の名田庄村に移り住み、昭和45年(1970年)1月~5月のアメリカ旅行のあと音楽活動を再開、ブルーグラスやトラディショナル・フォーク、日本の民謡、また自身の生活を歌い、特に野外でのコンサート活動を中心として全国各地をまわります。名田庄村移住とアメリカ旅行の成果はよりフォークのルーツを追求した普遍的な音楽へ、というもので、翌昭和46年(1971年)1月にはナターシャ・セブンでのバンド活動に移行し、ナターシャ・セブンでの活動がバント編成を取らずソロ活動をする時も、その後の高石さんの音楽性となります。いわばピート・シーガー(1919~2014)の開拓したモダン・フォーク以前のブルーグラス~ルーツ・フォークを30代以降のライフワークとしたため、その音楽にはロック的要素は介在しないものとなりました。しかし高石さんが選び取った道が日本初の本格的ブルーグラス~ルーツ・フォークであれば、他人がとやかくそれを不服とし、口を挟むのは筋違いでしょう。
それもあってか、モダン・フォーク(プロテスト・フォーク)ばかりか日本のロック史の中に置いても、真に革新的だった'60年代の高石さんのフォーク・アルバム三部作は、日本のフォーク、そしてロックの金字塔にも関わらず、あまりに等閑視されています。筆者がアルバム『坊や大きくならないで/高石友也フォーク・アルバム第3集』をご紹介した記事をアメーバブログに載せたのは2021年4月19日(月)、さらに加筆修正した再紹介をつい先日の2024年7月27日(土)に載せましたが、その再紹介記事掲載時にはすでに高石さんは末期の膵がんで闘病中で、4週間後の8月17日(土)にはお亡くなりになるとは予想だにしないことでした。'70年代以降の高石さんの活動について筆者はまったく無知ですが、'60年代のフォーク・アルバム三部作は日本のポピュラー音楽史、フォーク史、ロック史の真の革新的最重要作にして、三作いずれも20代の高石さんのアーティスト・パワーのピークを記録した、感動なしには聴けない名盤です。機会を改めて取り上げたいと思いますが、後れ馳せながら訃報を知り、取り急ぎ高石さんの偉業を称えて追悼とさせていただきます。
スティーヴン・クレイン『街の女マギー』(続々)
前2回にわたって19世紀アメリカの夭逝作家スティーヴン・クレイン(Stephen Crane、1871~1899、享年28歳)の処女作にして第1長篇『街の女マギー (Maggie:A Girl of the Streets)』を読んできましたが、再びその成立背景とあらすじを記しておきます。『街の女マギー』はクレインが大学入学直後の1891年(19歳)に学業と新聞記者のアルバイトのかたわら執筆を始め、同年には早くも大学を退学してニューヨークのスラム街・バウアリー地区に取材におもむき、翌1892年(20歳)に完成するも刊行を引き受ける出版社はなく、21歳の1893年3月に亡父の遺産と兄からの借金で1100部を自費出版した、150ページ足らずの作品でした。当時のアメリカ文壇の大家たちへの献本は賞賛の返信を受けるも新聞・雑誌には書評さえ出ず、販売してくれる書店もなく、クレインはみずから露上で販売しましたがほとんど売れず、ゾッキ本として買い取った業者はかま焚き用の用紙として裁断処理しました。1980年代のアメリカ国会図書館の調査では現存部数はわずか24冊、その時点で1部400万円の古書価がついていたそうですから、現在ではその数倍の相場で取引されているでしょう。
クレインはアメリカ自然主義作家とされますが、ゾラやモーパッサンを代表とする1880年代のフランス自然主義小説とも、同世代のアメリカ自然主義作家フランク・ノリス(1870~1902)やセオドア・ドライサー(1871~1945)とも、島崎藤村(1872~1943)や田山花袋(1872~1930)、徳田秋声(1872~1943)らの日本の自然主義小説とも異なる非常に不思議な作風のものです。クレインが結核で夭逝するまでの5作の長篇小説は規模は中篇小説程度で、本格的な長篇小説作家としてはまだこれからの人でした。ノリスやドライサーはフランス自然主義並みの大作長篇を残しましたが、クレインは残された優れた長短篇小説からも、大作型の小説家にはならなかったと思えます。環境に翻弄される人間ドラマを捉える自然主義的視点はクレインにもあるのですが、ノリスやドライヤーのような雄大な構想力は乏しかったのです。その点では没落士族の長女として下町少女の和歌教師を生業に細々と一家を養っていた樋口一葉(1872~1896、『大つごもり』1894年、『たけくらべ』1895年)より生活経験に乏しく、作家志望のボヘミアン大学生のまま専業作家になった弱みは否定できません。24歳の短い生涯で一葉がたどり着いた晩年の中短篇は庶民や子供たちの世界から真実を射抜き、類を見ない完璧な成熟に達したものでしたが、クレインは28歳の享年からは十分早熟とはいえ、同時代の日本の女性作家・樋口一葉と較べると、その才能はまだ発展途上で途絶した観が強いのです。
ただしクレインは自分の力量とその限界を自覚しており、そのため題材は自然主義的でありながら、文体や構成を始めとする手法は意識的に独自の印象主義的な作風になったと解せます。またスラム街の少年少女の視点から作者の主観を混じえず描いた発想はアメリカ文学にマーク・トウェインという稀代な大作家がいたとはいえ、世界的にも稀な一葉の『たけくらべ』より2年先行しています。日本語訳にして原稿用紙180枚ほどの処女作『街の女マギー』はいずれも短い全19章からなり、内容は四部または五部に分けられます。
第一部(第1章~第3章)は、スラム街の不良少年ジミーが、敵対する隣のスラム街の不良少年団と一人で喧嘩しようとする場面から始まります。劣勢のジミーは友人のピートに助けられ、帰宅途中のジミーの父の姿に少年たちは引き上げていきます。ジミーは妹のマギー、よちよち歩きの弟のトミー、先に帰宅していた残忍で酒浸りの父、そしてやはり酒浸りで家事も育児も放棄した母メアリーのいるジョンソン家に帰ります。アイルランド移民の両親は夫婦仲も悪く、日常的に子供たちを虐待しています。
第二部(第4章~第9章)では数年が経ち、末子のトミーと父親は亡くなり、マギーは盗んできた花を棺の中のトミーの手に挿します。貨物馬車の馭者として働くジミーはさらに乱暴で冷笑的な無法者に成長しています。美しい少女に成長したマギーはシャツ工場で働き始めますが、マギーの努力は酒浸りの母親の浪費によって台無しになります。マギーは兄の友人ピートとつきあい始めます。バーテンダーとして働くピートはマギーの目に立派な人物に映り、今の生活から抜け出させてくれると思いこみます。ピートはマギーを誘惑するために劇場や博物館のデートに連れて行きます。ある夜、兄ジミーと母メアリーはマギーを「悪魔の所業(街娼)をやった」と罵倒し、耐えかねたマギーはピートを頼って家出します。
第三部(第10章~第14章)で、ジミーは自分もピート同様の放蕩者にもかかわらず、マギーを誘惑したピートのバーに行き喧嘩を始めます。ピートの勤めるバーの地下にある売春窟の女たちがピートをかばいます。安アパートの隣人たちがマギーの噂話に興じる中、兄ジミーと母メアリーはマギーをかばうどころか、隣人たちと一緒にマギーの悪口を言いふらします。
