人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17)フランツ・カフカ小品集

イメージ 1

今回の2篇、ずばり(谷岡)ヤスジ的作品。読めばわかります。
*
『舵手』

「おれが舵手なんだぞ!」と私は叫んだ。「お前が?」と長身を黒い服に包んだ男は聞き返し、手で自分の目をこすった。夢を追い払おうとしている仕草だった。私はこれまで頭上に弱い灯をいただいて暗い夜中も舵を握っていたのだ。それを、この男がやってきて私を押し退けようとした。ところが私がどかないので彼は私の胸に脚をかけて私を押し倒そうとした。私はなおも舵輪のボスにしがみついていたので倒れる拍子にそいつをぐるりと回してしまった。すると男はそれを元通りに直したが、私の身は突き飛ばされた。だが私も気づき、船員室に通じる昇降口に走って行って叫んだ。「おいみんな。早くきてくれ。妙な奴がきておれから舵を奪いやがった」船員たちはのろのろやってきた。みんな堂々たる体格なのに、タラップを登ってくる格好は足元がふらついて、元気がなかった。「舵手はおれだろ?」と私は尋ねた。彼らは頷きはしたものの、妙な男ばかり見つめていた。男の周囲に半円を描いて立っていたが、男が横柄な口調で「邪魔するな」と言うとハッとして、私に会釈すると
そのままタラップを降りて行ってしまった。なんという連中だろう。意味もなくのうのうと生きているだけなのか。
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)
*
『独楽』

ある哲学者が、いつも子供たちの遊び場をうろついていた。そして独楽を持っている少年を見つけると早くも隙を狙い始めるのだった。独楽が回り始めるが早いか、哲学者はそれを捕まえようと追いかける。子供たちが騒ごうと平気で、独楽が回っているうちに捕まえることが彼の幸福なのだ。だがそれも片時で、やがて独楽を放り出して立ち去る。彼の考えでは、独楽の回転のようなささやかな現象の認識でも普遍的真理に通じるので、あえて大問題に向わないのもそのためだった。どんなつまらないことでも本当に認識すれば一切の認識になる。それで彼は独楽の回転しか相手にしなかった。独楽が回る前の期待、そして回る独楽を追いかけていると期待は確信になる。けれども、単なる木片を手にしてみると急に落胆し、それまでは聞こえなかった子供たちの喚き声が同時に耳に入り、その場にいられなくなる。彼は下手な鞭で打たれた独楽のようによろよろと歩き出すのだった。
(同)