人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

下書きと推敲、その他のエッセイ

○コメントと断片より

(1)「フランツ・カフカ小品集」は全28回・全43篇を書き上げました。ちょっとした薄い本になるくらいの分量。ブログ記事の文字数でおさまるカフカ作品はこれで全部です。

(2)よくわかったね。限度いっぱいに載せる工夫もさることながら、削るのが大変なんだ。書くより推敲に時間と手間がかかる。副詞や句読点は必要最小限にしている。毎回1200~1500文字の下書きを1000文字に圧縮している。苦労の跡が見えるなら、まだまだ拙いってことになる。

(3)スティーヴ・ストレンジはイケメン・モデルみたいなもので、実態はマガジンのベースとキーボードのプロジェクトがヴィサージュだった訳です。ギターのマクガフはバンシーズ初来日の時はもう脱退していて、まだキュアが売れていなかった頃のロバート・スミスが代役でした。マガジンの方はマクガフ脱退後ウルトラヴォックスのロビン・サイモンが入り、代わりにウルトラヴォックスにはミッジ・ユーロ加入。ミッジはヴィサージュにも参加していたから、ここに名前が上がったミュージシャンはみんなプロダクションつながりだと思います。パンク/NW系といっても演奏が上手いプロばっかりです。

(4)マガジンは意外と盲点のパンク/NW系大物なんですよ。本国での影響力は大きかったようです。ぼくは81年の解散直後に出たベスト盤を買ったんですが、シングルB面曲(007「ゴールドフィンガー」やキャプテン・ビーフハート「ビッグ・ダミー」のカヴァー)まで全曲捨て曲なしでした。リーダーでヴォーカルのハワード・ディヴォートにカリスマ性があったようです。この曲はイントロとサビで出てくるヴェンチャーズ風ギターがキモですね。このセンスは当時他のバンドにはないものでした。

(5)サイケデリック・ファーズは「ラヴ・マイ・ウェイ」が気に入って12インチ・シングルを買い、図書館にアルバムが入ったのでテープ録音してよく聴きました。最初のアルバムがミュージック・ライフで星2つだったからか、次のアルバムは日本盤が見送りになるところだった、とラジオで聴きました。発売もかなり遅れた記憶があります。トッド・ラングレンのプロデュースでしたね。サイケ風なところを初期NWの中で持っていたのはマガジンとスージー&ザ・バンシーズが双璧ですから、やはりここでも影響力を感じます。