第四部または第四部・第五部(第15章~第16章・第17章~第19章)では、売春窟の「聡明で大胆な女」ネリーがマギーを度胸のない哀れな女と呼び、ピートに別れるよう促します。すでにマギーに飽きていたピートはマギーを捨てます。頼る者のなくなったマギーは家に帰ろうとしますが、母親に拒絶され、アパートの住人全員から蔑まれます。第17章では「彼女」とだけ呼ばれる街娼が通りをさまよい、次第に治安の悪化する方へスラム街を転々とし、夕暮れに職場から帰宅する工員たちを客引きするも失敗をくり返し、橋の上に着くと酔っぱらいに絡まれ、ようやく逃げると、夜のビル影が映る川面をじっと見つめます。第18章では、ピートが酒場で「聡明で大胆な」6人の着飾った娼婦たちと飲んでいます。泥酔して気を失ったピートから、ネリーらしき姉御分の女が財布を奪います。最終章の第19章では、帰宅したジミーが母親メアリーにマギーが死んだと告げます。酔った母親はマギーが赤ん坊だった頃の小さな靴下を取り出して自己憐憫に浸り、隣人たちが慰める中、「私はマギーを許すわ!」と絶叫します。
と、あらすじにするとゾラの『ナナ』(1880年)のような自然主義小説の常套の庶民の少女の堕落物語になりますが、『街の女マギー』の独創は説明的な性格描写や物語展開の細部を省き、映画のように各章ごとを独立した場面で構成したことにあります。映画で同様の話法が確立したのはD・W・グリフィス(1875~1948)の1909年以降の短篇映画からなので、『街の女マギー』はニューヨークのスラム街の不良少年少女たちの抗争を描いた、グリフィス初期の傑作『ピッグ横丁のならず者たち (The Musketeers of Pig Alley)』(1912年)を連想させます。『マギー~』においては、まず冒頭の第1章で描かれるスラム街の情景も、いきなり性格描写なしに、名前だけで呼ばれる少年ジミーが、ブルー・ビリーやライリー、親分らしい「16歳の少年」と呼ばれる隣のスラム街の不良少年たちと殴りあい、通りかかったピートに加勢され、工事から帰宅途中のジミーの父の姿を見て少年たちが散っていく、という行動と情景描写しかありません。第2章でジミーが帰宅したジョンソン家の描写も、ヒロインであるマギーすら「ぼろ服の少女」として登場し、家族の会話で「マギー」と呼ばれるまで名前すら地の文に表れません。この徹底したカメラ・アイ手法は街娼に身を落とした「彼女」が川に投身自殺することが暗示される第17章、バーテンのピートが売春窟の女たちと酒盛りに興じた挙げ句泥酔してネリーらしき姉御に財布を盗まれる第18章、死因すら説明されず兄のジミーが「マギーが死んだ!」とだけ母のメアリーに告げる第19章(最終章)でピークに達するので、この小説は行動と台詞(会話)、暗示だけでできています。第17章の「彼女」がマギーなのか、川に投身自殺するのかも代名詞と暗示でしか書かれておらず、また各章の出来事の因果関係も説明は一切省かれています。マギーの堕落のきっかけになる酒浸りの母メアリーの虐待、売春窟併設のバーに勤めるポン引きのバーテン・ピートの性格も母メアリーの陰口、裏表あるピートの行動を通して読者が読み取るしかありません。大作『ナナ』や『ベラミ』(モーパッサン、1885年)のようなフランス自然主義小説の精密なリアリズム描写とは、真っ向から対照的な手法で書かれています。こうしたクレインの手法はベストセラーになり出世作となった戦争小説の第2長篇『赤い武功章』(1894年完成、1895年刊)、『街の女マギー』の姉妹作(乙女時代のマギーに失恋するスラム街の内気な青年とその母の物語)の第3長篇『ジョージの母 (George's Mother)』(1895年完成、1896年刊)でより精密に磨かれていきます。クレインがモダニズム時代に自然主義作家としてではなく再評価されたのは、ヘミングウェイの第1短篇集『われらの時代に (In Our Time)』(1924年)やドス・パソスの第4長篇『マンハッタン乗換駅 (Manhattan Transfer)』(1925年)、フォークナーの第4長篇『響きと怒り (The Sound and the Fury)』(1929年)のように散文詩と小説体が交互に交響する構成を発想として備えていたためで、確かにクレイン作品の実験性は映画的手法とともに19世紀文学を越えています。
クレインのこうした手法は、フランス自然主義小説の英訳を読み『街の女マギー』の執筆に着手した19歳~完成・自費出版した21歳までの社会経験の不足と作家的技量がまだまだ未熟だったため、とも言えるでしょう。さらに処女作にかけた意欲が大きすぎて、スラム街を舞台に思いつく限りのあらゆるテーマを一度に取り扱おうとした結果、題材をこなしきれていない印象も受けます。まず本作には第一部(第1章~第3章)から荒廃と貧困、育児放棄による不良少年問題と、全編を通じる家庭内虐待、アルコール依存症問題が出てきます。さらに第二部(第4章~)以降ではヒロイン・マギーの酒浸りの母メアリーとますます父に似た乱暴者になった兄ピート、ジョンソン家の住む安アパートの隣人たち、マギーを誘惑するバーテンのピート、バー併設の地下売春窟の姉御ネリーらの駆け引きや偽善(自己欺瞞)が描かれます。登場人物はマギー以外すべて他人を省みないエゴイストばかりです。マギーの訃報を受けた母メアリーの号泣も単なる自己憐憫でしかありません。赤ん坊のうちに死んでしまった棺の中の弟トミーの手にマギーがそっと握らせる花も「イタリア人花売り」から盗んできたものです。さらに本作の世界観は、すべては先行する出来事によって進行する、自由意志によっては何も変わらないという決定論です。マギーの転落はその純心さにも関わらず、環境において決定論的に進行することが強調されています。その点では自然主義文学の元祖であるフランス作家たちより徹底しています。また本作で描かれるスラム街の住人たちは、厳密な性別二元制(性別二元論)、つまり人間は男女性別二元制からは逃れられない、男女はその性別によって男は男の、女は女の運命を生きるしかないという境遇の下にいます。これは本作が古く見える要因かもしれませんが、19世紀末のニューヨークのスラム街の活写としては妥当なものでしょう。また義務教育が州ごとに本格的に進められたのは南北戦争(1861年~1865年)の終結以降ですから当時30年と経っておらず、江戸時代から教育先進国だった日本さえも今日の6年制小学生の義務教育は明治40年(1907年、日本の文学者で言えば1898年~1901年生まれの横光利一や川端康成、石川淳、三好達治、梶井基次郎や高橋新吉らが初の小学六年制義務教育世代に当たります)制定ですから、本作のスラム街の住民たちは当然義務教育すら受けていません。それは階級内部の問題にもつながり、スラム街のバウアリー地区においても騙す者と騙される者の駆け引きがあり、ピートを尻に敷く売春婦の姉御ネリーも同様なら、不良少年たちの抗争もあります。無知で純心なマギーの目には、言葉巧みで身なりも良く、観劇や美術展に連れていってくれるバーテンのピートですら、真の顔は地下売春窟のポン引きにも関わらず知的で魅力的な青年に映ります。荒廃と性的乱脈が支配するスラム街では娼婦ネリーの方がマギーより環境に適応した強者なのです。これらすべてを克明なリアリズムで描くのは、現地に取材したとはいえ、19歳~21歳のクレインには手に余ることでした。クレイン自身も生なニューヨークのスラム街を描くのは、意識的にフランス自然主義小説とは異なる手法でなければという意図があったはずです。その成果がクレインの処女作たる本作『街の女マギー』であり、自然主義リアリズムと印象主観的抽象表現が混在した作品になったと見るべきでしょう。それは自然主義小説を越えて20世紀文学を予告するものでした。
ジミ・ヘンドリックスの未発表音源ボックス発売!
