人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(12a)チャールズ・ミンガス(b)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

Charles Mingus(1922-1979,bass)。ベーシストとしてももちろんすごい。だがミンガスがジャズの巨匠なのは作編曲・バンドリーダーとしての総合的功績で、モンク同様ビ・バップから出発しながら、それとは異なるサウンドを追及した。それはレニー・トリスターノ(ピアノ)もそうで、批評家には絶讚されたがジャズ・クラブの空気は白けた。モンクは突然脚光を浴び、埋もれていた天才として大スターになったが、トリスターノは音楽教室で生計を立て、ミンガスは売れないアルバムを多作した。ミンガスとトリスターノのデュオでクラブ出演した時など悲惨だったという。ミンガスの音楽が認められたのはようやく60年代も半ばになってからだったが創作力は衰えつつあり、トリスターノに至っては生前に3枚しかアルバムを出さず、没後ようやく自宅録音・ライヴ録音が発表されて15枚あまりになった。

ミンガスのアルバムは1954年の「ジャジカル・ムーズ」「ジャズ・コンポーザーズ・ワークショップ」までの数枚は失敗作の山、といってよい。55年のライヴ「ミンガス・アット・カフェ・ボヘミア」も踏まえ、初めて傑作を作り上げたのがアトランティック移籍第一作「直立猿人」1956(画像1)で、オリジナル3曲・スタンダード1曲という大曲構成。ジャッキー・マクリーン(アルト・サックス)、J.R.モントローズ(テナー・サックス)の2管クインテットなのにまるでビッグ・バンドのような重厚なサウンド。なにより曲がいい。
この後は軌道に乗って快作を連発、アトランティックへ残した5枚はすべて名作。大手RCAに再び傑作「メキシコの思い出」1957(画像2)を吹き込むも、60年代までお蔵入り。59年にはジョン・カサヴェテス初監督作「アメリカの影」のサウンドトラックを録音(「ジャズ・ポートレイツ」)、これまた傑作と、絶好調が続く(ライヴに客が入らないのを除けば)。

そして畢生の名盤「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」1960(画像3)が俊英テッド・カーソン(トランペット)、天才エリック・ドルフィー(アルト・サックス、バス・クラリネット)、ピアノなし、ドラムスは子分ダニー・リッチモンドと録音。その後大手コロンビアに招かれようやく巨匠となるが、全盛期は過ぎていた。享年57歳。早すぎる晩年だった。