ジミ・ヘンドリックス、未発表音源とドキュメンタリー映像発売
https://www.barks.jp/news/?id=1000249462
ジミ・ヘンドリックスの未発表音源38曲を収めたボックスセット『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』発売・同名ドキュメンタリーも収録
https://amass.jp/176790/
2年前から噂になっていた作品がついに発売となる。
ジミ・ヘンドリックス自らがニューヨークにオープンした「エレクトリック・レディ・スタジオ」での活動を貴重な映像と音源で振り返る、3CD+Blu-rayのボックスセット『エレクトリック・レディ・スタジオ:ヴィジョン』(3CD+BD豪華ボックス)だ。9月13日に発売予定となっている。
CD3枚には1970年6~8月にかけての38タイトルの未発表音源を含む全39曲を収録されており、中には1970年9月に急逝したジミの最後のレコーディング・セッションも含まれている。
Blu-rayには日本語字幕が付いたドキュメンタリー映像と、最新5.1chサラウンドミックス音源が収録されたものだ。
(以上、ニュースサイトより)
掘れども掘れども出てくるジミ・ヘンドリックス(1942.11.27 - 1970.9.18)の未発表音源ですが、今回は近年15年間の『Valleys of Neptune』(Sony Legacy, 2010, US#4/UK#21)や『People, Hell and Angels』(Sony Legacy, 2013, US#2/UK/30)、『Both Sides of the Sky』(Sony Legacy, 2018, US#8/UK#8)のような1枚のアルバムとしてのまとまりを意図したものではなく、ジミ自身が念願の個人スタジオ「エレクトリック・レディ・ランド」を設立して間もない2か月間の未発表音源をボックス化したものです。付属のBlu-rayディスクも劇場公開予定の新規長篇ドキュメンタリー映像を収録しており、すでに試写では非常に評価の高い優れた映像作品になっているそうです。
3CDにおよぶ収録内容に完全未発表曲はないようですが、没後に『The Cry of Love』(Reprise, 1971, US#3/UK#2)、『War Heroes』(Reprise, 1972, US#48/UK#23)、『Crash Landing』(Reprise, 1975, US#5/UK#35)、『Midnight Lightning』(Reprise, 1975, US#43/UK#46)、『Voodoo Soup』(MCA, 1995, US#66/UK#83)への分散収録を経て、生前のジミの構想通りのタイトルと収録内容でようやく4作目のスタジオ・アルバム(ただし未完成テイク含む)としてまとめられた『First Rays of the New Rising Sun』(MCA, 1997, US#49/UK#37)と楽曲は重複するものの、すべて未発表別テイク(1曲のみ既発表)、または20分におよぶジャムセッション・テイクと、2枚組LPとして構想されていた『First Rays of~』のメイキング・セッションと位置づけられるボックスになっているようです。ジャズにおける最大のイノヴェーター(革新者)、チャーリー・パーカー(アルトサックス、1920~1955)のように、ロック史上最大のイノヴェーターであるジミは同一曲でも別テイクまで重要な別格のミュージシャンなので、今回のボックスがまとめられた意義は計り知れません。
このボックスを買おうというファンは、当然ジミ生前の4作の公式アルバム、『Are You Experienced』(Track/Reprise, 1967, US#5/UK#2, US Year Chart#1)、『Axis: Bold as Love』(Track/Reprise, 1967, US#3/UK#5)、『Electric Ladyland』(2LP, Track/Reprise, 1968, US#1/UK#6)、『Band of Gypsys』(Live, Track/Capitol, 1970, US#5/UK#6)や、決定盤『First Rays of the New Rising Sun』にいたるさまざまな未発表スタジオ録音集、発掘ライヴ盤の数々を聴いてきているでしょうから、今さら筆者ごときがあれこれ書くまでもないでしょう。ジミが夭逝していなかったら今年で82歳、ジミがもっとも信頼をおいてエレクトリック・レディ・ランド・スタジオの専属エンジニアに起用した録音エンジニアのエディ・クレーマー(1942~)も同年齢ですが、ジミの生誕100周年になる18年後の2042年に向けて、ジミの遺族である財団のエクスペリエンス・ヘンドリックス、そしてその頃には遺作になるかもしれないエディ・クレーマーも、とっておきの隠し球を温存しているかもしれません。今回の『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』のリリースに向けて新規制作されたMVと、ジミの公式YouTubeチャンネルにアップされているベスト・アルバム(初期シングルとファースト、セカンドの曲ばかりですが)を引いておきましょう。
Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision (Unboxing) : https://youtu.be/o0FIhSEV4NE?si=pOlqVkLFft7A4ftO
Jimi Hendrix - Angel (take 7) : https://youtu.be/hYngN-BZRhI?si=z406rIssauhFV23A
ジミ・ヘンドリックス - ザ・ベスト : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mkee0D1znAdAJoO08_Wmo2LmvIpQaCzxw&si=Qykngjjd1sPv_Xru
スティーヴン・クレイン『街の女マギー』(続)
19世紀アメリカの夭逝作家スティーヴン・クレイン(Stephen Crane、1871~1899、享年28歳)の処女作にして第1長篇『街の女マギー (Maggie:A Girl of the Streets)』について引き続き読んでいく際に、再び作品の成立背景とあらすじを記しておきましょう。『街の女マギー』はクレインが大学入学直後の1891年(19歳)から学業と新聞記者のアルバイトのかたわら執筆を始め、同年には早くも大学を退学してニューヨークのバウアリー地区に取材におもむき、翌1892年(20歳)に完成するも刊行を引き受ける出版社はなく、21歳の1893年3月に亡父の遺産と兄からの借金で1100部を自費出版した、150ページ足らずの作品でした。当時のアメリカ文壇の大家ウィリアム・ディーン・ハウエルズやヘンリー・ジェームズへの献本は賞賛の返信を受け取るも、新聞・雑誌には書評さえ出ず、販売してくれる書店もなく、クレインはみずから露店商を開いて販売しましたがほとんど売れず、ゾッキ本として買い取った業者はかま焚き用の用紙として売りさばきました。1980年代にアメリカ国会図書館が調査したところ現存部数はわずか24冊、その時点で1部400万円の古書価がついていたそうですから、現在では1部1000万円を越えているでしょう。日本で言えば市場に出回る前に回収され数部のみが密かに流出した北村透谷(1868~1894)の幻の処女長篇詩『楚囚之詩』(明治22年/1889年刊)に匹敵するほどの稀覯書です。
スティーヴン・クレインは同世代のフランク・ノリス(1870~1902、出世作『死の谷~マクティーグ』)』1899年)、セオドア・ドライサー(1871~1945、処女作『シスター・キャリー』1900年)と並ぶアメリカ自然主義の小説家とされますが、実際のクレイン作品はゾラとモーパッサンを代表とする1880年代のフランス自然主義小説、島崎藤村(1872~1943)や田山花袋(1872~1930)、徳田秋声(1872~1943)を代表とする日本の自然主義小説はおろか、社会的関心が広く劇的な構成に富んだノリスや、自然主義にロシア文学的な重厚な性格描写と問題性を加えたドライサーとも異なる、非常に不思議な作風のものです。クレインは第2長篇の戦争小説『赤い武勲章(『勇気の赤い武勲』)』(1885年刊)がベストセラーとなり、出世作となりましたが、結核で夭逝するまで5作の長篇小説は規模は中篇小説程度で、本格的な長篇小説作家としてはまだこれからの人でした。ノリスやドライサーはゾラやモーパッサン並みの大作長篇を残し、特にドライサーはアメリカ文学史上ヘンリー・ジェームズとウィリアム・フォークナーを橋渡しする大作家になりましたが、クレインの優れた長短篇小説を読んでも、もし長命を得てもドライサーのような大作型(『アメリカの悲劇』1925年)の小説家にはならなかっただろうと思えます。資本主義搾取社会批判の小説家、フランク・ノリス(『オクトパス』1901年)の作風は後のアプトン・シンクレアに受け継がれました。国家と社会、資本主義、法と倫理に翻弄される人間ドラマを捉える自然主義的視点はクレインにもあるのですが、ノリスやドライヤーのような雄大な構想力は乏しかったのです。その点では没落士族家庭の長女として下町で暮らし、下町少女の和歌教師として細々と一家を養っていた樋口一葉(1872~1896、『大つごもり』1894年、『たけくらべ』1895年)より生活経験に乏しく、作家志望のボヘミアン大学生のまま専業作家になった弱みは否定できません。24歳の短い生涯で一葉がたどり着いた晩年の中短篇は庶民や子供たちの世界から真実を射抜き、普遍性や完成度では類を見ない、完璧な成熟に達したものでした。クレインの作品は28歳の享年からは十分天才的ですが、同時代の日本の女性作家・樋口一葉と較べると、その才能はまだ発展途上で途絶した観が強いのです。
ただしクレインは自分の作家的力量とその限界を自覚しており、そのため題材は自然主義的でありながら、文体や構成を始めとする手法は意識的に独自の印象主義的な作風になったと解せます。極度に圧縮され、かつ抽象度の高いクレイン作品が、1920年代のモダニズム以降にヘミングウェイを筆頭とするモダニズム作家・詩人たちから再評価されたのは、クレイン作品の自然主義的側面ではなく、モダニズムに先立つその印象主義的作風にありました。処女作『街の女マギー』は原書にして150ページ、いずれも短い全19章からなり、内容は四部または五部に分けられます。
第一部(第1章~第3章)は、スラム街の不良少年ジミーが、敵対する隣のスラム街の不良少年団と一人で喧嘩しようとする場面から始まります。劣勢のジミーは友人のピートと帰宅途中の父に助けられ、妹のマギー、よちよち歩きの弟のトミー、先に帰宅していた残忍で酒浸りの父、そしてやはり酒浸りで家事も育児も放棄した母メアリーのいるジョンソン家に帰ります。アイルランド移民の両親は夫婦仲も悪く、日常的に子供たちを虐待しています。
第二部(第4章~第9章)では数年が経ち、末子のトミーと父親は亡くなり、マギーは盗んできた花束をトミーの棺に添えます。貨物馬車の馭者として働くジミーはさらに乱暴でシニカルな無法者へと成長しています。美しい少女に成長したマギーはシャツ工場で働き始めますが、マギーの努力は酒浸りの母親の浪費によって台無しになります。マギーは兄の友人ピートとつきあい始めます。バーテンダーとして働くピートはマギーの目に立派な人物に映り、今の生活から抜け出させてくれると思いこみます。下心のあるピートはマギーを誘惑するため劇場や博物館のデートに連れて行きます。ある夜、兄ジミーと母メアリーはマギーを「悪魔の所業(街娼)をやった」と罵倒し、耐えかねたマギーはピートを頼って家出します。
第三部(第10章~第14章)で、ジミーは自分も近所の少女たちをたぶらかし、堕落させてきたにもかかわらず、マギーを誘惑したピートのバーに行き喧嘩を始めます。ピートの勤めるバーの地下にある売春窟の女たちがピートをかばいます。安アパートの隣人たちがマギーの噂話に興じる中、兄ジミーと母メアリーはマギーをかばうどころか、隣人たちと一緒にマギーの悪口を言いふらします。
第四部または第四部・第五部(第15章~第16章・第17章~第19章)では、売春窟の「聡明で大胆な女」ネリーがマギーを度胸のない哀れな女と呼び、ピートにマギーと別れるよう促します。すでにマギーに飽きていたピートはマギーを捨てます。頼る者のなくなったマギーは家に帰ろうとしますが、母親に拒絶され、アパートの住人全員から蔑まれます。第17章では、「彼女」とだけ呼ばれる街娼が通りをさまよい、次第に治安の悪化する方へスラム街を転々とし、夕暮れに職場から帰宅する工員たちを客引きするも失敗をくり返し、橋の上に着くとみすぼらしい酔っぱらいに追いかけられ、ようやく逃げると、夜のビル影が映る川面をじっと見つめます。第18章では、ピートが酒場で「聡明で大胆な」6人の着飾った売春婦たちと飲んでいます。ピートは泥酔して気を失い、姉貴分のネリーらしき女がピートの財布を奪います。最終章の第19章では、帰宅したジミーが母親メアリーにマギーが死んだと告げます。酔った母親はマギーが赤ん坊だった頃の小さな靴下を取り出して自己憐憫に浸り、隣人たちが慰める中、「私はマギーを許すわ!」と絶叫します。
と、あらすじにするとゾラの『ナナ』(1880年)のような自然主義小説の常套の庶民の少女の堕落物語になりますが、『街の女マギー』の独創はほとんど説明的な性格描写や物語展開の細部を飛ばし、映画の先取りのように各章ごとを独立した場面で構成したことにあります。映画でこうしたシーン分割によって物語を進める話法が確立するのはD・W・グリフィス(1875~1948)の1909年以降の短篇映画からなので、『街の女マギー』はニューヨークのスラム街の不良少年少女たちの抗争を描いた、初期グリフィスの傑作『ピッグ横丁のならず者たち (The Musketeers of Pig Alley)』(バイオグラフ社、1912年)を連想させます。『マギー~』においては、まず冒頭の第1章で描かれるスラム街の不良少年たちの喧嘩でも、マギーの兄ジミーや敵対する不良少年たちの性格描写なしに、ジミーと名前だけで呼ばれる少年が、ブルー・ビリーやライリー、親分らしい「16歳の少年」と呼ばれる隣のスラム街の不良少年たちと殴りあい、通りかかったピートに加勢され、工事から帰宅途中のジミーの父の姿を見て少年たちが散っていく、という行動と情景描写しかありません。第2章でジミーが帰宅したジョンソン家の描写も、ヒロインであるマギーすら「みすぼらしい服の少女」として登場し、家族の会話で「マギー」と呼ばれるまで名前すら地の文に表れません。この徹底したカメラ・アイ手法は街娼に身を落とした「彼女」マギーが川に投身自殺することが暗示される第17章、バーテンのピートがバー地下売春窟の女たちと酒盛りに興じた挙げ句泥酔してネリーらしき売春婦の一人に財布を盗まれる第18章、死因さえ明かされず兄のジミーが「マギーが死んだ!」とだけ母のメアリーに告げる第19章(最終章)でピークに達するので、この小説は行動と台詞(会話)、暗示だけでできています。第17章の「彼女」がマギーなのか、川に投身自殺するのかも代名詞と暗示でしか書かれておらず、またこうした手法のため各章で起きた出来事の因果関係の説明も一切省かれています。マギーの堕落のきっかけになる母メアリーのアルコール依存症と虐待、女たらしで売春窟併設のバーに勤めるバーテン・ピートの性格も母メアリーの陰口、裏表あるピートの行動(マギーに対するピート、バーの地下売春窟でのピート)を通して読者が読み取るしかありません。上下巻に渡る『ナナ』や『ベラミ』(モーパッサン、1885年)のようなリアリズムに徹したフランス自然主義の、細部にいたるまで精密描写で書かれた小説とは、真っ向から対照的な手法で書かれています。こうしたクレインの手法はベストセラーになり出世作となった戦争小説の第2長篇『赤い武功章』(1894年完成、1895年刊)、『街の女マギー』の姉妹作(乙女時代のマギーに失恋するスラム街の内気な青年とその母の物語)の第3長篇『ジョージの母 (George's Mother)』(1895年完成、1896年刊)で、より精密に磨かれていきます。クレインがモダニズム時代に自然主義作家としてではなく再評価されたのは、ヘミングウェイの第1短篇集『われらの時代に (In Our Time)』(1924年)やドス・パソスの第4長篇『マンハッタン乗換駅 (Manhattan Transfer)』(1925年)、フォークナーの第4長篇『響きと怒り (The Sound and the Fury)』(1929年)のように散文詩と小説体が交互に交響する構成を発想として備えていたためで、確かにクレインの実験性は映画的手法のとともに20世紀文学を先取りするものでした。
スティーヴン・クレインがこうした手法を取ったのは、フランス自然主義小説の英訳を読んで『街の女マギー』の執筆に着手した19歳~完成・自費出版した21歳までの社会経験の不足と作家的技量がまだまだ未熟だったため、とも言えるでしょう。またクレインは自費出版前にジャーナリズムのアルバイトのつてで複数の出版社に持ち込み出版を断られていますし、当時のアメリカの倫理規制はヨーロッパ諸国より厳しく、特に性についてのあからさまな記述は即発禁回収、さらに罰金刑の危険もありました。そうしたさまざまな要因のため、このクレインの処女作『街の女マギー』は喩えれば、いわばあちこちのピースが欠損した、ジグソーパズル、または裏側から見た刺繍のような小説です。樋口一葉晩年の透徹した庶民階級の人物の性格把握と、豊かな想像力と説得力・完成度の高い小説とは比較にならないほど欠陥だらけの小説です。しかし結果的に『街の女マギー』は、その曖昧な印象主義的描写と自然主義的題材の混淆によって、アメリカ自然主義小説にとどまらない前衛性と、何度読み返しても薄れない瑞々しさに満ち、悲惨な境遇にある登場人物たちに作者が託した、悲しみと痛みを痛切に伝える小説になったのです。今回もほとんど前回のくり返しになってしまいましたが、大事なことは二度くり返してもいいではないかとご容赦いただければ幸いです。
スティーヴン・クレイン『街の女マギー』(前)
19世紀アメリカの夭逝作家スティーヴン・クレイン(Stephen Crane、1871~1899、享年28歳)は、同世代のフランク・ノリス(1870~1902、出世作『マクティーグ(『死の谷』『グリード』)』1899年)、セオドア・ドライサー(1871~1945、処女作『シスター・キャリー(『黄昏』)』1900年)と並ぶアメリカ自然主義の小説家とされますが、実際のクレイン作品はゾラとモーパッサンを代表とするフランス自然主義小説、島崎藤村(1872~1943)や田山花袋(1872~1930)、徳田秋声(1872~1943)を代表とする日本の自然主義小説はおろか、社会的関心が広く劇的な構成に富んだノリスや、自然主義にロシア文学的な重厚な性格描写と問題性を加えたドライサーとも異なる、非常に不思議な作風のものです。没後30年あまり忘れられて1930年代に再評価された年長の女性南部作家ケイト・ショパン(1850~1904、第1長篇『過ち』1890年、第2長篇『目覚め』1899年)とも共通した点が多くあり、ローカル作家だったショパンよりもクレインは生前に全米的な文壇的評価を獲得していましたが、ヘミングウェイを始めとする1920年代~1930年代の作家から改めてクレインが脚光を浴びたのは、自然主義にとどまらないクレイン作品の異質さによるものでした。クレインは多くの優れた短篇とともに6作の長篇小説(未完の遺稿長篇1作を含む)を残しましたが、長篇小説はいずれも日本語訳で120ページ~200ページと中篇規模の長さです。日本語訳にして上下巻におよぶフランク・ノリスの『マクティーグ』『オクトパス』、ドライサーの『シスター・キャリー』『ジェニー・ゲルハート』の1/4ないし1/3しかありません。クレインは大学中退後ほとんど社会人経験もなく20歳で専業作家になったので、20代を習作期間と社会人生活で送ったフランク・ノリスやセオドア・ドライサーの処女作・出世作より生活経験が浅いのはやむを得ないことでした。その点では没落士族家庭の長女として下町で暮らし、少女たちの和歌教師として細々と一家を養っていた樋口一葉(1872~1896、『大つごもり』1894年、『たけくらべ』1895年)より庶民生活の観察を経た厚みに乏しく、作家志望のボヘミアン大学生のまま専業作家になった弱みは否定できません。しかし大学入学直後の1891年(19歳)から学業と新聞記者のアルバイトのかたわら執筆を始め、同年には早くも大学を退学してニューヨークのバウアリー地区に取材におもむき、翌1892年(20歳)に完成するも刊行を引き受ける出版社はなく、21歳の1893年3月に亡父の遺産と兄からの借金で1100部を自費出版した150ページ足らずの処女作にして第1長篇『街の女マギー (Maggie:A Girl of the Streets)』は、先輩作家からの賞賛を浴びてクレイン自身が街頭売りまでするもまったく売れなかったため、ほとんどの部数が焼却処分されたにもかかわらず、1980年代には24部きりが現存確認され、400万円の価格がつく稀少書になるどころか、19世紀文学と20世紀文学を橋渡しするアメリカ小説史上の特異点としてケイト・ショパンの『目覚め』ととに、もっとも重視され問題をはらんだ古典的作品と目されるようになりました。庶民階級の少年少女たちを大人の目からではなく子供たちの等身大の視点で描いた一葉の『たけくらべ』は西洋文学にもない画期的作品とされますが、『たけくらべ』ほどの詩的想像力、洞察力、観察眼、完成度には達していないとしても、『街の女マギー』は樋口一葉より2年の僅差で早く、同じ主題に取り組んでいたのです。
原書にして150ページの『街の女マギー』はいずれも8ページほどの全19章からなりますが、内容はほぼ四部に分けられます。同作はこれまで4種類の翻訳がありますが(『巷の娘』大久保康雄訳・1950年、『街の女マギー』大橋健三郎訳・1957年、『マギー・街の女』大坪精治訳・1980年、『ニューヨーク・バウアリー物語(姉妹作『ジョージの母』併載)』岩月精三訳・1982年)、今回は原文で読んでみて、あらすじをまとめてみました。
第一部(第1章~第3章)は、スラム街の不良少年ジミー・ジョンソンが、敵対する隣のスラム街の不良少年たちの一味と一人で喧嘩しようとする場面から始まります。劣勢のジミーは友人のピートと帰宅途中の父に助けられ、妹のマギー、よちよち歩きの弟のトミー、先に帰宅していた残忍で酒浸りの父親、そして育児放棄した母親メアリーのいる家に帰ります。アイルランドからの移民である両親は夫婦仲も悪く、日常的に子供たちを虐待しています。
第二部(第4章~第9章)では数年が経ち、トミーと父親は亡くなり、マギーは盗んできた花束をトミーの棺に添えます。ジミーはさらに攻撃的でニヒルな無法者へと変貌しています。貨物馬車の馭者として働くジミーは、馬車より交通を優先される消防車と交通整理の警官以外には従いません。美しい少女に成長したマギーはシャツ工場で働き始めますが、マギーの努力はアルコール中毒の母親の八つ当たりによって台無しになります。マギーはジミーの友人ピートとつきあい始めます。バーテンダーとして働くピートはマギーの目に立派な人物に映り、今の生活から抜け出すのを助けてくれると思いこみます。女たらしのピートはマギーを劇場や博物館に連れて行きます。ある夜、兄ジミーと母メアリーはマギーを「悪魔の所業(街娼)をやった」と非難し、耐えかねたマギーはピートを頼って家出します。
第三部(第10章~第14章)で、ジミーは自分自身も近所の少女たちをたぶらかし、堕落させてきたにもかかわらず、マギーを誘惑したピートのバーに行き喧嘩を始めます。ピートの勤めるバーの地下にある売春窟の女たちがピートをかばいます。安アパートの隣人たちがマギーの噂話に興じる中、ジミーとメアリーはマギーをかばうどころか、隣人たちと一緒にマギーの悪口を言いふらします。
第四部(第15章~第19章)では、売春窟の「聡明で大胆な女」ネリーがマギーを意志薄弱で哀れな女と呼び、ピートにマギーと別れるよう説得します。すでにマギーに飽きていたピートはマギーを捨てます。頼る者のなくなったマギーは家に帰ろうとしますが、母親に拒絶され、アパートの住人全員から蔑まれます。第17章では、「彼女」とだけ呼ばれる街娼が通りをさまよい、次第に治安の悪化するスラム街を転々とし、夕暮れに職場から帰宅する工員たちに客引きの失敗をくり返し、橋の上に着くとみすぼらしい酔っぱらいに追いかけられ、ようやく逃げると、夜のビル影が映る川面をじっと見つめます。第18章では、ピートが酒場で「聡明で大胆な」6人の着飾った売春婦たちと飲んでいます。ピートは泥酔して気を失い、ネリーらしき女がピートの金を奪います。最終章の第19章では、ジミーが母親メアリーにマギーが死んだと告げます。酔った母親はマギーが赤ん坊だった頃の小さな靴下を取り出して自己憐憫に浸り、隣人たちが慰める中、「私はマギーを許すわ!」と叫びます。
と、あらすじにするとゾラの『ナナ』(1880年)のような自然主義小説の常套である庶民の少女の堕落物語になりますが、『街の女マギー』の異色さはほとんど説明的な性格描写や物語展開の細部を飛ばし、映画の先取りのように各章ごとが独立した場面で構成されていることにあります。サイレント映画でこうしたシーン分割によって物語を進める話法が確立するのはD・W・グリフィス(1875~1948)の1912年以降の短篇映画からなので、『街の女マギー』はニューヨークのスラム街の不良少年少女たちの抗争を描いた、短篇時代のグリフィスの傑作『ピッグ横丁のならず者たち (The Musketeers of Pig Alley)』(バイオグラフ社、1912年)を連想させます。短篇映画時代のグリフィスはフランク・ノリスの短篇小説が原作の「小麦の買い占め (A Corner in Wheat)」(1909年)もありますから、『ピッグ横丁のならず者たち』が『街の女マギー』にインスパイアされたオリジナル脚本作品なのは想像にかたくありません。クレイン作品においては、まず冒頭の第1章で描かれるスラム街の不良少年たちの喧嘩でも、マギーの兄ジミーや敵対する不良少年たちの性格描写はほとんどなく、ジミーと名前だけで呼ばれる少年が、ブルー・ビリーやライリー、親分らしい「16歳の少年」と呼ばれる隣のスラム街の不良少年たちと殴りあい、通りかかったピートに加勢され、工事から帰宅途中のジミーの父の姿を見て少年たちが散っていく、という行動と情景描写しかありません。第2章で帰宅したジミーの家族の描写も、ヒロインであるマギーすら「みすぼらしい服の少女」として登場し、家族の会話で「マギー」と呼ばれるまで名前すら地の文では書かれません。この徹底したカメラ・アイ手法は街娼に身を落としたマギーが川に投身自殺をすることが暗示される第17章、バーテンダーのピートがバーの地下売春窟の女たちと酒盛りに興じた挙げ句泥酔して売春婦のリーダーらしきネリーに財布を盗まれる第18章、死因さえ明かされず兄のジミーが「マギーが死んだ!」とだけ母のメアリーに告げる第19章(最終章)でピークに達するので、この小説は行動と台詞(会話)だけでできているのです。第17章の「彼女」がマギーなのか、川に投身自殺するのかもクレインは代名詞と暗示だけしか書いておらず、またこうした手法のため作者自身が各章で起きた出来事の因果関係の説明も一切省かれています。マギーの堕落のきっかけになる母メアリーの虐待、女たらしの誘惑者ピートの性格も母メアリーの行動、裏表あるピートの行動(マギーに対するピート、看板女のネリーが仕切る勤務先のバーの地下売春窟でのピート)を通してしか読者が読み取るしかありません。上下巻に渡る『ナナ』や『ベラミ』(モーパッサン、1885年)のようなリアリズムに徹したフランス自然主義の、細部にいたるまで精密描写で書かれた小説とは、真っ向から対照的な手法で書かれているのです。こうしたクレインの手法はベストセラーになり出世作となった戦争小説の第2長篇『赤い武功章』(1894年完成、1895年刊)、『街の女マギー』の姉妹作(乙女時代のマギーに失恋するスラム街の内気な青年とその母の物語)の第3長篇『ジョージの母』(1895年完成、1896年刊)で、より精密に磨かれていきます。
スティーヴン・クレインがこうした手法を取ったのは、フランス自然主義小説の英訳を読んで『街の女マギー』の執筆に着手した19歳~完成して自費出版した21歳までの社会経験の不足と作家的技量がまだまだ未熟だったため、とも言えるでしょう。またクレインは自費出版前にジャーナリズムのアルバイトのつてで複数の出版社に持ち込み出版を断られていますし、当時のアメリカの倫理規定はヨーロッパ諸国より厳しく、特に性についてあからさまな記述をするのは即発禁回収、さらに罰金刑の危険もありました。そうしたいろいろな要因のため、このクレインの処女作『街の女マギー』は喩えれば、いわばあちこちのピースが欠損した、ジグソーパズルのような小説です。樋口一葉晩年の透徹した庶民階級の人物の性格把握と、豊かな想像力と説得力・完成度の高い小説とは比較にならないほど欠陥だらけの小説です。しかし結果的に『街の女マギー』は、その曖昧な印象主義的描写と自然主義的題材の併存によって、アメリカ自然主義小説にとどまらない前衛性と、何度読み返しても薄れない初々しさに満ちた、作者が悲惨な環境にある登場人物たちに託した貧民階級の痛みを痛切に伝える小説になったのです。
(以下次回)
「高崎晃のスーパー・ギタリスト採点表」
これはX(旧Twitter)で見かけた音楽誌記事の切り抜きで、時期的に高崎晃さん(1961~)がレイジーを脱退、新バンドLOUDNESSのファースト・アルバム『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』(日本コロンビア, 1981.11.25)を発表して熱狂的な反響を呼んだ1982年初頭か、ブラッド・ギルスとジェフ・ワトソンが入っていることからナイト・レンジャー(1982年11月デビュー)が話題の新人バンドだった1983年初頭のアンケートと思われます。高崎さんを含めて現役のハード・ロック~ヘヴィー・メタル・ギタリスト20人、うち大胆にも高崎さん自身を「テクニック」「サウンド」「センス」「音楽性」「共通性」において各10点とした、主眼としては高崎さん自身との「共通性」を重視した採点表ですが、リッチー・ブラックモア(56点)、エディ・ヴァン・ヘイレン(55点)、ゲイリー・ムーア(53点)、ジェフ・ベック(51点)、スティーヴ・ルカサー(50点)と、高崎さんが自身と同等以上としているギタリストが19人中5人だけというあたりに当時20歳の高崎さんの自信がうかがえます。リッチー、エディ、ゲイリー・ムーアは崇拝の対象、「共通性・1」のジェフ・ベックが総合得点では51点というあたりが面白いものです。
表はトップに高崎さん自身を基準に置いて、あとは総合得点順ですが、最低点がアイアン・メイデンの二人(総合20点、うちテクニック・サウンド・センス・音楽性各5点、共通性0点!)というのは並々ならぬライバル心を感じます。19人の「スーパー・ギタリスト」の人選は音楽誌編集部によるものと思われますが、早い話高崎さんは「アイアン・メイデンは嫌いだ!あいつらとの共通性なんて何もない!」と言っているのです。総合得点30点を下回る19人中下位6人、アンガス・ヤング(30点)、ジェフ・ワトソン(29点+α)、フィル・コリン(29点)、ブラッド・ギルス(25点+α)、アイアン・メイデンの二人(20点)も高崎さんの好みが強く出た採点で、要するにAC/DCもデフ・レパードもナイト・レンジャーもアイアン・メイデンも好みでない(ジョン・サイクスも33点+α)、と言うことでしょう。レイジーの結成は1973年、メジャー・デビューは1977年ですから、同期かそれ以下のギタリストは「俺より下」と見ているのかもしれません。
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、トニー・アイオミあたりのレジェンド級ギタリストは音楽誌の選択として、ジミー・ペイジ(44点)がマイケル・シェンカー(49点)、ランディ・ローズ(48点)、ニール・ショーン(45点)より下、エリック・クラプトン(39点)とトニー・アイオミ(38点)がイングヴェイ・マルムスティーン(41点)より下、というのはこれまた高崎さんの好みが出た採点です。ジェフ・ベックが「共通性・1」にもかかわらず総合点51点なら、いくらなんでもクラプトン、ペイジ、アイオミがランディ・ローズやニール・ショーンより下ということはないでしょう。この場合、マイケル・シェンカーやランディ・ローズ、ニール・ショーン、イングヴェイはエディ・ヴァン・ヘイレン(55点)、ゲイリー・ムーア(53点)、スティーヴ・ルカサー(50点)と同様モダンなスタイルのハード・ロック・ギタリストとして参考になる、と高崎さんはプレイヤー的視点で採点しているので、クラプトンやペイジ、アイオミはAC/DCやデフ・レパード、ナイト・レンジャー、アイアン・メイデンよりは優れるも、オールド・スタイルのギタリストと考えていらしたのがわかります。
ジミー・ペイジの「テクニック・6」は「共通性・6」とともに苦笑させられますが、「センス・13」はセンス最高採点(15点)のトニー・アイオミ(「テクニック・7」「サウンド・2」「音楽性・2」!)と並ぶ高得点で、リーダーシップやオリジナリティ、リフ作りの上手さにおいてはレッド・ツェッペリンやブラック・サバスを大いに認めるという公正さを強調しているようです。クラプトンは「テクニック・10」「センス・10」「音楽性・10」ですが「サウンド・8」「共通性・1」のせいで19人中下位9人になっており、イングヴェイが「テクニック・12」「サウンド・8」「センス・8」「音楽性・8」「共通性・5」と高崎さんと同じリッチー・ブラックモア信者ゆえに底上げされているのと対照をなしています。ジョン・サイクスとナイト・レンジャーの二人が「音楽性・しらん」とされているのは、要するに人気があるのは知っているが(総合得点+α)、あまり音楽的に興味のないバンドのギタリストということでしょう。
高崎さん自身もこの40年あまり前の「スーパー・ギタリスト採点表」をご覧になったら若気の至りと苦笑されるかもしれませんが、案外今でも高崎さん自身の音楽的嗜好は変わっていないかもしれません。ひとつひょっとしたらと思うのは、人選にあのお方が含まれていないことで、かつての高崎さんならともかく現在採点してもこの方については文句なしにこうなると思います。
ジミ・ヘンドリックス
テクニック・25
サウンド・25
センス・25
音楽性・25
共通性・1
総合得点・101
2024年新作深夜夏アニメ(7月~9月)首都圏版
2024年新作深夜春アニメ(4月~6月)放映予定の一覧を、首都圏地上波・無料BS局放映のみの作品に絞ってまとめました。有料BS局、有料配信サイトのみの新作もこのリスト以外にありますが、それらはのちに地上波局に降りてきてから改めて新作としてご紹介することにします。まだ放映日時未定作品もある上に、日時の変更、配信オリジナル作品の地上波初放送、さらに注目すべき再放送作品も予想されますが、それらは随時訂正・追補していきたいと思います。なおこの春の新作アニメは4月1日(月)から始まりますので、月曜始まり・放映時刻順に並べました。全国キー局・地方局のリストにすると膨大になるので首都圏版・無料BS局のみにしましたが、ほとんどの新作は各地方局、配信サイトで観られますので、参考にしていただければ幸いです。
●月曜日
◎真夜中ぱんチ
>TOKYO MX:07/08(月) 22:30~
>BS11:07/08(月) 23:00~
◎SHY(シャイ) 第2期
>テレビ東京系:07/01(月) 24:00~
>BS日テレ:07/01(月) 24:30~
◎新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。
>テレビ東京:07/01(月) 26:00~
>BSテレ東:07/05(金) 24:30~
●火曜日
◎僕の妻は感情がない
>TOKYO MX:07/02(火) 23:00~
>BS朝日:07/03(水) 23:30~
◎かつて魔法少女と悪は敵対していた。
>TOKYO MX:07/09(火) 23:30~
>BS11:07/09(火) 23:00~
◎異世界失格
>TOKYO MX:07/09(火) 24:30~
>BS11:07/09(火) 24:30~
◎多数欠
>日本テレビ:07/02(火) 26:04~
>BS日テレ:07/03(水) 24:00~
●水曜日
◎魔王軍最強の魔術師は人間だった
>TOKYO MX:07/03(水) 22:00~
>BS朝日:07/05(金) 23:00~
◎【推しの子】第2期
>TOKYO MX:07/03(水) 23:00~
>BS11:07/03(水) 24:00~
◎時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん
>TOKYO MX:07/03(水) 23:30~
>BS日テレ:07/03(水) 24:30~
◎戦国妖狐 第2部【千魔混沌編】
>TOKYO MX:07/17(水) 24:00~
>BS朝日:07/19(金) 23:30~
◎恋は双子で割り切れない
>TOKYO MX:07/10(水) 25:00~
>BS日テレ:07/11(木) 25:00~
◎下の階には澪がいる
>フジテレビ:07/03(水) 25:25~
>BSフジ:07/09(火) 24:30~
◎キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦 SeasonII
>TOKYO MX:07/10(水) 25:30~
>BS11:07/10(水) 25:30~
●木曜日
◎義妹生活
>TOKYO MX:07/04(木) 22:30~
>BS11:07/04(木) 23:30~
◎黄昏アウトフォーカス
>TOKYO MX:07/04(木) 23:30~
>BSフジ:07/04(木) 24:30~
◎ラーメン赤猫
>TBS系:07/04(木) 23:56~
◎俺は全てを【パリイ】する~逆勘違いの世界最強は冒険者になりたい~
>TOKYO MX:07/04(木) 24:00~
>BS11:07/04(木) 24:00~
◎女神のカフェテラス 第2期
>TBS系:07/04(木) 24:26~
◎疑似ハーレム
>TOKYO MX:07/04(木) 24:30~
>BSフジ:07/05(金) 24:30~
◎先輩はおとこのこ
>フジテレビ:07/04(木) 24:55~
◎ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで
>TBS:07/04(木) 24:59~
>BS11:07/07(日) 24:00~
●金曜日
◎NieR:Automata Ver1.1a (ニーア オートマタ Ver1.1a) 【第2クール】
>TOKYO MX:07/05(金) 23:30~
>BS11:07/05(金) 23:30~
◎異世界スーサイド・スクワッド
>TOKYO MX:07/05(金) 24:30~
>BS11:07/05(金) 24:30~
◎グレンダイザーU
>テレビ東京系:07/05(金) 25:23~
>BSテレ東:07/10(水) 24:30~
◎ダンジョンの中のひと
>TBS:07/05(金) 25:53~
>BS-TBS:07/05(金) 26:30~
◎この世界は不完全すぎる
>TBS:07/05(金) 26:23~
>BS-TBS:07/05(金) 27:00~
◎2.5次元の誘惑(リリサ)
>TOKYO MX:07/05(金) ~
>BS11:07/--(-) ~
●土曜日
◎〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン
>ABEMA:07/06(土) 22:00~
◎モブから始まる探索英雄譚
>TOKYO MX:07/06(土) 22:00~
>BS日テレ:07/06(土) 22:30~
◎なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?
>TOKYO MX:07/13(土) 22:30~
>BS朝日:07/14(日) 23:00~
◎天穂のサクナヒメ
>テレビ東京系:07/06(土) 23:00~
◎逃げ上手の若君
>TOKYO MX:07/06(土) 23:30~
>BS11:07/06(土) 23:30~
◎ATRI(アトリ) -My Dear Moments-
>TOKYO MX:07/13(土) 24:00~
>BS11:07/13(土) 24:00~
◎負けヒロインが多すぎる!
>TOKYO MX:07/13(土) 24:30~
>BS11:07/13(土) 24:30~
◎エルフさんは痩せられない。
>TOKYO MX:07/06(土) 25:30~
>BS11:07/06(土) 25:30~
◎小市民シリーズ
>テレビ朝日系:07/06(土) 25:30~
>BS朝日:07/13(土) 25:00~
●日曜日
◎杖と剣のウィストリア
>TBS系:07/07(日) 16:30~
◎FAIRY TAIL(フェアリーテイル) -100年クエスト-
>テレビ東京系:07/07(日) 17:30~
◎神之塔 -Tower of God- 第2期
>TOKYO MX:07/07(日) 23:00~
>BS日テレ:07/08(月) 24:00~
◎キン肉マン -完璧超人始祖編-
>TBS系:07/07(日) 23:30~
>BS11:07/12(金) 18:30~
◎しかのこのこのここしたんたん
>TOKYO MX:07/07(日) 23:30~
>BS日テレ:07/07(日) 23:30~
◎菜なれ花なれ
>テレビ東京系:07/07(日) 23:45~
◎VTuberなんだが配信切り忘れたら伝説になってた
>TOKYO MX:07/07(日) 24:30~
>BS日テレ:07/09(火) 23:30~
◎異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~
>テレビ東京:07/07(日) 25:50~
>BSテレ東:07/11(木) 24:30~
◎闇芝居 十三期
>テレビ東京:07/14(日) 26:50~